ゆうゆうの雑記帳    

   

   

 
親友でホームページ作成の師匠(唐津市相知町在住) 「今日の@nkou」参照日誌
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2019年
12月27日(金)

 24日から孫が来ていて、今朝帰って行った。久留米の塾に通うのに我が家から通った方が便利だからということだが、 時には孫と一緒に過ごす時間をつくってやろうという息子の配慮だろう。
 その息子がくれた吉野家の株主優待券で夕べは孫と牛鍋を食べに行った。しとしとと雨が降る中だったが、 こういうひと時も楽しい。
 今年もいよいよ残り少なくなった、そろそろ正月の準備をしなければ。

 

12月23日(月)

 久しぶりに快晴の青空が広がった。でも最近は病院通いが多くなった。平尾ごう脳神経外科、どこかで聞いたような名前だが、 大神病院が閉院になったので、新しく見つけた病院だ。
 浜の町病院を紹介してもらって通っていたが、1か月が2か月になり、ついには3か月分の薬を出すようになった。 ああいう大病院では「軽い患者はほかの病院に行ってくれ」ということだろう。
 平尾ごう病院でも同じような扱いだが、それだけ症状が軽いから心配ないということだろうと思うことにしている。

 

12月19日(木)

 唐津の同級生から先日のミニ同窓会の写真が届いた。相変わらず写真写りは下手だが記念写真としては上等、 友達に感謝。
 午前中は卓球をして午後からは久しぶりに美野島のカラオケ喫茶に歌いに行った。 お客が少なかったので、10曲以上歌うことができた。今年はこれで歌い納めかな?
 百年橋通りは銀杏並木が続いている。今落葉の真っ盛り、喫茶店の前辺りは銀杏の葉で黄色いジュウタンのようだ。 奇麗だが掃除は大変だろうなァ。

 

12月12日(木)

 先週はギックリ腰で行けなかった東住吉の卓球に行って来た。朝から何となく頭が重かったが、 こんな時には卓球をすると不思議とスッキリする。
 午後からは不用品を処分するために、買い取り業者に来てもらことにしていたので急いで帰った。 買い取ってほしい品物は10点ばかりあったが、査定してもらったら、何とコタツなど6点まとめてわずか1500円。 しかも一番買い取ってほしいソファーベッドなど4点は引き取れないという。
 何とも馬鹿にしたような話ではないか。読みが甘かった。即刻帰ってもらった。

 

12月5日(木)

 昨日は久しぶりに気分も晴れ晴れとして、ルンルン気分でカラオケに行って遅くまで唄ってきた。 しかし、風呂に入るために箪笥の引き出しから着替えを出した途端、腰がギクリとして歩けなくなってしまった。
 しまった、例のギックリ腰がまた出てしまった。どうも癖になってしまったらしい。これで4回目かな5回目かな?
 昨夜は痛くて寝返りもままならず睡眠不足だが、今朝は幾らか楽になった。 それでも病院に行こうと思ってタクシーを拾おうと外に出たら意外と軽く歩ける。
 これなら病院まで歩いてでも行けそうだが、それなら病院に行くまでもなかろうと戻った。 まだ痛みは残っているけど、2,3日おとなしくしていれば治りそうだ。

 

12月1日(日)

 今日から12月、だが今日は比較的暖かい。曇りのち雨の予報だが9時現在は晴れわたっているので日光浴に出かけた。 冬場は家に閉じこもりがちになるが、日光浴は大切だ。
 我が家から南に向かえば百年橋通りに出る。清川通りはここまで。ここから日赤通りに出て北へ向かえば渡辺通1丁目、 ここから住吉通りに折れて清川1丁目。
ここから清川通りを約500メートル南に歩けば我が家に着く。
 これで清川1丁目から3丁目まで西半分を回ったことになる。この次はあまり歩くことのない東半分を回ろう。

 

11月26日(火)

ヴァチカン・サンピエトロ広場
 ローマ・カトリック教会の頂点に立つフランシスコ教皇が被爆地長崎と広島を訪れ「核なき世界は実現可能」だと 平和への想いを強く訴えた。また、「核は悪魔、安全保障の脅威から守ってくれるものではない」とも……。
 アメリカの核の傘を信じてノホホントしている日本人にとっては耳の痛い話だが、その通りだ。
 ローマ教皇については、イタリア旅行でヴァチカンを訪れたとき、 サンピエトロ寺院前で丁度教皇のスピーチがあっていたのを思い出した。
人が多くて実物は良く見えなかったが、モニター画面に大きく映し出されていた教皇の姿は気品にあふれていた。

 

11月23日(土)

 最近は気温の上下が激しく、朝晩の気温差も大きいので体調管理が大変で、何となくすっきりしない毎日が続いている。
 浜の町病院で、脳も、耳の腫瘍も、胸のレントゲン検査結果も太鼓判を押してもらって喜んだのもつかの間、 ふらつきが出たり、風邪をひいたりしているさなかに、同窓会と葬式で2度も唐津に行ったりで、 相賀の柿ちぎりには行けなかった。
 今から行ってもカラスが食ってしまっているだろう。今年はあきらめた。

 

11月16日(土)

 昨日は相賀の幼馴染であり親友でもあった同級生と最後の別れをしてきた。
 つらかったけど、涙ながらに弔辞も読んだ。弔辞は彼の奥さんから頼まれていたけど、 頼まれなくても何かは言わせてもらうつもりだった。
 今までの感謝の言葉と胸の思いを彼に伝えたかったから、弔辞としては型破りだったろうが、今までと同じ相賀の言葉で 一言一言かみしめるように、語り掛けるように、別れの言葉を伝えてきた。
 あまりにも突然で何の前触れもないあっけない死に、信じたくないけど、つらいけど、何ともむなしいけど、 今となっては彼の冥福を祈るしかない。

 

11月13日(水)

 昨日は、福岡・唐津近郊にいる者だけの中学時代のミニ同窓会に出席してきた。
 ところが、家を出る前にとんでもない訃報が飛び込んできた。その同窓会に出席予定だった友人が亡くなったというのだ。 その友人は、ピンピン元気だったし、私にとっては親友中の親友だったので一瞬耳を疑った。
 船を持っていて、いつも魚釣りに連れて行ってくれたし、何かにつけてとてもよくしてくれた友達だった。 我が家にも何回か魚を持って「飲もう」と来てくれたし、相賀に帰ったときは、必ず彼の家に寄るようにしていた。
 昨日の朝まで同窓会に出席する気でいたらしいが、急に胸が痛いと言って倒れたそうで、 救急隊員も必死で心臓マッサージをしてくれたらしいが、病院に着く前にこと切れたらしい。
 同窓会は予定通り行って、最後に皆に報告した。 ショック! とてもつらい。

