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12月31日(火)

平成25年も今日で終わり、福岡で迎える初めての正月。
正月が来るといっても昔のような特別な感情はないが、こんな時しか家族が揃う時がない。
昨夜は長男が、来年から課長になるというので、昇進祝いをすることになった。
幸い娘も帰って来ていたし、次男も偶然福岡に用事があったといってやって来たので、久々に親子5人でお祝いに出かけた。
飲食店はどこも予約しなければ入れないほど一杯だったが、道行く人や買い物客は普段より少ない。
それぞれの故郷に帰ったのだろうか、一足先に正月休みに入ったという感じ。
色々なことがあった1年だったが、いよいよ終わる。

 

12月26日(木)

友達の母親が亡くなったので葬儀に行って来た。
私の母と同じ大正5年生まれの97歳だった。家は相賀の旧我が家のすぐ裏隣で、ずっと早く逝った息子は私と同級生だった。
相賀の長老で、しゃきっとした、なかなか気丈なおばあさんだったが、やはり100歳まではもたなかった。
相賀でも昔なつかしい人達が次々と亡くなっていく。淋しくなるが、順送りだし97歳は大往生だ。
お寺に寄ったついでに、旧我が家を覗いてみたが、まだ入っていない様子、リホームも手付かずのようだった。
入り口の道の拡張が済んでからだろうが、その拡張は来春過ぎになるという。

 

12月23日(月)

今年も残り少なくなってきて、街行く人々も多く忙しくなってきた。
今日は天皇誕生日、今年最後の祝日とあって、天神界隈は買い物客でごった返していた。
私はといえば遊びで忙しい。卓球とカラオケが、それぞれ2グループあって、両方から誘いがかかってくる。
年の瀬ということもあって、公民館のカラオケや卓球は年内は終了したのだが、「カラオケ店に行こう」とか、 「体育館で卓球しよう」とかいろいろ。
でも、もうそれも年内は終わり、正月を迎える準備でもしなきゃあ。
と言っても唐津に居た頃と違い、マンションでは特別なことはない。
プリンターの調子が悪くて、3日ばかり四苦八苦したが、それも直して年賀状は出したし、掃除でもするか。

 

12月16日(月)

神戸ルミナリエ
13日から15日まで神戸に行って来た。
3日かけて、神戸ポートタワー、カワサキワールド、ルミナリエ、兵庫大仏、花鳥園、灘の酒蔵、六甲山の夜景、北野異人館街 などなどを観光。
圧巻は何と言ってもルミナリエ。人出もすごかったが、色とりどりにきらめく光のアーチの華やかさには「うわ〜すごい!!!」 と言う言葉しかなく、息を呑んだ。
ゆっくり見たかったが、警備員の「立ち止まらないで下さい」に促され、人の流れに流されて、やっとメイン会場到着。 寒さも忘れ、時間も忘れて、しばし見とれた。
阪神・淡路大震災の犠牲者への慰霊と鎮魂のためと、街の復興・再生のための夢と希望が託されたルミナリエ。 幻想的な光の回廊と壁掛けが、辺り一面を包み込む。
翌日は、神戸花鳥園の花にも見とれ、寒さに震えながら眺めた、六甲山からの大阪湾の一大パノラマと夜景も 忘れられない思い出となった。

 

12月10日(火)

春吉公民館での卓球の2回目。女性が多い中で最高齢者は95歳男性。私などはまだまだ若手。
中学校以来本格的な卓球はやっていないので、まだまだ感は取り戻せないが、何とか相手にはしてもらえる。
9時45分から11時45分まで2時間。初めの20分程度は肩慣らしの練習。
卓球台は3台で、今日の参加者は11名。登録者は17名いるそうだが、内男性は4名だけ。
練習が終わったら、後はダブルスを組んで練習試合だ。シングルスはやっていないみたい。適度な疲労感で気持ちがいい。
午後からは、別の仲間とカラオケ。これは公民館ではなくカラオケ店。クラシック派が3名、演歌派が2名。
私はもちろん演歌派。5時半までタップリ歌い込んで、忙しかったけど、すがすがしい1日。

 

12月7日(土)

湊の同級生から誘いを受けていたミニ同窓会兼忘年会に出席した。
ミニのつもりがだんだん広がって18名にもなったという。
当初は、東京同窓会の出席者だけの反省会を、福岡でやろうということから始まったのだが、 誘いの電話に応じる人が意外と多くて、どうせなら唐津でやろうということになった。
思いは皆同じ。この歳になると昔の仲間への懐かしさが年々強くなるし、残り少ない人生を、今元気なうちに楽しもうという 気持ちも増してくる。
この人は?と思って呼びかけた人は殆ど出席ということになって18名。
11時から3時まで、延々4時間、ワイワイガヤガヤ、まだまだパワーは衰えていない。又やろう!!、と言いながら散会。
それでも足りない連中は、カラオケルームでまた3時間。さらに何人かはスナックへ行ったが、私は福岡行きのバスに乗った。
天神で食事をして、我が家に着いたのは9時だった。

 

12月5日(木)

唐津に魚釣りに行った。全くの久しぶりで、相賀の家を処分してからは初めて。
友達の船に乗せてもらうのだが、寝る家がなくなったので福岡を6時に出て、8時の出港にセーフ。
釣り場は高島の近くで、最近はクロ(メジナ)がよく釣れているという。10分少々で着いた。
近くで海面がざわついている。海面近くにいるイワシをサワラが追いかけまわして、食い散らしているそうだ。
サワラが海底近くにいるクロまで追い払うのか、さっぱり釣れない。
12時近くになって、そろそろ昼飯でも食べようかと思ったら、ボツボツ釣れだした。
クロは浮釣りだが、アジのように釣り糸をおろしたらすぐには食いつかない。しばらく流しているとポクッと浮が沈み込む、 これが、クロ釣りの楽しいところで、快感でもある。
結局、4時近くまで釣って18匹とまあまあの釣果だった。

