ゆうゆうの雑記帳    

   

   

 
親友でホームページ作成の師匠(唐津市相知町在住) 「今日の@nkou」参照日誌
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12月30日(金)

いま、天神岩田屋で回転まんじゅうを買ってきた。私はこれが好物でねぇ。
岩田屋地下のお菓子売り場。ここにしかないから午後から行ったら、うんざりするほど並ばないと買えない。
回転まんじゅうやケイランには高校時代の懐かしい思い出がある。
50分かけての自転車通学だったので、学校帰りによく食べた。
特にケイランは上場の友達がおごってくれた。家から米を持って来てはケイランと替えてもらうのだ。
友達が「おい、米ば持ってきたぞ」と言えば、ケイランを食べに行こうということだった。
唐津市大石町にケイラン屋があって、ここのケイランはモチ米じゃなくて、うるち米を餅のようにしてアンコを包んだものだった。
一皿3本入って10円だったか20円だったか?。回転まんじゅうは1個5円。
今思えば、決して裕福じゃなかったけど古き良き時代だった。

 

12月29日(木)

相賀に行って来た。正月用の餅をもってお墓参り。といっても墓はない。お寺の敷地内に納骨堂があるだけ。
正月休みの帰省が始まっているが、まだそれほど多くはないので、唐津街道は行きも帰りも比較的スムーズに流れた。
久しぶりだったので、帰りに妻の実家に寄ってお寺詣りに出かけた。
偶然だが大島の姉の家の納骨堂もこのお寺にある。
帰りは久しぶりに海岸沿いの旧道を走ってみた。虹の松原から浜崎を通って糸島海岸を走るコース。
以前はよく走ったコースだが、西九州道と二丈バイパスが繋がってからは殆ど通らなくなった。
風光明媚な海岸線だが、残念ながら運転者は脇見はできない。深江から、いつもの西九州道に合流した。

 

12月27日(火)

唐津にいた頃から、健康にいいといわれる黒ニンニクを作って食べてきた。
ニンニクは家庭菜園でいくらでも栽培することができたので、原料には事欠かなかったが、 福岡に出てきてからは、菜園がないので、原料ニンニクは店で調達しなければならない。
ところが今年は不作で、品質のいいニンニクはなかなか見つからない。
糸島の「伊都菜彩」まで行ってみたが、原料になるほどの物はなかった。
近くのスーパーには安い中国産があるが、小さくて黒ニンニクには不向き。
仕方がない、高いけど青森産で賄おう。
今年も残りわずかになった。昨日はカラオケの歌い納めだったし、今日の午前中は、今年最後の卓球に行って来た。
まさかの事件事故の多かった一年が間もなく終わる。

 

12月22日(木)

月曜日のカラオケが今日に伸びていた。いつもの天神のカラオケ館ではなく、美野島のスナックカラオケに行ってみた。
ところが、年末が近いからか、天気が悪いからか、とても客が多い。
一般的に天気が悪いとカラオケ客は多くなるような気がする。
ここは夜はスナックになるので、機械は1台しかない。お客が多いと、なかなか自分の歌う番が回ってこないのだ。
これじゃ面白くないというので、最近出来た住吉通りの「コロッケクラブ」に場所を移した。
ここは天神の「カラオケ館」と料金設定はほぼ同じか少し安い。会員登録をした。

 

12月19日(月)

警固公園のイルミネーション
この時期、福岡の街はあちこちでイルミネーションが賑やかだ。
「天神で夕食でも食べて少しブラブラしてみよう」と、ふたりで出かけた。
まずはエルガーラ。昨年よりも電飾が少なくなっているみたいでなんだか寂しい。
市役所西広場では、何かイベントがあっていて、食べ物や装飾品の店のテントがいくつも並んでいる。 ここと中央公園とキャナルシティと博多駅前ではいつも何かやっている。
イムズに入ってみたが、若者向きでジジ・ババはお呼びでない感じ。
コアの7階で食事して、新天町から岩田屋方面に行ってみた。どこも人出が多い。
最後に警固公園へ行ったら、ここは昨年よりイルミが奇麗。狭いけどアイススケートのリンクも出来ていて、 若者や子供たちが楽しそうに滑っていた。
昨年までは、プラスチックか何かだったが、今年は本物の氷が張ってある。

 

12月17日(土)

天神の夕暮れ時
今年も残り少なって、行き交う人々が何となく慌ただしくなってきた天神地下街から、アクロス方面に行ってみた。
天神アクロスへは、天神地下街から地下通路を通って行ける。
コンサートがあるのかアクロス・シンフォニーホールの前は、大勢の人だかり。
さらに地下通路を通って、イムズホールへ回り、天神地下街に抜けた。イムズも大勢の人で賑わっている。
地下鉄天神駅からは、次から次ぎへと大勢の人が吐き出されてくる。一体この人達は何処からやって来るのだろうか?。 何だか不思議なものを見ている気分になる。
警固公園に回って、南天神から振り返れば、間もなく暮れようとする天神があった。

 

12月12日(月)

今年も輝く博多駅前
今年もイルミネーションの季節がやってきた。
特にLEDが普及してからは、各地で大規模なイルミが見られるようになった。
福岡市内では、博多駅、警固公園、キャナルシティ博多などが有名できらびやかだ。
写真は、先日撮ったものだが、博多駅博多口前広場のイルミネーション。
博多駅は、駅前西側にキッテビルなどが整備されてどんどん元気になっていく。
陥没事故など不名誉な事故もあったが、延伸工事中の地下鉄七隈線が開通すれば、更に駅が賑やかになるだろう。

 

12月8日(木)

ずいぶん手間取ったがやっと関西の旅行記が出来上がった。
写真集だけではなく、自分自身の思い出として記録するため、例によって長々と旅行記を書いたので、時間がかかってしまった。
雨の京都の紅葉めぐりも、紅葉のじゅうたんが見られたこともいい思い出になったし、大阪も奈良もそれなりに楽しめたし、 行って良かったと思う。
特に奈良は、高校の修学旅行以来だったので、新鮮な気持ちで数々の国宝を見ることができた。

 

12月3日(土)

朝一番に歯医者に行って来た。ちょっとしみるのと痛みをとってもらうつもりが長引いて何回も通うことになってしまった。
歯に穴をあけて神経を抜いてもらったが、穴は埋めるのじゃなくて、金属をかぶせるという。 やっぱりレーザー治療の方が良かったかな?
穴は埋めるだけではだめなのか聞いてみたら、埋めてもいいけど固いものをかむと歯が割れることがあるから、 できれば被せた方が強くなるという。
仕方ない。じゃあそうしようということになったので、まだ終わらない。
午後からは弟のような友達の所に呑みに行く。他に卓球もあるし、カラオケにも行きたいし、遊ぶことでも忙しいし、 テレビも見たいから、早く仕上げたいと思うけど旅行記の編集がなかなか進まない。

 

11月30日(水)

夜の京都タワー
26日から大阪、京都、奈良、関西の3都に行って来た。
26日は、水の都大阪の「なにわ探検クルーズ」で都心部をクルーズ。オフィスビルでは日本一高い「あべのハルカス」から 大阪を昼から夜まで眺め。
27日は、京都で東福寺から真如堂、そしてライトアップされた永観堂など6箇所のもみじ寺巡り。
残念だったのは、もみじが若干見頃を過ぎていたことと、この日に限って朝から雨だったこと。
でも、もみじのジュータンが見られたこと、雨で人出が少なかったことなど、いいこともあって、 傘をさしてのもみじ見物も風情があっていい思い出になった。
東大寺の大仏様
28日は、奈良で五重の塔の法隆寺をゆっくり見学し、千手観音や阿修羅像で有名な興隆寺まで見学したら、 東大寺まで行く時間がなくなったので、この日はここまでで早めにホテルへ。
29日は、東大寺の大仏殿に直行して、ゆっくり大仏見学。写真撮影ができたのが、なんとも嬉しかった。 帰りに依水園の見事な庭園を見物して少し早かったが帰路についた。
旅行記は後でゆっくり作ろう。

 

11月25日(金)

明日から4日間、大阪、京都、奈良方面に行って来る。日本旅行の関西フリープランを利用した。
主目的は京都の紅葉めぐり。一番いい時期を選んだつもりだったが、今年は急に寒くなったので、紅葉が進んで、 見頃は過ぎているかも知れない。丁度いい時期に行くのは極めて難しい。
まぁでも、桜吹雪ならぬモミジ吹雪や、モミジのじゅうたんが見られるかも知れないから、それも良しとしよう。 気がかりなのは天気、雨の予報なのだ。
大阪や京都は何回も行ったが、奈良には高校の修学旅行で行ったきり。奈良公園の鹿と大仏さんを見たくらいしか記憶がない。
今回は、京都や奈良のお寺めぐりのようになったが、それもまたいい。
宝塚にいる娘が、三日間付き合ってくれる。

 

11月21日(月)

かかりつけの脳神経外科に先日のMRI検査結果を聞きに行って来た。
CDに納められたデーターを開きながら説明を受けたが、結論としては内耳の腫瘍はあまり大きくはなっていない。
浜の町病院の所見には、若干大きくなっているように見えると書いてあるが、気にすることはないとの説明にホッとした。
この1年で聞こえはかなり悪くなっているように感じていたので、内心気がかりだったのだ。
「肝心の脳の方はどうですか?」と聞いたら、「ああ、脳ね」と言いながら脳の写真を見て「全然問題ないね」とのこと。
その前に行なった血液検査も、「ナトリウム値が、わずかに1ポイント低いだけ、高いよりいい。他の項目は完璧。 この年齢で、ここまで完璧な人は滅多にいないよ」と、太鼓判を押されて何だか嬉しくなった。

 

11月18日(金)

今日もまた病院通い。浜の町病院に脳のMRI検査を予約してもらっていた。
脳の検査ももちろん大事だが、これによって耳の腫瘍の様子が分かる。
内耳にある良性の腫瘍だが、大きくなると他の神経を刺激するので厄介な腫瘍なので、1年に1回定期的に検査を受けている。
この検査はレントゲンやCTのように瞬時にはいかない。造影剤まで入れれば30分弱かかる。
その間、ガーガー、ギーギー、ゴトゴト、ヒュンヒュン、あらゆる音がしてうるさいことこの上ない。 もう4回目だからすっかり慣れたが、精神的に不安のある人や閉所恐怖症の人は具合が悪くなるのではなかろうか?
検査結果は30分待って貰ってきた。紹介者で、かかりつけの脳神経外科の先生に持って行って診てもらうのだが、 遅くなったので後日出直すことにした。

 

11月16日(水)

このところ病院通いが多くなった。昨日から歯医者通い。
3か月ぐらい前から奥歯がしみるようになってきていたが、何とかごまかしながらやってきた。
でも、最近は痛みも出るようになって、我慢ができなくなって夜中に起きだして痛み止めを飲んだりしなければならなくなってきた。
虫歯ではないことは分かっていたが、なぜしみたり痛んだりするかはわからない。
昨日は歯周病だろうということで、薬を塗ってもらったが治らない。ならば神経をとるしかないと言う。
虫歯でもない歯に穴をあけるのはいやだと思ったが、痛いから仕方がない。
思い切って神経をとってもらったら、痛みはなくなったが、しばらくは通わなければならない。
でも、痛みがなくなったんだから勝負は早そう。

 

11月13日(日)

