ゆうゆうの雑記帳    

   

   

 
親友でホームページ作成の師匠(唐津市相知町在住) 「今日の@nkou」参照日誌
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2017年
12月29日(金)

相賀のお寺に正月の餅飾りをお供えに行って来た。毎年29日にお参りする。
来年1月には、母の7回忌の法要をしなければならないので、その方も頼んできた。
わずかな田圃だけど、耕作してくれている人から米をもらって、親しい友人に顔見せをして湊に向かった。
「みなとん里」で牡蠣を焼いて食べたいというから、食事がてら寄ってみた。
久しぶりだ。みなとん里は地区の農産物と魚介類を販売しているが、結構繁盛しているようだ。 区長時代に設立にかかわっただけに特に懐かしい。
相賀の親戚の女性も「この頃からよ」と言いながら働いていた。
設立時代の顔見知りはほとんどいない。もう8年?、9年?にもなるからなァ
牡蠣とサザエのつぼ焼きを食べて帰った。満足。

 

12月27日(水)

今年も残り少なくなった。天気はいいが、北風が強くものすごく寒い。
今年最後のカラオケで歌い納め。大勢の人で賑わう天神の人の流れもせわしそう。
震えあがりながら我が家に帰るとホット暖かい。マンションは本当に暖かい。暖房もまだあまり使わなくてもいい。
相賀の家は寒かった。隙間だらけだったから。正月に帰省した子供たちが相賀の家は「寒い寒い」と言っていたが、 今になってよく分かる。
その子供たちも、今年は年末には帰って来ない。初めて爺と婆の二人だけの年越しとなりそうだ。それもまたいいだろう。

 

12月23日(土)

川端商店街の真ん中あたりの花屋さんにコチョウランの切り株が出ていた。
花が終わった切り株だけど、実はこれが出るのを待っていたのだ。
まだ数は少なく、かなりくたびれた株が多いが、何と1株100円。でも、花の色は白だろう。 店員は「花の色は分からない」と言うが葉の色でなんとなくわかる。
ほしいのはピンク、白は我が家にある去年買った株が昨年に続き既に花芽を伸ばしてきている。春には咲くだろう。
以前ピンクを2株咲かせたが、肥料をやって失敗、根腐れを起こして枯れた。
かわいがり過ぎてもいけない。春になればピンクも売りに出るだろう。
100円〜200円の花が終わった切り株から咲かせるのが楽しい。

 

12月19日(火)

正月に咲く珍しい桜
手首の骨を折って手術をした姉の様子を見に唐津に行って来た。
今度は手首だから歩けるし、具合も悪くなさそうだし、年内には退院できると言っていたが、歳が歳だけに気がかりだ。
病院のすぐそばに児童公園がある。その公園の入り口に2本の桜の木があって、この桜が今5分咲き。正月に咲く珍しい桜だ。
梅の花と間違いそうな、花びらの小さい桜だが、間違いなく桜で、確か春にも咲いていたような気がする。 もしかして2回咲くのかな?。
もう50数年も昔の話だが、この公園は就職したてのころ職場があった懐かしい場所でもある。

 

12月16日(土)

天神中央公園の一角に、県の重要文化財「旧福岡県公会堂貴賓館」がある。
明治43年に、来賓接待所として建てられたもので、明治時代のフレンチルネッサンスを基調とする 木造公共物として貴重な建物だそうだ。
ここでタンゴのコンサートがあるというので行ってみた。重要文化財だから200円の入館料がいるが65歳以上は無料。 コンサートは客寄せのためのイベントだから、アコーデオンとギターだけの演奏で30分だけ。
帰りはキャナルシティで食事をしようと、夜の那珂川沿いから中洲を歩いたが、中洲のネオンが川面に映えてなかなか奇麗だ。
残念ながらカメラを持って来ていなかったし、冷たい北風が強く、寒かった〜〜。

 

12月14日(木)

このところ寒い日が続く。朝は東住吉公民館に卓球に行ったが、スズメがいかにも寒そうに羽を膨らませながら道端で餌をさがしていた。
見事に黄色かったイチョウの葉っぱも落ちてしまって、殺風景になってしまった。
最近はカラオケ仲間の勧めで天神の「ハクジュプラザ」で電位治療器「ヘルストロン」の体験に行っている。
ヘルストロンとは病気を治す機械ではなく、血流を良くする機械で、椅子に20分間腰かけているだけ。体験は何回通ってもタダ。
体内の血流がよくなれば、体の悪いところがすべて改善されるというわけだ。
今日で5回目だが、まだ変化は表れていない。機械はかなり高額なもので販売が目的だが、 「無理に勧めたりはしないから、何回でも何年でも体験にどうぞ」と言う。
そうもいくまいが、何か変化が表れないか、しばらく通ってみようと思う。

 

12月9日(土)

博多駅前広場のイルミネーション
食器乾燥機の買い替えを検討中で下見に博多駅裏の「ヨドバシカメラ」に夕方から出かけた。
駅前には夜になるとイルミネーションが点灯するので、それを見るのも目的の一つだったが、 駅前広場ではミュージシャンによるイベントもやっていて、大勢の人でごった返していた。
食器乾燥機は一応の目安を付け今日は買わずに地下街に食事に行った。博多駅周辺にはたくさんの食事処があるが、どこも満席。 特に地下の食堂街は多くて、10分ばかり待たされた。
イルミネーションを見て廻り、イベントに興味ある妻とは別行動。私は旅行社で時間をつぶし、ほどほどに引き上げた。 明日は姉の見舞いに唐津に行って来よう。

 

12月7日(木)

外はすごく冷えているが、今日は風がないのであまり寒く感じない。
朝は卓球で汗を流し、午後は散歩がてら天神に買い物に行って来た。
買い物と言っても大したものじゃない。今年も残り少なくなったし、掃除をするための「汚れ落としのいいものがある」 と聞いたので買ってきた。床や壁の長年の汚れ、果たしてどこまで落ちるか?
夕方、唐津の姪からメールが入って来た。また姉が転んで、今度は手首を骨折したらしい。手術が必要だとか。
歳とって「動かなきゃ」と思うのは分かるけど、転んでは元も子もない。
遠出するなら杖ぐらいついていけばよかったろうに。
と、思う自分もそろそろ危ない歳になってきているけどなァ。

 

12月2日(土)

住吉通りのイチョウ並木の黄葉もそろそろ終り
このところの散歩にはカメラを持参することにしている。昨日は博多駅方面に行って来たが、見事に黄色いイチョウの葉っぱが 寒い北風にあおられてヒラヒラと舞い落ちていた。
毎年見る晩秋の風情だが、傍らで掃除をする人は大変だ。掃いても掃いても落ち葉が舞い落ちてくる。 12月の声を聞いたとたんに寒くなったし風も強くなったから尚更。
寒くなれば地下に潜るに限る。博多駅の地下街をぐるりと廻って回転饅頭を買って帰った。
外は10度以下だが我が家はホット暖かい。
私の部屋の温度計は18度をさしている。

 

11月28日(火)

アクロスビルに植え込まれた木々の紅葉が見頃
旅行には行けなかったし、せめてコンサートでもと思い、アクロスに行ってみたら、あのワルツ王 “ウイーン・ヨハン・シュトラウス管弦楽団”の1月4日ニューイヤーコンサートがチケット発売中だった。
9月から発売されているので、もういい席はなかろうと思っていたら、なんと3列目に2枚だけ残っていた。 S席だからそれなりに高価だが、値段なんか気にせず、即買っちゃった。
演歌派だから、クラシック音楽はそれほど好きではないのだが、“ワルツ”だけは別。
中央公園側に出てみたら、アクロスビルの壁に階段状に植えられた紅葉が丁度見頃だった。 ここはラセン状に登れるんだけどね。

 

11月26日(日)

散歩には、大体天神か博多駅方面に行くことが多いが、昨日は薬院、今日はキャナルシティを通り越して、 川端商店街を抜け、博多リバレインまで行って来た。
ここに入居している商店は高級品を扱う店が多くて、相変わらず人の出入りは少ない。日曜日だから尚更だろうか?
そういえば、川端商店街も人通りが少なく、閉めている店が多い。
キャナルシティは、外国人客(主に中国)でごった返しているというのにだ。
それにしても福岡は中国人が多い。博多港には毎日のように中国からと思われるクルーズ船が停泊しているもんなァ。

 

11月23日(木)

今頃は愛知県の紅葉の名所“香嵐渓”を見物しているところだった。
旅行社に“香嵐渓と伊勢神宮参拝の旅”を申し込んでいたのだが、都合で行けなくなったので、やむなく一昨日キャンセルした。
出発日の2日前だったので30%のキャンセル料を払う羽目になったが、いたし方のないところ。
旅行のキャンセルなんて初めての経験だが、これからはこんなことも多くなるだろうなァ。

 

11月16日(木)

午前中は卓球、午後は浜の町病院で脳のMRI検査、その足で脳神経外科に行って検査結果の説明を聞き、 ついでにインフルエンザの予防注射を受けてきた。
脳のMRI検査は、定期的に年1回この時期に検査をしてもらう。この検査で4年前に耳の中の腫瘍が見つかった。 脳よりもむしろこちらの方が気になっていた。
結果は“変化なし”。つまり大きくなっていないということだったので一安心。
大きくなっていれば、聴神経や顔面神経が圧迫されるので、いずれ手術と言う話も出てくるところだった。
脳には特に気になるところはなく、当分は心配なさそう。

 

11月15日(水)

プリンターを買い替えた。今度のメーカーはブラザー。
パソコンもプリンターも使い始めて20年以上になる。 初めの数台はエプソン、次の2台はキャノン、いずれもいまいち満足できない部分があったので、今度はブラザーにしてみた。
販売店はビックカメラとヨドバシカメラ、ベスト電器に何度も足を運んで選んだが、どこも同じようなもの。 結局、駐車場があって品数が豊富なヨドバシカメラにした。通販も検討したが、ポイントを計算すればヨドバシの方が安かった。
2台のパソコンとの接続に時間がかかったが、今やっと使えるようになった。