 

11月27日(水)

久しぶりに、歌で知り合った友達と卓球をしに行った。公民館の卓球サークルに入ろうと思っていたら、私もやりたいと言う。
ちなみに、公民館のサークル活動は、80パーセントが女性。この人も女性だ。
福岡市には各区に体育館があって、70歳以上は2時間無料でできる。
中央体育館でも良かったのだが、ラケットを注文していた卓球道場が南区だったので、南体育館に行った。
8台の卓球台があって、7台は使用中、1台だけ空いていた。ラッキー。
何年ぶりだろう、本格的には中学以来かもしれない。2時間の練習だったが、太ももがパンパンになった。
来月からは公民館のサークルに入れてもらう。歳はいってても皆さん上手、相手をしてもらえるかどうか?

 

11月26日(火)

友人の見舞いのため、久しぶりに唐津に行った。と言っても、彼はもうとっくに退院して、元に戻っているのだが、 「遅ればせながら」の見舞いとなった。
湊のJAや郵便局にも用事があったので、ついでに相賀の元の我が家の近くまで行ってみた。
海岸から入る道路の拡幅工事はまだ着手していない。道路沿いにある、小屋の中の片づけがまだできていないようだ。
道が広がっていないからだろう、元の我が家にもまだ入っていないらしい。
もう私の手を離れているのだから心配する必要もないのだが、地主の気が変らないうちに早くやってしまった方がいいのに……。

 

11月23日(土)

ソフトバンクホークス感謝の集い
ソフトバンクホークスの感謝の集いに行って来た。
普通の野球の感覚で、一塁側に席をとったら、何とステージの後ろだ。
すべてのスケジュールは、外野席の方を向いている特設のステージ上で行われるから、選手の後姿ばかりを眺めるはめになった。
もっとも、グランド内には自由に出入りできるし、ステージ前の一部にはシートが敷かれていて、座って観覧できる。 でも、そこはとっくに満員。延々と立ったままで視るのはしんどい。
ハニーズのダンスや選手のトークショー、選手と観客を交えたゲームなどが中心だが、私は巨人フアン。 悪いけど、ソフトバンクの選手に特別の思い入れはない。
妻は途中でシート席にもぐり込んだが、私はスタンド席で居眠り。退屈したけど、妻は喜んでくれたから、ま、いいか。

 

11月18日(月)

今日は本当に寒い。外は冷たい雨、その上風まであるので余計に寒く感じる。
この冷たい雨が雪に変わるのではないか? とさえ思えるような寒さだ。
10月までは、半袖でいいような暑さだったのに、僅か半月でこの変りよう。秋がなくなった。
それでも、部屋にこもってばかりいては運動不足だ、歩かなくては。
こんなときには天神地下街が一番いい。雨も、寒さもしのげて快適だ。夏は冷房が効いているので涼しい。
月曜日にしては、地下街の人通りが多く、大変賑わっている。 普段は外を歩く人が、寒さを避けて地下街にもぐり込んでいるのだろう。
今年は紅葉もあまり綺麗ではないとか。やっぱり最近の気象は変だよ。

 

11月7日(木)

大相撲11月場所前夜祭
大相撲の前夜祭を観に行って来た。入場券は毎年妻が手に入れてくれる。つまり、私より妻の方が積極的なのだ。
ふれ太鼓のあと、九州出身力士の紹介、横綱の土俵入り、初切、相撲甚句とプログラムが進み、対談コーナーでは、 元魁皇の浅香山親方と元高見盛の振分親方、と、かつての人気力士同士の対談があった。
さらには、子供力士の土俵入りや、子供横綱の土俵入り、子供たちの関取に挑戦と進み、
力士のど自慢では、勢(いきおい)関の歌手顔負けのうまさに、ヤンヤの大喝采。 本当に関取を廃業したら、すぐ歌手で通用するほどだった。

 

11月4日(月)

久しぶりに唐津に行ってみた。一昨日の晩から「からつくんち」が始まっている。
昨日はあいにくの雨だったが、今日はまずまずの天気。
お祭りときたら、じっとしていられない妻を唐津で降ろして、相賀に行ってみた。 元の我が家を覗いてみたら、まだ入居はしていないようだが、庭は綺麗に手入れされて野菜が植えられていた。
相賀に行ったのは、山の柿が気になっていたからだ。道なき道を切り開きながら、どうにか柿畑に着いた。
今年は、柿もミカンも裏年で、5本の柿ノ木のうち3本は全くなし。残りの2本で70個ぐらい収穫。 どうにか食べるだけは確保できた。
まだ収穫時期としては早いのだが、このまま一週間も置いたらカラスの餌になるだけ。 少し青味が残っていても、全部採ってしまった。

 

11月2日(土)

清川は春吉校区、その春吉の公民館で公民館祭りが催されていたので覗いてみた。
ここでは色々なサークル活動が行われているが、そのサークルの発表会がメインだったので、 ちょっとのつもりで覗いたのが、つい最後まで見てしまった。
4月からナツメロを歌う会に入っていたが、10月で解散になったので、新しい振れ合いの場を求めて、 気に入ったサークルがあれば入ろうかと思ったからだ。
既に顔見知りになっていた人の意見も参考にしながら、カラオケ教室や卓球あたりを見学してみようと思う。
その足で、先日注文していたギターを受け取って来た。全然弾けないずぶの素人で70の手習いだ。
とりあえずは教則本を頼りの独学。果たしてものになるやら、ならぬやら。

