ゆうゆうの雑記帳    

   

   

 
親友でホームページ作成の師匠(唐津市相知町在住) 「今日の@nkou」参照日誌
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2020年
12月29日(火)

 多難だった1年も終わろうとしている。今日は相賀のお寺にお参りに行って来た。 納骨堂で、子供の頃から兄弟のようにして育った筑紫野の友と会った。 納骨堂の中をぐるりと一回りしたら、あちこちに『博多にわかセンペイ』が上げてあった。彼が上げたものだ。
 帰りに大島の姉の所に寄ったら姉は留守で、姪が一人で大掃除をしていた。
姉はディケアに行ってて、義兄は入院していると言う。義兄は80も後半の年齢のはずだが元気だったので安心していた。 やはり寄る年波には勝てないということか。

 

12月25日(金)

 コロナコロナで振り回された長〜い1年が終ろうとしているが、コロナの方は一向に終わりそうにはない。 それどころか福岡も九州も軒並み増加傾向になってきた。
 行動範囲も狭くなって、どこかへ行くことも何かすることも制限されるが、じっとしているわけにもいかないので、 週2回の卓球だけは続けている。
 これとて恐くないわけではないけれど、唯一の運動不足解消になるし第一楽しい。
あと1週間で新年が明けるが、来年はどんな年になることやら。

 

12月17日(木)

我が家はにぎやか花盛り
 我が家はいま花盛りだ。10年越しのトラの尾に3回目の花が咲いた。そのほかに5年目ぐらいのポインセチア、 それに先日買って来たデンマークカクタス、さらに妻が貰って来たシクラメンとにぎやか。
 トラの尾は今年7月に続いて2回咲いた、狂い咲きか?それとも管理がいいからか。 ポインセチアは新しく買いなおさないともう限界か。
 シャコバサボテン(デンマークカクタス、クリスマスカクタスともいう)は毎年咲かせられるので以前から欲しかった。
 コチョウランにも3鉢中2鉢に花芽がついた、4月頃には咲くだろう。1株は100円で買って来た株、どんな花か楽しみ。

 

12月11日(金)

 今週はいそがしかった。月曜日は半年に1回の胸のレントゲン検査(異常なし)で呼吸器科の病院へ、火曜日は卓球、 水曜日は月1回の脳神経科病院に血圧の薬をもらいに行ったついでに血液監査も(結果は来月)、そして昨日は卓球だった。
 今日は久しぶりにキャナルシティ経由で川端商店街に行って来た。
キャナルシティも外国からの観光客がないので閑散としていた。
 川端商店街も人通りは少ない。商店街の中ほどにあった沖縄の店も閉店になったのだろう、 別の店に変わっていて、どこにあったか分からなくなっていた。

 

12月5日(土)

 12月に入って今年も残り少なくなってきた。この時期ぽつぽつと届くのが喪中の便り。 友人本人だったり、兄弟だったり、連れ合いだったり様々だ。
 今年も一人、中学の同級生の他界の報を受けた。彼は同窓会には必ず出席してくれていたので元気だとばかり思っていた。
 ただ一昨年のミニ同窓会には彼は呼ばなかった。比較的近場の者だけのミニ同窓会だったので、 少し遠い北九州の彼には、迷ったけど電話しなかった。
こんなことなら連絡すればよかったと悔やまれる。
 同級生や友達がポツリポツリと欠けてゆく。そんな歳になったと自覚しているが寂しいなァ。

 

11月26日(木)

 プロ野球も史上最低の日本シリーズで幕を閉じた。長年日本シリーズを見てきたが、こんなに一方的なシリーズは初めて見た。 まるでプロ野球と草野球チームとの試合のようだった。ただ単にソフトバンクが強かっただけではあるまい。
 各試合とも2回で「勝負あった」とタオルを投げ込みたくなるような試合ばかり。 これがセリーグの覇者かと思えば、セリーグとパリーグでは実力の差が大きいのではないか。
 人気のセ、実力のパと言われて久しいが、巨人の選手のみならず、セリーグの選手は人気の上にあぐらをかいてるか??。

 

11月24日(火)

 新型コロナ感染者が急拡大して第3波に入ったと言われて数日経つが、幸いなことに福岡は今のところ落ち着いている。
 急拡大しているのはGOTOキャンペーンのせいではなく国民の気のゆるみだと思われるが、 福岡もいつかは東京や大阪のようになるのではないかという気がする。
 公民館の卓球はコロナに負けずに窓を開けて換気をしながらマスク着用で頑張っているが、今日は春吉の卓球の日。
 いつものようにリュックを背負ってさっそうと出かけたが、かなり行ったところでマスクを忘れたことに気が付いた。
これも気のゆるみか? おかげで15分ロスをした。

 

11月20日(金)

 六本松の痛みのクリニックに行って来た。帯状疱疹は殆ど治りかけているのだが、 後遺症が残らないように徹底的に治しておかないと5年も10年も痛みが残ることになるという。
 帯状疱疹は皮膚病ではなく神経の病気で、神経が侵されて痛みが出る病気だそうだ。 そこで、いま痛みのクリニックでもらっている薬は神経痛の薬。
 今は痛みはほとんど感じなくて、たまに違和感がある程度だが、薬を止めると痛み出す可能性があるそうだから、 完全に治るのは発症から早くて3か月、普通は半年かかるという何とも厄介な病気だ。

 

11月13日(金)