 

11月13日(月)

毎月1回、脳神経外科に通っているが、今日は先生は不在だった。
特に体に変調があるわけではないし、薬だけは出せるというので、いつもの降圧剤をもらってきた。
16日には浜の町病院での、年1回脳のMRI検査を予約してもらっている。これで耳の腫瘍の状態も分かる。
その前段の血液検査の結果を聞きたかったが、それはできなかった。
ただ、紹介状だけは用意してあったので、当日はまっすぐMRI検査に行ける。
今日は、ついでにインフルエンザの予防接種もしてもらおうと思っていたが、これも先生がいなければ出来ないということだった。

 

11月9日(木)

横綱としては九州場所初登場の稀勢の里
大相撲九州場所前夜祭に行って来た。入場は無料だが抽選に当たった者だけ。
当たりハガキ1枚で2名入場できる。今までは妻が先に行って並んで、私は後から出かけて行っていたが、 今回から2名揃わないと並ぶことさえも出来ないという。
11時前から並んで、12時30分開場、入場できたのは12時45分。更に入場はしても開始は3時から…これだけで疲れた。
初っ切り相撲や力士のど自慢、子供相撲などは面白いが内容は毎年同じようなもの、来年からはテレビにしよう。

 

11月6日(月)

ケヤキもすっかり色づいた博多駅前の風景
昨日から何度も博多駅裏のヨドバシカメラに行ったり来たり。
昨日は東住吉公民館の文化祭だったので、サークル活動の紹介のため出席して、その足でヨドバシカメラへ。 先日の同窓会の写真をプリントアウトするため、印画紙を買って来た。
ところが、プリンターが壊れたのか、エラーメッセージが出たり出なかったり。
電源を切ってやり直せば印刷できるのだが、何とも色が悪く、おまけにピンボケしている。
カメラが悪いのかと思って、ヨドバシカメラの店内にあるプリント機で印刷したらきれいに写っている。
今日は天神の「カメラのキタムラ」にプリント注文に行ったら、自分でやらないと値段が高くなるという。 それなら他にも用事があるし、またヨドバシカメラに行って、自分でプリントして先ほど帰って来た。

 

11月3日(金)

今日は「唐津くんち」。もう車はないので、息子の運転で出かけた。
妻を唐津で降ろして、息子とふたりで相賀の柿ちぎりに行ってみた。相変わらず草や竹で覆われた藪の中を切り開き、 かき分けながら、やっとたどり着いた。
昨年成った木にはあまり成っていないが、成らなかった木には結構成っていたので、どうにか食べるだけはあった。
ビワの木には花芽が全然ついていない。来年のビワは多分ないだろう。
帰りに姉に一袋やって、唐津で妻と合流して帰って来た。

 

10月30日(月)

昨日から唐津ロイヤルホテルに泊まり込みでの同窓会に行って来た。
行は相賀の親戚の息子が「廃車するなら下さい」と言うので車で行って渡した。
これがおそらく最後の運転になるだろう。 これで寂しさはあるけど、免許をとって47年間、よくぞ無事故で通したと、ホッとした。
同窓会も、台風通過でやきもきさせられたが、出席予定の28名全員が、元気な顔を見せてくれた。 おそらく本格的な同窓会はこれが最後になるだろう、最高に盛り上がって、皆とても喜んでくれた。
今日は、天気が良ければ鏡山にでも登ろうかと言っていたが、北風がものすごく強かったのでやめにして、 唐津城天守閣がリニューアルオープンしていると言うことで唐津城に行った。
最後は、唐津駅で昼食を共にして、別れを惜しみながら散会した。充実した2日間だった。

 

10月28日(土)

またまた台風が近づいている。今のところ予報円の中心を進めば北部九州にはあまり影響はなさそうだが、 明日は中学時代の同窓会を唐津で予定している。
本土上陸はなさそうだが、飛行機が飛べなくなったり、新幹線も運転見合わせたり、なんて事態も起るかも知れない。
東京・愛知・大阪・徳島など各地から、喜んで出席してくれる旧友たちに申し訳ないやら、台風に腹が立つやら。
何もこんな時に来なくても、つい1週間前にも来たじゃないか……と、恨み節。
でも、どうすることもできない。運を天に任せるしかない。

 

10月25日(水)

先日唐津市役所でもらってきた戸籍謄本を持って区役所に転籍届けに行った。
この際、まだ私の籍に残っている二人の子供たちも一緒に届を済ませたが、県外にいる娘は、 向こうの市役所に電話で確認をとっていた。
いずれにしてもこれで一安心、名実ともに福岡人になった。中身はまだ唐津人が抜けてはいないけどね。
ついでだから、天気はいいし、久しぶりに大濠公園にでも行って散歩でもしようと思っていたら、カラオケのお誘いが入った。

 

10月22日(日)

衆議院議員選挙に行って来た。投票場は春吉公民館。
九州の南の海上を台風が通過中で、今にも降り出しそうな空模様。お尻のポケットに折り畳み傘を突っ込んで出かけた。
午後1時半、投票場には投票者は誰もいない貸し切り状態だ。こちらは一人、監視員はズラリ十数名。 「こんなに要らんだろう」と思いながら投票を済ませた。
ついでに中央公園まで足を延ばしたら、ケヤキや桜の葉が色づき始めていた。折からの突風で枯れ葉が宙に舞い上がっている。
アクロスに入ってコンサートやイベントなどの情報誌をもらって帰って来た。

 

10月20日(金)

唐津に行って先ほど帰って来た。
本籍を、唐津に置いたままだったので、福岡に移しておいた方がいいと思ったから。
市役所で手続きをして、ついでに相賀まで足を延ばして、友達のうちに預けていた釣り道具を一部持って帰って来た。 毎回使ったまま洗っていなかったのですごく汚れていたから。
お寺にも寄って、納骨堂の中の先祖の遺骨を調べたら、5体入っていた。
61年経った遺骨は処分していいはず。祖父母と母の3体分があればいいのだ。
2体は古いお骨だから、いずれ納骨堂の地下に移してもらおう。

 

10月15日(日)

中学校の同窓会の出席人員が28名でほぼまとまった。
男性18、女性10名。35名ぐらいを予想していたが、かなり下回った。
やはり寄る年波か「あっちが悪い」「こっちが痛い」と言う人が多い。
中には、自分は元気でも連れ合いが体調を崩しているため出席できない人もいる。
自分がそこそこ元気だから、皆も同じように考えていた自分が恥ずかしい。
亡くなった人も増えてきた。本格的な同窓会はここまでかなァ?

 

10月9日(月)

福岡に住んでいると、交通網が充実しているから、あまり車を使うことがない。
相賀に居たら車は絶対必需品だが、福岡では、なくてもあまり不便を感じないのだ。
金もかかるし、歳も歳だから事故など起こさないうちに車を廃止することにした。
苦労して免許をとって、長年親しんできた車の運転だから、寂しさはある。でも、思い切って今月いっぱいで駐車場の明け渡しを 申し出た。
そうと決めたら、車に積んでいた荷物や、相賀の友達に預けていた釣り道具などを入れる小型の収納庫が必要だ。
空港横のナフコまで買いに行って、四苦八苦しながらやっと組み立てた。

 

10月8日(日)

先日からガスコンロの調子が悪いので、この際衛生的で安全なIHヒーターに変えようとヤマダ電機に見積もりを頼んだ。
ところが電気の使用契約を、今までの30アンペアから50アンペアに変更しなければならないという。
それはそれで仕方がないことなのだが、マンション全体の電気の使用限度があって、それが満杯だから増量できないという。
知らなかった、マンション自体に電気の使用限度があるなんて……。
仕方ない、ガスコンロの修理をするか買い直すか、検討をし直そう。

 

10月4日(水)

ラスベガスの夜景
アメリカ・ラスベガスで銃乱射事件が起きた。
死者59名、負傷者500名超は史上最悪の乱射事件だという、何とも痛ましい事件だ。
ラスベガスと言えば7年前、グランド・キャニオン観光に行く前日一晩泊まったことがある。
夕方ホテルに着いて、翌朝夜明け前に出発したので夜景しか見ていない。ラスベガスはカジノの街だが、 比較的治安はいいと聞いていた。
それでも、アメリカは銃社会、夜の街はやっぱり恐いから、ホテル前の通りから数枚の写真を撮っただけで引き上げた。
今回の事件のあったホテル「マンダレイ・ベイ」は、この通りを南(写真とは反対方向)に2qぐらい下った所にある。 これでもアメリカは銃社会を改めないのだろうか。

 

10月2日(月)

ドコモショップに用事があったので出かけようとしたら、すごい土砂降り。
しばらく様子を見ていたら小降りになったので、急いで行ってみたら、なんと90分待ちの表示が出ていた。
歳をとったせいか待つのが嫌。明日の朝に出直そうかとも思ったが、午前中は卓球だし、午後は今日と同じだろう。
ドコモはいつも待たされる。仕方なく待つこと1時間、やっとお呼びがかかった。
用件は先日買いなおした携帯のことで、自分の用事はわずか10分で終了。終わって外に出たら、なんとすごい土砂降りだ。
家まで10分少々だが、傘をさしていても膝から下はびしょぬれになった。
あ〜ぁ、やれやれ。

 

9月27日(水)

昨日は午前中春吉の卓球に行って来たが、雲一つない抜けるような青空で日差しが熱い。気温31度、まだまだ真夏日が続く。
夕方、孫がやって来た。両親とも出張のため、学校からまっすぐ我が家にやって来たのだ。 連絡してくれれば博多駅まで迎えに行ったのに、遠慮したのかバスで来たという。
学校の朝は早い。7時の新幹線で久留米に向かうという。博多駅まで送ってきたが、さすがにこの時間は人も車もまばら。

 

9月23日(土)