いま福岡マラソンが行われている。13000人が参加しているという。
天神から糸島市の志摩中央公園までの42.195q。繁華街や車の多い道路は避けて、主に海岸沿いを走るコースを設定してある。
西区に住む中学時代の友人は、75歳になった今もフルマラソンを走るそうで、各地のマラソンに出場しているとか。 確認はしていないが、地元でのマラソンだから、当然参加しているだろう。
彼はガラガラに痩せている、どこにフルマラソンを走り切るスタミナがあるのだろうか?。 中学時代の彼からは想像できない。
私などは運動劣等生だったが、特に長距離走は苦手中の苦手だった。中学時代の5キロマラソンでは途中の松原で休み、 皆が折り返して帰ってきたら、しんがりからのこのことついて行った。もちろん中抜けだから完走はしたことなかった。
60年前の、ほろ苦くも懐かしい思い出だ。

 

11月10日(木)

前夜祭で愛嬌を振りまくくまモン
大相撲九州場所前夜祭に行って来た。今回で3回目かな?
前夜祭は無料だから毎年満員御礼となる。したがって抽選になるが昨年は抽選に漏れた。
今年は九州場所が始まって60周年の記念すべき場所だそうだ。
出し物は、初っ切りや子供相撲、のど自慢力士の歌の競演と会場を沸かせた。特に勢関の歌はプロ級。 アンコールに応えて2曲披露した。
また、熊本地震で大きな被害を受けた地域では、復興はまだ始まったばかり。相撲協会から被災地に特別義援金が送られた。
土俵上には、熊本出身力士の正代関、佐田の海関とともにくまモンが登場し、深々と頭を下げて謝意を表明したり、 愛嬌を振りまいたりして会場を盛り上げた。

 

11月9日(水)

博多駅前通りの陥没現場
博多駅前の地下鉄工事による大陥没事故現場に行って来た。
もちろん、現場は通行止めで近づけないので、博多駅屋上から写真を撮ってきた。
風が強く肌寒い気温だが、考えることは皆同じで、屋上はカメラやスマホを持った野次馬で大盛況。
テレビでは、工事業者が想定外の事故のように言っていたが、これは明らかに人災で、当然想定しなければならない事故だ。
福岡市の地下鉄工事では、三度目の陥没事故なのに、前の教訓が全くいかされていない。
日本全国のみならず、世界に発信された事故だろう。恥ずかしくないか?。

 

11月8日(火)

天神のソラリアホテルで開催された『健康ゼミナール』に誘われて行って来た。
テーマは脳の活性化。認知症にならないように、脳梗塞など脳の病気にならないように、などなどの話だが、 結局はそのための栄養対策としてのDNA、ローヤルゼリー、などの飲む健康食品の宣伝。
もちろんそんなものは買わない。予定の卓球は休んでまで頼まれた人数合わせ。
出席者は150人ぐらいか? ほとんど女性で男性はチラホラしか見えない。
終わったら5名で昼食をしようということになったが、男性は私一人。もちろん悪い気はしないが皆よくしゃべる。 食事が終わったら、今度はお茶でも飲もうということで、そこでも尽きることのないおしゃべり。
嫌味はないから不愉快ではなかったし、こんなことは唐津時代には考えられなかったので、最後まで付き合った。
帰ってみれば、博多駅前通りの陥没事故で大騒動の様子。
明日は野次馬として、カメラでも持って出かけてみよう。

 

11月6日(日)

今日は東住吉公民館の文化祭。卓球サークルでお世話になっているので、朝からガレージセールの手伝いをさせられた。
卓球サークルは、1年交代で責任者を決める。今年は私の番だから、午後からはサークル活動の紹介もしなければならない。
ガレージセールは、はじめだけは忙しいが、一通り目ぼしいものが売れた後は比較的ひま。
昼食を交代でとったので、先に食べて交代したら、1時になっても後の交代要員が帰って来ない。
1時からはサークル紹介の時間なので卓球のメンバーを待たせている。やきもきしていると、ゆっくりと帰ってきた。
おかげで紹介は、しんがりになってしまった。

 

11月3日(木)

息子(次男)の運転で相賀に行って来た。
目的は、柿ちぎりと先日亡くなった、元近所の娘のお参り。
娘といっても、もう60歳になる。死因はよく分からないそうで、眠っていると思っていたら、 亡くなっていたというから突然死だろうとのこと。
柿は畑が2か所にある。1か所はビワ畑に1本だけ柿の木があるが、木が小さいのであまり成らない。 カラスにもやられたようで、2個しかなかった。
もう1か所には、柿の木は5本植えていた。2本には全然なかったが、3本には少しずつ成っていた。
結構食べる分はある。大島の姉の家にも少しおすそ分けして来た。
帰り道の唐津は『くんち』の真っ盛り。車を止めるところはない。
ズラリと並んだ14台の山笠を車の中から横目で眺めながら帰って来た。

 

10月31日(月)

昨年、長い間行方が知れなかった中学時代の友達から電話があった。
第一声が「お前、福岡に出てきて何ばしよるとや?相賀はどうした?」だった。
「何もしよらん。相賀は処分した」と答えたら「よか身分なァ」と言う。
「お前こそ、どこで何ばしよったつや?長いこと行方不明で…」と言ったら
「古賀で自動車の修理工場ばしよる」と言う。「ほう、社長さんか?大したもんだなァ」……「まあな」
「お前、奥さん亡くしただろう。今は?」と聞いたら「再婚した」と言う。
「俺でよかとや?て言うたら、『あんたがよか』と言うたけん」と、のろけおった。
そんな話が続いて「そのうち、俺の家で飲もう。俺が迎えに来るけん」……と言ったきり連絡がない。
こっちも忘れかけていた。そのうち連絡してみよう。

 

10月27日(木)

東住吉に卓球に行って来た。
普段は、最短距離の小さな路地道を通るが、今日は予想に反して抜けるような青空だったので、 建物の日影が多く日差しを避けられる住吉通りを帰って来た。
住吉通りの街路樹はイチョウ。少し葉っぱが黄色く色づいてきたが、まだギンナンが成っている樹がある。
このギンナン、あちこちに落ちて踏みつぶされているが、樹の根元には寄せ集めたまま放置されているので拾えばいくらでも拾える。
でも、この匂いはなんとも耐えられないし、マンション暮らしでは処理ができないから、見送るしかない。
ギンナンが落ちてしまう頃には、イチョウの黄葉が始まる。今年の秋は短いらしい。

 

10月24日(月)

先日の屋上貯水槽の配管工事以後どうも水道水の出が悪い。
全体的に水の勢いがなくなったようにも感じるし、部分的なようでもあるので始末が悪い。はっきり工事のせいだとも言えない。
さらに、先日の工事が終わった後に、我が家で試験通水をしてもらったので、よけい言いにくいのだ。
試験通水をした、流しやトイレは悪くなったとは感じないが、風呂場のお湯と洗面所の水の出が極端に悪くなった。
部分的なので、もしかしたら設備そのものに問題があるのかも知れない。
今も業者が配管の保温工事をしている。終わったら見に来てもらう約束だ。
早く来てほしい、午後はカラオケが待っているし……。

 

10月20日(木)

東住吉公民館で、午前中卓球をして、帰り道にスーパーで弁当を買ってきた。
今日は1日中断水で、水道もトイレも使えない。食後の食器も洗えないから弁当にした。
屋上の水槽の配管取り換え工事のためだが、マンションにはこれの点検もあるので時々断水する。
エレベーターも点検のため時々止まる。我が家は3階だから階段で上り下りするけど、9回10階の人は大変だろう。 結構歳の行った人も多いし…。
トイレは、隣に大きなパチンコ店があるし、目の前にはコンビニもある。
その辺は便利なのだが……。

 

10月19日(水)

京都には何回も行くが、紅葉の一番いい時期に行ったことがない。
今年こそはと、11月26〜29日の3泊4日フリープランを申し込みに行った。
ホテルは時期が時期だけに京都は避けて、大阪2泊、奈良1泊でとれたが、旅行社のサービスオプションはすでに満杯。
京都のお寺の、夜のライトアップバスツアーはキャンセル待ち。みんな早いねぇ。
日本旅行社の天神地下街店でホテルと新幹線を押さえてもらって、いざ金額を計算してもらったら、JAF割引はきかないという。
中洲店ではきいたのに天神店ではきかない。同じ日本旅行社なのになぜ?。
説明を受けたが、何だかよく分からない。
5%割引は大きい。結局、ここはキャンセルして中洲店で申し込みを済ませた。

 

10月17日(月)

昨日は、例の弟みたいな友達が久しぶりに飲みに来た。
彼が来るのは飲むのが目的。はじめから「飲みに来ていいか?」と電話してくる。
飲みながら話すのは主に昔話。なにしろ物ごごろついた頃から一緒に遊んだ仲だから、昔話には事欠かない。
飲むのは我が家、「男同士、よくまあ話すことがあるねぇ」と妻が言う。
私はどちらかと言えば無口で通っている。話のネタは彼の方から出てくることが多い。 「てっちゃんと飲んで話している時が一番楽しい」とも言ってくれる。
結局、2時半から7時半ごろまで、5時間飲んで「近々釣りに行こう」と言って帰って行った。
今日は少し頭が重いが、午後からはカラオケ。大いに歌って晴らして来よう。

 

10月13日(木)

先ほど、博多駅の「くうてん」でスペイン料理を食べてきた。と言うより、ごちそうになってきた。息子のおごり。
安川電機に務めている長男は時々福岡に講演に来る。その息子の講演を一度聞いたことがあるが、私には到底わかる話ではなかった。
今日の講演は九州大学の生徒が対象とかで、電機関連の話だろうから、理工系の生徒だろう。
前にも、同じような講演があって、その時も「普段あまり食べない料理を」と、ごちそうしてくれたことがあった。
一昨日は次男が泊りがけで遊びに来て、昨日は手料理を作ってくれた。
妻とワイワイ言いながら料理を作っていたが、とても楽しそうだった。
最近つくづく思う。子供たちがいてくれて本当によかったと…。
来月は宝塚にいる娘と、京都の紅葉を楽しみに行こうと計画している。

 

10月7日(金)

75歳になったので肺炎予防注射を受けてきた。1か月前から予約していた。
70歳から5歳刻みの人を対象に半額国の補助が出る。所得が低い人は無料の人もあるとか。
この注射、なかなか受ける人は少ないらしい。それもそのはず、説明書には恐くなるほどの副作用が列挙してある。
これでは、多少でも体調に不安のある人はビビっちゃうよ。特に女性は「受けない」という人が多い。
病院で、先生にこのことを話したら「わずかであっても、あらゆる可能性を書いておかないと、万一のことがあって、 訴えでもされたら億の金が必要になるからね。医療提供側の自己防衛ですよ。」とのこと。
なるほどね、最近は何かというとすぐ裁判になるからねぇ。
この注射、5年間は有効だが「ただひとつ困ったことがあってね」と先生が声を潜めて言う。
「えっ、どういうことですか?」と聞くと「これをするとなかなか死ねない」と言ってニヤリと笑う。
この先生、いつもこの種の冗談を言って笑わせる。
そういえば、年寄りの死亡原因のうち『肺炎』は多いもんねぇ。

 

10月5日(水)

台風18号が通り過ぎた。
今は韓国の釜山を通過して、山口県の沖合を西北西に進んでいるもよう。
今回も福岡は大したことなく難を免れた。
雨も10時前には止んで、14時現在青空さえのぞいている。
ビルの中にいると、風は殆ど感じないが、それでも最大風速は25mを超えたというから、結構吹いたのだ。
海岸や高台ではかなりの風だったのだろう。
台風一過涼しくなるかと思っていたが、今のところその気配はない。
ああ、秋はいつ来る?