 

10月19日(土)

1000万本のコスモスが見頃のコスモスガーデン
やっと秋らしいすがすがしい行楽の季節がやってきた。気がつけばコスモスの季節。
太刀洗の麒麟ビール工場の見学とコスモスガーデンの見物に出かけた。
1000万本といわれるコスモスが、いま丁度見頃で、すばらしい景観が広がっていた。
5月にはポピー畑になるとか、それもまた綺麗だろう。
レストランなんかで昼食するのはつまらない。弁当を買ってコスモスを眺めながらの昼食がまたいい。
工場見学をして、一番しぼりとラガーを試飲したが、コスモスを眺めながらビールが飲めないのが残念といえば残念。
太刀洗は、旧陸軍の当時としては東洋一を誇った飛行場と一大軍都があったところで、 ここで訓練を受けた多くの飛行兵たちが戦場に飛び立って行った。
ここは、特攻隊の中継基地でもあり、太刀洗駅前には「平和記念館」が建立され、平和の大切さを語り継がれている。

 

10月10日(木)

心配された台風24号も少しそれて、大した被害もなく無事通過した。
もっとも、雨も風もマンションにいてはあまり感じない。唐津にいるときは、台風が近づけば大変だった。
植木鉢を車庫に運び込んで、作物は被害を最小限に抑えるため、竹やポールにくくりつける。
それでも強風にあおられて、木々や作物の葉っぱは吹きちぎられる。おまけに海に近いため、潮風だからよけい始末が悪い。
家には雨戸がないので、ガラス窓を雨風が直撃する。窓ガラスが割れそうで、びくびくしながら通過を待った。 車庫のシャッターが吹っ飛んだこともあったっけ。
通過後の後始末も大変だったが今はいい。都会の中のマンションだから気楽で何の心配もいらない。
それにしても、10月というのにこの暑さ、何とかならないかねぇ。秋がなくなっちゃうよ。

 

10月7日(月)

浅草から眺めた東京の新名所スカイツリー
東京の同窓会に行って来た。
中学時代の同級生で、関東在住の友達が企画してくれた「東京ば楽しもう会」。
会場は、お台場にある花のお江戸の「大江戸温泉物語」同級生18名が出席した。
ゆっくり温泉につかって、上がったら大広間でのんびりと昔話に花を咲かせ、夜の宴会には 今は千葉県在住の、小学時代の先生が駆けつけてくれた。88歳の高齢だがもう先生と生徒の垣根はない。友達同然だ。
2日目は、はとバスで都内観光。スカイツリー搭乗をメインにした、主に浅草方面を廻るゆったりコース。
地上350メートルからの展望
あいにくの曇り空で視界良好とはいかなかったが、新名所のツリーに登れただけでもいいみやげ。
夜は、麹町の同級生のお姉さんの店で二次会。楽しく飲んで、 大崎のホテルに宿を取ったら、全員がそこに泊まってくれて、遅くまで夜遊び。
3日目は3時半の飛行機まで予定なし。どこかに行くには、あいにく雨が降り出したので、レンタルルームでおしゃべりタイム。
最後の最後まで皆が付き合ってくれて、本当に楽しく幸せな3日間だった。

 

9月24日(火)

昨日は彼岸の中日。唐津に彼岸参りに行った。
お寺と数件の親戚をお参りして、気になっていた相賀の元の家に行ってみた。
畑は耕運機で耕され、庭には軽ワゴン車が置いてあったが、家は締め切ったままだった。
隣に廻って、買主のお母さんに聞いてみたら、「入るのはまだ先だから、家の中は何も手をつけていない」とのことだった。
気になっていたのは、海岸から入る道路の拡張のことが進展しているかどうかだったが、まだ分からないと言う。
市役所への働きかけを頼んだ人のところに行ったら留守。「家族の話では、大丈夫と言っていたよ」とのことだったので 一安心。どうやら道路拡張は実現しそうだ。
夜は唐津で中学時代の友達と飲み会。終列車で帰ったら12時近くなった。
でも、午前様じゃないからね、相賀に居たころより早い帰宅だよ。

 

9月18日(水)

最近、近くの公民館に行って、ナツメロ歌謡サークルに参加している。
唐津の家を手放した今、唐津に行くことも少なくなって、唐津との縁も薄れがち。
この先、福岡で余生を過ごすと決めた以上、まずは地域の人たちと、ふれ合いを深めることが重要だと思う。
マンション内では、それは難しいから、手っ取り早いのは公民館のサークル活動に参加すること。
私にとって、入りやすいのは歌のサークル。カラオケ教室もいいが、今更新しい歌の勉強をする気はない。 知っている昔懐かしい歌を歌えるのが、ナツメロ歌謡サークルだ。
メンバーは10名程度で男女半々、平均年齢75歳ぐらいだから、私より年配の人が多い。72歳の私は若手だが、そこそこ楽しい。
ふれ合ってみれば、みんな元気で明るく、いい人ばかり、「とても平均年齢75歳とは思えないね」と明るく笑う。
最近はカラオケ店にも行ったり、別のカラオケの催しからも声がかかるようになった。
今日は、地域のカラオケ店からの招待で「ゴールデンエイジ カラオケの集い」に行って来た。 まだゴールデンエイジじゃないと思うけど、まァいいや。

