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厳しい寒波が到来した。今年一番の冷え込み。 |
永住の地を福岡に定めマンションを買うことにした。場所は清川。 |
ロボット工場見学は安川電機。長男が勤めている会社でもあるので、興味があった。 安川電機といえば、産業用ロボットとインバーターが、それぞれ世界のシェアーナンバーワン。 息子は、インバーター部門の技術開発部にいるので、ロボット製造工場にはいないのだが、 ロボットがロボットを作る行程等を興味深く見学した。 門司港レトロは、何回か見に来たが、そのつど新しい発見があった。残念だったのは門司港駅が改修工事中だったこと。 |
じつに42年ぶりの四国だ。 倉敷の美観地区で、2組の花嫁さんと花婿さんが、のどかに川下り、橋の上から拍手をあびて、手を振っていた。 四国に渡ったら、まずは金比羅山参り。785段の石段を休み休み登り、何とか本宮参り。 鳴門温泉のホテルでは、阿波踊りを堪能。 四国最南端の地、足摺岬では、ジョン万次郎に会い、四万十川の川下りでは、船頭さんに涙が出るほど笑わせられた。 しまなみ海道を渡る頃はすっかり暗くなったが、雨も降らずに楽しい3日間だった。 |
往復はがきで申し込めば、抽選で入場許可通知が返ってくる。入場料金は無料だから館内は満員御礼。 「本番で毎日このくらい入ってくれたら……」と、関係者の嘆き節が聞こえてくる。 オープニングのふれ太鼓に始まって、郷土力士の紹介、横綱の土俵入り、初っ切り、太鼓打ち分け、子供力士・子供横綱の土俵入り、 力士のど自慢、相撲甚句、子供相撲大会などなど、もり沢山。 3時から6時近くまでたっぷり、ただで楽しませてもらった。 |
昨日は、そのエジプト展を観に行った。 古代エジプトの人々は、太陽が西の空に沈んで翌朝東の空から復活するように、人間も死後に冥界の旅を経て来世で 復活すると考えていた。 全長37mに及ぶ「死者の書」は、古代エジプトの美しい文字や挿絵で綴られた、その復活の書だった。 紀元前7000年頃から栄えた、古代エジプト文明、3000年から4000年前の「死者の書」ほか、ミイラ棺、装身具180点などなど、 数多くの出土品が展示されている。 |
大濠公園で遊ぶ鳩も急に縮こまって膨らみながら餌をあさっている。 桜の葉っぱも落ちはじめ、ケヤキが紅葉し、イチョウやモミジやハゼも色づき始めた。 天神に行って見ると、相変わらず人通りは多いが、道行く人々は縮こまって寒そう。急に冷え込んだモンね。 そんな中でも天神地下街にもぐると、ここは元気。 |
昨日は親戚の法事に出席するため、相賀の家に帰った。ところが近所の人が亡くなっていて今日が葬儀式。
その前に、山の柿が気になっていたので行ってみた。 |
福岡に来て2年と4ヶ月が過ぎた。母も亡くなったことだし、そろそろ永住の家をと、マンション探しを始めた。 |
足元では、早起きの鳩や小鳥たちが何やら盛んについばんでいる。 お堀には鯉やスッポンが泳いでいるが、岸辺ではそれを狙って爪でも引っ掛けてやろうとでも思っているのか、 猫が腰をかがめて身構えている。のどかでユーモラスな風景だ。 遊園地では、ラジオ体操が始まっていたので急いで参加。近くではおじゃべりに来たのか、おばあちゃんが最後までぺちゃくちゃ。 話しかけられた方は、満足に体操ができずに困っている。 これもユーモラスでのどか? |
このところ朝晩はめっきり涼しくなってきた。日中も快晴でもそれほど気温は上がらない。
湿度が高くないからか、外気がすがすがしい。 |
20日から24日まで、彼岸で唐津の家に帰っていた。 |
今日は敬老の日だが、あいにく長崎西海上を台風16号が通過中。 |