今日は秋分の日で秋の彼岸の中日、相賀に彼岸参りに出かけた。近頃は唐津まで運転するのもおっくうになって、次男に頼んだ。
連休初日だからか、やたらと車が多い。場所によっては、ゴールデンウイーク並みの渋滞のろのろが続き、 浜崎を過ぎたところで12時になった。
鏡山下の「おさかな村」の一角にある「漁師村」の食事処に入ったら、順番待ちの人がずらり、おさかな村もごった返していて 駐車もままならない状態。
やむなく、市内の某所で食事を済ませ、相賀に行ってお寺と3軒の親戚の先祖参りを済ませ、大島の姉のうちに行ったら、 姉は相賀に行っていてすれ違い。
しばらく義兄と話をしていたら、甥夫婦が子犬2匹を連れてやってきた。甥っ子達は相知に住んでいる。 久しぶりに会えてよかった。

 

9月20日(水)

戦没者の遺族に支払われる弔慰金を受け取りに行って来た。
5年償還の債券で国から支払われるが金額は線香代程度。戦死当時同一生計にあった遺族に支払われる。
この弔慰金は姉にも権利があったのだが、分け合うほどの金額ではないので、先祖からの寺墓を守っている私に譲ってもらった。
午後からは天神でカラオケ。久しぶりに村田英雄特集15曲歌った。

 

9月17日(日)

ただいま台風18号が大分方面を通過中。今が福岡には一番近い所を通過中のはずだが殆ど風は吹いていないし、 雨もパラパラ程度。
宮崎や大分ではかなりの豪雨を記録して、まだまだ降りそうだという。
天神ではソフトバンク優勝セールが華々しく行われているはずだが、台風に出鼻をくじかれた格好だろう。 でも、今の様子では台風の影響はほとんどなさそう。
とりあえずは大したことはなく、やれやれと言った感じ。

 

9月14日(木)

博多駅までの住吉通りはイチョウ並木が見事だが、早くもギンナンが落ち始めた。
イチョウの木は雄と雌があるようで、皆の木にギンナンが成るわけではないが、歩道に落ちたギンナンを通る人々が 踏みつぶして行くので、これが例の悪臭を放つ。
ギンナンは食べる分には美味しいが、においが強いので誰も拾って行かない。
相賀に居た頃なら拾って帰るのだがマンションではちょっと…。
イチョウ並木が色づく頃まで、通りのあちこちからプーンと、この匂いに悩まされることになる。

 

9月12日(火)

このところ忙しい毎日が続いていた。もちろん遊びでだけど…。
昨日は唐津で釣りの予定だったが、あいにくの雨と風の予報が出ていたので中止。 残念だったが、その分同窓会の案内ハガキが早く出来上がった。今から出しに行く。
今朝、卓球に出かける頃までは、まだ雨が残っていたが今は晴れ上がって上天気。
でも南から湿った風が吹いて来るので蒸し暑い。この蒸し暑さいつまで続くのか?
南の海上には台風18号が発達しながら九州に曲がって来るとか。いやだねぇ。

 

9月9日(土)

福岡市では敬老祝賀会の案内が来るのは75歳からで、今朝は春吉校区の2回目の祝賀会に行って来た。
中央区だけで100歳以上が107名いるそうだが、そのうち101名が女性だとか。 男性はたったの6名。まあ、100まで生きることがすごいことだけどね。
午後からは唐津のロイヤルホテルに出かけた。同窓会の件で一応電話で予約はしていたが、直に話して確認したかったから。
唐津にいた頃は、どこに行くにも車で行っていたので、全く久しぶりに市内東回りコースで大手口から東唐津までバスに乗った。
バスは小型化されコンパクト、乗客もわずか4、5人。昔と違って小さな道をぐるぐると、まるで観光めぐりバスのように廻る。
何だか懐かしいような、新鮮なような、ふんわりとした気持ちになった。

 

9月6日(水)

携帯電話を買い替えた。スマホは必要ない。ガラケーで、通話ができればいい。
前の電話機は一度電池交換して7年使った。また電池の寿命が近づいてきていたが、交換する電池はもう無いという。 つまりは本体を交換するしかないのだ。
もったいない精神に反するやり方に不満を感じるが、ないのなら仕方がない。
最近、同窓会を計画している関係で友人たちからの電話が多い。通話中に電池が切れはしないか気になっていた。
今度のは基本料金は少し高くなるが、5分以内なら何回かけてもかけ放題。
「1回の電話が5分を超えそうになったら一度切ってかけ直せばいいですよ」と言って店員が笑った。

 

9月4日(月)

今回の同窓会は唐津の誰かに幹事をやってもらうつもりだったが、結局私がやらざるを得なくなった。
6年前に「今回が最後」と宣言していたのに、まだみんな元気だから、またまた……。
今度こそ最後にしようと、あちこち場所の選定にあたっているが福岡にいては何かと動きにくい。
先日行ってみた国民宿舎「いろは島」「虹の松原ホテル」も今一つ物足りない。
唐津外でやることも検討したがやはり無理がある。
インターネットでロイヤルホテルを調べてみたら、そこそこよさそうなので唐津の友に行ってもらった。 約束の10月下旬までにはもう時間がない。ここにしよう。

 

8月30日(水)

筑紫野に行って来た。例の弟のような友達の所で、パソコン操作の指導。
指導と言えるほどの技術は私にはないのだが、一太郎を使った文書作成とメールをするだけで、 インターネットもしたことがないというから、何とも宝(パソコン)の持ち腐れ。
メールができるということは、インターネットの環境も整っているはずなのに、使わないとはもったいない話だ。
また、一太郎で作った文書では、メールで送った相手が皆開けないという。
そりゃそうだろう今時一太郎を使っている人は殆どいないだろうから。
マイクロソフト・オフィスからワードとエクセルをタスクバーに引き出してやって、その使い方の概略と、 インターネットの楽しみ方を教えて、後は酒呑み。

 

8月27日(日)

同窓会の下打ち合わせに唐津に行った。
今回がおそらく最後になるだろうから、温泉にでも行ってゆっくりしようと、国民宿舎「いろは島」に決めていた。 唐津の近くにはいい温泉場はないし…。
現地に行ってみようということになって、男3名、女2名で出かけた。
現役時代には仕事で走り回った所だから、車窓からの風景が懐かしい。
一応予約してきたが、後で「あそこでいいのか?」と言う意見が出た。建物の古さもさることながら、 部屋の畳や壁があまりにもお粗末。
「あれではちょっと…」と言うことになって、温泉ではないが同じ国民宿舎の「虹の松原ホテル」を見に行った。 こちらも建物は古いが、部屋はまあまあだ。
見積もりを立ててくれるというから、その内容次第では変更することになった。

 

8月24日(木)

午前9時半、東住吉公民館に卓球に向かうが日差しが熱い、焼けつくような熱さだ。
一方通行の狭い道を、建物の影を選びながら歩いて、20分ほどで公民館に着く。
館内に入れば先に来た人が冷房を入れてくれているので、ホット一息。
2時間ほどのゲームがとても楽しい。これがあるから暑さにも負けずやって来れる。
帰りは12時過ぎ、これはまた更に日差しが熱くなっている。日陰を探して大きな建物の多い住吉大通りを歩いて帰る。
この炎天下、外で仕事をしている人もいるんだよなぁ。

 

8月20日(日)

お盆を過ぎても一向に涼しくならず、35度前後が続く。日中は外に出られない。
最近、新聞紙上でもテレビでも制裁と言う言葉が多用されている。一方でテロ多発、紙上に載らない日はないくらいで、 これがまた一層世界を暑くする。
紛争の絶えない中東諸国はもちろん、北朝鮮制裁、ロシアも制裁、貿易摩擦で中国も制裁。制裁、制裁・・・。 よく見るとアメリカ発の制裁が多い。
世界を騒がせているのは、むしろアメリカではないか?。各地の紛争や小競り合いもほとんどアメリカが絡んでいる。
アメリカ追随一辺倒の日本でも北朝鮮制裁が声高に叫ばれる。制裁を受けて音を上げる国はない。制裁は憎しみを産み、 憎しみの連鎖がやがて戦争に発展する。
昔の日本がそうだったではないか。流れを変えなければ悲劇が待っている。

 

8月15日(火)

今日は終戦記念日、あの日から72年が過ぎた。
当時私は4歳、物心がついたばかりだったが、「あの日のこと」は今でも記憶に残っている。
父は18年の1月に出征して、19年の7月にビルマ(現ミャンマー)で戦死しているので、1年半ぐらい戦地にいたことになるが、 出征した18年はまだ2歳、当然ながら父の記憶は全然ない。
全国各地で戦没者慰霊式典が催されているが、福岡では出席する気にはなれない。
今日で盆も終わる。都会の真ん中でも、地域の人たちの尽力で夜には那珂川に近い柳橋て精霊流しが行われる。これはありがたい。

 

8月13日(日)

相賀に初盆参りに行って来た。今年は亡くなった人が少ないと思いきや、10人以上だという。 こっちで把握していたのは4人だったのに。
遠いが親戚の家にも亡くなった人が2人。知らなかったのだから葬式にも行っていないが、知ったからにはほっとけない。
大島の姉のうちに行って、香典袋をもらって、再び相賀に引き返してお参りしてきた。少し気になることもあったが、 これでホッとした。
まだ、ほかにも初盆のお参りをしなければならないところもあったけど、でももう仕方がない。福岡に出て7年以上にもなる。 そろそろご勘弁願うことにしよう。

 

8月10日(木)

暑さのせいか最近卓球を休む人が多くなった。連日の猛暑だからねぇ。
火曜日の春吉では13人中5人。今日の東住吉でも11人中5人。出てきた人も、少しやっては休憩する人が多くなった。 歳のせいもあるだろう。
幸い私は、試合形式なら2時間程度は続けても大丈夫。むしろラリーの練習の方が休む暇がないので疲れる。
部屋は冷房を効かせてあるのであまり汗はかかない。でも水分補給は大切だ。
問題は公民館までの往復。ここから歩いて20分。ビルの陰を歩くのだが汗ダクダクでぐったり。でも卓球はやめられない。

 

8月6日(日)