 

9月14日(土)

買い物客でごった返す福岡市魚市場
毎月第2土曜日は、長浜の魚市場が一般市民に開放される。妻がこの日を楽しみに待っているので、毎月欠かさない。
仲買人がずらりと店を並べ開店を待っている。入り口には9時の開門を待つ客の行列ができる。
いち早く、いい魚を買おうと客が殺到し、たちまち場内はごった返す。人間酔いして気分が悪くなりそうだ。
卸値に近い金額で販売されるので確かに安いし新鮮だ。市価の半値か三分の一程度の値段のものもある。
商売人だろうか、大きなクーラーを持って買って廻る人も結構いる。
いくら安くても、二人で食べる分はしれている。アジ・イカ・タコ・焼きエビなどを買って帰った。 これでまた冷凍庫がいっぱいになる。

 

9月8日(日)

唐津の親戚に法事に行った。95歳で亡くなった、ばあちゃんの一番下の妹の1周忌。
ここは、神道の信仰者だから、本当は1年祭と言うそうだ。
仏教ではないので、「ご仏前」ではなく「ご霊前」。勿論線香や数珠などは使わず「玉串ほうてん」。 「お布施」ではなく「お玉ぐし料」。
戒名はなく、位牌には本名をそのまま使うから、戒名代は要らない。親から貰った名前だから、その方がいいような気がする。
私も神道の方がいいように思う。だって、神様のほうが仏様より位が上だもんねぇ。
でも、ここで改宗したら、先祖に怒られるだろうなァ。「お前は先祖代々からの土地や家を売った上にそこまでやるか!!」 ってね。

 

9月4日(水)

今日で相賀の我が家ともお別れ。2日に家の中の掃除をして、昨日は菜園の草むしりや、 最後のごみ処理のため次男が駆けつけて来てくれた。
最後の一晩を過ごして、家の周りに除草剤を散布し、友達のトラックを借りて、清掃センターまで残りのごみを捨てに行った。
昨夜、回り残した近所や親戚にあいさつ回りをして、我が家に別れを告げた。
「祖父の代から95年間ありがとう」
最後に、司法書士事務所で決済事務を済ませ、すべてが終了。
寂しさ半分。肩の荷が下りたすがすがしさ半分。

 

8月26日(月)

すべての家具家財を処分した我が家
いよいよ我が家を引き渡す時期が近づいてきた。
引渡し日は9月4日。あと10日もないので、22日から業者に頼んで家具家財を処分した。
とにかく家が大きく、収納場所があるものだから、何でもかんでも捨てずにとっておいた結果、出るわ出るわ業者もびっくり。
お客接待用の大鉢小鉢の陶器類、人形類、布団、衣類、たんす、長持、昔使った水ガメや箱火鉢まで、あるある半端な量じゃない。
すべて壊して捨ててもらったが、結局5日もかかってしまった。
衣類は、業者は捨てられないというので、友達のトラックを借りて、自分で清掃センターまで捨てに行った。
今まで、気持ちが張り詰めていたせいか、特別な感傷はなかったが、すべての家具家財がなくなって、 がらんとした部屋を眺めていると、初めて淋しさを感じた。
72年間住んだ家だもんなァ。

 

8月16日(金)

家族と一緒に相賀での最後の盆
10日から17日まで、相賀の家での最後の盆を楽しんだ。
今までも毎年、我が家で家族全員集まって、それぞれの盆と正月を過ごしてきたが、今回は、この家での最後の盆、 皆が、それぞれの思いをもって過ごした。
来月上旬には、この家は他人のものになるが、積極的な離郷に基づく売却だから、特別な感傷はあまりない。
72年間住んで、慣れ親しんだ家だし、先祖が苦労を重ねて築いた家と屋敷だから、それなりの思いはあるが、 ここまで来たら、後は振り向かないで、これからを見つめ、残りの人生を精一杯楽しみたい。

 

8月6日(火)

土曜日から3日間、唐津に帰った。家の売却と海岸道路からの取り付け道路拡張の話を進めるため。
4日の日曜日が空いたので、友達に頼んで船釣りに連れて行ってもらった。
初めはボツボツと釣れるので、この分なら午前中も釣れば、生け間いっぱいになるだろうと思いきや、 1時間もした頃、雷がゴロゴロ鳴り出して、雲行きが怪しくなってきた。と、同時に魚の食いがぱったりと止まった。
雷はまだ遠いので、頑張って釣っていたが、さっぱり食いつかない。雷の影響だろうか?
そのうちに、雷は強くなり、突然大粒の雨が降り出し、たちまちどしゃ降りになった。急いで波止場まで帰ったが、 あまりのどしゃ降りに船から上がれない。激しい雷雨の中で約1時間、船の中で止むのを待った。近くにいくつか雷が落ちた。
約1ヶ月ぶりの雨だから植物にとっては恵みの雨だ。
僅かに小降りになったところで家に帰り、昼食を食べながらテレビを見ていたら、突然ガシャーン、ドカーン、バリバリと、 ものすごい音がして雷が落ちた。稲妻と同時だったので、我が家か、庭に立っている電柱に落ちだのではないかと思った。 同時に電気も消えた。急いで周りを見渡したが、どこにも雷が落ちた形跡はない。
後で気づいたが、停電ではなく、我が家の電気のブレーカーが落ちていた。やはり電柱の避雷針に落ちたのか?