 

11月7日(木)

 昨日は浜の町病院に行って年1回の脳のMRI検査を受けてきた。
「耳の腫瘍は昨年から全然大きくなっていないから心配ない。脳にも変な病気の兆候は全く見られないから大丈夫」と言われた。
 ついでに撮ってもらった肺のレントゲンも何も異常は見られないということだった。これでやれやれ一安心。
 …と喜んでいたら夕方から急に喉がいがらっぽくなった。どうやら風邪を引き出したようだ。 今日は朝から近くの病院に行って薬をもらってきた。インフルエンザではないというけど、しばらくはおとなしくしとこう。

 

10月31日(木)

 ここ数日、例の頭がふらふらして、どんより曇ったような症状が出ていたが、今日はほぼ治りつつある。
 もう慣れっこになってきたが、久しく出ていなかったし、今回は少し長引いたので病院に行こうか行くまいか迷った。
 でも、1週間後に浜の町病院にMRI検査や血液検査、胸のレントゲン検査などの予約が入れてあるし、 今回は壁や天井が回るほどではないので我慢していた。
前にもらった薬がまだ残っているし、たぶん明日には元通りに戻るだろう。

 

10月25日(金)

 福岡の街はソフトバンク日本一で沸き返っている。でも、あれって日本一と言えるのかなァ?
 地元は優勝セールで盛り上がっているし、経済効果も大きいだろうから、それはそれでいいし、 何も水を差す気はないのだが…。
 日本一は、あくまで両リーグの覇者が争って雌雄を決するべきではないのかなァ。2年続けて下克上、それでいいのかなァ。
 どうしても何かそれらしいものをやりたいのなら、日本シリーズとは別に、両リーグ12球団でトーナメント戦をやるか、 もしくは、セパそれぞれ上位3チームが出場してリーグ戦でもやればいいのじゃないかなァ。

 

10月20日(日)

 ミニ同窓会と言うか、福岡と唐津に居る者で11月に唐津でランチでも食べながらワイワイやろうと、 中学時代の同級生からお誘いがかかっている。
 我が家から歩いて5分ぐらいの所にも同級の女性が嫁いできているので、誘いに行ったら、マンションの管理人をやっていて、 どうしても都合がつかないと残念がっていた。
 「この歳まで元気で働けるなんていいことだよ、頑張って」と言ってきた。久しぶりに何人集まるか楽しみ。
 昼は「ランチをごちそうするから博多駅まで出てこんね」と長男が言うから、 今まで食べたことのないフランス料理をごちそうになってきた。倖せ。

 

10月14日(月)

 中部から関東、東北まで広い範囲で強烈な爪痕を残して行った台風19号の被害が判明にするに従ってまだまだ広がっている日本列島。 被災地の皆さんには申し訳ないが、今回は台風銀座の九州は難を逃れた。
 福岡は雲一つない快晴、さわやかな秋晴れにウオーキングを兼ねて日光浴に行って来た。 紫外線が嫌われがちだが、1日15分程度の日光浴は大切で、手のひらを太陽に向けるだけでも十分だそうだ。
 相賀にいたときは家庭菜園で日光浴は十分だったが、ビルの谷間での生活では不足しているので、 意識して補わなければ…。

 

10月10日(木)

 先ほど卓球から帰ってきたが、雲一つない快晴が続いている。でも、南の海では大型で猛烈な台風19号が近づいているという。 千葉県では甚大な被害が出たばかりなのに、今度もまた関東方面に向かいそうで気の毒だ。
 台風といえば南九州通過が多く、鹿児島、宮崎は台風銀座と言われていた。
が、最近はそうとばかりも言えない。 関東や関西方面に行くのも結構多くなったし、九州の北側コースも多くなり先日は対馬海峡や朝鮮半島を通過した。
 地球温暖化とともに台風のコースにも変化が見られ、威力も増してきて被害も大きくなってきた。 自然現象だから仕方ないが、早く衰えることを願うばかり。

 

10月4日(金)

 2日続けて病院通いとなった。昨日は明け方4時ごろ目が覚めたら頭が痛かった。最近頭痛なんてあまり記憶になかったので、 念のため幼馴染から紹介された近くの病院に行ってみた。
 「脳に異常がないかCTを撮ってみましょう」と撮ってもらったが「脳は立派です。悪い所はありません」ということで、 痛み止めだけをもらって帰った。
 今日はいつもの浜の町病院、ここは来月の予約を先に入れて、その日までの分の薬をもらう。 血圧の薬をもらう程度では診察はなし。
 この病院は初めは紹介状、次からはすべて予約がないと診てもらえない。

 

9月29日(日)

 久しぶりにコンサートに行って来た。ジョイフル・スーベニールという聞きなれない男声合唱団の定期演奏会。 会場のアクロス福岡シンフォニーホールも久しぶり。
 この合唱団の歌を聴くのは初めてだが、何と平均年齢76歳、最高齢者は89歳という、おじいさんの合唱団だ。
 同年代だから、お客も高齢者が殆ど。歌も『涙そうそう、時代、青春時代』、  中学時代によく歌ったフォスターの名曲『故郷の人々、オールブラックジョー、  ケンタッキーの我が家』などなど。 そして日本各地の民謡も。
 さらに北九州アカデミー少年少女合唱団も加わってたっぷり2時間、チケットはママさんコーラスの人から貰ったものだったが、 ただではもったいなかったなァ。

 

9月23日(月)

 今日は彼岸の中日なので、昨日の台風17号の余波で断続的な雨が降るなか相賀に行って来た。
 相賀は南風をもろに受けるので、風がすごかったみたいで、被害こそなかったが、窓ガラスが割れそうで恐かったと言っていた。
 お寺にある納骨堂をお参りして、主だった親戚の仏壇に線香をあげて回ったが、今は懐かしくなった人たちと、 「もう少し話をしたいなァ」と思いながら、時間がなくて先を急いだ。
 大島の姉の家にも寄って、いつもの通り『おさかな村』で買い物をして帰ったが、結局1日中雨模様だった。

 

9月19日(木)

