唐津の民話  

 
 
 『かんねばなし23』  
“にわとり”

 今日は、勘右衛(かんね)どんの、鶏の話ば、しゅうだい
 かんねは用があって、和多田村の切り通しを通っていました。
 すると古狐が、かんねの前を横切って、畑から山の方へ逃げ込みました。
「こりゃ おかしか」
かんねが畑の中を探してみますと、3斤(1.8kg)ぐらいの鶏が隠されていました。
「こりゃ よかもんの見つかった」
と、その鶏を持って家に帰りました。
 その夕方、かんねは 「今夜はとり鍋で一杯やろう」
と、鶏の毛をむしりかけました。その時
「かんね おるけ 俺たい。庄屋の杢兵衛たい。お前が鶏ば持っとると話しに聞いたけん、相談に来たばい。実は、さっき、お代官様の急用で来らしたたい。時が時じゃっけん、どうしてほとめく(接待)か困っとる。すまんが鶏ば譲ってくれんけ。代わりというては何じゃが、ここに兎を持って来た。お代官様は兎は好かんそうな。頼むたい」
と、相談しました。かんねは他ならぬ庄屋様のことですから
「そうけ、俺はどっちでんよか」
と言って兎と取り替えました。だから、その晩は兎を料理って一杯となりました。

 あくる朝、四、五軒先隣の平作どんが、かんねの家に来ました。
「かんねどん、いつまで寝とるかい。どうしたつかい。早う起きんけ」
と、叩き起こしました。かんねは、二日酔いの頭をふりふり起きてきて
「実は夕べ庄屋様の来らして、俺の鶏と庄屋様の兎と取り替えて、兎で一杯飲んだたい。ちょっと飲み過ぎて、寝過ごしてしもうた」
と、言いました。
「なんて?兎ば食うたてや。お前の家のゴミ溜めば見てんけ、大猫の死骸のバラバラにして捨ててあるばい。兎のがらはどこに捨てたけ」
と、目の色を変えて平作どんが言います。
 かんねは慌てて外に飛び出し、ゴミ溜めを見てみますと、平作どんの言うように、大猫の死骸が捨ててありました。
「お前は知るまいが、ここの先の大石川の川端に、大猫の死んだつが捨ててあったばい。それが今朝はなか。毛の色の具合から、これはその猫に違いなか。お前はきっと狐から化かされとるとばい。何か思い当たることはなかけ?」
 かんねは、この話を聞いて、昨日の鶏のことに思い当たりました。
「ちくしょう、狐の奴め、俺から鶏ば取られて悔ししゃ、俺を騙して鶏ば取り返しに来たな。それにしても、腐れ猫をば食わせるとは、図々しか。こんちくしょう、やっつけてやろう」
と、腹を立てました。
 そこでかんねは、唐鍬(とうぐわ)をかついで、和多田の切通しへ急いで行きました。そして、あっちこっち狐の穴を探したら、雄嶽山のふもとに巣を見つけました。
「こんちくしょう。こ奴たちを裸ん坊にして捕らえてくれよう」
と、どんどん狐の穴を掘って行きました。
 けれども、狐は頭がいいので逃げ道も作っております。かんねが穴を掘っているのを知った狐は、小狐に耳打ちして、他の穴から逃げてしまいました。
 それとも知らぬかんねは、汗を流しながら、なおもどんどん掘り進みます。
 そこへ、和多田の若者が荷物を肩に担いで通りかかり、声をかけました。
「こらい、かんねどん、お前は何んばしよるとけ」
「狐から騙されて、腐れた猫ば食わされたけん、悔しゅうしてたまらん。そいけん、敵討ちしようと、狐の穴ば堀まくりよるばい」
と、生返事で、また掘っています。すると若者が
「そりゃ つまらんばい。そんなことはやめて、俺に加勢せんけ。俺は庄屋様に頼まれて、庄屋様の若旦那のご祝儀の荷物ば運びよるたい。そうそう、庄屋様はかんねどんに『かまぶたかぶせ(祝儀唄)』を頼むと言いよらしたばい」
と、言いました。  かんねは、庄屋様の家に祝儀があることはかねてから聞いていましたが、その日が今日とは知りませんでした。祝儀にはご馳走が出るし、『かまぶたかぶせ』を頼ますなら、穴掘りよりましだと思って、その若者について和多田に行きました。

 庄屋様の家に着くと、話のように、お客が出たり入ったりして、ごった返していました。
かんねを見ると、庄屋様が出て来て
「かんねどん、よう来てくれた。後から『かまぶたかぶせ』を唄うてもらうけん、風呂にでも入ってゆっくりしとらんけ」
と、挨拶しました。
そこでかんねは、風呂場に案内されて、風呂に入りました。 湯加減のいい風呂でしたので、かんねはいい気色になって、声を張り上げて唄いました。
「やぁれ、ござらっしゃった花嫁御様。お手引き婆しゃん待たしゃんせ。静かにごんせ花嫁御寮。私しゃ長崎通りン通りがかりン者じゃるどん、郷のンやぼ助でござんすなれば、どっち様が嫁御やら。おっかあ様やら知らんどん、櫛・簪ン差しあんばい。紅やら化粧ンつけあんばい。腰ゃすかっと椎茸なば、尻ン模様はねずみ茸。足ゃ七分三分、四分六分に踏み分けち、通らっしゃる方は、花嫁様とお見受け申す。手つなぐは柳株、駒つなぐたぁ、なびき笹。船つなぐたぁ金錨、ここン嫁御はおっか様につなぎ申す。こなたン家さん入ったら、不縁とはでけませぬ。たとえ、ところ天が永石になろうとも、豆腐ン敷石になろうとも、コッテ牛ン子ば生んだてちゃ、出てゆかしゃんすな花嫁御。もしも不縁で出て行く時ゃぁ、表ン口はむこのもん、裏ン口はつまっちょる。戸口ン外は言うに及ばず、長い竿竹ば広げちょる。六寸角ン平物かたげ、蛇の目ン傘ばさし広げ、湯殿ン桟かり、よいしょと出て行きゃんせ。そうもいかんばい。親孝行頼みます。鶴は千年、亀は万年、浦島太郎は八百年、こなたン嫁御は五百八十年。おめでたい。千秋万歳。さあさあ、よいよい。もう一つおまけで、よいよい」
 そこへ、かんねの家から五軒先隣の八兵衛どんが通りかかってびっくりしました。
「かんねどん、お前は何ばしよるとけ。気でも違うとらんか」
と、大きな声で話しかけました。すると
「何ばしよるかって?見らるる通り、今夜は庄屋様の祝儀じゃっけん、風呂に入って『かまぶたかぶせ』の稽古ばしよるとたい」
と、言いました。
八兵衛はあきれ返って叫びました。
「お前は狐から騙されとるばい。お前が風呂と思うとるとは、そりゃ 畑の肥溜(こえだめ)ばい。お前はそん中に入っとるぞ」
 八兵衛が大声を出したので、そのあたりにうろうろしていた狐と子狐が慌てて山へ逃げて行くのが見えました。
 そこで、狐から騙されていたかんねは、ようやく気がつきました。そして、自分をよく見たら、本当に肥溜の中に入っていました。
 狐どもは、穴を掘りくり返された仕返しに、和多田の庄屋様や若者に化けて、かんねを騙したのです。
 かんねは、肥溜に浸かった臭い体を和多田川で洗って裏町へ帰りました。
         今日の話は、ここまで…。
           (富岡行昌 著 「かんねばなし」より)


2003.9.4  

 

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