 

7月26日(金)

鷹の祭典・ヤフオクドーム
プロ野球も、オールスターゲームを終わって後半戦。
ヤフオクドームは「鷹の祭典」で、紫一色。
息子が鷹の祭典のチケットを取って呉れたので、このところパッとしないソフトバンクの応援に行った。
私たちも、紫色の応援ユニフォームを貰って応援席へ。
対戦相手は日本ハムで、試合は5対3で鷹の勝ち。
ホームランも2発出て、満員のソフトバンクファンは大いに盛り上がった。
よかった! 良かった!

 

7月23日(火)

猛暑の中の選挙戦も盛り上がりは今ひとつ。終わってみれば、予想通り自民の圧勝。と言っても投票に行った人は半分。
これで自民党が信任を得た、なんて考えるのは大間違い。有権者の半分近くが投票に行かないのは選挙制度が悪いから。
例えば、福岡選挙区。定員2名。1名は自民党で決まり。もう一人は第3極がしっかりしていれば面白かったが、 つまらないことで分裂。結局国民の期待を裏切ったとは言え、それなりの組織を持つ民主党候補で決まり。
2名の当選者が、初めから分かっているような選挙に投票に行く?
 しかも、このくそ暑い日に……。1人区はなおさらだ。
この半分の人の声なき声を汲み取るのが政治だが、党利党略ばかりで政治家の目線が違うのも投票に行く気にならない。
今の日本の政党なら、ないほうがいい。そういう声なき声が低投票率に現れている。
ネット選挙というから、ネットで投票ができるのかと思えば、できるのは選挙運動だけ。それも複雑怪奇。へたすりゃ選挙違反に なりかねない。
「な〜んだ、ネットで投票はできないのか」とは若者の声。…いや、若者ばかりではない。この年寄りもそう思う。

 

7月20日(土)

相賀の家屋敷の売却が本決まりとなったので、今日契約を済ませた。
家は最後の盆を我が家で過ごしたいので、8月末まで使用するということで、9月初めに決済をして渡す。
買い主の希望で、海岸道路から入る道を広めてもらうよう友達に頼んでいたが、気持ちよく承諾してくれた。 ただ、これが市道であるため、唐津市との交渉ごとが残っているが、何とかなるだろう。
家財道具がかなりあるが、全部目をつむって処分する。処分業者もこれから探さなければならない。
暑い盛りに何かと気ぜわしくなるが、暑さなんかに負けていられない。

 

7月14日(日)

以前、母を預かってもらっていた唐津の施設「グループホームひだまり」から、いまだに夏祭りの招待状が来る。
長い付き合いだったので、ここで縁が切れるのが何だか淋しいような気がして、のこのこと出席させてもらった。
社長初め、従業員の皆さんも、とても気持ちよく歓待してくれるので、つい足が向いてしまう。
ここの夏祭りは、毎年恒例の唐津市・九州花火大会に合わせて行われる。
施設は高台にあるのでとても見晴らしがよく、少し遠いが花火大会も良く見える。
歌に踊りに抽選会にと盛り上がり、9時の花火大会終了とともに夏祭りもフィナーレ。
相賀の家を処分したら、しぜんと唐津への足も遠のくだろうなァ。

 

7月10日(水)

渡辺通り1丁目の夜景i
暑い!とにかく暑い!! 2週間も早く梅雨が明けたと思ったら、いきなり猛暑。
まだ、7月に入って間もないというのに。いつもの年だったら今は梅雨時、シトシトと雨が降っている頃なのに。
空には雲ひとつない快晴。シトシトもいやだが、カンカン照りの猛暑になると、雨もほしくなる。
毎日健康のために1時間程度歩いているが、日中は暑くてとても歩けない。今日は夜歩きに出かけた。
夕暮れ時になっても、ムシムシとまだ暑い。天神に着いたら急いで地下街にもぐりこんだ。

 

7月8日(月)

相賀の我が家を売りに出しているが、どうやら売れそうだ。
家は古いから、固民家としてならともかく、普通の棲家としては殆ど価値はないそうだから、土地代だけの価格として売却する。
そうは言っても、まだまだ骨格はしっかりしている昔造りの家なので、リホームすれば50年以上でももつ家だ。 この家で70年以上暮らした者としては、価値がないとは何とも惜しい気がする。
ともあれ、「買う」と言っているのは隣の息子。家もしばらくはそのまま使ってくれるそうだからホッとしている。
先祖の代から、隣どうしとして付き合ってきた仲だから、隣の息子が買ってくれるのであれば、 先祖に対しても、いくらか申し訳が立つような気がする。

 

7月4日(木)

渡辺通り1丁目の10番山笠
いま、福博の街は祇園祭一色。各地の飾り山笠は今月1日から15日まで飾られている。
清川から一番近いのは、渡辺通り1丁目の10番山笠。天神地区には、新天町・ソラリアプラザ・エルガーラホールなどに 飾られている。
少し足を伸ばせば、博多駅やキャナルシティ・博多リバレーンにもある。
祇園祭の本家本元の櫛田神社の境内にも勿論あるし、川端商店街には2台の山笠がある。
これらの山笠は、各町に飾られているだけで、街には担ぎ出されないが、川端商店街の2台は、1台ずつ隔年に担ぎ出される という。残念ながらまだ担ぎ出されているところは見ていない。
それにしても、祭りはいいが、この蒸し暑さ、何とかならないもんかねぇ。

 

6月24日(月)