 福岡にいると、どんな格好をしていても全然気にならないから気楽でいい。
周りは知らない人ばかりだし人口も多いから、いちいち他人のことを見ていない。
 やっと朝夕は秋風が吹くようになってきたが、日中はまだまだ暑い。現役の頃はいたズボンを切って作った半ズボン姿につっかけ草履で、 スーパーや商店街に買い物にも出かける。
 今日は卓球の日、帰りに卓球ウエアーそのままにリュックを背負って、博多駅裏のヨドバシカメラまで足を延ばしてきたが、 コタツはまだ出ていなかった。
 人はウヨウヨいるが、どんな格好をしていようと、こんな爺さん誰も見ていない。

 

9月14日(土)

 校区の敬老会に行って来た。75歳からだが昨年は欠席したので今回で3回目。
 校区によっては人数が多くて会場の手当がつかず、取りやめたところもあるそうだが、春吉校区は小学校の体育館で、 まだ余裕がある。
 でも、体育館だから冷房がなくて暑い暑い。式から演芸の部の最後まで観ていたら汗がにじみ出してきた。
 急いで帰って昼食を済ませて今度は公民館カラオケ。小学校と公民館は隣同士、行ったり来たり汗だくだくの1日だった。

 

9月9日(月)

 福岡市は70歳以上の高齢者に福祉乗車券やタクシー券を、交通費の一部として補助してくれる。 閉じこもりがちな高齢者の社会参加の促進が目的だという。
 介護保険の所得区分によって、12000円分、8000円分、もらえない人の3区分があって、私は8000円分をもらって来た。
 この補助券はICカードでくれるので大変便利で、地下鉄や西鉄、JR各線はもとより全国の相互利用サービス対象エリアで使用できるから 東京や大阪のメトロ各線や大手私鉄でも利用できる。
 8000円分は半年もしないでなくなるが、それでも大変ありがたい。

 

9月4日(水)

九電裏の遊歩道に沿った和風庭園
 渡辺通に九電ビルが4棟並んでいる。その裏側に庭園風の遊歩道がある。 憩いの場所としてベンチや椅子も置いてあるので、散歩途中に時々立ち寄る。
 ベンチに腰掛けて庭園を眺めていたら、カラオケ仲間から「午後から卓球しよう」と電話がかかってきた。
 カラオケだけでは運動不足になる。この春から南体育館で時々やっている。 昨日は春吉、明日は東住吉の予定、今日もやれば卓球3連チャンになるけど、これも付き合い。ま、いいか。

 

8月29日(木)

 九州北部が記録的な豪雨に見舞われ今も警報や注意報が継続中だ。
 今回は特に佐賀県がひどかったようで、元佐賀県人としては大変気をもんでいる。 武雄市や大町町が水に浸かっている状況が報道されるにつけ、かって勤務した所だけに心が痛む。
 故郷の唐津市もひどかったようだが、北部の沿岸地帯は無事だったようで、一応胸をなでおろしている。
 昔は、相賀でもあっちこっちで山崩れやがけ崩れが起きていた。
最近はあまりなかったが、災難は忘れたころにやってくることを肝に命じとこう。

 

8月24日(土)

 唐津のグループホーム「ひだまり」に行って来た。かって母が8年近くお世話になっていた施設で、 亡くなって8年近く経った今でも納涼夏祭りの招待状が届く。
 あいにくの雨で以前のように庭ではできず、狭い屋内にぎっしり満員だったが、久しぶりに出席したので何と来賓扱いで 挨拶までさせられた。
 帰りのタクシーの予約時間まで30分ほどあったので、社長や従業員たちとお茶を飲みながら話ができたことも行ってよかった。
 今回が最後のつもりで出かけたが、来年からも是非来て下さいと念を押された。

 

8月18日(日)

 台風が過ぎても相変わらずの猛暑で涼しくはならず、各地に大きな爪痕だけを残して行った。 その台風も大雨も福岡にはあまり被害がなくやれやれと言ったところだが、何だか申し訳ないような気がする。
 今日は珍しく朝から曇り空だ、晴れてこないうちにと、コメを買いに行って来たがリュックに背負った5sが、 やたらと重く感じるようになった。
 宮崎産の新米が出ていたが目もくれず、いつものように佐賀県産の「ひのひかり」を買った。やはり俺は佐賀県人だなァ。

 

8月13日(火)

 今日からお盆、相賀に仏様参りに行って来た。今年の相賀の初盆は10軒だったが、そのうちの5軒をお参りした。
 どこの家も、「久しぶりだから座れ、何か食っていけ、飲んでいけ」と誘われたが、 「腹いっぱいだから、運転手を待たせているから」と丁重に断りながら、最後に同級生の家だけは座り込んだ。
 彼の母親の初盆だったが、101歳で亡くなったとかで大往生だったという。
 「俺の方が体が弱いから、母親を送ることができてほっとした。お祭りのようにして送ってやったよ」と言っていた。

 

8月9日(金)

 浜の町病院に血圧の薬をもらいに行って来た。「何か変わったことはありませんか」「特にありません」 「では、いつもの通り薬を処方していいですか」「はい、お願いします」
 これで終わりそうだったので、「前の大神脳神経科では、定期的に血液検査や肺のレントゲン検査をしてもらっていた。 ここでもやってもらえますか」と聞いたら「肺のレントゲン検査は私の専門ではないので、見落とすことがあるかも知れませんが それでも良ければ・・・」とのこと。
 総合病院の、偉大な先生のようだから、いま特に何ともない患者は、地域の個人病院に行ってほしいが、 先輩医師の紹介だから仕方なく受けた・・・というのが本音のようだ。

 

8月5日(月)

 先週3日間孫がやって来たが、今週もまた今日から3日間やって来る。
 久留米の塾で勉強したいことがあるそうで、西鉄大牟田線の久留米駅の近くだから、我が家から通った方が便利だそうだ。
 孫はいま、久留米附設の高校1年生。身長は細長く伸びて180pぐらい、父親と肩を並べるぐらいになった。
 それにしても暑い。台風が近づいて明日の朝九州に上陸、昼頃には長崎県の平戸付近に達し、福岡に最接近するという。
災害は御免だが、適度な雨と涼を持って来てくれればいいなァ。

 

7月30日(火)

 昨日、7月29日は父の命日だった。昭和19年にミャンマー(旧ビルマ)で戦死した。
 命日と言っても75年も経っているので何をするわけでもないが、「戦没者遺児による慰霊友好親善事業への参加募集の案内」 を見て思い出した。
 今回の事業団の訪問地にミートキーナ(旧ミッチーナ)が入っていたので、「もう少し元気だったら行ってみたかったなァ」と 思ったからだった。
 佐賀県の戦没者名簿には、ミッチーナ県ニャンゴン方面にて戦死となっていた。

 

7月28日(日)