 

10月3日(月)

街を歩いていると、時々道を聞かれる。
南天神の渡辺通りを歩いていたら「市役所をご存じありませんか」と、二人連れの年配女性に声を掛けられた。
「ああ、市役所ね、方向が逆ですよ。あそこに大丸があるでしょう、その向こうの信号を右に折れたら、中央警察署がありますので、 その前が市役所ですよ」と、スムーズに答えられた。
唐津から出て来てまだ6年余りだが、地元のことに詳しい年寄りとでも見えるのだろう。
今までに聞かれた場所は、博多駅、天神コア、薬院、キャナルシティ、川端、住吉神社、少年科学館、などなど 不思議と答えられる所ばかり。
「さぁー?」と首をひねったことはあまりない。
毎日歩いている賜物か?、場所によっては博多っ子より詳しくなったよ。

 

10月1日(土)

今日から10月だというのにまだまだ暑い。
曇りで、今にも泣きだしそうな空模様だが、半そでシャツに短パン姿で全然寒くない。
5分か10分で行けるところには、いつもこのスタイルで出かける。
買い物を頼まれたので、外へ出たら霧のような雨がかすかに降っている。
でも、誰も傘はさしていない。ままよとそのまま出かけたが、途中でポツリポツリと本物の雨が降り出した。
こんな時、都会は便利。ビルの入り口で雨宿りしていると、3分もしないうちに降り止んだ。
バナナとトマトを買って家に帰ったら、じっとりと汗ばんできた。
外は何度だろうか?部屋の温度計は29度、湿度88%を指している。うんざり。

 

9月27日(火)

春吉の卓球に行って来たが、いつも13名ぐらい来るのに今日は9名。その前も、その前も少なかった。
猛暑の疲れが出てきたのか、最近は体調を崩す人が多いようだ。何しろみんな歳だからねぇ。
それにしても今日の暑さは何なのだ。最高気温の予想は33度。
部屋の窓際の温度計を見てみたら、31度で湿度が80%を指している。
暑いはずだ、じっとしていても汗ばんでくる。完全に真夏に逆戻り。
間もなく10月になろうというのにこの暑さ、やっぱり異常気象。
10月も気温は高いとか、11月は急に冷えるとか、これじゃさわやかな秋はないじゃないか。

 

9月24日(土)

1週間前に間違えて出かけた、東住吉公民館のサークル代表者会議に行って来た。今日は本物。
皆の公民館を大切にするという意味を込めて、まずは管内の清掃から。
3階ホールの清掃を頼まれたが、木曜日の卓球もこのホールで行う。
ホールは使用の後、その都度掃除するので殆ど汚れていない。
次に代表者会議。議題は11月6日に行われる「文化祭」について。
公民館にとっては一大イベントだ。毎年大いに賑わう。

 

9月22日(木)

今日は次男の運転で、相賀に彼岸参りに行って来た。
相変わらず何の変化もないような相賀の風景。かっての我が家も何も手つかずのようだし、海岸道路に出る道も広がっていない。
納骨堂で先祖をお参りし、親戚の家を参った後、最近の釣り情報を聞きに親友の家に寄ってみた。 アジはあまり釣れないが、クロが釣れだしたそうだ。
8月8日に歯痛のためキャンセルした大アジ釣り「あの日は釣れたぞ」と言う。何とも残念なことだ。
そのうちに、クロ釣りに連れて行ってもらおう。

 

9月20日(火)

台風16号は各地にその爪痕を残して紀伊半島付近を通過しているようだが、またしても福岡は大したことなく済んだ。
最近の台風は、風もさることながら雨がものすごい。今回も各地で記録的な大雨を降らせている。
午前中は風も強く霧雨が降っていたが、公民館まで卓球をしに行くこともできた。
街の様子もいつもと変わりはない。
台風は今も各地に被害を与えながら進んでいるようだが、被災地の皆さんのことを考えると、何だか申し訳ないような気がしてくる。

 

9月19日(月)

地区の敬老会はとっくに済んだが、今日がほんものの敬老の日。以前は15日だったが、第3月曜日に変更になって ピンとこなくなった。
敬老の日には、百道の福岡タワーの入館料がシルバーは無料になる。
あいにく今年は台風16号の接近で雨模様。昨日は大雨だった。
幸いにも大雨による被害はあまりなかったようだが、台風は今夜から明日の朝がピーク。昨日の予報より少し早くなったようだ。
この前の台風は、すぐ近くの糸島沖で消滅したし、今回は少し南にそれそうだ。
直撃を受けそうな鹿児島・宮崎地方には申し訳ないが、北部九州はのがれそう。
南九州通過後は、太平洋沿岸をかすめて通るコースか?

 

9月17日(土)

退職して16年半、日常生活の中で、日付と曜日がピンとこない日が多くなった。
新聞を読み終わって、一息入れていたら「あっ今日は土曜日だ」ということに気付いた。
「しまった、今日は東住吉のサークル代表者会議の日だ」。時計を見たら9時10分を過ぎている。会議は9時半から。
慌てて会場に行ってみたら誰もいない。
受付窓口にも誰もいなくて、ご用の方は3階にどうぞと書いてある。3階に上がろうとして思い出した。
なんと、今日は17日ではないか。会議は24日。1週間間違えたのだ。土曜日だけが頭にあったので、とんだ間違い。
最近大なり小なりこの種の間違いが多いが、いい運動にはなった。
昼過ぎには、孫の運動会のため久留米に行って来た長男夫婦が昼食に誘ってくれた。

 

9月15日(木)

3時半ごろ、テレビを見ているときに体調の異変を感じた。
「しまった!!また来た……」例の目まいが始まったのだ。
何の前触れもなく突然来るから始末が悪い。酷暑が続いたので、夏バテ気味か。
でも、今回のはそれほどひどくない。大きく上を向いたり、中かがみで下を向いたりしなければ、壁や天井が回ることはない。
正面を見続けていれば目は回らないから、そのままテレビは見続けた。
座ったり、立ったり、歩いたりすると少しふらつく。
吐き気はしないし、食欲も落ちていないから、明日1日おとなしくしていれば大丈夫だろう。
頭の鈍痛と、どんより感は毎度のことで、これはしばらく続く。
この病気にも少し慣れてきた。大したことはなさそう。

 

9月10日(土)

春吉校区の敬老会に参加してきた。75歳からだから敬老会1年生。
敬老会は、相賀で主催者側として取り組んだことはあるが、してもらう側としては初めての出席。
式典の後は演芸が行われるのはどこも同じ。春吉中学校吹奏楽部の演奏に始まって、小学2年生の踊るポンポコリン、 春吉小・中学生太鼓部の太鼓演奏、民舞の会の博多おどり、春吉ベッピンシャンズのダンスなど盛りだくさん。
会場には、公民館の卓球やカラオケサークルのメンバーの顔がちらほらと見える。
春吉の住人になって3年半、荒戸を含めて福岡在住6年半になった。
唐津から転居してきたことを知っているサークルの先輩から「あなたもすっかり春吉校区の仲間入りができたね」 「思い切って出た来てよかったね」って、いつも励まされる。

 

9月7日(水)

今日は懐かしい映画を観に行って来た。
特に素晴らしい傑作映画を選んで、30本前後の映画が1年間にわたり連続上映される「午前十時の映画祭」。
天神東宝で毎年上映されていて今年で7回目。格安で、特に有名な映画は何回も上映される。
以前は昔懐かしい洋画ばかりだったが、最近は日本映画もたまに混じる。
今日の映画は1972年のポセイドン・アドベンチャー。
ニューヨークからギリシャのアテネに向かっていた客船が、海底地震による大津波に遭って転覆する。
乗船客1400名のうち6名だけが数々の苦難を乗り越えて生き残るというストーリーだ。
あの豪華客船の沈没事故『タイタニック』を思い起こさせる映画。

 

9月5日(月)

台風12号が通り過ぎた。
長崎県に上陸した台風は、唐津市の浜崎方面から糸島半島をかすめて玄界灘に抜け、今は下関の西海上あたりか。
ビルの中にいるせいか、何事もなかった。明け方4時ごろ目を覚ました時には少し雨は降っていたが風はなかった。
6時に起きた時も風は吹いておらず、雨も降っていなかった。この時間が一番福岡に近かった時だったが…。 9時半現在も風も雨もなんともない。
ベランダの鉢植えも物干しも、室内に取り込んで身構えていただけに、いささか拍子抜けだが、 とりあえずは何ともなくてよかった。
午後のカラオケも予定通りできる。

 

9月4日(日)

台風12号が近づいている。最近では珍しく直撃コース。
今はまだ鹿児島の西海上を北上中だが、このまま予報通り進めば、夜中ごろに長崎付近に上陸、長崎県と佐賀県を斜めに横断して 明日の朝9時頃に福岡を直撃する。
規模はあまり大きくはなさそうだし、強いといっても少しづつ弱まっているようだが、コースが悪い。
農業者や漁業者の皆さんは備えに大変だろう。万全を期しても自然の猛威には逆らえない。
今はマンション暮らしだから何もすることはないが、相賀に居たときは大変だった。
植木鉢は全部廊下や車庫に運び、ナスやトマト・キュウリその他の野菜類は、風で吹きちぎられないように結び付けた。 それでも、通過後は葉っぱがなくなっていた。
趣味の家庭菜園でさえ、丹精込めた作物がやられるのは何とも歯がゆい。
プロの農家の皆さんの苦労と無念さがよくわかる。台風が弱まるのを祈るばかり。

 

9月1日(木)

今日から9月で、今日は防災の日。
立春から数えて210日目ぐらいが一番台風が通過する確率が高いということで、防災の日と定められた。
以前は九州は台風銀座と言われていたが、最近はあまり通らない。とくに北部九州は少なくなった。
代わって、最近は東北や北海道が相次ぐ災難で大きな被害が出ている。
台風10号では、10名以上の死者も出ているし、今も岩手県や北海道では行方不明者や、安否が確認されていない人が数名あり、 必死の捜索が続いている。
そして今度は九州。昨夜は熊本地方で震度5の地震があって、福岡も揺れた。
やっと終息に向かいつつあるかと思えたのに、また住民の不安をかきたてた。
さらに、沖縄の南には台風12号が発生し、九州をうかがっている。熊本や福岡は直撃を受けるかも知れない。
最近の台風は風ばかりではなく、豪雨による災害が非常に多い。要注意!!。

 

8月27日(土)

唐津の新鮮な魚介類や特産品が並んでいる
昨日から福岡市役所西側ふれあい広場で、唐津の物産展が開かれている。
唐津の旬の味を味わう『唐津まるごとマーケットin天神』と題して、新鮮な魚介類や農産物、その他唐津の物産や食べ物のテントが ズラリと並んでいる。
近くのビックカメラに来たついでに、立ち寄ってみたら「原さん」と呼び止められた。
唐津市議会議員で湊の笹山茂成さんだ。
彼は市議5期目で、今は副議長に出世している。
彼には相賀の区長時代に、何かと世話になった。
湊の新鮮な魚介類を販売するテントで「手伝いをしています」と笑っていた。今は懐かしくなった思い出がよみがえってきた。

 

8月26日(金)

パソコンのOSをウインドウズ10にしてからパソコンの調子が悪い。
無料ダウンロードに飛びついて、7から10にいち早く変更したのが間違いのもと。
やっと慣れてはきたが、立ち上がりにウインドウズ・ライブメールが立ち上がらないことがしばしば。
修正するには再起動すればいいのだが、この再起動に時間がかかってうんざりする。
このホームページの更新だって、ソースが出てこなければ更新できないが、ソースの表示がされなくて初めは慌てた。
あちこち触って、やっとInternet Explorerで開く方法を見つけ出したが、いちいち面倒な操作が増えた。
なぜ初めからInternet Explorerで開く画面と、開かない画面があるかも分からない。
もともと、パソコンがウインドウズ10に対応するようにできていないから、いろいろと無理が生じているとか。
元の7に戻したいが、もうできないという。あ〜ア!