 中央市民センターにマイナンバーカード作成に行って来た。
作らないと決めていたカードだが国も市も普及に懸命だし、ただで作成してくれるというので作ることにした。
 ところが本人確認の書類が2つ必要だという。健康保険証は持って行っていたがもう1つはない。
 期限切れの運転免許証ならあるので、「顔写真は変わらないから本人確認はできるじゃないか」と粘ってみたが駄目だった。
 結局、申請書だけは出してきたが、カードができても郵送はできないと言う。 「カードができた」と通知が来たら区役所まで本人確認書類を2通持って受け取りに行くことになった。

 

 
11月7日(土)

 このところ3日続けて病院通いだ。一昨日は平尾の掛かりつけ病院でインフルエンザの予防接種。 昨日は年に一度の脳のMRI検査に浜の町病院へ。今日は六本松の痛みのクリニックで帯状疱疹の後遺症予防。
 気になっていた内耳の腫瘍は去年と同じで全然大きくなっていたかった。 脳の方も委縮や血管が詰まりそうな兆候は見当たらず、安心していいと太鼓判を押してもらった。いい気分。
 帯状疱疹の方は、痛みはかすかで気にはならないが、腹部にできている疱疹は枯れてはいるがなかなか痕が消えない。
「赤い斑点の痕が完全に消えるには半年、痛みがなくなるのも3か月はかかるよ」と言われた。 こっちはうんざり。でも、大した痛みや痒みはないから、まァいいか。

 

11月4日(水)

 今日は次男と相賀に柿ちぎりに行って来た。去年は体調を崩して行けなかった。
 柿は2か所に植えていて、北側の方は柿の木は1本で、3本のビワの木がある所。 ここの柿はあまり期待はしていなかった。案の定カラスにやられて2個しか残っていなかった。 でも、ビワはびっしり花を付けていた。来年は豊作だろう。
 もう一方は柿の木が5本あるが行ってみてびっくり、何と2本は枯れて残りの3本も来年までは持たないだろう。 周りの木や竹やカズラに負けて実は成っていなかった。もうどうしてやることも出来ない。来年の柿はわざわざ来ても無駄だ。
 自分が行けなくなるのが早いと思っていたのに、柿の木の方が先に寿命がきた。

 

11月1日(日)

 早くも11月に入いり秋本番、並木の銀杏やケヤキも色づいてきた。
 電子レンジの調子が悪いというのでビックカメラとベスト電器に見に行って来た。 多くの機種があるが、なかなかこれといった機種が見つからない。どこも同じかもしれないが、 こうなったらヨドバシカメラもヤマダ電機にも行ってみたい。
 先日は次男と海釣り公園に行ってみた。ポイントがわからないままの釣りだから、あまり魚はいないのか釣れるのはバリ子ばかり。 午後からは風が非常に強くなって、桟橋中央に移動させられたが、結局釣れたのはバリ子だけだった。

 

10月27日(火)

 春吉公民館の卓球サークルも会員が半数に減ったが、ここはまだいい方で東住吉は3分の1に減って寂しいかぎり。  それだけに私の帯状疱疹のことを大変心配してくれる。
 今日は春吉に行って来たが「みんなが大丈夫?」と言ってくれる。有難いことだ。
「大丈夫!大丈夫!」とガッツポーズをして、いつもの通り2時間を楽しんできた。
 卓球をした日は、身体も頭もスッキリするし、夜はよく眠れる。

 

10月18日(日)

 マンション管理組合の理事会に出席してきた。今年度初めての理事会で役職は監事になっていた。
 このマンションも築39年、かなりあちこちに修繕が必要なところが出てきている。 今日の議題は、屋上漏水改修工事の概要説明。屋上もあちこちで水漏れがあるらしい。
 これから老朽化とともにますます修繕箇所が多くなりそうだし、そろそろ大規模改修工事が必要になるかも知れない。
私たちの寿命とマンションの寿命とどっちが早いか気になるところ。

 

10月13日(火)

 このところ病院通いが多くなった。昨日は皮膚科、今日は脳神経外科。 脳神経外科は毎月の定期的な通院で薬をもらって来るだけだが、皮膚科は帯状疱疹の治療。
 今月頭頃からヘソの周りに赤い斑点が出てきた。すぐに帯状疱疹だと気づけばよかったんだけど、 他に飲んでいる薬の副作用だろうと思って、その薬を止めて様子を見ていた。
 4,5日経ってヘソから右回りに背中まで赤い斑点が広がってやっと気づいた。
帯状疱疹は発症から72時間が勝負。病院に行くのが遅かった。
 飲み薬を終わって塗り薬を続けているが、痛みが少ないのが救い。

 

10月4日(日)

那珂川沿いを歩ける季節になった
 久しぶりに那珂川沿いを散歩した。晴天の日は陽ざしが暑くて歩けないが今日は曇り空で歩くには絶好の日和だ。 そよ風が心地いい。
 川の土手にはセンダやエノミが子供の頃を懐かしく思い出させてくれる。
 センダの木は我が家の裏に生えていて夏は蝉がうるさいほど鳴いていた。エノミの木は山のあちこちに自生していて 小さな実をつける。かすかに甘いので子供の頃はよく取って食べた。
 川辺には夾竹桃の花が1輪残っていて夏の名残を残し、傍らには花芙蓉がこれから秋を満喫しようとしている。
 今日は鯉は泳いでいない、ボラだけ。潮がここまで逆流しているのかもしれない。

 

9月27日(日)

 マンション管理組合の総会があった。総会と言っても出席者は5名。いつもそうだが役員ばかり。 賃貸者を除いても42名はいるのだが、他は委任状と採決票の提出者ばかり。
 分かっていたから、今までは出席しなかったが、今年から役員の輪番制が始まって、私がトップバッターだという。 部屋番号の若い順というから仕方ない。任期は2年で半数交代制。
 中古マンションを買って7年9ヶ月が過ぎた。築39年、あちこちにガタが来ているので年々修繕費がかさんでいる。
 あと十年もすれば建て替えの話が出てくるかもしれないなァ。