 湿度が高く不快指数高でウンザリする猛暑日が続いているが、息子の休みに合わせて相賀に釣り具をとりに行って来た。
 釣り具は友達のうちに預かってもらっていたが、廃車して唐津まで釣りに行くことも少なくなったので、 一度持って帰って整理をしなければと、ずっと思っていた。
 船を持っている彼は親友中の親友で、頼めばいつでも釣りに連れて行ってくれるのだが、最近はそれもできなくなってきた。
 彼は大きな冷凍庫を持っていて、いつも大きな魚が冷凍されている。 「俺たちでは食いきらんけん、好きなだけ持っていけ」と言うので、大きな鯛やナベ鯛、アラなど4〜5匹を遠慮なくもらってきた。

 

7月22日(月)

 参議院選挙が終わった。盛り上がりに欠ける選挙で、おまけに大雨まで影響して投票率の低い選挙だった。
 与党は改選議席を下回って三分の二には届かなかったものの、過半数は余裕で上回った。 ここ数年、数々の問題や失言、スキャンダルを連発していた割には善戦したと言えよう。
 国民から見れば、考えも政策も違う野党が連合し、肝心の政策や難しくなっている外交問題はそっちのけで、 安倍政権批判や安倍おろしに奔走し、烏合の衆と化した野党にはこの国は任せられないということだろう。 

 

7月19日(金)

 卓球やカラオケで、あちこち出向いているが、知り合いに「元気でいいね」とか「うらやましい」とかよく言われるようになった。
 元気年齢の平均はとっくに過ぎているし、ここまで卓球ができるのは、まあまあ元気な方かな?と自分でも思う。
 でも、上には上がいる。83歳で公民館の4階まで階段をシャカシャカ上ってくる女性もいるし、 卓球仲間には80歳以上がゴロゴロしている。しかも女性が多い。
 先ほど買い物帰りに、近くのマンションに住む住吉卓球仲間の女性と出会った。 「今日はなに?」と聞いたら「今日は警固、相変わらずウロウロしてます」と言う。「あぁ卓球だね、行ってらっしゃい」 この女性も私より年上。

 

7月15日(月)

 今日は海の日。梅雨も中休みで久しぶりに青空が広がった。
 毎日食べるバナナを買いにテントの八百屋に行ってみたらテントは閉じたままだった。あぁそうだった、今日は祭日だった。
 この辺の店は欲がないというか、日曜や祭日は休みが多い。 他人が遊んでいるときに何もあくせく働く必要はないということだろう。
 テントの店は隠居仕事みたいで、爺ちゃん婆ちゃんで営業している。売り上げはどうでもいいということか。
 他の店では高いから買いたくない。空振りだったけど運動にはなった。

 

7月8日(月)

 今月20日で閉院になる大神脳神経外科に行って来た。浜の町病院に引き継いでもらったので行く必要はなかったのだが、 もう一度、長年お世話になったお礼と、きちんとしたお別れが言いたかったからだ。
 「万一耳の手術が必要になった場合、その道のいい先生を紹介するよ」と言われたこともあったので、それも聞きたかった。
 「その人は九大病院の教授で、今は退職してアメリカにいるから、あなたがアメリカまで行くか、 数百万円使って呼び寄せるしかないね」と言ってニッコリ。
 要するに手術の必要はないということだった。

 

7月4日(木)

 今日は久しぶりに青空が広がった。このところ曇りや雨の日が続いたが、雨量としてはたいして降っていない。 県内でも南の方は降っているらしいが、果たして福岡市の水がめに溜まるだけの雨が降っただろうか?。
 それにひきかえ、鹿児島・宮崎・熊本県は記録的な大雨が降っていて、かなりの被害も出ているらしい。 被災地の人たちには気の毒だよ。
 もっと平等に、まんべんなく降ってくれりゃいいものを…。

 

7月1日(月)

 昨日は「ジャガイモを掘ったので飲みに来ていいか?」と、例の弟みたいな友達が重いリュックを背負ってやって来た。
 ところがリュックの中身は、大きな大根4本とナス・ピーマンで、肝心のジャガイモは「忘れた」と言っていた。 忘れたというより重くて持てなかったのだろう。
 例によって子供の頃の昔話に花を咲かせながら、7時過ぎまで飲んで帰ったが、
一升瓶が三分の一ほど残った。 以前は空になっていたから、お互いに歳をとった飲み方に変わってきたということか。
 忘れたジャガイモは今日、車で持って来てくれるという、有難いなァ。

 

6月25日(火)

 先日中学校卒業以来会っていなかった同級生と会った。というより訪ねて行った。
 我が家から5分、彼女が3丁目にいることは前々から知っていたし、訪ねようと思えばいつでも訪ねられたのだが遠慮していた。
 今まで同窓会にも顔を見せたことはなかったから、会いたくないのかも知れないと思ったからだ。 でも違った。仕事の都合でどうしても行けなかったのだという。
 中学以来65年ぶりだから、そこらで会っても分からないが、かすかに昔の面影が残っていた。 今は大きなマンションの管理人をしている。もういい加減辞めたいが辞められないと言っていた。
 まだまだ元気そうだからいいじゃないか。訪ねたことをとても喜んでくれた。

 

6月22日(土)

 先日引き継いでもらった浜の町病院の脳神経外科の先生について調べてみた。
 氏名は松角宏一郎、肩書は脳神経外科部長・脳神経センター部長・九州大学医学部臨床教授、
 専門は脳血管障害(くも膜下出血)、間脳下垂体腫瘍、片側顔面痙攣、三叉神経痛 などなど。
 私の病名は「内耳穴内聴神経鞘腫」
 肩書だけでは判断できないが、耳の中の腫瘍が脳や他の神経を圧迫しないか見守ってもらうには最適の先生ではないか。 大病院の先生だけに、どこまで親身に診てもらえるかが気になるが、いい先生を紹介してもらったと思っている。

 

6月16日(日)

 我が家はマンションの3階にある。ベランダは東側にあって、角部屋だから南側には窓があり手すりがついている。 南側だが、すぐ隣が大きなパチンコ屋だから陽は当たらない。
 その窓の手すりに鳩が止まっていた。夕方7時ごろだから、鳥目の鳩はいないはずなのだが、周りが明るいので夜でも鳩が えさを求めてやってくる。
 上の階の人がえさをやっているからだ。数年前、えさをやらないように管理人に注意してもらったが、また始まった。
 上から落ちてくる鳩の糞で手すりは糞だらけ。4階の人も5階の人も迷惑しているはずだが、 事を荒立てたくない様子で我慢している。
 雨が降るたびに洗い落としているが、糞害に憤慨している。