小倉の『わっしょい百万夏まつり』
昨日から息子の家に泊まって、小倉の『わっしょい百万夏まつり』に行って来た。
北九州市役所前の大通りを、小倉祇園太鼓・黒崎祇園山笠・戸畑祇園大山笠など、市内9か所からの出し物が 何回も行ったり来たり練り歩く、北九州市をあげての壮大な祭り。
特に戸畑の大山笠は、博多山笠や唐津くんちの山笠などとともに、ユネスコの無形文化遺産に登録された山笠で、 目の前で組み立てから見せてくれる見ごたえのある山笠だった。
今日は、1万人の踊りや花火大会が予定されていたが、あいにく台風5号が接近中で、すべて中止になった。 もう一晩泊まる予定だったが、やむを得ない。
代わりに門司の出光興産創業者出光佐三氏の『出光創業史料室』を見学して、 台風が来ないうちに1日早く帰って来た。

 

8月2日(水)

昨夜は毎年8月1日に行われる恒例の『大濠花火大会』の日だった。毎年出かけていたが、今年はテレビで観ることにした。
毎日35度前後の酷暑が続いているので、いささかバテ気味だし、あの大勢の人出の中でもまれるのもしんどくなったから。
テレビでは、さすがに臨場感には欠けるが、いろいろな角度から色々な花火を、最初から最後まで放映してくれる。 クーラーのきいた部屋で寝転んで観られるから、年寄りにはこれがいい。
以前は、唐津からわざわざ観に来たこともあった。その頃は50万人近い観客が押しかけていたように思う。それが45万人になり、 昨年は42万人、今年は41万人と、年々減少傾向にあるようだ。
あの暑さと人混み、特に帰りの混雑を考えると、二の足を踏むのも分かるよなァ。

 

7月28日(金)

昨日は卓球から帰ったら福重にいる次男が来ていた。月に1回ぐらい顔を出す。
妻に伸び放題のボサボサ頭を指摘されて、「気になっているんだけど忙しくて…お父さん昔の腕鈍っていない?」と言う。
長男も次男も高校生ぐらいまでは私が散髪してやっていた。首筋だけでいいから少しカットしてくれと言うのだ。
「よし、やろう。確か道具もあったはずだ。」と探してみたら、バリカンやエプロンなど一通りの道具はあるが、肝心のハサミがない。 よく考えてみたら、ハサミは錆が来ていたので引っ越しの時に唐津で処分したような気がする。
仕方がないので、普通のハサミでやることにした。「おかっぱはだめだよ。ハサミは立ててよ」と、注文が多い。
「分かっとるよ」と言いながら、20数年ぶり?の息子の散髪。まずまずの出来だ。「俺の腕まだまだ捨てたもんじゃないな」
あとから、「すっきりしたよ、ありがとう」とメールが入った。

 

7月26日(水)

昨夜遅く孫がやって来た。そして今朝早く薬院から久留米に向かった。
部活で朝早く学校に着かなければならない時には、小倉からでは間に合わないので時々泊まりに来る。
部活で広島に行って今夜は宮島泊りだとか。
孫は中学2年生、今背が伸び盛りで私たちはとっくに追い越されてしまった。
生まれたのは、ついこの間のようだったのに……。

 

7月22日(土)

連日35℃前後の猛暑日が続いている。この夏無事にしのげるのかと思うくらい暑い。
我が家のベランダは、少し北東を向いているので、陽は11時ごろまでしか当たらないが、 幸い角部屋だから南側の畳の部屋には窓がある。
ところが、この窓のすぐ前1m余りの所に、隣のパチンコ店の立体駐車場の壁が迫っているので、南からの陽は全然当たらない。
この駐車場の壁の珊にいつも鳩が止まっていて、糞害に悩まされるので、今日は園芸用の網を張ってみた。
以前は、窓の手すりでバタバタと鳩が騒ぐので、のぞいてみたら、上階の人が餌をばらまいて与えていた。
今は上階の人ではないが、誰かが餌を与えているのか、つがいらしい鳩が2,3組、パチンコ店からこちらをうかがっている。

 

7月18日(火)

ヤフオクドームに野球を観に行って来た。「鷹の祭典」ソフトバンク対西武戦。
入場券は毎年長男が買ってくれる。
毎年鷹の祭典ではユニホームがもらえる。今年で何着もらっただろうか。
オールスター戦も終わって、昨日の後半戦最初の試合は3対1でソフトバンクが勝った。 今日も5回まで、高田のホームランなどで3対0とソフトバンクリード。
ソフトバンクファンで埋めつくされたスタンドは大いに盛り上がる。
西武打線は5回までに11三振を食らって、全く打てない。かわいそうになるほどだったが、6回に秋山がやっと初安打、 これがソロホームランだった。
結局、両チームホームランは1本ずつ。安打数は5本対7本で西武が上回ったが、得点は3対1でソフトバンクが勝った。

 

7月16日(日)

最近、鳩の糞害に悩まされている。隣のパチンコ屋にとまって、こちらの様子をうかがっている。誰かが餌を与えているのだろう。
数年前にもあった。上階の人が米粒をばらまいて鳩に与えていた。そのときは、はっきり見たので管理人を通じて注意してもらったら、 それ以来パッタリ来なくなっていた。最近になって、また来出したということは、餌を与えている人がいるということだろうが、 現場を見ていないので証拠がない。
マンション住人の入れ替わりも結構多いので、最近入って来た人が餌を与えているのかも知れない。
窓際の手すりに網を張って防ぐしかない。網とおもちゃの豆鉄砲も買ってきた。
鳩に豆鉄砲、見つけ次第これで追っ払えば、恐れをなして来なくなるかもしれない。

 

7月12日(水)

朝一番に赤坂の行きつけの医院に血圧の薬をもらいに行って来た。
帰りはいつものように天神経由で帰る。岩田屋の前まで来たら、開店5分前で、入り口には行列ができている。何事だろう。
暑かったので地下に潜ってみたら、これまたびっくり。岩田屋の新館・旧館の入り口から延々と長蛇の列ができていた。
この地下の行列は、きらめき通りを天神地下街の入り口近くまで並んでいた。距離にしたら200m近くあったのではなかろうか。
私には、並んでまで買い物をする人の気持ちがよく分からない。 いやはや、平和というか、のどかというか、世の中にはひま人もたくさんいるもんだなァ。

 

7月9日(日)

今も弱い雨がパラパラと降っている。豪雨被災地はどうだろうか?。まだまだ大雨警報や注意報が出ているようだから、 捜索も復旧もなかなか進まないだろう。
救助が進んで、孤立している人たちは減っているようだが、新たに発見された死者の数は増えている。 有明海まで流された遺体が5遺体も発見されたとか、何とも痛ましいかぎりだ。
長男が住んでいる北九州市小倉北区も被害が出たようだが、幸い息子の家は少し高みにあるので、何ともなかったようだ。
今は時折雷が鳴っている。都会の雷はビルの谷間にこだまして、すごい音になる。
「雨よ早くあがれ」と、忌々しい雨空をただただ眺めているばかり。

 

7月6日(木)

台風が過ぎ去ってホッとしたのもつかの間、昨日からとんでもない豪雨が筑後地方と大分県北西部を襲った。 今までに経験したことのない豪雨とは、どんな雨だろう。
「滝のような」とか、「バケツをひっくり返したような」という言い方はよく聞くが、今度の集中豪雨は今までの表現では言い表せない ほどのものだろう。
しかも、雨はまだ続いていて今夜も危険な状況は続くという。
不思議なことに、福岡県南部では記録的な大雨が降っているというのに、北部の福岡市では、昨日はほとんど降らなかった。 今日は朝から弱い雨が降ったりやんだり。
午前中卓球に行って来たが、那珂川の流れもいつもとあまり変わらない。

 

7月4日(火)

何事もなく台風3号が通過していった。というより熊本地方にそれて行った。
昨年の地震の被災地辺りを通過したのではないか。風は、雨は大丈夫だったろうか。
直撃予想だった福岡は、学校を臨時休校にしてまで備えていたが、またもいい意味での空振りに終わった。
近頃よくある現象で、最近の台風は不思議と福岡を避けて通ることが多い。市内各地に飾ってある祇園山笠も、ホット一息だろう。
身勝手な思いだが、雨だけはもう少し多く降らしてほしかったのだが、雨も大して降らず、午後からは青空がのぞいている。

 

7月1日(土)

祇園山笠の飾り付けが進むキャナルシティ
早い、もう半年過ぎた。それにしても暑い。
部屋の温度計は朝から32度を指している。
先日キャナルシティで買いそびれた、短パンとラケットケースを買いに行った。
6月中頃から市内のあちこちで祇園祭の山笠の飾り付けが行われていたが、今日から一斉にその幕を開ける。
ここキャナルでも、先日は飾り付けが急ピッチで進んでいたが、今日は出来上がっていた。 足元では、クラシックの音楽に合わせて、ときおり噴水が吹き上げている。
帰りに博多駅に回ってみたが、ここでも飾り山笠が、行きかう人々の目を引き付けていた。

 

6月28日(水)

博多駅方面に散歩に行って、ヨドバシカメラでプリンタのインクでも買おうかと出かけたら、急に空模様がおかしくなってきた。
今にも降り出しそうになった。傘は持って来ていなかったので、急遽行き先を変更してキャナルシティに行った。
案の定、キャナルに着いたら雨が降ってきた。結構大粒の雨だ。
仕方がないから、スポーツ用品売り場で卓球用の短パンと、ラケットケースを物色していたら、急に頭がクラ〜ッとした。 かなり冷房が効いていたので、そのせいだったのかもしれない。
何も買わずに、入り口付近の椅子にしばらく腰かけていたら、雨も上がり、頭もなんともなかったので、ゆっくり歩いて帰った。
たまーにこんなことがある。半年ぶりぐらいかな? もう慣れっこになってきたから、しばらく静かにしていれば大丈夫。

 

6月25日(日)