8日に相賀に帰って「お悔やみ情報」を見てみたら、親戚のおばあさんが亡くなっていた。祖母の妹で95歳。
大往生だったようだ。 |
晴れていると思ったら、急に曇って雨が降り出す。その雨もかなりドシャ降りの強い雨だ。 かと思ったら、カラリと晴れる。何とも始末に悪い天候ではあるけれど、最近は慣れっこになってきた。 今日は朝から雨。午後からはカラリと晴れていたので、天神に散歩に出たら、にわかに黒い雲が張り出してきて、 ポツリポツリと大粒の雨が落ちてきた。 急いで地下街に逃げ込んだが、ここは雨が降ろうが、降るまいが、相変わらず多くの人でにぎわっている。 |
朝、大濠公園を1周していると、あちこちにヒマワリの花が植えてある。 それが一斉に日の出を仰いで、最敬礼しているように見えるのだ。 どの方角からも東を向いているし、まだ、つぼみも、花が咲き終わって種になっているヒマワリも、みんな見事に東を向いて、 朝の日の出を仰いでいる。 ヒマワリだもん、当然といえば当然だけどね。 |
起き出して大濠公園に出てみたら、日の出前の空気がすがすがしい。 公園の周りは既に多くの人が歩いたり走ったりしている。 西に回ると、遊園地で6時30分の朝のラジオ体操が始まろうとしている。参加した。 子供のための体操かと思ったら、子供はまばら。大人、それもかなりの年配者が圧倒的に多い。 終わったら、公園を1周して帰る。7時頃に帰宅して、それから朝の食事の支度。適度に腹も減って、朝食が美味しい。 |
忙しかった初盆も終わって一段落、福岡に帰ってきた。 |
昨日・一昨日は比較的しのぎやすかったけど、今日は又太陽がギラギラ。 |
朝から台風10号の接近で、風が強かったので、開催が危ぶまれたが、朝起きしてシートを持って場所取りに出かけた。 午前6時30分、我が家から10分で届く。既にいい所は取られていたが、芝生の上のまずまずの所が確保できた。 台風もなんのその、8時から9時30分まで、6000発の花火が暑さを吹っ飛ばしてくれた。 台風による風は東の風。それを計算に入れて東側に陣取っていたので、花火の煙はさっさと西側に流れて行く。 はっきり、すっきり、とても見易い。しかも、やや強い風が涼しく感じて最高だった。 人出は44万人とか。台風の影響でやや少なかったか? それでも帰り道の混雑にはややうんざり。 |
暑い!。とにかく暑い!!。梅雨明け宣言後は毎年そうなのだが、今年は特別暑いような気がする。
体がまだ暑さに慣れていないせいだろう。 |
チケット1枚につき1枚の、ソフトバンクホークス応援Tシャツをくれる。外で配っていたのを知らず、つい中に入ってしまった。 他人に聞いて、あわてて外に貰いに行って再入場。事なきを得たが、うろたえたので、汗だくだく。 鷹の祭典最終日とあって、満員御礼の垂れ幕が下がり、試合は大いに盛り上がった。 相手はオリックス、前日敗れて、5連勝を逃した打線が奮起。3本のホームランが出て、5対2でホークスが勝った。 長い試合のうえ、最後の花火が上がるまで見たので、家に帰ったのは10時30分を過ぎていた。 |
初めて長浜の鮮魚市場に行ってみた。普段は鮮魚の仲買人しか入れない魚市場が、月に1回、第二土曜日だけ一般に開放される。 |
久しぶりに魚釣りに出かけた。例によって友達の船でアジ釣り。 |
今年も博多祇園の季節が始まった。今日から15日まで、市内14の展示場で飾り山が展示されている。 |
今日は友達の招待で野球観戦、ソフトバンク対日ハム。 |