昨日から親戚のおばさんの49日法要のため相賀に帰っている。
今日は友達の船で釣りに出かけた。
どんよりとした曇り空だったが、幸いにも「だんだん良くなる」との天気予報。8時30分から出かけた。
狙いはアジ。入れたらすぐに食いついてきた。入れ食い状態だったのは10匹くらいまで。あとはパッタリ釣れなくなった。
何か大きな魚に追われたのだろうか、あれだけ濃かった魚影がさっぱりなくなっていた。
場所を変ってみたが、釣れるのは10cm前後の小アジばかり。しょっぱなに、あれだけ食いが立ったのだから、 そのうち又来るだろうと辛抱したが全然来ない。
しびれを切らして、別の釣り場に移動したら、いきなりグイーと来た。大きなメバルが3匹一緒にかかってきたのだ。
船主の友達のには、6匹ぶら下がってきた。「長いこと釣りをしてるが、こんなのは初めてだ」と言っていた。 「こりゃアジよりこっちがいいや」。
ただし、メバルは1箇所でたくさん釣れるものではない。食いが落ちたら場所を変る。 その後転々と場所変えしながら、結局メバル20、アジ10、小鯛、カワハギ、ベラ、その他色々混じって10、 合わせて40匹ぐらい釣っていた。

 

6月16日(日)

通算100勝のヒーローインタビューの内海
昨日・今日と2日続けて、長男一家と野球を観に行った。交流戦最後の巨人&ソフトバンク2連戦。
結果は2日とも巨人の大勝、溜飲を下げた。
私は根っからの巨人ファン。嫌われても、嫌われても、川上さんが現役の頃からの巨人ファンだから筋金が入っている。
息子や孫も影響を受けて当然のことながら巨人ファン。
ただ、妻だけは、それに反発するように鷹ファン。私が巨人・巨人と言うものだから、 それに反発してアンチ巨人になったのかも……。
息子たちは、原監督のファンでもある。同じ「原」の名字だから?
菅野が9回1失点と完投すれば、関係ないのに「原家の血筋はいいね」なんて笑っていたよ。

 

6月8日(土)

相賀の家と屋敷を売りに出している。時々帰って園芸を楽しむのもいいのだが、何しろ二重生活だから、 色々と経費が嵩んで家計を圧迫する。先祖には申し訳ないがやむを得ない。
先祖から祀っていた神様、荒神様、お稲荷様の処置を佐志の八幡宮の宮司さんにお願いして、お払いをしてもらった。 なんだか、肩の荷が一つ下りたような気がする。
家を売るには、引っ込み道路が狭いので、海岸道路入り口を広めるため、友達にお願いしたら、気持ちよく譲ってくれるという。
やはり、持つべきものは友達、海岸道路入り口の土地は小さい頃から一緒に遊んだ友達の土地だ。 ここを広げてもらえば、我が家に入る道が随分楽になる。あとは買い手がどう判断するかだ。

 

5月26日(日)

孫の運動会
今日は各地の学校で運動会が開催されている。
孫が通う西小倉小学校でも、PM2.5が心配される中開催された。
孫ももう4年生、特別速いわけでもなく、そこそこだけど、運動会に来てくれと言う。
じいちゃん、ばあちゃんに来てくれと言うのもここ1,2年だろう。
風が強くてものすごい砂ぼこりの中での運動会だったが、スモッグで中止になることもなく無事終了した。

 

5月13日(月)

すばらしくいい天気だし、あたりはすっかり夏の陽気。弁当でも持って植物園にでも行こう。
福岡市が発行するシルバー手帳を持って行けば動物園も、植物園も無料になる。
ここの動物園と植物園は、中で繋がっているのでどちらからでも入園できる。
降りるバスの停留所を間違えて乗り越し、汗だくになりながらやっとたどり着いたら、本日休園日。しまった!今日は月曜日だった。
高台にある植物園の中腹には南公園がある。しかたがない、そこで弁当でも食べて帰ろう。
桜の名所だが、つつじも終わって、今は何もない。 坂道を登り上がって、植物園の入り口近くに来たら、やはり休園日を知らなかったのか、何組かの人に出会った。
「今日は休園日でしたね」「そうでしたね。あハハハ」笑うしかない。

 

5月11日(土)

月に1回、友達の店で飲み会をやっているが、今月は定例日がゴールデンウィーク中だったので、 引っ越して来た我が家を紹介方々家に来てもらった。
メンバーは4人。人数が少ないので、何をするにもすぐにまとまる。
2時から7時近くまで我が家で飲んで、それから天神に出てカラオケ。
結局、飲んで歌って、終わったときは11時近かった。

 

5月10日(金)

7日に相賀の親戚のおばさんが亡くなったとの連絡を受けたので、通夜と葬儀に出席すべく唐津に帰った。
8日の通夜の後9日は友引で葬儀はできないので、葬儀は10日になる。
空いた9日は、1日何もすることはなく、友達に頼んで魚釣りに出かけた。狙いはアジとクロ。
闇夜の大潮なので、潮廻りがよく、釣れそうだと期待して出かけたが意外と食いが悪い。 それでも午前中はそこそこ釣れたが、午後はさっぱり。
釣果はアジとクロ、それにメバルやアラカブ(かさご)が混じって、20匹は釣れたろうか?