 

8月24日(水)

目まいで中断していた歯の治療に行って来た。盆休みもあったので2週間ぶり。
「どうしようか?抜いたほうが勝負は早いけどね。抜きたくない?」と聞かれて
「できれば抜きたくないけど…抜いた後はどうなりますか?入れ歯ですか?」
「いやいや、今まで通り両側の歯にブリッジを掛けて被せればいいですよ」
「入れ歯は嫌だなァと思っていましたが、そうじゃないなら抜きましょう」
と、いうことで、ついに1本抜いちゃったが、以前抜いた親知らず1本と、今回の1本がなくなっただけで他は健在。
若いころに治療した虫歯で、埋めたり被せたりした歯はあるけど、根は残っている。
75歳にしてはいい方じゃなかろうか?

 

8月22日(月)

熱く燃えたリオ・オリンピックも、甲子園の高校野球も終わってしまった。
また元の静けさに戻るかと思いきや、このうんざりする猛暑は、いつまで経っても全く終わるところを知らない。
7月の初めから、35℃前後の猛暑が続き、その間雨らしい雨は降っていない。
東北や北海道は豪雨に見舞われているというのに。
昔は、今日は暑かったなァ、といっても30℃余り、昭和36年に名古屋に出張した時の36℃に驚いたが、 今はそれが当たり前のように連日続く。
お盆を過ぎれば、朝夕は秋風が吹き始めていたが、今はその気配は全くなし。
秋は来るのかねェ。

 

8月18日(木)

毎日1時間程度は歩くことをノルマにしている。でも、猛暑続きで日中はとてもじゃないが歩けない。
今日は夜になって天神方面を歩いてみた。
天神方面に歩いても、博多駅方面や、キャナルシティから川端方面に歩いても、それぞれ往復1時間程度だから 歩くにはちょうどいい。
しかも、それぞれ目的地に着けば冷房が効いているので涼しい。
特に天神地下街は、いろんな人達がいるので歩いているだけで刺激があって面白いし、地下街をぐるり一周すれば1qは超える。
また、こっちもどんな格好をして歩いても、知らない人ばかりだから気にならない。
第一、私のような爺さん、誰も注目してはいないし……。

 

8月15日(月)

テントの中でお参りして先祖を送る
今日は終戦記念日。あの忌まわしい戦争が終わって71年が経ち、平和な時代が続いている。
終戦当時私は4歳、丁度ものごごろつき始めたころで、私の記憶はこの頃から始まっている。
父は2歳のころに出征し、1年半後に当時のビルマで戦死しているので、父の顔は写真でしか見たことがない。
盆も今日で終わり。先ほど土産を持たせて先祖を送りに行って来た。
こんな都会の真ん中でも、高砂と清川両地区のボランティアの皆さんのおかげで、先祖の御霊送りができるのだからありがたい。

 

8月14日(日)

昨日は忙しい一日となった。前日から来ていた長男一家も早々に帰して唐津へ。
100歳で亡くなった高校時代の友人のお父さんの初盆詣りで、上記の@nkouさんとも一緒になった。
積もる話もあったが、次から次に訪れるお詣り客の応対で彼は大忙し。こっちも先があるので相賀に向かった。
今年の相賀の初盆は6軒、例年10軒前後あるけど今年は少ない。内5軒をお参りし、 お寺へ行って我が家の納骨堂で先祖のお詣りをして帰った。
体調はまだ元には戻っていないが、次男が運転してくれたので助かった。
今日は今から筑紫野市の幼馴染のお母さんの初盆詣りに出かける。
これが済めば一段落かな。

 

8月10日(水)

リオのオリンピックや甲子園の高校野球でテレビから目を離せない毎日だが、こっちはいささか夏ばて気味。
土曜日の夕方から、かって治療した虫歯が痛み出して全く噛めず、月曜日を待って歯医者へ行ったら、 被せたものがなかなか取れず予想外に長引いてうんざり。
でも、午後のカラオケは何とか楽しんだまではよかったが。
昨日の朝4時ごろに目を覚ましたら天井がぐるぐる回っている。
「しまった例の目まいがまた出た」と思って、朝を待って病院に行こうと思ったが、目が回って立てない。
午後になって少し落ち着いたので近くの病院に駆け込んだが、専門外ということで何もしてくれそうもない。 頼み込んで点滴だけをしてもらって、その足で掛かりつけの病院へ行った。
「目まいの原因の半分は耳の腫瘍の影響だろうね、あと半分はあんたの努力が足りないよ」と言われた。
努力とは、極端に肩が凝ったときに目まいが起こるから、肩凝りをほぐす体操をするように言われていた。 歯医者での緊張が拍車をかけたのだろう。
その体操のやり方が悪いという。まじめにやってるんだけどなァ。

 

8月6日(土)

全く久しぶり、11年ぶりに霊の話を追加更新した。
上記の唐津との日誌の連携に刺激されて、本文でも何か書きたくなったからだ。
もともと、霊の話と株の話はホームページのメインにするつもりだったが、株の話は考えるところがあってやめた。
霊の話も、新しいネタ切れで長らく更新していなかったが、幼友達の6年前の「臨死体験談」 を思い出して、急に書いてみたくなった。
書きだしたら意外と長くなったので2ページに分けた。
昔、土葬だった時代には火の玉を見たとか、幽霊を見たとか、そういう話がたくさんあったが、最近はあまり聞かなくなった。
夏の夜の怪談話も、最近ではトンと聞かないし、映画やドラマも少なくなった。
四谷怪談や佐賀の猫化け騒動は、夏になるとよく上映されたものだが……。
今時、時代遅れ時代錯誤ということか?。今風のスマートな話じゃないからねぇ。
でも、霊もいるし霊界も存在する。というのは私の持論。

 

8月4日(木)

昨日は天神でカラオケ三昧。今日は午前中卓球を楽しんできた。
暑くてもこれは楽しい。
昼食を済ませてシャワーを浴びてテレビの前に座ったら40分ぐらい眠ってしまった。
暑い!とにかく熱い!連日の猛暑日。雨がほしいが、福岡は一滴も降らない。
7月に入ってから降った日があったかなァ。周辺地域では大雨警報とか注意報が出ているみたいだけど。
こうなったら台風でもいいから来てほしい心境だが、太平洋高気圧が強いからそれも望めない。
上記の@nkouさんは、クーラーもつけずに40℃のパソコン工房にこもっているようだけど、大丈夫かなァ。 ピーポーピーポーにならなきゃいいけどね。
こっちは経験者だから…。もっとも熱中症じゃなかったけどね。

 

8月1日(月)

大濠公園中の島から打ち上げられる花火
真夏の夜の風物詩『大濠花火大会』を見に行った。
毎年8月1日に開かれる納涼花火大会だが、納涼どころか行き帰りの満員電車や、会場の混雑ぶりには閉口する。汗だくだ。
大濠公園の周囲は2qあるがすごい混雑だし、シートを敷いての場所取りが難しいので、 昨年から公園東側の広々とした芝生の空き地で見ることにした。
ここからは公園周りの木々が邪魔をして仕掛け花火は見えないが、打ち上げ花火はよく見えるし、第一場所取りが楽だ。 楽々と寝そべって見ることだってできる。
打ち上げ花火は毎年6000発、年ごとに進化しているのだろうが、私にはわからない。
人出は42万人だったとか、どうして数えるのだろう。

 

7月30日(土)

アジを中心に27匹が今日の釣果
久しぶりに唐津に魚釣りに行った。
先日、相賀の友人から「大アジが釣れだしたぞ」と連絡があった。
大アジとは、40〜45cm級で、私の小さなクーラーには、曲げなければ入らないほど大きなアジ。
7〜8年前まではじゃんじゃん釣れていたアジだが、遊漁船が来るようになって、たちまち釣り荒れ。 さっぱり釣れなくなっていた。
その大アジが釣れるとあって、喜び勇んで出かけたが午前中はさっぱり。午後になってぼつぼつ釣れだした。
でも、型は小さく30p級の中アジばかり。たまにサバが混じるが、これも小さい。
釣れたらあちこちに配って帰ろうと思ったが、その思惑は外れた。
でも、我が家で食べる分には十分。

 

7月28日(木)

昨夜から遊びに来ていた孫を先ほど博多駅まで送って来た。
中学生になって初めての夏休み、熊本の友達の所に遊びに行って来たそうだ。
久留米附設中学に通うようになって、あちこちに友達ができたらしい。私たちはこんな日が来ることを待っていたのだ。
いま、市立博物館で『大アマゾン展』をやっている。今日は妻と三人でそのアマゾン展を観に行って来た。
熱帯の大河に棲息する生き物たちや植物は、ある程度は分かっていたつもりだが、その大きさも、種類の多さも、 私たちの想像をはるかに超えている。
夏休みを中心に子供向けに企画されていて、展示されているのは、はく製やビデヲ映像だが、 本物と遭遇したらギョッとして足がすくんでしまいそう。
フラッシュをたかなければ撮影してもいいんだって。カメラを持って行ってなかったんだよなァ。

 

7月26日(火)

唐津商業高校が5度目の夏の甲子園出場を決めたことを今朝の新聞で知った。
唐津商業は母校ではないが、当時実業高校だったあの校舎に3年通ったので、準母校と言ってもよかろう。
上記の友人@nkouさんも同じ。応援に行くなら私の分まで応援して来てほしい。あの応援歌「八百地の港」を 腹いっぱい歌って。
前回5年前は、私の母校湊中学校出身者が数人入って大活躍した。エース投手の北方や1塁手の伊藤は、 私の同級生の孫たちだった。
湊中は、ソフトバンクホークスの前身ダイエーホークスで活躍した藤井投手を産んだ中学でもある。
今回のメンバーに湊中出身者がいるかどうかは分からないが、きっといるような気がする。頑張れ唐津商業。

 

7月23日(土)

ヤフオクドーム
昨夜はヤフオクドームの『鷹の祭典』に行って来た。ソフトバンク対西武戦。
毎年行われる鷹の祭典には息子が必ずチケットを買ってくれる。ソフトバンクファンの妻のために、母の日のプレゼント代わり。
私はジャイアンツファンだから、巨人×ソフトバンク交流戦が父の日のプレゼント。これは息子たち親子も一緒に観戦する。
鷹の祭典には必ず、選手が着ているようなユニホームのプレゼントがある。今年はブルーのユニホームで、 満員のスタンドは青一色。
さて、試合は2回に西武に1点先制されたが、すぐに追いつき、今宮選手のホームランなどで、順調に加点。
中村選手に一発を食らったが、結局5対2でソフトバンクが勝った。
試合後は和田投手と今宮選手にヒーローインタビュー。最後は祭典を盛り上げる仕掛けが盛り沢山。 同時に勝利の花火も上がって、妻も大満足。

 

7月22日(金)

昨夜は久留米の中学校に通っている孫が泊まりにやってきた。
もう夏休みに入っているのだが、部活の関係で今日の朝早く学校に着かなければならないけど、 小倉からでは間に合う電車がないという。
孫が来るのは、夜の9時ごろの予定だと息子から聞いていたので、博多駅まで迎えに行くことにしていた。
昨日の私はカラオケの日。時間を延長して楽しんで帰りかけたら、孫から予定より早く着くと連絡があった。
急いで帰って夕食を済ませたところで、ちょうど迎えに行く時間。
博多駅までは車で10分とはかからない。
今朝は6時45分発の新幹線に間に合うように駅まで送って来た。
近々、博多の友達の所に遊びに来るので、その時も泊まりに来ると言っていた。
そういう風に我が家を利用してくれれば、ジジもババも嬉しいのだ。

 

7月20日(水)