この球場のこの対戦で、巨人が勝ったのを見たことがない。それもそのはず、ここでは巨人の8連敗中だったとか、 それだけに5対1の快勝には胸がスーッとした。 しかも、ピッチャーはあの杉内。 初回、少し意識し過ぎたのか、先頭打者にストレートのフォアボールを出したものの、あとは快投、7回まで1安打ピッチング。 これも胸がスーッとした。 9回に記録を狙って出した(?)山口が、1発を食らって、惜しくも連続試合無失点記録は24のタイ記録でストップしたが、、 巨人の快勝で、私が観に行った巨人戦は必ず負けるというジンクスもストップした。 |
1週間行かなくても、キュウリは子供用のバットみたいに大きくなっているし、草は伸び放題になる。害虫もわんさか。 間もなくトマトやナス・ジャガイモも収穫期を迎える。豆類が終わって、広く空いた畑にはさつまいもを植えた。 先週収穫して干して置いた玉ねぎは、雨にも遭わずに程よく乾燥している。10個程度に束ねて軒下の涼しい所に吊るして保存する。 その作業は妻に任せて、私は気になっていた山のビワを見に行った。いつもなら収穫期だが今年は少し遅れている。 それ程成ってはいないが、ま、食べるだけはありそう。来週あたりには収穫できるだろう。 梅はまったくの不作。パラパラと10個程度しか見当たらない。 今年の冬は寒かったので、花粉を媒介する虫類の活動が少なかったからだそうだ。 |
旅行社の予定には入っていなかったが、21日の朝は世紀の天体ショー『金環日食』、これに乗っかったのだ。 思惑通り、添乗員がコースを組み替えて、朝の出発時間を遅らせてくれたのに、無情にも曇り空。 7時20分から4分間の『金環日食』を見ようと、7時頃から中庭に出て待っていたが、雲が厚くてとても見えそうにない。 それどころか、霧雨までパラついてきた。 あきらめてテレビでも見ようと部屋に帰ったら、外から「見えた。見えた!!」と、声が聞こえた。 あわてて、東側の非常用扉の窓を開けたら、なるほど雲の合間から、ほんの数秒間だが、肉眼で見えた。 その後は、また厚い雲に覆われて、ついに顔を出さなかった。でも、僅か数秒でも見えた『金環食』。ま、良しとしよう。 それにしても、今日は朝から雲ひとつない、憎らしいほどの快晴。昨日は一体なんだったんだ!!! |
福岡の舞鶴公園にはボタンと芍薬園がある。ボタンは過ぎたが芍薬は今が満開。数種類の芍薬の花が、 こぼれんばかりに咲いている。 連休明けにも一度来て見たが、その時には7分咲きで、つぼみも多かった。 この公園は、梅から桜、つつじ、そしてボタンから芍薬、もうすぐ花ショウブ、夏になるとお濠のハスの花、秋にはイチョウの黄葉と 一年中楽しめる。 |
市内のいたるところに演舞台があって、踊りが披露されているし、呉服町から明治通りを経て市役所までは「どんたく広場」として 開放され、市内はもちろん、全国から参加する企業や団体が、それぞれの踊りを披露しながら練り歩く。 おとといの前夜祭から始まったが、昨日の初日は残念ながら霧のような雨が、降ったり止んだりの、あいにくの天気。 それでも、おどり隊は嬉々として踊りながら通過していく。その楽しそうな踊りを見ていると、阿波踊りではないが 「おどらにゃ損そん」という気持ちがよく分かってくる。 今夕は、全員が踊りに参加できる「総おどり」で幕を閉じるという。 |
妻の携帯電話の調子がおかしいという。実は2ヶ月ほど前に水の中に落としていたのだ。 |
暑くも寒くもない、絶好の行楽日和に誘われて、弁当を持って舞鶴公園周辺に散歩に出かけた。 この時期は保育園児の遠足のシーズンか、大濠公園から舞鶴公園に至る広場のあちこちで、 弁当を広げてはしゃぐ園児たちの黄色い声がはずんでいる。 つつじの間の木陰にレジャーマットを広げて弁当を食べ、しばし寝そべって心地よさを満喫したが、今日は金曜日、 皆さんは仕事で忙しいのだろうに、何だか悪いなァ。 |