 

5月4日(土)

新天町演舞台で嬉々として踊るどんたく隊
3日4日は博多どんたく本番。日本一の観客動員数を誇るこのお祭りは、各地の演舞台やパレードで嬉々として踊る参加者たちで 熱気むんむん。
参加団体200組以上、2万人とも3万人ともいわれるパレード参加者で市内はお祭り一色。どこへ行っても人ひと、 人だかりで人に酔いそうだ。
昨年はパレードを中心に見物したので、今年は演舞台の演技を中心に、3日は西側、4日は東側に設置されている 演舞台を視て回った。参加者たちはこの各地の演舞台を転々と移動して演技をして回る。
人は多いし、立ちっぱなしは意外としんどい。

 

5月2日(木)

博多どんたく前夜祭
日本一のお祭り「博多どんたく港祭り」がスタートした。
祭りは3日4日、今日はその前夜祭。
妻が、いつの間にか前夜祭の入場券を手に入れ、会場の国際センターに1時間前から並んでくれたのに、それでも席はかなり後ろ。
望遠で撮った写真は映りが悪い。
オープニングから、セレモニー、地元どんたく隊、ゲストどんたく隊など数々のどんたく隊の紹介、 ゲストどんたく隊にはハワイ州観光局からも参加。そのほか、HKT48のダンスや博多にわかなど盛り沢山のプログラム。
最後は島津亜矢のゲストステージで盛り上げフィナーレ。長々4時間、多いに盛り上がった前夜祭だった。

 

4月26日(金)

大興善寺:一目1万本
絶好の行楽日和に誘われて、佐賀県基山町の大興善寺につつじ見物に出かけた。
ここは通称「つつじ寺」と呼ばれ、県内有数のつつじの名所。
お寺の裏山斜面一面に色とりどりのつつじが植えられている。
その、つつじ寺のつつじがそろそろ見頃を迎えていると聴いたので、出かけたのだが、少し早かった。
今年は花の見頃を見極めるのが難しい。
桜は2週間も早く咲いた。つつじも早いと聞いていた。
確かに、各地のつつじの名所は満開から早いところでは盛りを過ぎたところや終了したところさえある。
しかし、ここは少し標高が高いし、東向きの斜面に植えられているので、日照時間が少ないからか、 まだ5、6分咲き。満開までには1週間はかかりそうだ。
ここには3回来たが、まだ満開にはお目にかかっていない。

 

4月16日(火)

見頃を迎えた舞鶴公園のボタン
気温の変化が激しく、つい先日の冬に逆戻りしたような寒さから一転、今日は初夏。
上着を脱いでも汗ばむ陽気だ。
少し早いと思ったが、舞鶴公園のボタンが咲き始めてないか行ってみた。
途中、つつじがチラホラ。ことしは何でも開花が早いようだ。
ボタンは?咲いてる、咲いてる。早いどころか丁度見頃。赤、黄、白、ピンク、紫と色とりどりの花が咲いて、 一面に香りを漂わせている。
レジャーマットを広げて弁当でも食べるつもりだったが、近頃は「背赤ごけ蜘蛛」やら「毒をもったダニ」など、 うかつに地面に座れない。「背赤ごけ蜘蛛」は、この公園内でも見つかっている。やむなくベンチに腰掛けて食べた。やれやれ。
舞鶴公園内のこの1画は、ボタンと芍薬園。
さすがに芍薬はまだ固い蕾だが、これの開花も例年よりかなり早そう。ゴールデンウィーク頃が見頃か?

 

4月9日(火)

吉野桜も見頃は過ぎていた
昨日と一昨日、京都・吉野・高野山に行って来た。
京都は、嵐山と哲学の道・円山公園と、いずれも桜の名所。特に哲学の道は桜並木が延々と続く。
でも、見頃は過ぎていた。「昨日の嵐が桜を散らしてしまった」そうだ。
今年は桜の開花がやたらと早かったので、京都の桜は見頃を過ぎていることは分かっていたが、吉野までも過ぎていようとは…。
吉野の桜は下千本、中千本、上千本、奥千本と1ヶ月かけて咲き上がっていく。
下千本は過ぎていても、中千本・上千本は見頃と聞いていただけに、残念。
吉野桜も京都と全く同じ。今年の異常気象は全部の桜を一緒に咲かせてしまったようだ。
高野山は時間が足りずに、早足での奥の院参拝。ここの桜は寒くてまだ蕾。
天気がよかっただけが、せめてもの慰め。何しろ前日は嵐だったのだから……。

 

3月23日(土)

「舞鶴公園」のライトアップされた桜
舞鶴公園のライトアップされた夜桜を見に行った。毎年見に行くのだが、同じようで、やはりどこか風情が違う。
今年は、特別に開花が早かったので、ライトアップも急遽早められて、今月いっぱいでもう終わり。
今朝の雨で満開の桜も散り始めたが、比較的気温が低めで経過したので、まだまだ見頃が続く。
ヒラヒラと、花びらが舞う風景も今ならではの風情。
ライトアップで、お堀に映し出された夜桜が、又一段と見る目を楽しませてくれる。
雨や風がなければ、今度の土・日まで見頃が続くかもしれない。

 

3月23日(土)

福岡の桜の名所「舞鶴公園」
例年より2週間近く早い桜の満開宣言に誘われて、桜の名所はどこも人、人でいっぱい。
少し遠くなって、あまり出かける機会がなくなった、西公園と舞鶴公園に出かけた。
西公園では満開といっても、まだ少し蕾も残る9分咲きといった程度。坂道の沿道にはずらりと出店が並んで、 香ばしい香りを漂わせている。
桜の下の広場は既に人でいっぱい。それぞれに花見を楽しんでいる。若いカップルや子供連れが多い。
大濠公園を経由して舞鶴公園へ。どこへ行ってもすごい人出。桜の木の下はどこも満員。
それにしても早い満開。3月中に終わってしまうなんて、季節がずれて何だかぴんとこない。
やっぱり桜は入学式とが合うように思うが……。