ペレス・プラード楽団
久しぶりに、マンボの王様ペレス・プラード楽団が福岡にやってきた。3年ぶりぐらいじゃなかろうか。
歯切れのいいラテンのリズムが好きで、マンボやタンゴのコンサートには必ず出かける。
滅多に来ないが、唐津にいたころから出かけているので、今日で5回目くらいか?
就職して間もないころ、職場の旅行で杖立温泉に出かけたとき、ラテンのリズムが流れていた。
売店の店員に曲名を聞いたら「闘牛士のマンボ」だという。これが初めて聞いたペレス・プラードのマンボだった。 以来、レコードもテープもCDも買った。
今回はペレス・プラード生誕100年、来日60周年の記念コンサート。
楽団員15名、パンチのきいた迫力満点のマンボのリズムに、3名の女性ダンサーが彩を添える
セレソ・ローサ、エル・マンボ、マンボbT、マンボbW、闘牛士のマンボ、べサメ・ムーチョ、キエン・セラ、 ククルクク・パローマなどなど。
さらにお祭りマンボや青い山脈など日本の曲もサービスしてくれて、全23曲、十分に堪能した。

 

7月18日(月)

母の死から4年半にもなろうというのに、今でも母がお世話になった唐津の施設から夏祭りへの招待がある。
毎年参加していたが、昨年は都合で行けなかった。
今年は行こうと思っていたが、最近は車の運転がおっくうになって、とうとう行かなかった。
夏祭りは、唐津の九州花火大会の日に合わせて行われる。それが昨日だった。
施設が佐志の高台にあるため花火大会が見えるのだが、遠くて不便なため車で行かなければならない。帰りが夜の11時ごろになるのだ。 来年も招待状が来たら、何とかしよう。
毎日1時間以上のウオーキングをノルマにしている。夕方、博多駅に行ってみたら、連休の中日とあってものすごい人出。
マリンメッセでは何か催しがあっているとかで、バス停は若い人の長〜〜い行列。
天神もそうだったらしい。人に酔っちゃうよ。

 

7月16日(土)

高校時代からの親友でもあり、このホームページ作成の師匠でもある友人から、 お互いの日誌のページの相互リンクの依頼があった。
もともと彼に教えてもらわなければ、このホームページ自体が存在しなかった訳だし、その彼からの相互リンクの申し出。 なんの異存もない、むしろ望むところ。
思えば15年も前だったか、彼のホームページを見て「是非作り方を教えてほしい」と頼んだ。
英語劣等生の私にとって、無謀とも思える申し出だったが、親切で優しく、しかも詳しく丁寧に図まで描いて教えてくれた。
その後は、ページ作成が面白くて、はまり込んだ時期もあったが、最近はページ更新も少なく、 日誌とたまの旅行記ぐらいになっていた。
その日誌を相互リンクする。これを機会にほかのページも更新しなきゃあ…。

親友でホームページ作成の師匠(唐津市相知町在住) 「今日の@nkou」参照日誌

 

7月11日(月)

参院選、予想通り改憲勢力が3分の2を上回った。
野党共闘は一定の効果はあったものの、共産党まで含めた、なりふり構わない烏合の衆には、国政は任せられないということ。
これを機会に憲法改正論議が高まると思うが、いいことだと思う。
今の憲法は、それなりにいい憲法で、それなりの効果はあったが、戦後70年、今の時代に合わない部分もある。
改憲ではなく、国民による、国民のための『新しい憲法』を作り上げればいい。
与野党を問わず、学者、知識人、その他あらゆる階層で英知を絞り、大いに議論をしあって、正々堂々 国民投票で過半数の賛成を得ればいいのだ。
これを機会に、自衛隊を国防軍と位置づけ、どこの国とも敵対しない、永世中立国を目指せばいい。 これこそが、戦争をしない、世界の戦争にも巻き込まれない唯一の策だと思う。
アメリカの核の傘に頼らず、すべての基地も撤退してもらい、その浮いた金で国防軍を充実し、真の独立国を目指す。 理想過ぎて実現不可能と一蹴されるかな? 
トランプ大統領が実現し、日本からすべての基地を撤退してくれればいいなぁ。

 

7月9日(土)

血圧の薬が少なくなったので、かかりつけ脳神経外科病院に行った。
昨日の雨で元気をもらったのか、道々の街路樹でセミが激しく鳴いている。
ワッシワッシというあのセミだ。これが鳴きだすとよけい暑く感じる。
子供の頃は、あのセミを獲ってよく遊んだ。我が家の裏の友達の家の庭に大きなセンダの木があったが、 この木によくセミが止まって鳴いていた。
竹竿の先にトリモチを付けて獲るのだが、そのトリモチも自前で造った。
山からトリモチの木の皮を剥いできて、4,5日水につけ、金づちや石でたたいてグチャグチャになったところで洗って カスを流し落すとトリモチだけが残る。
獲ったセミはアルコールを注射して標本にした。たった1週間しかないセミの命、少し残酷だったかな。
メジロも、このトリモチで獲った。鳥かごも自前で作ったっケ。すべて先輩ガキ大将が教えてくれた。
古き良き時代の子供の頃の思い出。

 

7月5日(火)

ここ数日35度以上の猛暑日が続いている。本当にうだるような暑さ。
まだ7月に入ったばかりというのに、先が思いやられる。
一方ではまだ梅雨明け宣言が出ていない。梅雨前線は北上したものの、近くにあるのか、 南からの暖かくて湿った空気が吹き込んで、湿度が高くてものすごく蒸し暑い。不快指数100%だ。
天神まで行けば涼しいのだが、そこまで行くのが苦になって、動きたくない。
それでも私たちはまだいい。熊本地震の被災地の人々はどうしているだろう?。
家を亡くした人たちの生活は?。
私たちが贅沢を言ったり、愚痴をこぼしていては罰が当たる。

 

7月3日(日)

「夕立ち3日」昔の人はよく言った。特に祖父は西空を見上げては、その日の天気を当てていた。
暑い夏の日の夕方、突然空が曇って雷と突風を伴いながらザーッと来る雨。
これが来ると明日も明後日も3日続いてくる。
本当に3日続けてくるから不思議だった。
一昨日3時半頃それが来た、時間こそ短かったが、まさに夕立。
昨日は注目していたら、空は曇ったが雨はパラパラ程度だった。
そして今日、先ほど2時過ぎ突然ザーッと来た、遠くで雷の音も聞こえる。
「夕立3日」は生きている。
今日の雨は変な雨で、ザーッと来ては、ピタッと止んで薄日が差したと思えば、しばらく経ってまたザーッと来て、を繰り返している。

 

6月29日(水)

一旦治ったかに思えた風邪がぶり返したような気がして、なんとなく気分が乗らない今日この頃。
歳のせいか、ちょっと体調をくずすとなかなか元には戻らない。戻るのに時間がかかるのだ。
このことは皆も実感しているのか、カラオケ仲間の話題にも上って、同じようなことを言う。
「風邪なんか治った」と自分に言い聞かせて、もやもやを吹き飛ばすために、久々にカラオケに参加した。
普通は月曜日にやっているカラオケだが、今回はグループの都合で延期していた。
2時から5時まで3時間、楽しい時間はあっという間に過ぎる。
もちろん憂鬱な気分なんか吹っ飛んだサ。

 

6月25日(土)

先日見舞いに行った筑紫野の友達のお母さんが亡くなった。生前に会いに行っててよかった。
96歳というから大往生、いかにも安らかな顔だった。
入院は3週間程度で、その前はピンピンしていたというから、家族にそれほど迷惑もかけず「ピンピンころり」。 まさに理想の死に方だろう。
連絡を受けてすぐに出かけ、納棺にも立ち会い通夜にも出席してそのまま一晩泊まった。 私も4年前に母親を亡くしているので、ある程度のことは覚えている。
相談相手にでもなればと思って最後まで付き合った。
葬式には相賀からも主だった親戚の人達がやってきた。
相賀で別の49日法要を済ませた和尚さんの都合で葬式が遅くなったので、火葬場の控室で夕食まで済ませた。
「てっちゃんが居てくれて、本当に助かったよ」弟のような彼がそう言ってくれた。

 

6月20日(月)

2,3日前から喉が痛い。風邪をひいたようだ。ずいぶん久しぶり、何年ぶりだろうか。 「俺は風邪なんか引かない」と言ってたんだけど……。
昨夜は喉が痛くてよく眠れなかった。長引いちゃまずいから、朝一番で近くの病院に行った。
「いま風邪が流行っているんですよ。急に暑くなって身体が対応できないでいるんです」ということだ。
「風邪は自分で治そうとする力が頼りで、薬はそれを助ける役目をするだけ」とも言われた。
風邪のウイルスには、普通の薬は直接は効かないということか。前にも同じようなことを聞いたような気がする。
「普通は1週間程度で治ります、それより長引くようだったらまた来てください」
「喉の痛みさえ取れれば、ほかは大したことはないのですがね」と言ったら「甘く見ないがいいですよ。 酒は呑まないように」と言われて、3種類5日分の薬をもらってきた。

 

6月18日(土)

昭和は遠くなってきたが、今は昔になった昭和44年から55年まで、唐津市呉服町で小さな店を開いていた。 もちろん借り店舗で運営は母と妻。
その店の主な仕入れ先が『九州寺内』で、当時は福岡市警固にあった。
同じ寺内かどうかははっきりしないが、『fanbi寺内』という卸屋が博多駅前4丁目にある。 友達から1日入店券をもらったので行ってみた。
卸屋だが、木金土日は一般客も登録すれば入店できるし、もちろん卸値で買い物もできる。
日用雑貨から衣服、食品、化粧品、装飾品などなど何でもありの店で、屋内装飾品が主だった昔とは取扱品目が多少違う。
何でもあり、しかも土曜日の午後なので、店内はすごく混んでいて、レジは2階に上がる階段まですごい行列。
卸値で買えるので買いたい物もあったが並ぶのが面倒、平日のそれも午前中にゆっくり出直すことにした。

 

6月13日(月)

昨日はヤフオクドームにセパ交流戦、巨人×ソフトバンクを観に行った。
このカードのチケットは、巨人ファンの私に、毎年長男が父の日のプレゼントとして買ってくれる。
巨人連敗の後の最終戦、3連敗は以前から予想していたが、その通りになった。
ここ数年、巨人とソフトバンクではチーム力に大きな差があるように感じていた。
前半5対0の劣勢から、終盤7対5まで追い上げたが、ここまでで精一杯。
終盤の追い上げ時に、巨人ファンも結構いることに気付いた。特に年配者が多い。
その巨人ファンが、帰りに私に「またね」と言いながらハイタッチを求めてきた。
見ず知らずの人だが、首に巻いた黄色いタオルで仲間意識が生まれたのだろう。
試合は負けたが、何だかほんのり温かい気持ちになった。

 

6月10日(金)

先日、今は筑紫野市に住む友達のお母さんが入院したというので見舞いに行った。
誤嚥性の肺炎らしいが、何しろ96歳の高齢だから、もしものことがある前に一度会っておこうと思ったから。
もともと相賀の人で、息子が福岡市役所に勤務し筑紫野に家を新築したので、そちらに転居した。
息子(友達)は、私より2歳年下だが、ばあちゃんどうしが兄弟で、親戚づきあいをしていたし、早くに父親を亡くし、 ひとり息子で、私と似たような境遇だったので、兄弟のようにして育った。
今でも、この弟みたいな友達とは、全然遠慮がないから、魚釣りや飲み会、時には我が家に手作りの野菜を持って来ては酒を呑み、 何かにつけて親交を深めている。
その彼のお母さんは、私の母と同じ名前。「キクヨおばしゃん」と声をかけたら、うなづきながら返事をしてくれた。
「また来るけんな、早うようならにゃばい」と言って、手を握りながら別れたが、 意識がはっきりしているうちに会えてよかった。

 

6月6日(月)

相賀にはまだ田や畑が残っている。処分しようにも処分できない田畑だ。
今日はその中のビワ畑に行ってみた。2月に行った時には結構実が成っていたから、もう収穫時期だろうと思ったのだ。
生い茂った草を払い、枯れ枝や竹やぶをかき分け、道なき道を切り開いて、やっとビワ畑に到着した。
ところが、ところが、オレンジ色に実っているはずのビワが全然ない。
カラスにやられたかと思ったが、そうも見えない。誰かが失敬した様子も全くない。
なぜ成ってないのか?いくら考えてもわからない。枯れて腐った小さな実が残っている枝が結構ある。
気象条件で、何かが狂って、大きく実らないまま腐ったのではないか。
友達に聞いたら、我が家のビワばかりではなく。どの家のも全然なかったそうだ。
我が家では祖父の代からビワを作っていて、昔は売りに行く程だった。
生まれて75年、物心ついた頃から作っていたビワが、こんなに成ってないのは記憶にない。異常気象のいたずらだろうか?