 

9月19日(土)

 スピーカーで何かを呼びかける声がしたので、向えのコンビニを見たら、 駐車した買い物客の車の後ろにぴったりとつけてパトカーが止まった。
3人の警察官が降りて来て前の車の運転手に何事か話しかけていたが、やがて車から若い男女が降りてきた。
 警察官は車の中を捜索し始め、男女は腕を調べられていた。どうやら覚せい剤の取り調べらしい。 食事の時間だったので最後までは見なかったが、このコンビニも我が家の隣のパチンコ店にも、 パトカーがサイレンを鳴らしながら入っていくことがよくある。福岡は便利で快適な生活ができる反面、 犯罪も多い街でもあるのだ。
 10年前までは犯罪とは全く無縁なところに住んでいただけに恐い所でもある。

 

9月13日(日)

 このところ台風も大雨もなく幾分涼しくなって、しのぎやすくて穏やかな日々が続いている。 やっと秋の入り口に来たような感じ。
 朝の散歩は那の川から那珂川に下りて、川沿いの遊歩道を歩いて来た。空はどんよりと曇っているので散歩には好天気。
陽が照ると遮るものがないから、日差しが暑くてとてもじゃないが歩けない。
 昨夜は上流で雨が降ったのか川の水が濁っているし流れも速い。
いつもは大きな鯉が何匹も泳いでいるのだが、今日は見えなかった。

 

9月7日(月)

 今までに経験したことのないほどの超強力と言われた台風が、九州各地に大きな爪痕を残して通り過ぎて行った。
ベランダの植木鉢や、ごみ箱など吹き飛ばされないようにしっかり囲いをし、大事なものは家の中に取り込んで万全を期した。
 電柱が倒れたり電線が切れたりすれば停電になる。そうなれば水道が出なくなるから飲み水はもちろん、トイレも流せなくなる。 これが一番の心配だった。
 風呂にいっぱい水を張り、携帯用のビニール袋2個に飲み水をつめ、やかんやバケツにも水を入れ「さあ来い」と、 台風を待った。
 結果は空振り。でも被災された人たちには申し訳ないが、よかった。

 

9月4日(金)

 コロナのこともあるけれど、暑くて外に出たくない日が続いている。
おまけに一昨日の夜から昨日の朝にかけて強い台風が長崎の西海上を通過したばかりなのに、 また次の台風が同じコースを狙って北上を続けている。
 沖縄や長崎の人には災難だが、今度の台風は超強力でコースによっては九州全域が25m以上の暴風圏内に入る可能性があるという。 福岡だって、ただでは済むまい。
 かっては台風銀座と言われていた九州だが、最近は不思議と少なかった。
でも今年は九州が当たり年かな?。

 

8月29日(土)

 昨日は突然「安倍総理大臣退任」のニュースが流れ騒然とした1日になった。
体調が悪いらしいという噂は流れていたが、「まだまだ頑張る」と言う言葉を信じていただけに大変驚いた。 と同時に非常に残念に思う。
 支持率低下が大々的に報道されていたが、そんなことはどうでもいい。
私的には戦後の総理大臣の中で、吉田茂、鳩山一郎、 両氏に勝るとも劣らぬ外交上の偉業を残された安倍総理だと思っていた。
 アメリカの衰退と中国の台頭、世界の情勢が大きく変わろうとしている最中。今後も安倍総理の手腕に期待していただけに、 辞任のショックはいかにも大きい。
 安倍おろしに躍起となっていた野党や一部の新聞、マスコミ、国益を考えないバカ者ども、嬉しいか?

 

8月25日(火)

 台風接近でフェーン現象が起きるとかで、今日の福岡は37度の予想。この夏1番の暑さになるかも知れないと言っていた。
 最近は、とても日中は歩けないので、ビル陰を求めて朝早めに歩いているが、今日はさらに早く、 食事の後片付けもほったらかして歩きに出かけた。
 朝はさすがに涼しい。清川3丁目から百年橋通りをぐるりと西に回って、白金から北へ向かって城南線通りに出て、 清川へ一回り約50分。
 結構歩いたと思うけど4300歩しか歩いてないなァ。夕方もう少し歩くか。

 

8月21日(金)

 今日は久しぶりに曇り空、猛暑は続いているが日差しがない分散歩がしやすい。
 外に出たら那珂川から吹いてくるそよ風が涼しそうだったので、久しぶりに川べりに下りて歩いてみた。 思ったほど涼しくはなかったが、日が照らない分気持ちがよく歩きやすい。
 途中、西側の川渕を歩きながら川を覗くと50〜60pもあろうかと思われる巨大な鯉が4〜5匹悠々と泳いでいる。 以前にも数回見たことがある。この辺りにはいつもいるのだろう。
 釣り針に麩をつけて投げ込んだら釣りの醍醐味が味わえるかもしれないなァ。

 

8月15日(土)

 今日は終戦記念日、あの忌まわしい戦争が終わって75年経った。当時私は4歳、8月15日の記憶はない。
 ただ、その2〜3日前唐津湾を航行する船をアメリカの飛行機が空襲したのは恐怖の記憶として 強烈に覚えている。私の記憶はこの日から始まったのだ。
 昭和19年7月、この戦争で私は父親を亡くした。出征したのは18年1月だから顔も覚えていない。 同時に伯父も父と同じビルマで、海軍だった叔父はニューギニア沖の海戦で戦死した。私は祖父母と母に育てられた。
 顔も知らない父や伯父たちが戦地から送ってくれた手紙を時々読み返す。

 

8月14日(金)