昨日は久ぶりにまとまった雨が降った。今朝まで降っていたが今は止んでいる。
梅雨入り宣言後、雨らしい雨は降らずカラ梅雨が続いいていたので、これでホッとした人も多かろう。
シトシト、ジメジメは、何ともうっとうしいが、水なしでは何も生きられないのだから、まさに恵みの雨だ。 今は大切な田植えの時期でもある。
まだ、ダムの水を増やすまでには至っていない所も多かろう。飲み水も心配。
これからもしばらくは雨模様が続きそうだが、うっとうしさは我慢しなければ。
ただ、梅雨の終わり頃には半夏(はげ)雨が降る。最近の集中豪雨は半端じゃない。災害はごめんだ。

 

6月23日(金)

朝一番に歯医者さんに行って来た。埋め込み材のとれた歯を埋めてもらうため。
中に少し虫食いがあるとかで、少し削って治療して埋め込むまで約40分で終わった。これですべて終わりだという。
何回か通うことを覚悟していたので、いささか拍子抜けした感じだ。
以前にも同じようなことがあったが、仮に埋めて掘ってまた埋めて、4,5回通わされた。それはそれで治療方針なのだろうから、 悪意はなかったろうが……
今日行った歯医者さん、手抜きではなく良心的なのだと思いたい。

 

6月22日(木)

梅雨時だというのに、ほとんど雨は降らない。降ってもほんのお湿り程度。
今は田植え時期、雨が降らなければ田植えが出来なかった相賀生まれとしては、農家のことが気がかりだ。
もっとも、今の相賀は早期栽培で4月末には田植えが終わっているので、その心配はないのだが、普通栽培の農家は今が真っ盛り。 植えられない農家もあろう。
・・・・・・・・・・
夕方、昔治療した虫歯の詰め込み材がポロリととれた。5時前だったので、急いで歯科に電話したら「木曜日の午後は休診です」 とのこと。仕方ない明日にしよう。

 

6月17日(土)

昨日は、またまた相賀にビワを取に行って来た。次男に「一人で行っちゃだめ」と言われていたが、まだ沢山残っていたし、 あのまま終わりにするのは心残りでしようがなかったから。
下の方まで垂れ下がった枝の実はいまだに青い、おそらくこのまま熟れないで終わるのだろう。 不思議なことに、イノシシのフンはあるけど、ビワは食べていない。他に餌が沢山あるということか?
孫たちがやって来ることも、私をビワ取りに駆り立てた理由の一つ。その孫は朝7時の新幹線で学校に行くというので 博多駅まで送った。今日は孫の中学校の参観日とかで、親たちは10時ごろに車で久留米に向かった。

 

6月13日(火)

毎日、救急車や消防車、パトカーの唸り声を聞かない日はない。
今朝は公民館に卓球をしに向かっているとき、柳橋の交差点で消防車が6台けたたましく清川通りに入って行った。
我が家の前の通りはよく救急自動車が通る。日赤通りは車が多いので、混雑を避けて清川通りを抜けるのだろうと思っていたら、 我がマンション裏手の建物のボヤ騒ぎだったらしい。
外から見た目にはどこだったか分からない。ボヤでよかった。

 

6月7日(水)

あまり有り難くないことで唐津が有名になっている。唐津市名護屋港金塊密輸事件。
一方、博多の金塊盗難事件では名古屋の男4人が逮捕された。
尾張名古屋と肥前名護屋、豊臣秀吉の朝鮮出兵以来となる肥前名護屋の名がクローズアップされている。・・・・・
でも、暖かい心温まる話もある。唐津港の入り口に浮かぶ、人口約350人の小島、神集島(かしわじま)。 我が里、湊の漁港から舟でわずか10分足らず、泳いでも渡れるほど目と鼻の先にあるが、島の人口は減る一方で残るは高齢者。
故障続きの島の購買部の冷蔵庫。買い替え資金が足りずにネットで寄付を募ったら、必要額を上回る募金が集まったとか。 島の皆さんも感謝感激しているだろう。
相賀も神集島も唐津市と合併する前は同じ湊村だった。今も同じ校区だから、区長時代は一緒に活動もした。
この善意、新聞に載るまで知らなかったが、わがことのようにうれしい。

 

6月5日(月)

2回目のビワちぎりに相賀に行って来た。あれから8日目だから今度は奇麗に熟れてるだろうと思いきや、まだ青い。
雨は降らないし、もしかしたらこのまま熟れずにシワシワになって終わるのかもしれない。 ずいぶん昔のことだけど一度だけそんな年があった。そのときも枝もたわわに成っていたっけ。
それにしてもよく成っている。買い物袋に5杯分とったが、どこをとったか分からないくらいだ。 青いからか、まだイノシシも来た形跡はない。
帰りに、いつも魚釣りに連れて行ってくれる友達と、久しぶりに顔を見たくなった周船寺に住んでいる幼馴染とに1袋ずつ降ろしてきた。

 

6月1日(木)

今日は6月1日。今年は5月下旬からやたらと暑い。先が思いやられる。
唐津から福岡に転居して今日でちょうど7年になる。ついこの間のようだったけど早いものだ。
最初の2年半は荒戸に住んでいた。でも、母も亡くなったことだし思い切って清川にマンションを買って4年半が過ぎた。
先祖には申し訳なかったが、思い切って福岡に出たことは正解だったと思う。
何をするにも、とにかく便利だし、誰に気兼ねすることもなく好き勝手ができる。
今が幸せなら先祖も許してくれるだろう。
先日の飲み会での友達も「お前がいなくなったことは寂しいけど、うらやましいよ」と言ってくれた。
そこそこ元気だし、まだ卓球だってできる。健康寿命をどこまで伸ばせるか?

 

5月29日(月)

昨日に続いて今日も唐津へ行って来た。今日は飲み会。
湊の方から「同窓会しょう」とか「時には集まろう」とか、よく声がかかるようになってきたので、 とりあえずどうするか話し合うため何名かに声をかけてもらったら、13名集まった。
歳も歳だし、毎年でもやりたいから、この秋10月下旬ごろに「いろは島で同窓会をやろう」ということになった。
もう以前のように全員にハガキを出して呼びかけることはしない。地区ごとに責任者を決めて、電話で呼びかけることにした。
話し合いはここまで。あとはお決まりのカラオケ。更に何人かはスナックに行ったが、まだ明るかったのでスナックまでは 付き合わずに帰って来た。
我ながら珍しいことだ。

 

5月28日(日)

次男の休みに合わせて相賀にビワちぎりに行って来た。
今年はいくらか早そうだとは思ったが、相賀の方から「もう早くから色づいてる」という情報が何度も入ったので、 半信半疑で行ってみた。
今までに5月に収穫したことはなかったので、いくらなんでも早すぎると思っていたら、やっぱり早かった。
それでも、せっかく行ったので、とりあえず食べる分だだけはとってきた。
それにしてもよく成っている。枝が折れそうだ。去年は全く成らなかったからなァ。
あと1週間ぐらいかかるかな?

 

5月24日(水)

この歳になったら、できるだけ想念を曇らせないように気を付けている。
でも、人との触れ合いは楽しい反面、想念を曇らされることも多い。
特に他人の悪口は実に嫌で想念が曇る。本人は悪想念の垂れ流しっぱなし、周りの者がどれほど嫌がっているのか分かっていないから 始末に悪い。
自分の言動はすべて正しいと思ってか、話の合間には自慢話ばかり。
国会でも同じ。議員同士のあら捜し、失言やスキャンダルを騒ぎ立ててマスコミをあおり、何とか引きずりおろそうと血道を上げる。 政策論争はまるでない。
ああ、想念が曇ることが多いなァ。なぜこんなことを書いたのか。先日、ある集まりで実に嫌な思いをしたから。↓↓
・・・・・・・・・・・「想念と地獄」

 

5月20日(土)

万歩計を洗濯しちゃった。
最近、何かとボケをかますことが多くなってきた。
卓球をやったら歩数はどれくらいになるだろうかと思い、短パンのポケットに万歩計を入れて計ったら、 意外と少なく4,000歩そこそこだった。
そこまではよかったが、万歩計を短パンのポケットに入れたまま洗濯機にかけてしまった。
洗濯竿に干してもまだ気づかず、外出をしようと思って万歩計がないのでやっと気が付いた。
あわてて取り出したが、表示部分は真っ白になって、どこを押しても反応はない。
駄目になったかと思ったが、電池を取り出して奇麗に拭きあげ、本体を念入りに乾燥させたら、何と生き返ったよ。やれやれ。

 

5月17日(水)

九州北部の大地震情報に恐々としていたが、最悪の日5月13日は過ぎても、今のところはまだ最後の予兆が出ていない。
というのは、3月に起きた福岡西方沖の軽い4回の地震から、60日前後の静穏期は過ぎたが、その次に来るマグニチュード2〜4 クラスの地震がまだ来ていない。
これが来ると、それから半日〜3日以内に震度6以上の大地震が来るとい情報。
これは単なる予言ではなく、過去の統計に基づく地震研究家の余地らしいから、確率はかなり高いらしい。
過去の例から見ればまだ1週間ぐらいは安心できない。何しろ我が家は警固断層帯の真上に位置し、 川からも近くて地盤が柔らかい所にあるから。
これからも、M2〜4クラスの軽い地震情報に注意しなければ。

 

5月12日(金)

我が家の目の前にセブンイレブンがある。そして我が家の隣には大きなパチンコ屋がある。 セブンイレブンは、よく繁盛しているようで、ひっきりなしに人が出入りしている。
このセブンイレブンの前に、9時半ごろになると、人がズラリと横に並んでこっちを見ている。 いや、本当はこっちを見ているのではなくて、隣のパチンコ屋を見ているのだ。 何やらムシャムシャ食っている者もいる。朝食か?
そして、頃合いを見てパチンコ屋の前に並ぶ。ほとんどが中年以下の若い男性。
この連中は何をしているのだろう。仕事はしているのだろうか?
大きなお世話だろうが、気になるなァ。

 

5月7日(日)