 

6月4日(土)

昨日は、長男達が久しぶりにやってきた。孫の学校の父兄面談の帰り。
4月から久留米大学附設中学校へ通っている孫だが、勉強漬けの学校だから、いろんな面で心配していたが、学校が楽しいという。
小学校では「楽しくない」と言っていた孫だから本当に楽しいのだろう。
勉強も宿題もすごい量だそうだが、自分で行きたかった学校だから、すべてよくやっているらしい。
息子が言っていた「俺はとてもあんなに勉強はできない。半端じゃないよ」だと。
夕方は久しぶりに3丁目の中国料理店「竹園」で、わいわい言いながら夕食。
土曜日も休みじゃない。朝7時の新幹線に乗るというので博多駅まで送った。
長男夫婦は、今日は父兄参観日だと、昨日に続いて久留米に向かった。

 

6月1日(水)

6月1日は、福岡に出てきた記念の日。今日でまる6年が過ぎた。
当初は大濠公園の近くがいいと、荒戸の賃貸マンションに住んでいた。
荒戸からは、大濠公園まで6分、西公園まで5分の近さで、毎日の散歩にはとてもいい所だったが、天神までは35分かかった。
母も亡くなり、相賀へ返ることもなくなったので、思い切って清川にマンションを買って、相賀は引き払った。
賃貸では家賃が高いので、どうせなら買って最後まで住める所がいいと思ったから。
歳もとってきたので、できるだけ天神に近く、スーパーや病院が多い所を、金とも相談のうえさがしたら清川になった。
その清川に転居して3年半が過ぎた。

 

5月29日(日)

兵庫県の宝塚にいる娘が久しぶりに帰ってきた。特別な用があるわけではなく、母の日父の日のプレゼント代わりの顔見せ。
イカを食べたいと言うので、近くの安兵衛という居酒屋に行ってみた。
家から近いし、前々から一度行ってみたいと思っていたのだが、機会がなくて行けずにいた店だ。
もしかしたらと思っていたが、やっぱりマスターは唐津出身で、玄海町の外津が里だという。相賀のことも知っていた。
メニューを見たら、懐かしい唐津の地酒「太閤」とか「ギョロッケ」が目に付いた。
唐津では酒といえば太閤だが、福岡ではめったに目にかからないのだ。
イカの活き造りとアジの活き造りを食べたが、イカもアジも料理されてもまだ動いている。
残酷といえば残酷だが、これがシコシコしておいしさは格別。そろそろ懐かしくなりつつある唐津の味につい酒が進んだ。
今日は次男もやって来た。二人とも急いで帰って行ったが、いいプレゼントになった。来月には長男が、巨人×ソフトバンクの交流戦に連れて行ってくれる。
こども達3人が思い思いに孝行してくれる。しあわせ。

 

5月26日(木)

朝の2時間、卓球で汗を流した。
午後は少し眠気を催すが、けだるいような疲労感が、なんともすがすがしくて気分がいい。
いつもは9名前後だが、今日は珍しく11名が顔を見せた。台は2台しかないので、ダブルスでやっても3人はあぶれる。
年配者が多いので、75歳の私でも歳順から言えば真ん中ぐらい。交代で3人ずつ休んでちょうどいい。
女性が多いので、黄色い声が飛び交う。メンバー全員が揃えば14名。
「新しい希望者が来ても、もうこれ以上は増やせないよねぇ」とは、みんなの意見。
私はいい時に入れてもらった。

 

5月22日(日)

ホテルは50階建ての東京ベイ幕張
19日から2泊3日で東京から千葉へ行って来た。東京は何回も行ったが、千葉は初めて。
2年半ぶりの東京で、目的は『東京スカイツリーに登ろう』。
旅行社に都内観光付きのフリープランを申し込んだら、ホテルが幕張だったので、千葉は初めてだし、 千葉市内中心部まで足を延ばした。
まず、19日は、羽田に9時過ぎに着いたので、有楽町から銀座方面をブラブラして、 昼食を済ませて幕張のホテル(アパホテル&リゾート、東京ベイ幕張)へ。
付近を散策したが、新興地でこれといった名所はなく、ホテルの近くの見浜園をゆっくり見物。
20日は、千葉市内を観光。千葉公園、千葉神社、千葉城などを見物し、千葉ポートタワーから市内を展望。 東京方面は、スカイツリーや東京タワーなどが、かすんで見えた。
21日は、東京スカイツリーに登る日。9時過ぎに旅行社が手配した観光バスが迎えに来た。
浅草仲見世の横に出るとスカイツリーの見える風景
スカイツリーは、修学旅行生や中国方面の団体客ですごい人出。予約をしていてもエレベーターまで40分並んだ。
スカイツリーに登るのは2回目だが、前回は時間の都合で350mの展望デッキまでだったので、今回は450mの展望回廊まで、 一気に登った。
天気は快晴で雲ひとつなかったが、晴天続きで、あいにくのカスミ空。遠くまでは見渡せなかったのが、残念と言えば残念。
あとは、浅草界隈を見物して、ここで昼食。東京駅、皇居前、二重橋、国会議事堂などを観光して、 羽田空港まで送ってくれた。

 

5月18日(水)

天神のカラオケに行って来た。
今まで月に2回寄っていたグループで、今後は毎週やろうということになった。
そういうこともあって、公民館のカラオケはやめた。
理由は「自分の好きな昭和のナツメロを歌いたい」から。
公民館のカラオケは、毎月新しい曲を中心に歌う教室方式で、自分の好きな歌は歌えない。
いまさら、次から次に出てくる新曲を覚える必要はないし、最近の唄は何とも歌詞に重みを感じない。 やはり歌は昭和の歌がいい。
公民館で仲間もできて、今後はその中のグループも「カラオケ店に歌いに行こう。時々誘うよ」と言ったくれた。 素直にうれしい。
週2回の公民館卓球は続ける。

 

5月16日(月)

昨日は相賀に行って来た。義理の伯父の三回忌。
相賀に行くときは、だいたい葬儀か法事などの時が多い。
相賀だけなら、バスで行った方が楽で、酒も飲めるのだが、先日亡くなっていた友人のお父さんをお参りして、 大島の姉にも会いたかったので、車で出かけた。
相賀では先日亡くなった人のお参りもしたし、友達の釣り情報も聞きに寄ったりして、結構忙しかった。
それに、野菜や魚も唐津の方がうんと安くて新鮮。妻は妻で買い物に別行動。

 

5月7日(土)

歯切れのよいラテンリズムが好きなのだが、その中でも特にタンゴやマンボが好き。
ところが、アクロス・シンフォニーホールをはじめ、多くのコンサートホールはクラシック音楽ばかり。
今日は一年ぶりに「トリオ・ロス・ファンダンゴス」がやってきた。年に1回の福岡公演。観るのは今年で3回目だ。
アルゼンチンタンゴのコンサートだが、全部で25曲。その半分近くは踊りも入る。
ピアノとヴァイオリンとアコーディオンの男性1人に女性2人の日本人トリオ。話も上手で笑わせながらうまく客を引き寄せていく。
そうだろう、活動を始めて17年目、タンゴの節句は14回目だそうだから、かなりの年季が入っている。
『タンゴの節句』は、端午の節句と絡めているから、この時期だけの公演。 4月29日から宮崎、大分、北九州、広島、下関と回って、福岡が最終公演だそうだ。
楽しかった2時間が、あっという間に過ぎていった。

 

5月1日(日)

早咲きのシャクヤクがちらほら
天気はいいし、舞鶴公園に行ってみた。だろうとは思っていたが、すごい人出。
舞鶴公園は桜の名所だが、ゴールデンウィークのこの時期は特別なものはない。
藤が咲いていたが、唐津城の藤に比べれば花房が短く、いまいちの感はぬぐえない。
陸上競技場の西側にボタン・シャクヤク園がある。ボタンがまだあるかと思っていたら、とっくに終わっていた。 今年は早いのか?。
シャクヤクはまだつぼみが多く、早咲きが少し咲いているだけだった。
公園の西側広場に、多くの人が流れている。行ってみたら、子供連れがいっぱい。
テントを幾張りも張って何やらイベントをやっていたが、ジジババには不向き。
新緑の桜の木の下で弁当を食べて引き上げた。

 

4月28日(木)

久しぶりだがまた揺れた。一体いつまで揺れるのか。
福岡は震度2だが、熊本は4。震源は有明海。まだまだ活発な余震活動が続いており、有感地震は1008回に及ぶという。
しかも外は雨が断続的に降っている。大分県では新たな土砂崩れも見つかっており、捜索も復興も進まない。
震源もあっちに行ったりこっちに行ったり。おさまることを知らない地震。
本当に被災地の皆さんが気の毒でならない。
我が家も警固断層帯の真上にある。心配してもしようがないが、やはり気にかかる。

 

4月22日(金)

運転免許証の更新に行って来た。
福岡では車に乗る機会も少なく、車の必要性も薄れてきているが、次の車検までは乗ろうと思う。
免許証更新にはきわめて便利な『ゴールド免許センター』が、歩いて5分の渡辺通1丁目にある。
ここでは30分もあれば更新して新しい免許証がもらえる。写真もここで撮ってくれるので持っていく必要なし。
サンセルコビルの地下にあり、暑い日、寒い日、雨の日などは、ここのそばを通って天神方面に行くので、 いつも見ているが、午前中は更新待ちの人がズラリと並んでいるので時間がかかる。
平日の午後、それも4時ごろ行けば、殆ど待ち時間はなく30分でできた。
ただし、ここで更新できるのは優良ドライバーと、高齢者講習を受けた高齢者だけ。
違反のある人は、ここではできない。

 

4月18日(月)

熊本地震で大騒ぎしているうちに75歳になった。後期高齢者の仲間入りだ。
先ほど友人からも電話があった。「とうとうなったね」が第一声だ。
彼も今日が誕生日。同じ日に生まれ、家がすぐ近所で、オーイと呼べば聞こえる距離だったので、 物心ついた頃から、いつも一緒に遊んだ仲でもあった。いわゆる竹馬の友だ。
原家では、ひとり息子だった父は戦死で早や死にした。
祖父は事故だったが74歳で亡くなった。
私はその祖父の歳を超えた。なんだかこれから先は、もうけもののような気がする。
来年のことを言えば鬼が笑うが、数えでは77歳になる。喜寿だ。

 

4月16日(土)