 昨日は次男の運転で相賀に先祖の納骨堂と初盆参りに行って来た。今年は初盆が12軒と多かったが、 そのうちの5軒をお参りしてきた。
 新型コロナの影響で、どの家も閑散としていたので玄関先で御仏前だけを渡してきたが、 親友の家だけは仏壇に線香を立てて手を合わせてきた。
 座敷では、懐かしい釣り仲間数人が飲んでいて、「座れ、座れ」と勧めてくれた。気持ちの上では一緒に飲みたくてたまらなかったが、 振り切って帰って来た。
「福岡の人間はコロナで敬遠されるからなァ」と苦笑いしながら…。
 夕方は長男一家も我が家にやって来たので、久しぶりに楽しい夕食となった。

 

8月11日(火)

 朝10時前、買い物に外に出たら大粒の雨が土砂降りになってきた。なにもこんな雨の中に出かけなくても、 しばらく待てば小降りになると分かっていたが、この時間に行かないと安いテントのバナナが売り切れるから仕方ない。
 他にも色々と買い物があったので、スーパー2店と100円ショップを回って帰る頃には案の定小降りになった。
 近頃の天気は、晴れたと思えば急に降って来るし、降るかと思えば晴れ上がる。外出に傘をどうするか実に悩ましい。 今は降っていない。
 それにしても、昨日の台風は何事もなくてよかった。

 

8月4日(火)

 春吉公民館の卓球サークルメンバーが久しぶりに集まった。今日は、今後どうするか話し合いだけ。 集まったのは16名中ちょうど半分の8名だった。
 公民館から示された条件は、マスクをすること、台は2台でダブルスはダメ。
ということは、一度には4名までしか出来ないということだ。
 でも、今日集まった8名中1名は退会、3名はしばらく休むということだし、今日来なかった人も体調不良や様子見らしいので 4、5名しか残らず丁度いいのかもしれない。
 結局、お盆も近づいたし、9月からやろうということになった。自分も不安だし様子を見たいけど、カラオケもできない、 卓球もやらないでは何の楽しみもなくなるし、運動不足にもなるからなァ。

 

7月30日(木)

 ようやく梅雨が明ける。平年より10日遅いという。全国各地に豪雨災害をもたらした憎い雨でもあった。
 梅雨明けで天気になるのは結構なことだが、今度は酷暑が待っている。梅雨明け10日ともいう、連日34度以上の予報だ。 一年で一番暑い時期がこの時期で、うだるような暑さが続く。熱中症もコロナもこわい。
 昔はこんなに暑くなかったように思う。小学生の頃、夏休みの宿題には必ず日記を提出しなければならなかったので、 気温を記録していたが、30度を超える日はあまりなかったように記憶している。冬には結構雪も積もった。
 それもこれも地球温暖化の影響だろうが住みにくくなったなァ。

 

7月23日(木)

 東京をはじめ全国的にコロナウイルスの感染が拡大している。福岡も同じく過去最多を更新し続けている。
今日は東住吉の公民館卓球の日。13名いた会員も5名と激減したが、お互いに気をもみながらも楽しんできた。
 午後、長男から電話があった。「息子の三者面談で久留米にいるから帰りに寄っていいか?」と言う。 長男一家とは正月以来会っていないが、立ち寄っていいかどうか気を使っているのだ。
 「気にはなるけど、来ていいよ」と言ったら、夕飯のおかずや土産を持って3人でやってきた。久しぶりに楽しい夕食となった。

 

7月17日(金)

 しばらく梅雨空のぐずついた天気が続いていたが、今日は久しぶりに晴れ上がった。 朝の涼しいうちにと散歩に出たら街路樹の蝉がうるさく鳴いていた。
アスファルトやコンクリートで固めて、土のあまりない都会の真ん中でどうして育って地上に出てきたのか不思議だ。
 相賀にいた頃は遠くの山で泣いていたが、家の近くではあまり鳴かなくなった。
子供の頃は裏に大きなセンダの木があって、そこでうるさいほど鳴いていた。
竹竿の先にトリモチを塗り付けて蝉を取っては標本にしていた。
 今考えてみれば、蝉の一生はとても短いのにかわいそうなことをしていたもんだ。

 

7月13日(月)

4年ぶりに咲いたトラの尾の花
 10年前、相賀から福岡に転居したとき、園芸店でトラの尾の差し穂を二本買って植えていたが、今は見事な株に成長している。
そのトラの尾に久しぶりに花が咲いた。確か前にも咲いたことがあったなァと思って調べてみたら4年前に咲いていた。
 花はそれほど奇麗ではないが、トラの尾に花が咲くこと自体が珍しい。4〜5年に1回咲くということか。 それとも管理次第では毎年咲くのだろうか?。
 花をつけにくい植物は、あまりかわいがり過ぎて水やりを多くすると花芽ができにくい。できるだけ水やりを控えて、 いじめて育てた方が花をつける。
 我が家のトラの尾は月に1回しか水はやらないし、肥料は一切やらない。

 

7月7日(火)

 昨日から強くなったり弱くなったりしながら、休みなく雨が降り続いている。
熊本豪雨から始まって九州全域が豪雨災害に見舞われている。
 福岡市は大雨は降っているが幸いに豪雨と言うほどではなく、我が家はマンションの3階だから、まずは大丈夫だろう。 150mほど近くに那珂川が流れているが、よほどのことがない限り、この川が氾濫して我が家迄迫ってくることはなかろう。
 仮に氾濫したとしてもマンションの3階まで浸水することは考えにくい。最近は想定外の雨が降っているから、 絶対とは言えないが。
 何かと災害の多い日本列島、被災地の皆さんには申し訳ないような気がする。