唐津に行って来た。例の兄弟みたいな友達のお母さんの1周忌。
相賀のお寺で法要があってそのあと唐津で食事会。お寺には住職さんがいないので、湊の浜のお寺から出張して来てくれる。 この和尚さんは、まだ若くて我が家の次男坊と同級生。なかなか気さくで愛想のいい和尚さん。
昨日、相賀の先輩が亡くなったとかで今夜が通夜だとか。したがって和尚さんは忙しくて食事会には来られない。
「和尚さん、今日は一緒に酒が飲めると思っていたのに…」と言ったらにっこり笑って「そうですね。でも忙しくてね」と言う。
そりゃそうだろう。今夜が通夜で明日が葬式だから。
「盆には福岡にもお参りに来てくれるよね」「もちろん行きますよ。でも、お酒は飲めませんよ」 そうだよね。車で来るんだもんなぁ。

 

5月3日(水)

昨日の夕方から、福岡の街は「博多どんたく」でお祭り一色。
天神地区から博多駅方面まで各会場で、歌に踊りにパレードにと大騒ぎ。
ところが朝方は晴れ上がって快晴のお祭り日和だったのが、3時ごろから急に雷が鳴りだして土砂降りとなった。 大粒の雨が、たたきつけるような激しい雨だった。
この突然の夕立で、パレードの一部は中止になったそうだ。
夕方、長男が「夕食をごちそうするよ」と言ってやって来たので近くの居酒屋でビール、ワイン、日本酒を飲んだ。 更に家に帰って焼酎を飲んだので、四酒混合。
「これだけ飲めればまだまだ大丈夫だね」と言って息子が笑った。

 

4月28日(金)

佐世保の長串山公園いっぱいに広がるツツジ
樹齢八百年ともいわれる「藤山神社の藤」
神埼市脊振町「浄徳寺のシャクナゲ園」
各地で花便りが満開だが、西日本新聞社の「西九州春の花めぐり」というツアーに参加して、佐世保方面に出かけた。 お目当ては、この時期満開のツツジ、藤、シャクナゲ。
佐世保市の長串山(なぐしやま)公園。若干過ぎたものもあったが、平戸ツツジが公園一面に広がって見事。 空は一面の青空。展望台に登れば、九十九島から平戸方面まで見渡せる。
そこからバスで40分ばかり移動したところで、藤山神社の藤見物。樹齢八百年の大藤で、これまた見事。
そして最後は、佐賀県神埼市脊振町「浄徳寺」のシャクナゲ。山の斜面に植えられた色とりどりのシャクナゲが丁度見頃だった。 満喫、満喫

 

4月25日(火)

春吉卓球サークルでは、月にわずかな会費をとっているが、その会費が余ったら昼食会を開く。
2年に一度ぐらいだが、午前中の卓球の後ホテルニューオータニで会食した。
会員13名中12名出席。天下のニューオータニだから、さすがに安くはないが、こんなところで食事するのは滅多にない。
私は2回目だが、もっと安い所で回数を多くした方がいいなァ。なんて貧乏人根性が頭をよぎる。
話は別だが、相賀の友達は長崎県の壱岐に鯛釣りにでかけて、5〜6キロ級を3人で20匹以上釣ったとか。 一番大きいのは8キロで1m近いのもいたというからすごい。釣れる時は釣れるもんだねぇ。
妻から「是非連れて行ってもらいなさい」とけしかけられたよ。

 

4月21日(金)

福岡は、生活には大変便利な反面恐い街でもある。ピーポピーポやウ〜ウ〜は日常茶飯事だし、犯罪の多さや大きさは国際級。
昨日は天神のど真ん中で、白昼堂々と3億8,400万円が強奪される事件が起きた。
おりしも、福岡空港では韓国人が7億3,500万円を無許可で国外に持ち出そうとして逮捕された。 この二つの事件の関連性はなさそうだという。
昨年は、博多駅近くで6億円相当の金塊が強奪されたが、まだ解決していない。
でも、それはそれとして、相賀の幼馴染がやってきたので3人で天神で飲んで、そのあとはカラオケ。カラオケは昨日と連ちゃん。

 

4月19日(水)

NTTのフレッツ光を利用してインターネットをしているが、フレッツ光プレミアムからグレードアップして、 フレッツ光ネクスト(隼)にすることにした。
マンションタイプなので、今まではできなかったが、3月末にマンションタイプの切り替え工事が終わったので、 我が家のも、切り替えることができるようになった。
工事はNTTから無料でしてくれたし、光電話の設定まではしてくれたが、インターネットモデムの設定まではしてくれない。
マニュアルがあるので、モデムの設定まではスムーズにできたが、Wi−Fiルーターの設定にてこずって、 先ほどやっと終わった。やれやれ。

 

4月18日(火)

今日は76回目の誕生日だった。まあまあ元気でここまでやってこれた。
たまたま休みだったと、次男がケーキを持って来てくれたので、博多駅ビルの「くうてん」へ一緒に食事に行った。
夕方、娘が送ってくれた卓球シューズが着くというので、家を空けられないから、夕食は家でとることにした。
その「シューズを履いて、卓球ウエアーを着て、写真を撮って娘に送れ」と妻が言う。 次男がすっかり乗り気になって、写メールで送った。
長男は長男で、「楽しまんね」と毎月小遣いを振り込んでくれる。本当にいい子供たちを持った。 好き勝手をして、今が一番幸せな時かもしれない。

 

4月15日(土)

血圧の薬がなくなりそうになったので、赤坂の掛かりつけ脳神経外科に行って来た。
血圧は別に異状はないので、測定だけならすぐに終わってしまう。
「先生、最近眠りが浅いのか、夜中にちょいちょい何回も目が覚めるのですが…」と話しかけた。
先生曰く「運動不足だろう。畑を耕すような重労働をしなさい。」だと。
…と言われても、もう畑はないしなァ。
そう言いながらも、副作用の少ない睡眠剤を「まず半分飲んで試してみなさい」と言って出してくれた。
昼前には次男がやってくるので、岩田屋で昔懐かしい<回転まんじゅう>を買って帰った。 ここの饅頭は殆どがアンコで甘党向き。
午後には、次男と妻と二人でワイワイガヤガヤ言いながら、ホットケーキを作ってくれた。

 

4月13日(木)

年度替わりで休みだった東住吉の卓球などサークル活動が、4週間ぶりに再開された。
「お久しぶり」とか「元気だった?」と、笑いながら動き回っての2時間、身体がほぐれて実にすがすがしい。 終われば心地よい疲労感が体を包む。
外は快晴、前の公園の満開を過ぎた桜の花びらがヒラヒラと舞い落ちる。
午後は、筑紫野に住む弟みたいな友達が、自分で作った春菊やサニーレタスを持って飲みに来た。
コップ酒で延々と6時間、昔話をしだしたら尽きることはない。「男二人で長々と何を話しているの?」と妻が笑う。

 

4月10日(月)

各地の桜は満開、人出も全開
市内の主な桜の名所はすべて満開便り。
でも、今日は雨。散ってしまうなァ。
そう思ったから、昨日は散歩がてらに中央公園から、中洲川端、キャナルシティに回ってみた。
中央公園の桜は全部満開だが、早いものはチラホラ散り始めている。写真に納めたり、納まったりしている外国人観光客が目立つ。
中洲から川端商店街に行ってみたら、例の花屋にコチョウランの切り株が1株200円で無造作に置いてある。
色は店員に聞いても分からないと言う。たぶん白がほとんどだが、中にピンクらしい株が2株あったので1株だけ買った。
清流公園の那珂川沿いの桜も、ポット植えのチューリップも満開。
キャナルシティは人出がわんさか。

 

4月6日(木)

大濠公園に設置された花いっぱいの花壇
5分咲きだが、お濠端でライトアップされた桜
今日はやっと舞鶴公園の桜の満開宣言があったというのに外は雨。
というのは予測されたので、一昨日花見に行って来た。3分から5分咲きだったが、天気も穏やかな晴だったので、 夜桜まで楽しんできた。火曜日だというのに人もいっぱい。花もいっぱい。まさに春爛漫。

 

4月1日(土)

桜の開花が待ちきれない花見客
福岡の桜の名所と言えば、舞鶴公園、西公園、南公園などが有名だが、中央公園の桜も結構見ごたえがある。
天気も良く晴れ上がったので、その中央公園に行ってみた。
天気がいい割には気温が低く風が冷たい。桜はまだチラホラしか咲いていない。今年は遅れているのだ。
それでも、土曜日とあって、何処へ行っても人出は多い。花見客は待ちきれない様子で、あちこちで花見の宴が開かれていた。

 

3月30日(木)

やっと暖かくなってきたので、桜は咲いていないか、散歩がてらあちこち歩いてみた。
九電ビル前の枝垂桜は早咲きなのか三分咲き程度だが、清川公園のソメイヨシノはまだチラホラ。
今年は比較的低温傾向が続いているので遅れているようだ。特に朝晩が冷える。
さくらはないが、美野島方面に足を延ばして例のカラオケスナックに行ってみた。
今日は9人、珍しく多い。順番に歌うので3時間いて5曲歌って帰った。

 

3月26日(日)

昨日、東住吉公民館のサークル活動責任者会議に行って来た。
これで卓球サークルの世話役2年間が終わった。
会議の前に人権学習会があったが、またいつもの同和問題かと思ったら少し違った。
オカリナを演奏をしながらの講演だったが、内容はともかく「あなたは今を楽しんでいますか? 楽しむために何か行動を起こしましたか?」との問いかけに、自分のことを考えてみた。
福岡に出てきて間もなく7年になる。出てきてよかったと、今、心からそう思う。
新しい人との触れ合いを求めて、公民館に出かけて、趣味のカラオケや卓球で知り合いや友達もできた。
公民館以外でも、参加できる活動や会話など、ふれあいを楽しむ場はいっぱいある。
福岡に出て来たからこそ出来る楽しみが、そこにいくらでもあるのがいい。

 

3月23日(木)

仏壇の前は花ざかり
彼岸も今日で終わりというのに、朝晩はまだまだ寒い日が続いている。
先日相賀に彼岸参りに行ったときもらってきた花が満開になって、我が家がパーッと明るくなったような気がするので、 写真に納めた。
もともと相賀は花栽培の先進地として、子供のころから殆どの農家が栽培していた。
もちろん我が家でも栽培していたが、途中で気が変わって農業そのものをやめた。
いまは、親戚が花屋を営んでいて、そこから沢山もらってきた花だ。小さな仏壇にはとても飾り切れないほど。