連日の地震で睡眠不足。夜中の1時過ぎから4回の緊急地震速報音で起こされた。
速報音とともに揺れる時もあれば、速報から数秒経って揺れ始めることもある。
1時過ぎのが一番ひどかったが、福岡でも震度5。今度のが本震で14日のは前震だったとみられるいう。
14日には倒れていなかった建物も、今度の地震で倒れた。死者も15人に増えたらしい。
震源地も前回とは北から北東に移動している、度重なる揺れに誘発されて各地の断層が動いている可能性があるという。
いま、この時も緊急地震速報が入ってきた。今度は宮崎県日向灘が震源という。
一連の地震との関連性はまだわからない。まだまだ余震が続きそう。
夜は雨も降るという。不安は続く。早くおさまってくれないと……。

 

4月15日(金)

昨夜の地震、震源地は熊本県益城町で震度7。福岡は震度4で結構揺れた。
風呂の洗い場で身体を洗い流している時だった。突然前後に大きく揺れだした。
4日前の目まいが治ったばっかりだったので、一瞬またぶり返したか?と思った。
風呂のお湯が大きく揺れて、波うちだしたので地震だと気が付いた。あッまた警固断層が動いたか?と思った。
間もなく娘から「地震大丈夫?」と電話があって、震源地が熊本だと知った。
風呂から出てテレビを見たら、熊本市内の様子が映し出されていて、夜の熊本城から煙のような白いものが風に流されて いるのが見えた。
熊本城は火事か?と思ったら、石垣が崩れた土ほこりだと後で判った。
幸い福岡は事なきを得たが、まだまだ余震も続く被災地の熊本は大変だ。

 

4月13日(水)

朝一番に浜の町病院に行って来た。
昨年秋に手術した、皮膚癌の術後の経過を診てもらうためだ。
基底細胞癌は、転移はまず考えられない癌だそうだが、万が一癌細胞の取り残しがあったら、再発の可能性はゼロではない。
したがって、3年間は念のため、時々診てもらいに行かなければならない。
一目見ただけで「ああ奇麗にしてますね。全然心配いりませんよ。細胞は奇麗に取り除かれていますから。」
「もう来なくてもいいくらいですが、万一を考えて、この次は来年2月でいいでしょう。」
「ないと思いますが、再発したら、縫ったところが黒っぽくなって膨らんできますから、すぐ分かりますよ。」
と、いうことで、全然心配なさそうだ。

 

4月9日(土)

特別なことはない平凡な毎日だが、この1週間を振り返れば。
4日はトイレの交換。大量の水は使うのに流れが悪いから換えた。節水型で水は3分の1で流れも悪くない。早く換えればよかった。 夜は同郷の友と飲み会。
5日は公民館卓球。年度の変わり目は公民館が使用できない日が多く、久しぶりに汗をかいた。
6日は、カラオケ仲間から「生バンドで歌わなくてはならないから練習に付き合って」との電話で、天神のカラオケ店へ。
7日は、憂鬱な雨。退屈しのぎに美野島のカラオケスナック『エックスボイス』へ、先客が6名いたが、また歌い放題。
8日は、『午前10時の映画祭』昔懐かしい洋画『恋におちて』鑑賞。
そして今日9日は、午後から公民館カラオケサークル。ここでは人数が多くてあまり歌えないが…。

 

4月2日(土)

ライトアップされお濠に映し出された桜
毎年のことだが、舞鶴公園に花見に出かけた。
夕方から出かけて夜桜まで見物しようと、4時ごろから出かけたが、一昨日から満開で丁度見頃。
明日の日曜日は雨が降るかもしれないということで、今日はものすごい人出。
さくら園と呼ばれる中段に上がって、シートを敷いてゆっくりしようと思ったら、メガホンを持った係員が、 「ここはライトアップで、18時から有料になります。」と、盛んにアナウンスして回りだした。
ライトアップしたところで、大したことはない。ならば下へ行ってゆっくり夜桜見物しようと、
そそくさと弁当食べて、下へ降りた。
みんなぞろぞろ出て行く。何だか追い出された気分で、嫌な感じ。
あちこち見て回って、お濠端のライトアップ場に着いた頃は暗くなって、お堀に映し出された桜が奇麗。毎年見るけど、ここは無料。

 

4月1日(金)

桜花爛漫、外は花盛りだが、法事で相賀に行って来た。母方の祖父の49回忌。
祖父は、息子二人を戦争で亡くし、娘(私の母)は96歳まで長生きしたが、その娘も4年前に亡くなって、 直接の血を引くのは私と姉の二人だけ。
相賀では61回忌まで法要をするが、それは12年後。そこまでは無理と思うので、今回がおそらく最後になるだろう。
私には腰が曲がって、杖を突いていた祖父の姿しか思い出せないが、明治生まれで日露戦争を戦った祖父。 「背筋が伸びていたころはかっこよかった」と、姉がよく言っていた。
いま高尾家を継いでくれているのは、義理の孫。彼の姉二人を含めて、昔話に花が咲いた。

 

3月30日(水)

中央公園の桜は七分咲き
だいぶ暖かくなったので、低温傾向で足踏みしていた桜も開花を早めそうだ。
様子見に中央公園に出かけてみた。ウイークデーで人はまばらだが、桜はもうすぐ満開。
今は七分咲きといったところか。
舞鶴公園は五分咲き、南公園は七分咲き、西公園はほぼ満開との情報だから、今度の土日は各地で満開、ちょうど見頃だろう。
花見と言えば、やはり舞鶴公園。
さくら祭りも開催中だし、夜桜のライトアップもまたいい。

 

3月23日(水)

昨日、火曜日の午前中は春吉公民館の卓球の日だった。練習中に、うかつにも腕の外側を卓球台ですりむいてしまった。
上手な人は、こんな怪我はしないと思うけど、下手の証明。
すりむいただけだから、唾を付けとけば治る程度のものだけど、なかなか血が止まらないので、みんなが心配して寄ってきた。
女性二人が絆創膏を持っていて、すぐに貼ってくれた。さすがに女性、用意周到、いつも持っているのだろう。
全部で12名がいたが、9名は女性。男性の一人が「原さん、いいね、美女に囲まれて」と冷やかす。
「アハハ、たまには怪我もいいもんですよ」と応じた。
午後は、カラオケ仲間からお誘いがかかって、5時までしっかり歌ったが、こちらも8割は女性。

 

3月19日(土)

久留米の世界のツバキ園
久留米のツバキ祭りに行って来た。次男が専門学校時代に久留米にいたこともあって、車で案内してくれた。
なるほど世界のツバキ展というだけあって、珍しいツバキが数多く集められていた。
ツバキだから、それほど華やかさはないが、花の少ない冬場に咲く花だけあって、なんとなく気品がある。
赤やピンクは、おなじみだが、白や黄色、淡いピンクなど、あまりお目にかかれないものも多い。
ただ、残念だったのは、時期が過ぎてすでに散ってしまった花も多く、1週間早く来ていたら…と、惜しまれた。
せっかく久留米に来たのだからと、4月から孫が通う久留米附設中学校を見てきた。

 

3月16日(水)

4月には運転免許証を更新しなければならない。そのための高齢者講習を自動車教習所に受けに行った。
高齢者講習は2回目だが、4月には75歳になるので、今度は認知症の検査が加わった。
検査と講習でみっちり3時間、記憶力、反応と対応能力、視力と視野、トンネルに入ったり出たりの時の目の回復力、 最後は、実際に車に乗っての実技等々。
ここでの成績が、直接免許証交付に影響することはないそうだが、なんだか嫌なことばかり。
すべての項目で、同年代ではいい方だとの評価を得たが、若い人に比べれば、やはり落ちている。
高齢者の事故は多くなるばかり、歳をとってからの運転は、危険度が増すのは当たり前とか…。

 

3月13日(日)

孫はもうすぐ中学生

小倉に行って来た。
孫が九州最難関私立中学に合格したので、お祝いに制服をプレゼントした。
制服は勿論、カッターシャツも、ボタンも、バッグもみんな久留米附設中学校の校章入り。
小倉から久留米まで新幹線で通学するというのだから、親の負担も大変だろう。
寮もあるのだが、中学生から寮には入れたくないとは親の弁。
とにかく、親も子も頑張れと言ってきた。
孫は、背丈も最近急に伸びて、顔つきも大人びてきた。
もともと小柄だった私はもう抜かれた。

 

3月11日(金)

テレビにくぎ付けになったあの日から5年が過ぎた。『東日本大震災』
当時、私たちは荒戸にいた。ラジオの「東北地方に震度7の大地震」というニュースが耳に入ってきたので急いでテレビをつけた。
そこには、仙台市の様子や銚子など各地の揺れの状況が映し出されていたが、 震度7の割には倒壊した家屋やその他の被害もあまりないようで、ホッとしていた。
その後、津波情報が流れて、釜石・気仙沼・大船渡などの漁港の様子が映し出されたが、この時まではまだ海も波も静かに見えた。
だが、やがて状況は一変した。漁港の魚の水揚げ場の海面が急に盛り上がり、陸地にどんどん海水が流入し始めた。
やがて海水は、船も、家も車も何もかも、陸地に向かって押し流し始めた。
70年の生涯で、津波は見たこともなかった。「うわァこれが津波か」と、かたずをのんで見守った。
海水はものすごい濁流となって陸地に流入していく。逃げ場がなくなって、右往左往する車・整然と並んで建てられた団地の家々・ 奇麗に整備された農地・立派な温室やビニールハウスなどが、次々と濁流に呑み込まれていく。
妻と二人「あ、ああ、あァ〜」「ほらほら津波が押し寄せてくるよ、早く逃げないと」と言いながら見守るばかり、 そこはもう生き地獄だったろう。
あの日、テレビに見入った光景が、今でも鮮やかによみがえる。

 

3月6日(日)

琵琶湖マラソンを、興奮しながら見はまった。注目は中本健太郎選手。息子と同じ安川電機の社員だから。
彼が30キロを過ぎて脱落した。昨年足を痛めて、思うような練習ができなかったと聞いていたので、 ああやっぱり練習不足が影響したのか、残念だなァと思っていたら、なんと、その前を走っていたのも同じ安川電機の北島選手。
日本人トップを争っていたが、わき腹を抑えながら、少し後退しかけたので、ああ彼もだめかと思いきや、 そこからの頑張りがすごかった。
わき腹を押さえながら、次々と前の選手を抜き、ついに日本選手1位でゴール。 全体でも2位で、トップとの差も5秒まで追い詰めた。
オリンピック出場選手の最終選考レース。選ばれるのはまず間違いなかろう。

 

3月5日(土)

今日は第一土曜日、公民館のカラオケサークルに行って来た。
月が替われば、サークル責任者が選んだ新曲を、月に4回練習しながら歌う。
今更新曲は覚えなくてもいい。出来れば昭和のナツメロが歌いたいのだが、そうはいかない。
同じ人が選んだ曲なので、似たような曲調のものが多く、すぐに覚えてしまう。
3回目とか4回目ともなると、飽きがくるが、覚えていない人もいるので、そこは辛抱。
艶歌なら、自分も作れそうな気がする。おたまじゃくしは書けないが……。
生まれ変わることができるなら、今度は音楽学校に行って、作曲家になるんだがなァ。

 

2月28日(日)

相賀で家庭菜園を作っていた時に比べると、日光に当たる機会が極端に少ない。
今日は気温も上がって上天気。日光浴を兼ねて散歩に出かけた。…といっても、いつも行く天神。
寒い日は、サンセルコから渡辺通りの九電ビル北館まで地下道。南天神からまた地下に潜って、天神地下街を散策するのだが、 今日はぽかぽか陽気だから、すべて地上を、できるだけ日差しを求めて歩いた。
日曜日の天神は、すごく人通りが多い。最近は外人が非常に多いのも特徴的だ。
白人はすぐ外国人と判るが、中国・韓国・台湾・東南アジア系の人たちは、一見判りにくい。
話している言葉で判断するが、特に中国や韓国は声が大きいし、よく見れば、なんとなく日本人と違う。
陽気に誘われて、あちこちで半袖姿や上着を脱いで歩いている人が目に付く半面、冬のままの姿の人が圧倒的に多い。
太った大きな白人男性が半袖Tシャツ姿で歩いている。奇麗な日本女性をつれて。
やはり天神はいろいろな人がいて、目の保養には事欠かない。