 

7月2日(木)

 コロナ感染状況が落ち着いてきているので、6月から各地の公民館でサークル活動が再開されている。 4か月振りに東住吉公民館の卓球に出かけた。
 集まったのはわずか5人。会員は13名だから激減だ。
 はっきり止めると意思表示した人が5人。体調不良が2人。残りの1人はなぜ来なかったか分からないが、多分止めるのだろう。
止めた5人のうち4人は80歳以上だから、やむを得ないところ。
 5人中、1人交代で休んで、4人でダブルス。適度な疲労感が心地よかった。

 

6月29日(月)

 先日、肺に水が溜まっていると言われていたので、その時紹介された呼吸器内科に行って来た。
 レントゲン写真を撮ってもらって診察室に入ったら「どこか具合が悪いですか?」と聞かれたので「いいえなんともありません」 と答えたら、ニッコリ笑って「そうでしょうね。水は溜まっていませんよ。7年前の写真と全く同じです。」と言う。
 じつは、この病院は7年前に風邪をひいて一度受信したことがあって、レントゲン写真も撮ってもらっていたのだ。
 「昔、肋膜に水がたまったことがあったでしょう、その時の影響で肺が少し変形しているんですよ。全然問題ありません」
 結局、肺の変形を水が溜まっていると見誤ったのだ。もしかしたら昨年1月のも見間違いだったのかも? 

 

6月22日(月)

 脳神経外科にいつもの血圧の薬をもらいに行った。看護師に血圧を測ってもらったら120の69で全く正常。
 更に「最近血液検査を受けたことはありますか?」と言う。そういえば昨年の11月に浜の町病院で「貧血気味」と言われて、 以来1日分の鉄分と野菜が摂れるジュースを毎日飲んでいたので結果を知りたかったから、検査を受けた。
 また、昨年1月「肺に若干の水が溜まっている」と言われて治療してもらったことがある。 11月の検査では異常はなかったが「定期的に検査をしたがいいよ」と言われていたので、レントゲンも撮ってもらった。
 結果、貧血状態は解消されていたが、肺には若干の水が溜まっていた。溜まりやすい体質なのかなァ。

 

6月17日(水)

 毎年、年末に相賀でもらってくる米60sが無くなったのでスーパーまで買いに行って来た。
 やはり自分は佐賀県人だと思うのは、つい佐賀産の「ひのひかり」に目が向いてしまう。 でも今日は5s入りが無い。10sはあったがいくら何でも10sは重くて持って帰れない。
 やむを得ず大分産ひのひかりを買ったが、産地はどこだろうと味に大差はない。 大分の棚田で生産された米らしいので、むしろこっちの方がおいしいのかもしれない。  それにしてもリュックで背負った5sも重くなったァ。

 

6月10日(水)

 昨日は息子と姪浜に魚釣りに行って来た。以前下見をしていたので「あまり釣れそうな場所じゃないな」と思っていた。
 福岡での釣りは初めてだし、海の底がどうなっているか?砂浜か、磯か?で釣れる魚の種類が違うので、 釣り方も全然違ってくる。
 鉛をつけて底を探ってみたが何もひっかる物がない。砂浜だ。これじゃ釣れないなと直感した。 周りを見渡しても、誰も釣れている様子はない。海底に石も藻もないので魚が住める環境じゃないのだ。
 案の定1匹も釣れなかった。たとえ釣りの名人でも、居ない魚は釣れない。
プールに釣り糸を垂らしているようなもんだ。
 それにしてもまだ6月というのに季節外れの暑さには参った。熱中症が怖い。

 

6月4日(木)

 先日雨で引き返してきた相賀のビワちぎりに再度挑戦した。
 今日は天気は上々、道なき道を草を刈り、竹を切り倒してやっとのことで現場に着いてガックリ。 ほんの少ししか成っていないのだ。
 周りの雑木や竹が覆いかぶさり、日当たりが悪くなって、ビワの木がしけてしまっている。 無理もない、ほったらかしだもんなァ。
 もう、周りの雑木や竹を切り払う体力もないし、ほっとくしか仕方ないか。
 高ばさみが届く範囲のビワを取り切ったが、二三日食べる分だけがやっとだった。

 

6月1日(月)

 早いのか遅いのか、福岡に出て来て今日で丁度10年になる。
 今日は相賀にビワちぎりに行く予定で息子に休暇を取ってもらっていたので9時に我が家を出発した。 ところが糸島市に入った頃から雨が降り出した。
 相賀はどうだろうと友達に電話を入れたら、それほどひどくはないが降っていて「山に入ればびしょ濡れになるよ」と言う。
 仕方なく前原から引き返して来たら、福岡市内は降ってない。午後は薄日が差すほどの天気になった。

 

5月24日(日)

金婚祝いに参加した家族全員
 今日は子供たちが金婚祝いをしてくれた。
 料理は京懐石で早良区の「松幸」から持ち帰りではなく配達してくれたし、 お膳も貸してくれた。
 段取りも、準備も後片付けも次男がやってくれたし、金は長男が出して、娘は大きな花束を送ってくれた。
 長男一家と娘はパソコン映像で参加。3っつの画面で7人が思い思いにしゃべって食べて、40分無料を2回。 初めての趣向で楽しかった。
 けど、ちょっと疲れたかな?