 

3月20日(月)

唐津海産物市場「おさかな村」
今日は彼岸の中日。相賀に墓参りに行って来た。
墓と言っても、お寺の境内に併設してある納骨堂。いつも車の運転は次男がしてくれる。
相賀には、春と秋の彼岸には、親戚同士お互いの家の仏壇に手を合わせ、先祖をお参りし合う風習がある。
もともと我が家の親戚は少なかったが、福岡に出てからは更に減らして、ごく近い親戚だけをお参りするようにしている。
唐津はさすがに魚や野菜が新鮮で安い。必ず立ち寄るのが「海産物市場、おさかな村」。

 

3月17日(金)

橋げたの上で日向ぼっこをする水鳥
やっと春らしくなってきて、今日はポカポカ陽気。
キャナルシティから西中洲方面に出かけてみた。
清流公園横の那珂川沿いの桜並木は、つぼみも膨らんで間もなく開花しそうだ。チューリップはもう咲き始めている。
中洲から西中洲へ渡る春吉橋は架け替え工事が進んでいて、新しく出来た橋げたの上に、鳥の群れが日向ぼっこをしている。 水鳥だろうか?。
やっと近づいてきた春の陽だまりに、ほのぼのとした温かさを感じてカメラを向けた。

 

3月15日(水)

毎月1回赤坂の脳神経外科に血圧の薬をもらいに行く。
9時に行くのだが、いつもは2,3人の患者がいるのに今日は誰もいない。
血圧は問題なし。おかげで先生から、いろいろなことを、ゆっくり話が聞けた。
目まいやふらつき解消には、例の肩こり解消体操の指導をみっちり。
40分間とうとう誰も来なかった。この病院には、もう6年半通っているが、こんなことは初めてだった。
帰りに岩田屋に寄って昔懐かしい「回転まんじゅう」を買った。
いつもは行列ができるのだが、朝の開店間際には並ばずに買える。

 

3月12日(日)

6年前の悪夢が、ついこの間のことのようによみがえる。3.11東日本大震災のこと。
当時はまだ荒戸にいた。ラジオの「大地震警報」に、急いでテレビをつけた。
各地の震度と現況を伝えていたが、家屋の倒壊とか特にひどい状況はなかったので、安心していた。
やがて「津波警報」に切り替わって、各地の漁港が映し出されていたが、これも大したことはなく、やれやれと思っていた。
ところが、釜石漁港だったか、魚市場が映し出されて、少しづつ水かさが増して、市場の奥に流れ込み始めたと思ったら、 海水が濁流となって押し寄せ、付近の家も車も何もかも押し流し始めた。
妻とふたり、「あ〜あ、あ〜あ」と言いながら、テレビにかじりついて一部始終を見ていた。
右往左往する車に「ほらほら早く逃げないと…」と言いながら見ていた車も、やがて濁流に呑まれ、奇麗に整備された農地や、 整然と並んだビニールハウスや温室、家も何もかも、濁流に呑み込まれていった。現場ではまさに地獄だったろう。
あの日から6年経った今でもまだ余震が続いている。

 

3月8日(水)

先日3日ばかり「何だかおかしいな」という体調が続いた。
頭が重く、どんよりしていて、締め付けられるような感じがしていた。
血圧を測っても120前後と平常値で問題ない。
「また例の目まいが来るかな?」と不安になったので、前に脳神経科でもらった飲み残しの薬を2日間飲んだ。
昨日の夜中の1時半ごろ目が覚めたときは最悪だった。でも、眼は回っていない。
そのまま眠って、朝5時半ごろ目が覚めたときは、この3日間がうそのようにスッキリしていた。
いつものように卓球にも出かけたが何ともなくできた。
一体何なのか? これが歳をとったということか? もうすぐ76歳だもんなァ。

 

3月5日(日)

外は春の陽気、全然寒くない。久しぶりにキャナルシティから川端商店街方面に行ってみた。
キャナルシティまでは徒歩15分あまり。いつものことだが外人が多い。日本人とあまり変わらないアジア系の人たちで、 欧米人はあまり見かけない。中国からのクルーズ客を案内するらしい。
ここから陸橋を渡れば川端商店街に入る。天神の新天町と並ぶ大きな商店街だが、日曜日なのにあまり人通りは多くない。
中洲に廻ると「ほら、この娘ですよ、この娘。遊んで行きませんか。」看板に張り付けた写真を指差しながら誘う客引き。
苦笑しながら、清流公園に出たら、那珂川でたくさんの水鳥が遊んでいた。
カメラを持って来ればよかったなぁ。

 

3月1日(水)

もう3月。あちこちで春の便りが聞かれるようになった。川端を歩くと土手につくしが顔を出している。
水曜日は何もする予定のない日。税金の確定申告でもして、わずかな年金から引かれた税金の一部でも取り返そうと、 退職後毎年申告を続けている。
国民健康保険税や介護保険料などの社会保険料は、年金の源泉徴収票には入っていないから、わずかだが確定申告すれば 税金が返ってくるし、あと市民税の申告の必要もない。
申告書は国税庁のホームページから作成できる。直接送信もできるが、手続してないし、散歩ついでに税務署まで持って行く。

 

2月24日(金)

卓球やカラオケで楽しんでいるが毎日とはいかないので、そのほかの日は単調。
毎日1時間ぐらいは歩くことにしているので、今日はいつもの天神や、博多駅・キャナルシティと違う美野島方面に 足を回してみた。美野島には百年橋通り沿いに「エックスボイス」という、昼間はカラオケ夜はスナックという店がある。
ウオーキングの途中だが、店の前の「カラオケ」という幟に釣られて店内に入った。およそ1か月ぶりだから、 初めからそのつもりだったのかも知れない。
店内には10名の先客がいた。いつもは5,6名だから今日は多い。客が多いとなかなか順番が回ってこない。
昼の部は5時で終了だが15分延長してくれて、最後に5曲目が回ってきた。
ここのママさん、テンポのいい楽しい曲を歌うと、タンバリンを鳴らしながら踊って盛り上げてくれる。

 

2月19日(日)

我が家でたこやき
昨日から長男一家がやって来た。
孫は久留米の学校から、両親よりも一足早くやって来たが、博多駅から歩いて来たと言う。
みんな揃ったところで夕食は「たこやき」。最近たこやきにはまっていると言っていた。
材料も何もかも用意して来て作ってくれたので、こっちは酒を飲みながら食べるだけ。
家族でワイワイ言いながら作って食べる楽しさを久しぶりに味わった。 相賀にいた頃、時々車庫でバーベキューをやったことを思い出した。
今朝、子供たちは唐津へ出かけて行った。

 

2月15日(水)

今日は血圧の薬をもらいに赤坂の脳神経外科に行って来た。
過去のカルテを見ながら「もう7年にもなるねぇ」と先生。そう正確には6年半、足掛け7年になるのだ。
「何回か薬が合わずに変えて、結局今のノルバスクにしたんだね」「あなたは高級な人だからね」とニヤリとして言う。
また始まったな、と思いながら「えっ、何ですかそれ?」と聴けば「繊細で、いろいろ考え、あれこれ気にする人は、 高級人間なんですよ」
「くよくよせずに、いつ何時、どこででも寝れるようなタイプじゃない。あなたは高級人間だから、薬もジェネリックはだめで、 高いものしか合わない」
図星だ。「ワッハッハー高級なんて、そんな言い方もあるんですね」と言えば「いや本当に高級なんですよ」と言ってまたニヤリ。
皮肉も、嫌味に聞こえないのがこの先生のいいところ。

 

2月14日(火)

天気はよくなったが朝夕の空気は冷たい。風まであるので尚更寒く感じる。
昨日のカラオケも、出かける時はそれほどでもなかったが、夕方は風が出て帰りは寒かった。
今日は午前中卓球だったが、昨日から泊りがけでやってきている次男が「昼食は外食にしよう」というので、 セントラルホテルの中華「蘭蘭」のバイキング・ランチに卓球から直行した。
ここのランチは、何回か食べたことがあるが結構おいしい。
卓球帰りで腹が減っていたので、いい気になって少し食べ過ぎたかな?

 

2月11日(土)

窓越しに見えるコンビニの屋根の上には雪がうっすらと積もっている。
隣の駐車場に止めてある車の屋根にも積んでいるし、ベランダに出てみれば、近くの屋根の上はみんな白い。
昨日の朝もそうだったが、道路やアスファルトの上は濡れているが積んではいない。
今日は建国記念の日で祭日。故郷の湊町の厄神宮では、毎年恒例の灰振り祭りが行われているはずだが、雪はどうだろうか?
ここの神様は厄除けの神様で、灰を振りかけてもらうと厄を払えて1年中無病息災でいられるというので結構有名。 県内外から参拝客が訪れるのでかなり賑わう。
昔は頭から灰を振りかけていたが、今はおとなしく足元に少し振りかけるだけ。
相賀に居る時は毎年出かけたが、今は墓参りを兼ねて、たまに行くくらい。

 

2月9日(木)

癌化したホクロを取ってもらった浜の町病院に、術後の経過を診てもらうために、2月1日を予約していたのに すっかり忘れていた。
2月1日といえば、ぎっくり腰で近くの成田整形に行った日だ。でも、それで忘れたのではない。何しろ予約したのは昨年の4月 だったのだから。
病院に行ってみたら、予約は取り消されていたが、普通に受け付けてもらえた。
だろうとは思っていたが、手術の後は奇麗で問題ないとのことだった。でも「念のために3年間はたまにでいいから診せに来て下さい」 と言われて、次は12月6日を予約した。
さぁ、今度は忘れないようにしなきゃ。カレンダーに書き込んでおこう。

 

2月7日(火)