 

3月22日(金)

早くも咲き始めた石楠花
これも異常気象のなせるわざなのだろうか、福岡で早々と桜の開花宣言が出たと思ったら、これまた、 やたらと早く、我が家の庭のシャクナゲが咲き始めた。
例年だと4月中旬に咲くから、4週間近くも早い開花。
もともと、早咲き系のシャクナゲではあるけれども、それにしても彼岸に咲くとは…。
1,2月はやたらと寒かったが、3月になって急に暖かくなったからだろう。
桜の花見計画も早めなければならないが、明日・あさっては、どうも天気が悪そう。
早くも外は雨が降ってきた。

 

3月10日(日)

このところ生暖かい日が続く。昨日は各地で夏日となり、3月としての観測記録を更新した地域が続出した。
異常気象が問題視されて久しいが、ますますひどくなっているようだ。
おまけに、お隣の迷惑大国から黄砂に乗せてPM2.5なる有害物質まで飛んでくる。
花粉と黄砂と有害物質のトリプルパンチ!!。いやはや住みにくい環境になった。体調管理が大変だ。
すこし喉がイガイガする。有害物質のせいか、それとも風邪か。
滅多に風邪は引かなくなったが、たまに引くときは決まって春先か初夏の暖かくなってから。
もう若くはないし、早めの対策。早めの病院。風邪薬を貰ってきた。

 

3月7日(木)

親戚に不幸があって、4日間唐津に帰っていた。
2日にWBC 日本×ブラジル戦があって、息子一家と観戦。翌日は1日遊んで、息子たちが帰った夜電話が入った。
我が家の祖父は養子だったが、その生家の跡取りが亡くなった。又従兄弟だから、遠いといえば遠いのだが、4歳年上の75歳。 子供の頃から兄貴的な存在だった。
1月に余命宣告されて、あと4ヶ月ということだったので、覚悟はしていたのだが、5月か6月だろうと思っていたので、 あまりの速さに驚いて、飛んで帰った。
子供や孫、ひ孫に恵まれて、皆に看取られながら永眠したのだから、思い残すことはなかったのかもしれない。
ただ、75歳は少し早いし、癌という病気でなかったら……。

 

2月18日(月)

引っ越してきてから1ヶ月が過ぎたが、まだ色々問題があって完全には落ち着かない。
テレビにBSが映らないのだ。前のマンションには屋上に共同アンテナがあって、当然のように映っていたから、 ここもそうだと思い込んでいたら、屋上にアンテナがない。
個人でアンテナをつけても、隣のビルが邪魔して映らないそうだ。インターネットの光テレビを利用しようとしたら、 BS民放が映らない。
あれや、これやと迷っているうちに1ヶ月が過ぎた。結局、J・COMと契約して、今日やっと工事完了。

 

2月8日(金)

今日8は、昨年亡くなった母の命日。一周忌は既に済ませたので、今日は何もすることはない。
昨年も、母の容態急変の連絡を受けて唐津に帰る頃から激しい雪が降って、あっという間にあたり一面真っ白になったが、 今日も粉雪が舞って一時うっすらと積もった。
つい二三日前は桜の咲く頃の陽気だったのに、一転この冬一番の冷え込みとなって、急激な天候の変化には体調管理が難しく大変だ。
今夜も雪が降るとの予報が出ている。明日は唐津に帰る予定だけど、積もるかな?

 

2月4日(月)

ここ数日、1月の冷え込みがうそのように暖かい。このまま春が来ればいいと思うが、そうはいくまい。
各方面への住所変更届や、整理などに追われる毎日だが、2月8日には母の命日を迎える。
思えば、あの日からもう1年。あの日は急な雪に悩まされた。 福岡から唐津まで、急ぎの道中が真っ白になった。
これからも、まだまだ雪の日が何度もあるだろう。
少し早めだが、参拝客の便宜も考えて、2日に1周忌の法要を唐津で済ませて、昨日帰って来た。
まだ、引越しの整理が残っている。

 

1月25日(金)

「天神南ハイツ」・我が家は3階
やっと、そこそこ整理もついて落ち着いた。
引越しは17日に終わったのだが、前よりも一部屋少なく、押入れも少ないため、同じ家財を納めるのに苦労した。
あまり使わない物も結構あるので、思い切って処分しようと思っても、妻がうんとは言わない。
女はなかなか捨てることが出来ないものだと、友人も言っていた。納得!
それでも、何とかなるもので、どうにか納めることができたので、よしとしよう。
一段落はしたものの、まだまだ完全ではない。7回引っ越した経験がある人の話によると、完全に落ち着くまでには1ヶ月かかる とのことだった。そうだろうと思う。
まだ、新居を楽しむ余裕はないけど、久しぶりに天神に出てみた。

 

1月9日(水)

昨年暮れから忙しい日々が続いている。1月4日に唐津と別れて、正式に福岡市民になった。
母が亡くなった今、この先住む見込みのない相賀の家を管理するのも大変だし、思い切ってマンションを買った。
明日残金を決済して、17日に引っ越す。
荒戸と違って近くに公園はないが、清川からは天神まで歩いて20分弱、キャナルシティまでも同じくらい。博多駅も25分前後と、 遊ぶにはきわめて便利な場所だ。
先祖には申し訳ないが、年寄りには相賀は不便で住みにくい。これからの人生どうなるか分からないが、 好きなように過ごしたい。

 

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