 

5月21日(木)

 50回目の結婚記念日は過ぎ、子供たちから盛大に祝ってもらうつもりだった金婚祝いも、このご時世ではままならなくなった。
 そこで、長男の提案で高級料理の持ち帰りを利用して我が家でお祝いをしようということになった。
 長男一家と娘は直接参加できないので、パソコンの映像で参加するということで、段取りかれこれは次男が準備してくれている。
 娘と、学校が休みの高校生の孫と三人でパソコンでつなげる試運転をやってみた。
ばっちりできた。これで準備OK。あとは24日の本番が楽しみ。

 

5月14日(木)

 世の中、明けても暮れても新型コロナ一色だが、福岡県は緊急事態宣言が解除されることになった。 ちょっと早いような気もするが、経済のことを心配しての苦肉の策だろう。
 ただでさえ福岡県人は大阪や東京に比べて危機感が薄いような気がしているのに、 ここで解除されれば一気に気が緩んでしまうのではないか心配だ。
 休業要請は徐々に解除しても、緊急事態宣言はまだ残しておいてもよかったのではないか。2週間後が気になる。

 

5月8日(金)

 最近は毎日コロナコロナで騒々しい、サーズやインフルエンザに比べて騒ぎ過ぎのようにも思えるが、 それもこれも治療薬やワクチンがないからだろう。
 しばらくは終息の見込みはなさそうだが、これほど世界中を巻き込んでの大騒動は、何か意図的なものが感じられる。
 おそらく世界の仕組みも、人々の生活も様変わりすると思われるが、それを狙った一握りの人間が巻き起こした大騒動に マスコミがうまく乗せられてしまったのではないかと思えるような異常な騒ぎようだ。  これって、ゲスの勘繰り?

 

5月2日(土)

 最近は2週間とか1か月とかが長く感じるようになった。コロナによる緊急事態宣言も延期されることになったが、 当然と言えば当然だろう。
 ただ、今日は私たち夫婦にとっては特別な日、結婚50周年記念日なのだ。良くここまで50年ももったと思う。 どこかに出かけて盛大にお祝いしたいところだが、今は何もできない。
 例年なら、西日本新聞社の金婚記念夫婦を集めたお祝いの式典が開かれるのだが、今年はどうなることやら。

 

4月26日(日)

那珂川沿いに整備された遊歩道
 暑くもなく寒くもなく、外出にはもってこいの天気だが遠出はできない。 百年橋の袂から那珂川沿いに遊歩道が整備されているので、運動を兼ねて散歩に出かけた。
 この辺りでは時々大きなコイが泳いでいるのを見かけるが、今日は川の流れが急で少し水が濁っていて何も見えない。
 少し下流の柳橋付近では、満潮時には潮水が上がってくるので、ボラが泳いでいることもある。
 大きなコイを見かけると、おそらく外来種だろうが、釣り糸を垂らしたくなるなァ。

 

4月18日(土)

インパチェンス
 今日は79回目の誕生日、80に今一歩というところまで来た。
 新型コロナで緊急事態宣言下にあって旅行はおろか御馳走を食べに行くことさえままならないご時世だし、 何とも面白くない時に誕生日を迎えたものだ。
 それでも妻がケーキと刺身を買ってきて、手料理を作ってくれたので一杯やって、腹ごなしに美野島まで行って花を買って来た。
 ニューギニヤ原産のインパチェンス。熱帯原産だから寒さには弱いが、うまく育てれば来年も咲くという。必ず咲かそう。
 昨年の誕生日に娘が送ってくれた胡蝶蘭も今蕾がついている。5月には咲きそう。

 

4月16日(木)

 すでに4月も半ばを過ぎた。各地で花が咲きほこる絶好の行楽シーズンだが、緊急事態宣言下だから、 遠出をするわけにはいかない。せいぜい散歩で近くの小さな公園巡りをする毎日だ。
 朝はぐるりと遠回りをしながら買い物をして、3〜4000歩く。これだけでは足りないから、 午後は高宮の「一本木公園」に行ってみた。
 ここは児童公園を兼ねているので、10名程度の子供たちがにぎやかに遊んでいる。 幼児が多いので親たちも付いてきて遊ばせていた。
 空いたベンチで10分程休んで帰ったが、これで朝から通算6800歩になった。

 

4月10日(金)

 新型コロナウイルスの感染拡大が依然として続いている。
緊急事態宣言が出されて3日目、福岡県も対象地域になっているが、福岡はまだまだ意識が低いように思われる。
 テレビでは天神や博多駅周辺の人通りが減った減ったと言っているが、東京や大阪の繁華街の映像に比べればまだ多い。
 それにマスクをしていない人の数が多いこと。手に入らない人もあるかもしれないが、意識の低さを反映しているのではないか。
 毎日少しずつ散歩をしているが、昨日の午後清川3丁目から2丁目迄約500メートルぐらいで見かけた人の3分の1はしていなかった。

 

4月4日(土)

 新型コロナウイルスの拡大が続いている。福岡は比較的のんびりしていたが、ここにきて急速に感染者が増えている。
 天神などの繁華街を見て、結構人が歩いていたので危機感が薄いのではないかと以前から思っていたが、 思った通りになってきた。
 気候はいいし、天気もいいし、桜は満開だし、浮かれ出したい気分はよく分かるが、ここは我慢のしどころだ。
 いつまで我慢すればいいのか先の見通しは分からないが、うつらないことが、うつさないことになると自分に言い聞かせて、 慎重に行動するしかない。

 

3月28日(土)

 昨日の夕食時に奥歯がポロリと折れて落ちた。おそらく数十年前になると思うけど、虫歯の治療をしてかぶせていた歯だ。
 また歯医者に行かなければならない。コロナウイルスで大騒ぎしている時期だから、歯医者にはあまり行きたくないが仕方がない、 朝一番に出かけた。
 奥歯を持って行って「くっつけてもらえると聞いたのですが・・・」と言うと 「根がしっかりしていて歯が欠けていなければくっつけられるので、まずはレントゲンを撮りましょう」と言う。
 結局、くっつけてもらえたので、夕べからの憂鬱な気分が吹っ飛んだ。