腰の痛みはどうにか治ったようだ。まだ完全に元通りとは言えず、多少違和感はあるが、思い切って卓球に行ってみた。
「あれ、原さん、今日は休みじゃなかったの?ぎっくり腰は?」と言う。
「もう治りましたよ。でもどうして知っているの?地獄耳ですね」。
木曜日の東住吉での卓球を休んだので春吉にも伝わったらしい。
「ぎっくり腰は2,3週間かかるというけど、もう治った?」「ハハ若いからね」
多少不安がないでもなかったが、やってみれば何ともない。「よし、これなら大丈夫、完全復活だ」
2時間たっぷりやったが何ともなかった。

 

2月3日(金)

少しずつだが腰がだいぶ楽になった。前かがみになるときや立ち上がるときなど、姿勢を変える時には少し痛みがあるが、 腰が伸びてしまえば歩くことも普通に出来るようになった。
このところ家でじっとしていることが多いので、体がなまってしまわないか心配だ。
この分で行けば、来週月曜日のカラオケは大丈夫。火曜日の卓球には行きたいのだが、果たしてどうだろうか?
今日は天気もいいし、ぼつぼつ外に出てみよう。

 

2月1日(水)

昨夜10時半ごろ、少し前かがみになったところで「ズキーン」と腰に激痛が走った。「あっなんだこりゃ」という感じで、 壁伝いにトイレに行くのがやっとだった。
何だろう、ぎっくり腰かな?と思いながら寝床に入ったが、痛くて1時間おきぐらいに目が覚めて、おかげで今日は睡眠不足。
今朝、近くの整形外科に行って診察をしてもらった。レントゲンの結果骨には異常がないという。 むしろ歳のわりには骨はしっかりしているとの診立てだった。
結局はっきりした原因は分からないまま、「1週間様子を見ましょう。それでも治らなかったらまた来てください」ということで、 湿布薬と痛み止めをもらって帰って来た。やれやれ、いろいろあるねぇ。

 

1月30日(月)

2日ほど前からなんとなく体調がすぐれなかったが、今朝は頭まで痛くなってきた。
風かな?と思ったが、何か違う。血圧を測ってみたら、薬はきちんと飲んでいるのに、急に高くなっている。
原因が分からないだけに気味が悪い。今日はカラオケの日だったが、休んで掛かりつけの脳神経科に行った。
診察の結果「どこも悪くないよ」と言う。「では急に血圧が上がったことや、頭がぼーっとしていることは何でしょうね」
「すべては肩や首筋の凝りが原因だよ、肩こり体操はちゃんとやってる?」」
「やっているんですがね」と言えば「やり方が悪いんだろう、どれどれ」と言いながら、肩こり解消体操の実演指導。
最後に首筋に10か所ぐらい筋肉のコリをほぐす注射をしてもらった。
家に帰り着いた頃には不思議と嘘のように軽くなっていた。

 

1月26日(木)

昨日は筑紫野の友達がやって来たので我が家で飲んだ。
それほど飲みすぎたとは思わなかったが、時間が長かったので、今朝は少し頭の中がどんよりと曇っていた。
こんな時には汗をかくのが一番いい。丁度住吉の卓球の日だったので、しっかり頑張ってきた。
おかげで、今はすっきりさわやか。天気もいいし、実にすがすがしい。

 

1月23日(月)

今朝はこの冬一番の冷え込みとなった。朝起きてみると、むかえのコンビニの屋根の上や、庭木の上にうっすらと雪が積もっている。
ベランダから見えるところはビルが多いので、瓦屋根は見えるところにはない。
外に出てみると、屋根の上や車の天井に雪が残っている。道路やアスファルトの上には解けてないが夜中に結構降ったらしい。
高砂町のテントバナナを買いに行ったら、テントが起きていない。今日は寒いから休みらしい。 かなり高齢の人たちがやっている店だから、こんな寒い日にまで働かなくてもいいということか?。
午後はカラオケで天神へ。天神はいつも元気。

 

1月21日(土)

血圧の薬がなくなったので、かかりつけの病院に行った。
土曜日だから多かろうと思って早めに出かけたら9時10分前に着いた。まだ誰も来ていない。
脳神経外科が専門の個人病院だが、もうこの病院にかかって6年が過ぎた。
10分前なのに着いたらすぐ「原さんどうぞ」とお呼びがかかった。ここの先生は、私より10日ばかり早生まれの同じ歳で、 とても話し好き。
血圧測定はそこそこに、肩こり解消法の実演指導や、耳の腫瘍の話、北海道でのスキーの話や徳洲会病院の話、 更にはトランプの話などなど、いろいろ話してくれるので、雑談の中にも参考になる話がいっぱいある。
結局、血圧測定とそんな話で30分以上が過ぎた。
午後はカラオケ仲間に誘われて、シャンソン教室の発表会に行った。発表会が終われば、話好きのご婦人方に付き合って2時間半。

 

1月20日(金)

清川に引っ越して来て4年が過ぎた。荒戸にいた頃を含めると福岡に出て6年半。
息子に「ちょっと都会すぎるんじゃないの」と心配されたが、天神や博多駅、キャナルシティも近いし、 買い物をする店も、病院もいくらでもあって便利。各種イベントやコンサートなども行こうと思えば毎日でも行ける。
ただ、都会だけに事件や事故、唐津では考えられないような犯罪も多い。 毎日救急車やパトカーのサイレンを聞かない日はないくらい。
マンション暮らしだから、隣近所との人のつながりは希薄だが、公民館活動や、各種サークル、集会などに積極的に足を運べば、 意外と気さくで皆親切だから、その気になれば友達もすぐできる。
故郷への思いや先祖に対する申し訳なさはあるが、今は楽しい。

 

1月18日(水)

住吉神社
今朝は次男がやってきた。数え年41歳は入り厄なので、厄祓いがしたいという。
なんでも24歳の時、厄祓いをしなかったからか、最悪の運の悪さだったとか。
たまたまだったろうが、本人が気にしているので、住吉神社に連れて行って来た。
この神社では、本人の後ろで家族も一緒に祓ってもらえる。
午後からは、相賀の親戚の息子が唐津市会議員選挙に出るというので、励ましに行って来た。
今は現職で2期目だから、まさか落ちることはなかろうと思うが、湊地区から3人は非常に厳しい。特に相賀は地元票だけでは 大幅に足りないから…。

 

1月14日(土)

我が家では毎朝バナナを食べる。いつの日からか、習慣になった。
かなり前のことだが、バナナがダイエットにいいとテレビで放映されて、店頭からバナナが消えたことがあったが、 あの頃からだったろう。
高砂町に八百屋さんの出店(テント)があって、ここのバナナは極端に安い。開店から2時間もすれば段ボール2個のバナナが 売り切れる。
「バナナ買って来て」と言われて、外に出てみれば「寒〜い」。寒いはずだ、小雪がちらついてきた。
今日は大学入試センター試験の日。雪深い所の受験生は大変だろうなァ。
今は昔、長男が受験した時も雪だったように思う。

 

1月12日(木)

昨日は天神の「カラオケ館」で新年歌い初め。2時から5時まででは歌い足りず、7時まで時間延長。それでもまだ続けたさそうだが、 7時からは夜料金で高くなるので、我々年金生活者はここまでで終わり。
今日は東住吉で卓球。まだ正月気分が抜けきれず「明けましておめでとうございます」と丁寧なあいさつを受けて、戸惑うことも。
卓球もカラオケもとても楽しいが、果たしていつまで続けられるやら。

 

1月7日(土)

新年明けて7日が経った。今日は七草粥の日。朝はこれを食べる。
母がいた頃は、どこからか七草のひとつを取って来て、七草ずーしと言って食べた。粥ではなくてずーし、つまりおじやなのだ。
セリ、ナズナ、ゴギョウ、ハコベラ、ホトケノザ、スズナ、スズシロ春の七草。
今はスーパーでセットにして売っている。
でも、判るのは、セリ、ホトケノザ、スズナ、スズシロぐらいで、あとはどれがどれやら判らない。
相賀では7日の夜はホケンギョーの日。鬼火焚きのことで伝統行事になっている。
たぶん今もやっているだろう。

 

1月5日(木)

今日は今年最初の東住吉の卓球の日。風邪は一応治ったようだが、まだ完ぺきとは言い切れない。
卓球に行こうかどうしようか迷ったが、新年初めから休みたくなかったので、思い切って行ってみた。
ソロソロと、休みを入れながらやろうと思っていたが、まだ正月松の内だ。
12名の会員中7名しか来なかったので、なかなか休憩が入れにくい。
結局、休みなしでやることになってしまったが、特に問題なくこなすことができた。
この分なら大丈夫。風邪は退散したらしい。

 

1月4日(水)

天気も良く、それほど寒くもなく、穏やかだった正月3が日も過ぎた。
子供たちも、それぞれの事情に合わせて、帰って行った。
また、夫婦二人だけの静かな生活に戻ったが、忙しい合間を縫って帰ってきてくれる子供たちがいて、 本当によかったと、しみじみ思うようになった。歳のせいかな? 今年は不覚にも、正月というのに風邪をひいてしまった。幸い寝込むほどではなかったが、まだ何だか違和感が残っている。
「俺は風邪は引かない」と豪語していただけに、しまった…という感じ。
これも歳のせいかな?
いつまでも家の中でウジウジしていてもしょうがない、天気はいいし今日は気晴らしに、天神にでも出かけてみよう。

 

1月1日(日)

29日にお寺詣りに行って来たばかりだが、娘が久しぶりに大島と小島のおばちゃん達と会いたいというので、 長男の運転で唐津に行って来た。
相賀のお寺を参ったら、最近の湊は様変わりしているので、厄神さん詣り方々、湊見物に足を延ばしてきた。
大島の姉の家には、先日は寄らなかったので、今日は少しゆっくりしてきた。
子供のころの私は、「姉ちゃん。姉ちゃん」と6歳年上の姉の周りについて回る「ねちゃん子」だった。
その姉も、もう81歳。昨年転んで足を骨折してから、めっきり足腰が弱くなったようだ。
せめて、米寿までは元気でいてほしいと願っている。

 

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