今日は71回目の誕生日。意識の中には全く無いのだが、他人から見れば相当のお爺さんに見えるんだろうなァ。 |
秋には2度ほど油山福岡市民公園に行ったけど、春には行ったことがなかった。 舞鶴公園や西公園の桜は既に見頃を過ぎた。おそらく明日頃までだろう。 その点、油山は標高が高いところにあるので、まだいいだろうと思っていったら、ドンピシャリ。丁度今が見ごろ。 桜の下で弁当を食べて寝転んだら、あまりの気持ちのよさに1時間以上も眠っていた。 |
日曜日と、このところの陽気に誘われて、人出も多い。 ここ数日の暖かさで、早くも出た満開宣言。昨年は大震災後の自粛で、ライトアップがなかったが、今年は見事なライトアップ。 お堀端も、舞鶴公園一帯もライトに照らされた桜がきらきらと光っている。お堀に映った桜もとても綺麗で、しばし見とれる。 |
まだ、二三分咲きだが、20度を越える陽気で、一気に開花が早まりそう。 公園入り口の、光雲神社参道には、土日を前に出店の設置が、あわただしく進んでいた。 さすがに花見客はまだチラホラだが、私たちと同じように弁当を開く客があちこちに見られる。 南からの温かい風が強く吹き込んでいるため、汗ばむような陽気となり、昨日まではチラホラだったのに、 夕方のお堀端の桜は1日で急速に開花、早くも五六分咲きの所もあるようだ。 |
25日に納骨と49日の法要を済ませたので、一段落ついた。 |
相賀にいると、インターネットは出来ないし、BSも契約していないので見られない。 |
退屈な日々が続く。でも、もうあと1週間の辛抱。 |
母が亡くなって一段落したら、何もすることがなくて退屈になってきた。 |
母の納骨が済むまでは、相賀に居ることに決めたが、時々はマンションの郵便物とか、鉢物の水遣りのために、
妻と交代で様子を見に行くことにしている。 |
母が亡くなって、間なく2週間、2回目の逮夜を行った。 |
8日に母が亡くなった。あと17日で96歳の誕生日を迎えるところだった。 |
祖母の33回忌の法要を行った。お寺では今日は3件の法要が重なっているという。 |
朝、目が覚めたら、駐車場の車の上にはうっすらと雪が積んでいた。でも、アスファルトの上は解けて雪はない。 |
先月から、一輪又一輪、今日で三輪目。 剪定をし過ぎたため、昨年の夏はつぼみを付けなかった。 ガラス越しの部屋の暖かさに、つい咲いたのだが、さすがに花は小さい。 それでも、たった一輪でも、花は小さくても、部屋が更に暖かくなった。 |
昨日の飲み会、あまりの楽しさについ飲み過ぎてしまった。 一日に1万歩程度歩くように心がけているので、絶好の天気なのだが、尻が重い。 でも、歩かなくちゃァ。最近は殆ど天神方面へ歩くことが多い。距離が丁度いいこともあるが、人の多い天神は刺激も多く、 歩いているだけで楽しい。 さァ、重い腰を上げて出かけるとするか。 |
一昨日は、施設の母を見舞ったあと、12月に亡くなっていた友人のお父さんのお悔やみに行き、
正月から母方のばあちゃんに預かってもらっていた孫を連れて福岡に帰って来た。 |
年末から楽しかった正月も今日で終わり。初日の出こそ拝めなかったが、昨年とはうって変わって、穏やかな、いい正月だった。 子供たちはそれぞれに帰ってしまった。相賀にいても仕方ないので、大阪に帰る娘に合わせて福岡に戻った。 それにしても、昨年は大変な年だった。被災地からは遠く離れていても、とても他人事ではなかった。 それどころか、一地域で起こった災害や事件が、全世界に大きな影響を与えることを、痛切に知らされた1年でもあった。 今年こそは平穏であれ!! と祈ろう。 |
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