 

6月13日(木)

 血圧の薬が少なくなったので掛かりつけの大神脳神経科に行ったら、7月31日で閉院するということだった。 体調不良のためという。先生一人の個人病院だが後継者はいないのだろうか。
 以前、癌の手術を受けられていたことは知っていたが「切って取ってしまえば何ということはないよ」と平気な様子だったので 気にも留めてはいなかった。
 「あなたは耳の腫瘍のこともあるから、今後は浜の町病院に行きなさい」と言って紹介状を書いてくれたが、 何やらばたばたとしていてゆっくり話もできなかった。お気に入りの先生だっただけに、 これが最後ならもう少し話をしたかったのだが…。
 その足で浜の町病院に行って脳神経外科の先生に引き継ぎをしてもらって帰った。

 

6月6日(木)

 昨夕は珍しくカラオケ仲間で食事会をやろうということになった。 渡辺通にイタリア風の料理を出す洋食店があって、いつ見てもお客が多いようだから行ってみようという。
 食べ物に特別のこだわりはないし、どちらかと言えば洋食より和食の方がいいのだが、行ってみることにした。
 案の定、特別おいしいというわけでもなく、また行きたいと思うような料理ではなかったが、 若者向きの店でやたらと飲み物を勧められた。
一通り食べて、生ビール、ワイン、それに樽仕込生ハイボールを2杯飲んで帰った。

 

6月1日(土)

 今日6月1日は唐津から福岡に出てきた記念の日で、あれから9年が経った。
初めの2年半は荒戸にいた。大濠公園に近く、住み心地のいいマンションだったが、家賃を払い続けるのに将来的な不安を感じたので、 今の清川に永住の地としてマンションを買った。
 清川に引っ越して早6年半が経った。買ったからと言って出費がなくなるわけではない、管理費や修繕積立金などがかかる。
でも、天神や博多駅は近くなった。この9年早かったような遅かったような……。

 

5月27日(月)

 月に一度のカラオケ愛好会に行って来た。場所は天神西通りのカラオケ館。 1月から始めて、先月は都合で行けなかったので今日で4回目になる。
 いつもは13名程度の参加者だったが今日は18名、広い会場がいっぱいになった。特に増えたのは女性だ。
 これだけ多いと自分の順番が回ってくるのに1時間半はかかる。
でも、4時ごろからはぽつりぽつりと帰る人がでてきて、いつものことだが5時ごろには4名になった。
 ここからが本番だったが、今日は6時過ぎにやめた。別のグループだが明後日もあるから。 残った3人は7時までやると言っていた。

 

5月21日(火)

 厄介な風邪がやっと治ったので、今日は久しぶりに卓球に行って来た。
 今回の風邪にはまだ話の続きがあった。変えてもらった薬でジンマシン症状は消えたが、むくみが出て一向に解消しない。
 尿の回数が極端に減って、夜も起きなくて済むようになったのは良かったのだが、体重が急に4sも増えた。 尿の出が悪くなって、水分が体内に溜まり、それがむくみとなって表れていたのだ。
 もらった薬の副作用をインターネットで調べたら、2種の薬に浮腫の副作用があると分かったのでその薬は捨てた。
 もうあの病院には行きたくないが、知り合いに話をしたら「あそこは、すぐ抗生剤を出すもんね」って、向こうから病院名が出てきた。

 

5月18日(土)

 何年振りか判らない位久しぶりに風邪をひいた。月曜日ぐらいから喉の奥に違和感はあったけどほっといた。
 水曜日になって喉の痛みがひどくなってきたので近くの病院に行った。のどの状態と聴診器による診察をして 「とりあえずは普通の風邪の治療をしましょう」と薬をもらったが、のどの痛みがだんだんひどくなって、眠れなくなった。
 昨日改めて血液検査と点滴を受けて、「インフルエンザではないけど炎症反応がひどいから」と薬を変えてくれたが、 その中の抗生剤がアレルギー反応を起こし、ひどいジンマシン症状が出た。
 十数年前にもあったので、その薬品名は申告していたのに、医者も薬局も「見落としました済みません」と平謝りだった。やれやれ。

 

5月13日(月)

中央区役所前で左右からおしっこしている小便小僧
 月に一回赤坂の脳神経外科に血圧の薬をもらいに行く。もう8年にもなるかなァ。
 薬さえ飲んでいれば血圧は安定しているので、全然心配いらないと太鼓判を押してくれる。
 でも、歳が歳だけに油断は禁物なのだが、 「あなたのは下が70と低いから血管が柔らかい。長生きするよ。」と言われた。
 あとは1月の動悸の話をしたが、「その後何もないならいいでしょう。脈拍が120も140も打つようになったら要注意だから、 脈拍に注意していなさい。」とのことだった。
 帰りは天神回りで帰ったので、中央区役所前の小便小僧をパチリ。

 

5月10日(金)

さわやかな香りを発散し咲き始めたマツリカ
 狭いベランダだが数鉢の花や観葉植物を育てている。その中のマツリカがさわやかな香りを漂わせながら咲き始めた。
 十数年前鹿児島に行った時に買ってきて相賀で育てていたが、比較的温暖な気候を好むため寒さに弱く、枯らしてしまった。
 今咲いているのは、3年前ホームセンターで小さなポット植えの苗を見つけて育てているもので、 ここは暖かいので順調に育っている。今は青色だが、だんだん白くなり、選定すると秋にもう一度咲く。
 ポインセチアと君子欄はもう終わった。アジサイとアマリリスがまもなく咲く。

 

5月4日(土)

 博多の街はどんたく一色でお祭り気分も最高潮だが、歳のせいか唐津育ちのせいかあまり興味がなく、 一度見ればもういいという感じ。
 祇園山笠もそうだが、お祭り自体にあまり興味がないのでどうでもいいという気持ちだ。でも、昨日も今日も天気は最高にいい。
 昨日は10連休の真っただ中とあって長男一家がやってきた。息子と二人、我が家にあった酒は飲みほして、 近くのスナックに行こうということになった。
 考えてみれば、清川に住んで6年過ぎたが近くのスナックには行ったことがない。2軒はしごして帰ってきたのは12時過ぎていた。 ちょっと飲みすぎたかなァ。

 

5月1日(水)