 

3月26日(木)

 小雨の降る中を久しぶりに天神に行って来た。人混みの多い博多駅や天神にはなるべく行かないようにしているが、 どうしても買いたい物があったからだ。
 人通りの多い道は避けて裏通りを歩いて行ったが、メイン通りは相変わらず多くの人が行き来していたし、 見た目にはいつもとあまり変わらないように見えた。
 100円ショップもいつもと同じ、レジには長蛇の列ができていた。不要不急の外出自粛は浸透していないようだ。
 帰りに中央公園の桜を見に行ったが、こちらはまだ2分咲きぐらいで、雨も降っていたし、人はまばらだった。

 

3月20日(金)

 相賀に彼岸参りに行って来た。今年は新型コロナウイルスで大騒ぎ中だから、 お寺と納骨堂だけをお参りして親戚の家には行かなかった。
 こんな時だから、みんな外出は控えているかと思っていたらさにあらず、唐津迄道路はかなり混んでいた。 車での移動は他人との接触はないし、3連休の初日で快晴とあっては家にこもってはいられなかったのだろう。
 帰りは大島の姉の家と、妻のお姉さんの家に寄って、顔見せだけはしてきた。
 おさかな市場に立ち寄ったが、前の広場のフリーマーケットは大賑わい、市場の中の買い物客もいつもと変わりない。 この辺では経済へのしわ寄せは比較的少ないようだ。

 

3月15日(日)

 新型コロナウイルスが世界中に広がって、一部ではパニック状態に陥っているようだ。アメリカもついに非常事態宣言を出した。 比較的楽観論が多かったトランプ大統領も、側近に陽性者が出てお尻に火が付いたようだ。
 日本では今のところ非常事態宣言までは出さないようだが、いつ出てもおかしくない状況になってきている。
 相変わらず、店にはマスクや消毒液はない。トイレットペーパーはやっと少しだが出回ってきた。
 隣のパチンコ店前の広場は、開店待ちの大勢の客でごった返していた。並ぶのはいつもの光景だが今日は特に多い。 ライブやコンサート、催しやイベントの中止で行き場をなくした若者がパチンコに押し掛けたのか?これで大丈夫かな??。

 

3月10日(火)

 2週間休んでいた歯の治療を再開した。こんな時期だから早く終わりたいのだが、なかなか終わらない。
 歯科は白金にあって薬院の近くだが、まっすぐ家に帰らずに平尾まで遠回りしてウオーキングの距離を伸ばして帰った。
 それでも4000歩で、まだまだ足りない。午後からは住吉から美野島を回ってやっと8000歩。こんなところか。
 美野島のカラオケ喫茶の前を通ったら営業中の札が下がっていた。今は客も少なくて歌い放題だろうが、ぐっと我慢して素通り。

 

3月5日(木)

 世の中、コロナウイルスで喧々諤々大騒ぎだが、ついに市内の全公民館も一般の利用は20日まで禁止となった。 これで卓球もカラオケもできなくなって、楽しみが奪われてしまった。
 政府の方針に沿った措置だからやむを得ないが、退屈きわまりない。
カラオケボックスやカラオケ喫茶はできないことはないが、密室性は否定できないし、しばらくは我慢した方が無難だろう。
 とはいえ、家にこもりっきりでは体がなまってしまうし、ストレスもたまる。
味気ないが、午前と午後2回のウオーキングに精を出すことにした。

 

3月2日(月)

 朝一番に平尾の脳神経外科に薬をもらいに行って、午後からは先日作った確定申告書を持って天神の福岡税務署に行って来た。
 コロナウイルスが心配されるので、天神の人混みは避けて行くはずだったが、途中博多大丸にポイントを入れに寄った。
 福岡市は感染者が2人から増えないからか、危機感も薄いようで結構人通りが多い。それでもできるだけ人の少ない道を選んで歩いて 税務署迄40分かかった。
 帰りにはアクロスの中を通って来たが、さすがにここはガランとしていた。中央公園も人影はまばら。
ベンチで日光浴をしながら一休みして帰ったら11,500歩あまり歩いていた。

 

2月27日(木)

 国税庁のホームページから確定申告書を作った。わずか6,500円余りだが年金から引かれた税金の一部が還付される。 近いうちに税務署に持って行くつもりだが、添付書類の貼付欄に源泉徴収票の記載がない。
 退職以来20年、毎年作成しているが、今までは一番最初に記載してあった。 念のために税務署に電話してみたら「今年からいらなくなりました」と言う。
 便利な世の中になったものだが、貼付しなくてもいいということは年金収入は分かるということ、 何もかもすべて国に把握されているということだ。
 国だから悪用されることは無いだろうが、怖いなとも思う。

 

2月22日(土)

 新型コロナウイルスで世の中大騒ぎだが、ついに九州にも上陸、福岡は時間の問題と思っていたが、やっぱりという感じ。
 中央区というからすぐ目と鼻の先だ。そりゃそうだろう天神、博多駅、キャナルシティなど人がうようよいるし、 このあたりが発生源だろう。
 不要不急の外出は控えるようにとのお達しだが、我々の外出はすべて不要不急と言えば言える。 これを控えてしまったら運動不足になっちゃうよ。
 慌てず騒がず冷静に恐れて対処すべきだろう。

 

2月16日(日)