 

2月25日(木)

車の修理部品が届いたというので、ダイハツに行った。
「修理に3,4時間かかるので、台車を用意していますから一旦帰っていてください」と言う。
この台車、カギはない。サイドブレーキは左足での踏み込み踏み外し式。
恥ずかしながら、今の車は妻名義で12年乗っているので、その間に様変わりしているのだ。
信号で停車するとエンジンも止まる。一瞬エンストかと思ったら、ブレーキから足を離すと自動的にエンジンがかかる。
離れたところから、ボタン一つでドアーのロックをオン・オフすることは分かっていたが、車から離れるとドアーが開かなくなり、 近づくと、ロックをオフにしなくてもドアーは開けられる。ただし、ピーという音はするが。
いやはや、世の中ドンドン進んでいるというか、自分が何とも遅れているというか……。いい勉強をした。

 

2月21日(日)

時々しか乗らない車だが、なければ不便。
ガソリンが少なくなっていたので、近くのスタンドへ行って、いざ給油しようとしたら、給油口のフタが開かない。
運転席からレバーを押して開けるフタが何度やっても開かないのだ。
スタンドの従業員に手伝ってもらったが、やっぱりだめ。
「レバーとフタをつなぐワイヤーが切れてるみたいですよ」と言う。
「ここでは開けられないので、ダイハツの修理工場まで行ってください。」と言って福岡ダイハツの場所を教えてくれた。
ところが、教わった道を行けども行けどもダイハツはない。
仕方ないので、いったん家に帰ってネットで調べたら、方角が反対だった。
工場に行ったら、今度は部品がないという。
とりあえずフタだけ開けてもらって、そのままガソリンスタンドへ直行、給油して、フタを閉じた。やれやれ、これでひとまず安心。
でも、部品が来て修理するまでフタは開かない。

 

2月14日(日)

孫たちがやってきた。久留米附設中学校に通うことに決めて、その入学説明会の帰り。
前から制服はプレゼントすると言っていたので、早速、天神の制服店に採寸と注文に行った。
みんなそうだが、中学生は身長が伸び盛りなので、10pぐらい大き目の服を注文するという。
身長は160pあるのだが細身なので、170p用でも特にぶかぶかに見える。「みなさんそうですよ」と店員は言う。
孫は小学6年生にしては背が高い。「170pにはすぐになるよなァ。4月には2,3p伸びているかも、175pにするか。」 ということになった。
夜は天神でお祝いの食事をすることにしていたが、一旦家に帰ってくつろいだら、「天神まで行くのが面倒くさい。近場で済まそう」 ということで、近くのレストランで夕食。おかげで安上がり。
一泊して、大濠の福岡市立美術館で『モネ展』を観て帰って行った。

 

2月11日(木)

相賀に行って来た。昨年秋にビワ畑に行ってみたら、びっしり花を付けていた。
でも、周りが竹やぶで覆われて陽が当たらない状態で、このままではせっかくの花が実を結ばないか、 結んでも完全に熟さず落果してしまう。
今は、指先大の実が付いているが、陽当たりが悪いせいか、びっしり花を付けた割には、結んだ実が少ない。
今日は少しでも陽当たりを良くしようと、その竹を切り払いに行った。
ビワ畑といっても、周りは耕作放棄地ばかりだから道はない。草や竹やぶの中を通って行かなければならない。
イノシシが作ったケモノ道があちこちに出来ているが、不思議とイノシシには出会わない。イノシシも警戒しているのだろう。
畑に新聞紙を敷いて弁当を食べるのも何年ぶりか?。本来なら唐津湾が見渡せる景色のいい所なのだが、 竹やぶで囲まれているので全く見えない。
午後3時で作業をやめたが、どうにか南側だけは切り開けたので、いくらか陽当たりは良くなったろう。

 

2月6日(土)

昨日もカラオケ、今日もカラオケ、明日はないけど、明後日もまたカラオケと、このところカラオケ三昧。
昨日は散歩の途中で見つけた、美野島のカラオケスナックにふらりと入った。
ウイークデーの昼間は1000円で歌い放題、ワンドリンク付き。ドリンクの代わりに、ビールやカレーライスも可。
中に入ると、4人しかいない。そのうち1人が帰ったので、男性2人と女性1人の3人で歌いまくり。
女性は横文字の唄ばかりで、さっぱりわからない。もう1人の男性は同年配だろうか、演歌が主でとても上手。 5時までにそれぞれ10曲以上歌っただろう。
今日は公民館のカラオケサークル。リーダーが準備した最近の新しい歌を交代で歌うのだが、演歌はやはり昭和の歌がいい。
明後日は、天神のカラオケボックスに行って、仲間数人で歌う。

 

2月2日(火)

友人の「ミャンマー(旧ビルマ)慰霊訪問団記」を読んで、 わが父親の戦没地のことが気になって調べてみた。
戦死公報では昭和19年7月29日、ビルマ・ミッチーナ県ニャンゴン方面にて戦死。
死因は大腿部貫通銃創となっていた。
ミッチーナ(旧ミートキーナ)は、ミャンマーの北東部、ヤンゴンから北へ約1000qも離れたところにあり、人口は14万人、 カチン州の州都で、その東側は100qもない所で中国と接している。
ミートキーナもインパール作戦に次ぐ激戦地で、5000人近い守備隊はほぼ壊滅、 ミートキーナ守備を放棄して、イラワジ川渡河による脱出命令が出たのは、父の死後4日目の8月2日。
しかし、この渡河作戦も凄惨を極め、生き残りはわずか600名あまりだったそうだ。
父の戦地からの手紙には、 宿営地周辺の風景を描いたハガキが、何通かあったので、おそらくここの守備隊員だったのだろう。
であれば、父はインパール作戦には加わっていなかった。

 

1月30日(土)

今日は、春吉公民館カラオケサークルの、遅ればせながらの新年会。
場所は、春吉からマイクロバスで1時間、早良区の南の果ての山の中。
「へぇここも福岡市?」との声も。
看板には「椎原温泉みはる荘」と書いてある。公民館活動をしている人は、何回か利用しているらしい。
軒下には先日の雪がまだ残っている所もあって、肝心の温泉は雪の重みで屋根が落ちて、今は使用できませんとのこと。
料理を食べながら、カラオケが始まったが、総勢18名、一人2曲までしか歌えない。
私はメンバーの中では若手。誰かが、いつの間にか、私の前に曲名を入力するボードを持ってきた。
食べながら、飲みながら、注文に応えながらの入力なので結構忙しい。
ちょうど制限時間内に全員が2曲ずつ歌い終えた。やれやれ。

 

1月27日(水)

孫から電話があった。「じいちゃん合格の報告だよ」
九州でも最難関私立中学校の一つ、久留米附設中学校に合格したという。中高一貫校だ。
普通は、親が尻をたたいて勉強をさせるのだが、孫の場合は違った。
親は行かなくてもいいと言うのに、本人がどうしても行きたいと言って、塾通いを始めた。塾がとても楽しいとも言っていた。
久留米附設も、親はどうでもよかったようだが、塾の勧めもあって、本人の希望で受験したようだ。
北九州市内の中学校にも合格しているので、どこに入学するかは、これから決めることだろうが、 とにかく合格したことを褒めてやりたい。

 

1月24日(日)

ベランダに出てみれば珍しい雪景色
九州では珍しい猛烈寒波がやってきた。
最高気温が1度で、最低気温が−3度の予報だから、北海道並みだ。
窓の外は道路も屋根も白い雪化粧で、今も断続的に降っている。風も強いので、時々吹雪のような景色がみられる。
道路も雪が解けていないのは凍結しているからだろう。
歩くのも危険だから、不必要な外出は控えるよう、テレビでもラジオでも、注意が促されている。
この寒さ、明日まで続くとか、今年は暖冬だと聞いていたのに…。

 

1月19日(火)

外は断続的に雪が降っている。先ほど卓球から帰ってきたが、全身が冷え切った。 最高気温が3度、この冬一番の寒さだ。
朝は屋根の上や車の天井には、うっすらと雪が積もっていた。
今は解けたが、粉雪が舞い続けている。
昨夜は定例の飲み会だったが、寒いうえに風が強く、帰り道では吹き飛ばされそうだった。全国的に雪や吹雪の荒れ模様らしい。
今年は暖冬で、正月は桜が咲きそうな陽気だったのに、ここにきて急に冷え込んだ。 しかも、向こう1週間はさらに寒い日が予想されている。
体調管理が大変だ〜。

 

1月10日(日)

住所がわからなくなっていた、中学時代の同級生から、突然電話がかかってきた。
以前は、同窓会の案内状を出したら、真っ先に◎印をつけて出席していた男だったが、ある時から住所が分からなくなっていた。
笑いながら「もしもし、元気か?」「おお、住所も知らせんで、どこで何んばしよったつや?」
「タクシーに乗っとったばってん、今は古賀で自動車の整備工場ばしよる」
「おお、たいしたもんな。古賀ならすぐそこやっか」
「お前は、福岡に出てきて、何んばしよっとや?」「今は何んもしよらん」
「どこかで会いたかなァ。いっぺん遊びに来いよ。迎えに来るけん家で飲もう」
と、いうわけで、そのうち、彼の家で飲むことになった。

 

1月8日(金)

2年目のポインセチアとコチョウラン
昨年の冬に買ったポインセチアが今年も真っ赤な花をつけた。
矮化処理をしなかったので、幹は少し伸びすぎたが、それがかえって葉っぱの緑と真っ赤な花が調和して、 なかなかの見栄えになった。
ポインセチアは、短日性植物だから、日が短くならないと花をつけない。
ベランダに置いていたのでは、コンビニの明かりやらで、一晩中明るいから、花芽が付きそうにない。
やむなく、9月中旬から11月いっぱい、17時から翌朝の8時ごろまで、毎日風呂場の隅の暗い所に運び込んだ。勿論昼間はベランダ。
苦労して咲いた花だけに、喜びも大きい。
昨年4月に買ったコチョウランも2回目の花芽が元気よく伸びてきた。
春には咲くだろう。

 

1月3日(日)

今年の正月休みは最低の3日間しかないので、子供たちもあわただしく来て、あわただしく帰って行った。
全員が揃ったのは昨日だけだったが、子供たちのいる幸せをつくづく味わった。
私も、今年の4月から後期高齢者になるが、まあまあ元気だし、子供たちもみな元気で、いい子に育ってくれた。
このまま今年も良い年であってくれれば言うことなし。
今年も大いに楽しむぞ。

 

1月1日(金)

正月といっても、この歳になれば特別な感情はないが、新しい年の始まりに際して、三社参りに出かけた。
さすがの天神も、今日は人も車も少なくてがらがら。
それもそのはず、天神で昼食をとって筥崎宮に出かけるつもりだったが、天神には食事のできる店は開いていない。
仕方なく筥崎宮に出かけたら、すごい人出で長い長い行列ができていた。
参道に軒を並べた出店でお好み焼きを食べて、人ごみの中をすり抜けて参拝。
次は、殆どシャッターの下りている川端商店街を通り抜けて、櫛田神社で参拝。
キャナルシティではほとんどの店が開いていて、多くの人出でにぎわっていた。
ここで一休みして、住吉神社へ、どこの神社もごった返しの人ごみの中をすり抜けて無事三社参りを済ませた。

 

2015年へ
 

 

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