 今日から令和、新天皇が即位され新元号の時代が始まった。
 国民こぞってのお祝いの日に、私はといえば平成の終わりから、ぎっくり腰らしき症状を引きずっている。
 3年ぐらい前にも同じような症状があって整形外科に行ったが、レントゲンの結果は異状が見当たらず、 痛み止めとシップで5日ぐらいで治った。
 その後も軽い症状が数回出たが、ほっといて2、3日で治したので、今度もほっておこうと思ったが「病院に行け」と周りが騒ぐので 行ってみた。
 結果は「レントゲンを見る限り何も異常はない。ぎっくり腰とも言えないし、そうでないとも言えない。 痛み止めと湿布薬でしばらく様子をみよう」だった。
 やっぱりね! 今日で3日目、そろそろ治るころさ。

 

4月27日(土)

 インターネットをやっていて、画面の展開がやたらと遅く感じるようになったし、作動中に切れることさえあるようになった。
以前からあったが、最近特に多くなったような気がしていた。
 前からWi-Fiルーターに問題があるのではないかと感じていたが、息子に話したら 「NTTに電話してみたら?無償で貸してくれるかも知れないよ」と言う。
 半信半疑で電話してみたら「プロバイダーがOCNの人には無償で貸し出す制度があるので送ります」と言って、今日現物が届いた。
 早速交換して4台(中のソフトが惜しくて捨てきれない古いパソコンが2台)のパソコンとプリンターを接続し直したが 果たして早くなったのか?。
 少なくとも途中で切れることだけは無くなってほしいのだが……。

 

4月22日(月)

 テレビを見ていたら、癌にかかる人のあまりにも多いこと、少しオーバーかもしれないが2人に1人は癌になると言われている。 かっては癌は死の宣告のように言われていたが、今では治る癌も多いとか。
 それでも、癌と聞けば死を連想するほど怖い病気であることは間違いない。癌ばかりではない。 世の中には怖い病気がいくらもあるし事故や事件で命を落とす人も多い昨今である。
 18日に78歳の誕生日を迎えた。平均寿命にはまだ届いていないが、それらの病気や事故の間をかいくぐって、 よくぞここまで生き永らえてきたと思う。
 元気年齢の平均はとっくに過ぎた。身体の衰えはひしひしと感じるが、気持は若いつもり。まだまだ踏ん張らなくちゃァ。

 

4月16日(火)

 「フランス・パリのノートルダム寺院が燃えている」とテレビがニュースを伝えていて、 尖塔が燃えて崩れ落ちている映像が映し出されていた。
 世界中にショックが走る大ニュースだが、「あの燃え方は木造だな」と思った。 13、14世紀のゴシック建築で、石造りとばかり思っていた。木造モルタルだったのかなァ。
 15年前に行ったことがあって、中のステンドグラスがとてもきれいだったし、セーヌ川からの眺めも、 空に向かってそびえ立つ尖塔が特に印象に残っている。

 

4月15日(月)

 「3日早いけど今日しか休暇が取れないから」と言って息子がケーキを持って来てくれた。 そう、4月18日は私の78回目の誕生日なのだ。
 ケーキを食べ終わって「まだ夕ご飯までには時間があるから、この前の釣り場探しの続きをしよう」ということになった。
 西公園の近くに伊崎漁港があって、以前釣りをしている人を見かけたことがあったので行ってみた。 確かに漁港はあるから、防波堤もあるのだが、周りを何度回っても駐車場がないので、様子を見に行くこともできない。
 「ここはだめだ帰ろう。やっぱりこの前行った姪浜漁港がいいや」

 

4月13日(土)

 以前入っていた春吉公民館のカラオケサークルにまた入ることにした。
3年ほどやめていたが、熱心に誘ってくれるし、 誘われる時が花かと思ったのと、天神で歌っていたグループが解散したので少し淋しさもあったから。
 20名いた会員が15名に減っていたが、新顔は4名であまり変わり映えはしていないし、平均年齢も上がっていた。
 ただ、インターネットを利用して、テレビのモニターに画像を映し出し、 カラオケ店と同じように好きな歌が歌えるように工夫されていた。
昭和の古い歌が歌えるのがいい。

 

4月8日(月)

 魚釣りに行きたいと思っても、廃車したので思うように唐津には行けないし、近くに釣り場がないか次男と一緒に探すことにした。
 姪浜まで行けば漁港があるから何か釣れるかもしれないと思って行ってみた。 防波堤で3組が釣りをしていたが、「もう少しすればキスが釣れだすけど今はあまり釣れません。 先ほど小さなカレイが1枚」と言うから、どうやら海底は砂浜らしい。
 小戸公園の近くに行ってみたが、適当な釣り場は見当たらず。そうこうしているうちに長男から電話が入った。 孫の高校入学式で久留米にいるから帰りに家に寄ると言う。釣り場探しは打ち切って急いで家に帰った。

 

4月3日(水)

中洲清流公園そばの河太郎
 久しぶりに川端商店街に行って来た。お目当ては胡蝶蘭の株売りをしている花屋。
 色物の胡蝶蘭を探して、たびたび足を運んでいるが、やっぱり白しかないようだ。 花は切り取った後の株だけだから何色かは分からないのだが、色物は葉の色が微妙に違う。
 帰りは中洲から清流公園に行って一休み。付近の花や風景を写真に収めたていたら、ウグイスがしきりに鳴いている。 姿を探したが見つからず、植木の向こうに呼子のイカの生き造り元祖『河太郎中州店』が見えた。

 

3月31日(日)

中央公園の桜は満開ということだが…
 風が強くて肌寒い1日だったが、天気はまずまずだし、久しぶりに散歩がてら中央公園の桜を見に行って来た。
 情報では満開ということだったが今年の桜は何かおかしい。同じ公園内に満開の桜の木があるかと思えば、 まだ三分咲ぐらいの木もある。
 公園内を流れる川岸の桜並木は西側は満開だが、東側の並木はまだ二、三分咲きでまだら模様。 毎年見に来る公園の桜だが、こんな光景は初めてだ。
 ついでにアクロス福岡に寄ってみたが、好みのコンサート情報はなかった。

 

3月28日(木)

 春吉公民館の閉講式に行って来た。どこの公民館もそうだが人権問題の講演会が1時間半ぐらいあって、 閉講式そのものは10分程度で終わる。
 講演会の内容そのものは有意義な話で、講師も話し上手だから聞きあきはしないが、毎年毎年・人権・差別・同和問題では『又か』 という感覚がよぎる。
でも、どこの公民館もそうだし、公民館という性格上仕方ないのかな。
 午後からは、息子と二人で流し台の下に入れる引き出し式の整理箱を買いに行った。 どれもこれも帯に短したすきに長しでサイズが合わない。 結局、衣装ケース2個を買って来たが、もう1個入りそうなので、後で息子が買ってきてくれる。