 長男のふるさと納税で返礼品が我が家にも届くようにしてくれている。
昨年12月から1年間毎月届く。 相当の高額納税者なのだろう。
 マグロの刺身やカツオのたたき、黒毛和牛の牛肉、豚しゃぶ肉など、毎月変わったものが届くのでとても楽しみだし有難い。
 先日注文していたオンキョーの補聴器も届いた。20万円や40万円するものも体験したが、ほとんど変わりなく、 あまり効果がなかった。
ならば安物でもいいのではないかと思って注文した。
 以前体験した高額なものと、それほど変わらないような気がする。
慣れるまで2,3か月かかるらしいので、気長に使用してみよう。

 

2月10日(月)

 最近、奥歯がしみるようになったので、3年ぐらい前にかかったことのある歯医者に行って来た。 歯は比較的丈夫な方なので滅多に行かない。
 「どの歯がしみますか?」
 「この前と同じ左上の奥から2番目のような気がしますが…」
 「そこはもう神経を取ってあるので、しみないはずですが…」
 「そうですね、それじゃ一番奥かな?」
自分でも、どの歯がしみてるかは、はっきりしないのだ。
 結局一番奥の歯の神経を取ってもらうことにしたが、かなり痛い。
「炎症がひどくて麻酔が効きにくいのですよ」 次の患者が待っているから中断。
また後日ということで痛み止め薬をもらって帰って来た。

 

2月5日(水)

 3か月前に予約していた浜の町病院に行って来た。脳神経外科の受付デスクの前に、『ここは高度な医療行為をする病院だから、 軽い症状の患者さんは近くの掛かりつけ病院を紹介します』と書いてあるのが前から気になっていた。
 「近くで掛かりつけにいいような病院を見つけたから今後はそこに行きます」と言ったら、あっさりOKとなった。
 「年に一度の脳のMRI検査だけは、今までの流れもあるのでここでやってください」と、11月の予約をしてもらって帰って来た。

 

1月29日(水)

 アクロスにオーケストラとサーカスが合体した珍しいコンサートを観に行った。
 『シルク・ドゥラ・シンフォニー』と言って、アメリカ発の「コンサートホールにサーカスを」持ち込んだ、 フルオーケストラとの共演だけを行う世界唯一のパフォーマンスグループだそうだ。
 曲目はお馴染みの「美しく青きドナウ」「白鳥の湖」「眠れる森の美女」などのクラシック音楽。 それに合わせて、エアリアル、フラフープ、ジャグリング、怪力男やピエロなど7名が躍動する。
 メンバーには元オリンピック選手や世界選手権の金メダリストもいるという。
笑いと緊張とスリルとオーケストラが楽しめた2時間だった。

 

1月24日(金)

 真冬とは思えないような温かい毎日が続いている。今が一番寒い時期なのに昨日は18℃と4月並みの気温だった。
 卓球の日だったので、外に出たらモヤがかかっていた。急に気温が上がったので那珂川から水蒸気が舞い上がっていたのだ。
 今日も暖かい。朝から部屋の中は18℃もある。暖冬は有難いがこれも異常気象だろう。
 オーストラリアでは火災で北海道より広い面積が焼失してまだ燃えているという。 逃げ惑う動物たちもかわいそうだが、このままでは地球の生態系も壊れてしまう。

 

1月18日(土)

 このところ卓球やカラオケ以外特別なこともなく平凡な毎日が続いているが、今日は春吉カラオケサークルの新年会に行って来た。
 今回の会場は薬院のジャンボカラオケ、通称ジャンカラだ。ジャンカラは市内各地にあるが薬院店は知らなかった。 天神より近場で今後も利用できそうだ。
 早く来たものから歌いながら12時に宴会開始。フリータイムは19時まで歌い放題だが17時で引き揚げた。 15名と人数が多いから歌はあまり歌ってないが、これ以上長居したら気分が悪くなりそうな気がしたからだ。
 部屋暖房は入ってないが狭くてムンムンと暑い。年寄集団だから冷房を入れるわけにはいかないし、それに加えて音量が大き過ぎる。 暑さと大音響は苦手なのだ。

 

1月11日(土)

 正月以来平年より暖かい日々が続いているので過ごしやすい。今日は春吉公民館のカラオケに行って来た。
 昨日は天神でカラオケ三昧、その前木曜日と火曜日は卓球と、遊びに忙しい毎日が戻ってきた。
 それはそれでいいのだが、またぞろインフルエンザが流行っているらしいから気を付けなければ。 予防注射をしていてもかかったそうだから型が違う種類かも…。

 

1月4日(土)

 正月3が日も終わり、年末から年始にかけてパラパラと帰って来た子供たちもパラパラと帰って行って、 また夫婦2人りだけの生活に戻った。
 昨日は娘と天神に出かけたが、さすがにここと博多駅は人が多かった。歩きながら娘が「お父さんまっすぐ歩いてないよ」と言う。 だろうなァ、体も足も重いし、耳の腫瘍のせいか平衡感覚もおかしいはずだから、気を付けて慎重に歩かなくちゃァ。
 今日からは街も始動し始めるはずだが、土曜日とあってまだ正月休みが終わっていない。 車はいつものように多く走っているけど、本格始動は月曜日からか。

 

1月1日(水)

 令和になって初めての正月、令和2年元旦は青空が晴れわたって雲一つない素晴らしいスタートとなった。 今年は災害のない平穏な年になってほしいものだ。
 妻と二人穏やかで静かな元日を迎えたが、間もなく宝塚に住む娘がやって来るし、福重の次男は明日やって来る。
 長男一家はイタリア旅行中で、飛行機の時間の関係で先日我が家から出発した。 今頃はヴェネチュアで年を越したところだろう。
 子供たちはバラバラで、正月といえども我が家に全員がそろうことはなくなったが、それも時代の成り行き。 今年は私も昔流にいえば傘寿か?
 いやいや傘寿は来年迎えることにしよう。

 

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