 

3月25日(月)

 筑紫野に住む幼友達がリュックにいっぱいレタスをしょって飲みにやってきた。
レタスだから重くはなかったろうが、夫婦二人ではとても食べきれる量ではない。
かといっておすそ分けする人は近くにはいない。朝昼晩頑張って食べよう。
 酒は5時間ぐらいしゃべりながらチビリチビリ。一升瓶に残ったのが4合瓶一杯だったので、二人で6合飲んでいた。 以前は一升瓶が空になっていたから、二人とも歳をとって飲む量が減ってきたということ。
 昔話をしながら飲む酒の3合は、明日に残らない丁度いい量かもしれない。

 

3月21日(木)

 今日は彼岸の中日(春分の日)で、相賀に彼岸参りに行って来た。
 かっては、親戚10軒ぐらいの家に行ってお参りしていたが、今は極親しくしている3軒だけ、お寺の納骨堂をお参りしても すぐに終わる。
 相賀には食事をとる店も何もないので湊まで足を延ばした。いつもの『みなとん里』に行って、 かっての区長仲間の店『あけぼの』で食事をしたが、彼はいなくて息子が対応してくれた。
 帰りに大島の姉の所に寄って、お定まりの『おさかな村』で買い物をして帰った。

 

3月15日(金)

 ニュージーランドのクライストチャーチで痛ましい銃乱射テロが起きた。
死者49名、負傷者も多数いるという。
 ニュージーランドはかって旅行したことがあり、特にクライストチャーチはおだやかで治安もよく、 花々が咲き誇る静かな街だっただけに信じがたい。
 もう15年も前になるか。日本は秋の10月上旬だったが向こうは春真っ盛りで、桜やガーベラ、水仙、シャクナゲ、モクレンなど、 日本でもおなじみの春の花があちこちに咲いていた。
 「こんな所に住んでみたいなァ」と思うほどの街だったのに、大量の血で汚してしまうとは……。 8年前には大地震にも見舞われ、日本人の犠牲者も出て、思い出の大聖堂も崩れてしまったとか。今は復旧していただろうか?

 

3月9日(土)

 久しぶりに歩いて天神に買い物に行った。最近は歩いて天神往復はちょっときつくなってきたので、 行きはバスを使うことが多くなっていた。
 紙与天神ビルで補聴器の電池を買って、大丸ではカードに来店ポイントを入れて、イオンショッパーズで、 布団カバーや防災グッズを買ったら大きな荷物になったので、結局帰りはバスにした。
 午後は、ドラッグストアで生活用品を買い、次はスーパーに行って食材を買う。 北から南へ、そしてまた北へと買い物で歩き回った1日だった。

 

3月7日(木)

 午前中卓球をして、午後からバタバタと地下鉄で橋本まで出かけた。
家を出る時は薄日が差していたのに橋本に着いたら横殴りの雨が土砂降りだった。
 駅では息子が車で待っていてくれた。ニトリやナフコで回転椅子や小さな収納家具を探すのが目的だった。
 回転椅子は、すぐに手頃なものが見つかったが、流し台の下の空間に入れるケースは、サイズが合わなくて探すのに苦労した。
 ニトリでは椅子だけ買ってナフコに向かったが、途中車の窓にガラガラとアラレが降ってきた。 気温は雪が降るほど低くなかったので、ヒョウだったのかもしれない。  夕方のニュースで東海地方にヒョウが降ったと言っていたし……。

 

3月3日(日)

 今日の西日本新聞にミャンマー(旧ビルマ)北部の旧日本兵の遺骨収集が遅れていることが載っていた。
 父も旧ビルマ北部のミッチーナ(旧ミートキーナ)県ニャンゴンにて戦死したとあるし、 「遺骨を入れる骨壺には何も入っていなかった。」と姉が言っていたことから、父の遺骨もまだこの地に眠っているかも知れない。
 父が戦地から送ってきた手紙の様子では、 このミートキーナ周辺の守備隊に所属していたのではないかと思われる。
 父の命日は昭和19年7月29日。インパール作戦に失敗し、フーコンからも撤退した日本軍はミートキーナで激戦を繰り広げた。 父はここで命を落としたのではなかろうか。

 

2月26日(火)

 朝の卓球に行って来たが妻の回復度も意外と早いし、私自身の心臓も今は静かだし火曜日の卓球は止めようかと思っていたが、 どうやら止めずに済むかもしれない。
 代表が務まらない以上、止めざるを得ないという思いはあるが「何も止めなくてもいいんじゃない、 家庭の事情は誰にでもあることだし」と言ってくれる。
 有難いことだが、それがメンバーの総意ではないと思うし、自分の中では止めたい気持ちもあるが、もうしばらく様子を見よう。

 

2月22日(金)

 「平成29年11月分の医療費が高額療養費の支給対象になっているので、領収書を持って支給申請に来てください」 という通知が区役所から届いた。
 妻の分で6件の領収書が必要だが、何分一昨年の領収書だから無いだろうと思っていたら、 何と見つけ出したので早速区役所に手続きに行って来た。
 区役所まで歩いて40分、運動のつもりで歩いたが、以前は何ともなかったのに、 今はさすがに足が衰えていることがよく分かるようになった。

 

2月21日(木)

 ここ数日パソコンを開くことを忘れるほど忙しい毎日が続いている。忙しいというか気ぜわしいので、つい忘れているのだ。
 妻が介護のお世話になるようになったので、レンタル業者や、ケアマネージャー、工事業者と、いろいろな人が出入りするし、 その応対に忙しい。今日も間もなくレンタル業者が来る。
 それでも、自分の趣味だけは休みたくないので、今朝も卓球には行って来た。

 

2月15日(金)

 血圧の薬がなくなったのでいつもの脳神経外科に行って、先日の心臓の異常を話したら、「もう一度精密検査をしたがよくないかなァ、 浜の町病院にその道のいい医者がいるから紹介するよ。」と言われたので、今度少しでも異常があれば受けてみることにした。
 午後は美野島のカラオケ喫茶に歌いに行った。相変わらず金曜日は客が少ないので、より多くの曲が歌える。
 5人で交代しながら10曲ぐらいは歌っただろうか。先月は、まさか歌い過ぎたからでもなかろうが、 心臓がおかしくなったので今日は早めに切り上げた。 

 

2月10日(日)

 気になっていたが、葬式に出席できなかった同級生とまた従姉弟2人のお参りに相賀に行って来た。 49日を過ぎると、お座敷の祭壇が撤去されるので、その前に行かなければと思っていた。
 話を聞いていると、痛ましいのは同級生。普段はガードレールが設置されているのに、たまたまその日は工事のためガードレールが 一部外されていた。
縄は張ってあったらしいが、酒に酔っていたためそこから溝に転落したらしい。そこは自宅のすぐ前だ。 ほかにも、タクシーから降りる場所や方向など偶然の悪条件が重なっていたとか。
 少なくなってきた同級生では一番元気のよかった友だったのに、重なった悪い偶然が恨めしい。

 

2月7日(木)

 心臓の異常で休んでいた東住吉の卓球に行って来た。火曜日の春吉にも出席したが何ともなかった。
 結局原因は分からないままなので不安は残るが、とりあえずは元通りになった感じで一安心だ。
 考えてみれば、この心臓の異常のため、幼馴染や親戚の葬式にも行っていない。 我が家でも何かと忙しい日々だが、49日にならないうちにお参りに行かなければ。

 

2月1日(金)

 もう2月になった。寒暖の差が激しく体調管理が大変だが、今年はまずまず暖冬だろう。
 インフルエンザが猛威を振るっている。史上2番目だとか。最近は風邪もひかないし、勿論インフルエンザには縁はないが、 注射だけはしておいた。
 外出時のマスクを忘れて困るのだが、インフルエンザウイルスは小さいから、単独だとマスクは通過するそうだが、 飛沫は大きいので通過できないとか。
 感染は主に飛沫感染だからマスクの着用は有効だそうだけど…。

 

1月28日(月)

 二度目の心臓検査も異常は認められないとのことだったので、一応安心した。
 以前からやっていたカラオケ仲間がぎくしゃくしだしたので見切りをつけて、別のグループをもとめて久しぶりに天神に歌いに行った。
 天神にはカラオケや、食事会&カラオケ、小旅行会とかいろいろなグループがある。その中の「カラオケ向上会」に行ってみた。 今更向上は望めないが、歌好きが集まっている。
 参加人員14名でほぼ男女半々。この人数ではせいぜい5曲ぐらいしか歌えないだろうと思っていたら、 4時頃からぽつぽつと帰りはじめ、5時には半数ぐらいになり、6時には3人になった。
 いやァ、初めての参加で歌った歌った14曲、満足した。

 

1月23日(水)

 故郷の相賀では立て続けに3人が亡くなった。一人は同級生で幼馴染。あとの二人はどちらも又従妹。 いずれも葬儀には行くつもりで用意はしていたのだが、体調不良で行けなかった。
 3週間前ぐらいから何だか心臓がおかしいのだ。 動悸がして葬儀どころではなくなったので、呉服町の「博多心臓血管病院」に行ってとことん調べてもらった。
 「心臓にはどこといって悪い所は見当たりませんが、肺にすこしだけど水が溜まっているので、抗生剤を出しますから3日間飲んで、 また来てください」とのことだった。
 それ以来動悸は出ていないし今も何ともない。あの動悸はいったい何だったのか?金曜日にもう一回行くことにしている。

 

1月19日(土)

 今朝一番に友達の訃報が飛び込んできた。ふるさと相賀の近所の同級生でよく遊んだ幼馴染だ。 彼はとても元気だったし、昨夜は花栽培関係者の会合かなんかがあってタクシーで帰宅。 酒を飲んでいたこともあって自宅前の溝に落ちていたという。
 朝まで誰も気づかなかったのだろうか、この寒空に酒を飲んで、浅いとはいえ溝に落ちたとはなァ。
 いま、続報が入って来て「まだ死んではいないが危篤状態」だという。
ひとまず安どでいいかどうか?厳しい状況だろうなァ。

 

1月18日(金)

 10日ぐらい前から何だか体が変調をきたしているようだ。昨日は動悸と言うのか不整脈と言うのか、 心臓が変だったので平尾の別府病院に行って来た。
 ここは外科が専門で、看護師にお門違いじゃないですか?みたいなことを言われたが、実はここの先生、 漢方を専門として、内科の方も相当なものだとのうわさを聞いていたので、粘って診察をしてもらった。
 心電図は特に異常なし。今ある不調を訴えてそれなりの漢方薬をもらって来た。
 今日は動悸も収まったので、今年初めて美野島のカラオケ喫茶に出かけたら、なんと客は二人だけ。 一人が帰ったら社長が相手をしてくれて、結局20曲ぐらい歌ったかなァ。

 

1月12日(土)

 朝は路面がぬれていた。午前中は雨の予報だったので、洗濯はせずに掛かりつけの病院に薬をもらいに行ったら、 晴れわたって絶好の洗濯日和になった。
 赤坂から天神北のイオンショッパーズまで歩いて、100均で安全ピンとマジックインクを買った。
出たくはなかった卓球のミックスダブルス戦に出なければならなくなったので、ゼッケンをつける必要があるからだ。
 サークルでは男が少ないのでミックス戦になると出なきゃならなくなるんだよネ。

 

1月10日(木)

 今日は何となく気分がすぐれなかったが午前中卓球に出かけた。
すぐれないのは気分のせいもあるのじゃなかろうか、卓球でもやれば気晴らしになるかと思ったからだ。
 卓球をやって、すぐに気が晴れたわけではなく、何となく頭の重い1日だったが、 夜の7時からは中央区卓球親睦会の理事会に出席した。
 27日にはミックスダブルス戦がある。その打ち合わせ会議で理事会とは物々しいが、わずか30分で終わった。

 

1月7日(月)

 子供たちと飲める幸せを味わった正月も、あっという間に過ぎてもう7日。
今日は七草粥だが、もう一昨日食べちゃった。 賞味期限の切れたインスタントの雑炊に七草を入れて作ったが、まずまずの味だった。
 賞味期限が切れたら捨てる人もいるようだがとんでもない。物にもよるが、賞味期限はおいしく食べられる期間のことで、 過ぎたからといって、即食べられなくなるものではない。
 我が家の冷蔵庫には、期限切れがいくらも入っている。1月1日期限の豆腐がまだ食べられるよ。

 

1月1日(火)

 78回目の正月にして初めて一人だけの年越し。初めて自分で作った雑煮を食べながら一杯飲んだらいい気分になった。 雑煮の味も初めて作ったにしてはまぁまぁだ。
 淋しくないと言えばうそになるけど、家族にもそれぞれの事情がある、夕方には長男と孫がやってくる。 そのあとバラバラだが子供たちがやってくる、もう全員が一緒に集まることはないかもしれない。
 これも時の流れ、隠居の身にしてはこの歳まで元気でいられることが何よりだ。

 

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