その3
 
華麗 パリ

リヨン駅前
ベルサイユ宮殿
   パリへはジュネーブから新幹線とバスで3時間30分の旅。新幹線の乗り心地は日本のと同じ。 座席が、運悪く窓と窓の境目で外の景色はあまり見えませんでした。
 はじめの半分ほどは何とノロノロ運転、これでも新幹線かと思っていたら、後の半分はそれらしいスピードが出ていました。 リヨン駅に着いたら、バスでベルサイユ宮殿に直行でした。

ベルサイユ宮殿
 フランス王国が絶頂期にあった1682年から1789年、政治の中心はベルサイユ市にありました。その中心は何といってもブルボン王朝の優雅な宮廷生活。それがヨーロッパ最大級のベルサイユ宮殿です。
   パリ郊外の小さな村にベルサイユ宮殿を建造するよう命じたのは「太陽王」と言われているルイ14世。1662年から約50年かけて、莫大な費用と人力、フランスを代表する芸術家を総動員して造りあげられたものでした。
ベルサイユ宮殿・各所にある壁画
 宮殿内は華麗を極め、壁画や装飾品をふんだんに配置した回廊、王の大広間、王妃寝室、礼拝堂、鏡の間、そしてマリーアントワネットの寝室などなど、贅の限りをつくしたものばかりでした。
 ありがたいことに、宮殿内部もフラッシュをたかなければ撮影してもいいということでした。元々は撮影禁止だったそうですが、撮影阻止をあきらめたというのが本音のようです。あちこちでフラッシュもピカピカやっていました。
ベルサイユ宮殿・広大な中庭
 それでも、「守衛のいるところは撮影しては駄目」ということでしたが、そこはマリーアントワネットの寝室でした。

 この宮殿は内部装飾だけでなく、その広大な庭園もすごいものです。幾何学模様の大庭園や、大小の運河、そこにはヨットが浮かんでいましたが、それがかすかに見えるほど広大な庭園です。
 また、庭園内には大小の池や彫刻、果樹園などが点在していました。さらに運河の向こうに霞んで見える森は王様の狩猟場だったそうです。
ベルサイユ宮殿・各所に設けられている彫刻
 そんな栄華を誇った宮廷文化も終りを迎えます。フランス革命によりベルサイユ宮殿の役割は終止符を打ち、ルイ16世の妃マリーアントワネットも反逆罪でギロチンの露と消えたのでした。

 ガイドが説明してくれたトイレがどうしても見つからず、やむなく現地の職員に聞いたら「トイレット」が通じない。そのうちに黒人の職員が入ってきて「出て行け」だって。
 やっと見つけた入り口にはちゃんと「トイレット」と書いてあるじゃん。さては、言葉が分からんふりしたな!。

セーヌ川クルーズ
 おそらく最初で最後のパリになるでしょうから、今回のツアーは欲張りツアーです。夜はオプショナルのセーヌ河クルーズに出かけました。
セーヌ川クルーズ・流れた写真ですが雰囲気だけ
 日中はこの時期としては季節外れの暖かさ(18℃)だそうですが、夜はさすがに冷え込みます。おそらく10℃以下になっているでしょう。
 夜のことだし、説明はチンプンカンプンですが、エッフェル塔、ルーブル美術館、ノートルダム寺院、オルセー美術館、市庁舎、シャンゼリゼ通りから凱旋門に続くコンコルド広場、自由の女神など、パリの主な建物は殆どこのセーヌ川沿いにあります。
 「自由の女神」はフランスが本家。ニューヨークのはアメリカ建国100周年記念に、フランス国民から贈られたものです。
 また、川には多くの橋が架かっていますが、その欄干には彫刻が施されており、それが街灯やネオンに映し出されて、とても綺麗で幻想的でした。

 クルーズ船には、修学旅行でしょうか、高校生らしい集団と乗り合わせましたが、橋の下を通るたびに雄たけびをあげるのには閉口しました。橋底に響く歓声を楽しんでいたのでしょうか?
 寒いのを我慢して、2階の外の席に陣取って写真を撮りまくったのですが、デジカメの操作を誤って、みんな画像が流れていました。残念至極!!  
ルーブル美術館・ミロのビーナス像

ルーブル美術館
10月13日(月) 晴れ
 この日の午前中は市内観光。まずはエッフェル塔をバックに記念の集合写真撮影でした。
 その後はコンコルド広場からシャンゼリゼ通りを通って凱旋門。シャンゼリゼ通りは歩きたかったのですが、バスはノンストップ。流すだけの観光で写真も撮れませんでした。

ルーブル美術館・民衆を導く自由の女神
 そしてやってきたのが世界最大級の美術館「ルーブル美術館」です。元々はこの美術館は宮殿だったそうです。
 古代エジプト文明から19世紀までの世界各地の美術品約35万点を所蔵している美術館で、ゆっくりと全部見るには3ヶ月もかかるそうです。
 そんなところをわずか1時間で見ようというのですから、駆け足で見て回らなければなりません。ガイド(現地の日本人)の足の早いこと、ついていくのがやっとで、ゆっくり写真でも撮ろうものなら、置き去りにされそうでした。
ルーブル美術館・モナリザ
 有名な「ミロのビーナス」や「モナリザ」、勝利の女神「ニケの像」、「皇帝ナポレオン1世の聖別式」、フランス革命の絵「民衆を導く自由の女神」などなど、有名な絵や彫刻を走り回って見てきました。
 ここも撮影可、フラッシュ禁止でしたが、暗い場所が多く、手ブレがひどくて公開できない写真がいくらもあったのは残念でした。かまわずフラッシュをたけばよかったかなァ。
 ただ、間違いなく実物を写した証拠に、ミロのビーナスはお尻からも撮ってきましたよ。

ノートルダム寺院
ノートルダム寺院
 セーヌ川には中ノ島(州)があって、そこをシテ島といい、パリ発祥の地だそうです。島全体が世界遺産に指定されているそうですが、ノートルダム寺院はそのシテ島の中央にあります。
 1,163年〜1,345年に造られ、ゴシック建築の粋を凝らした最高傑作だそうで、ひときわ目を引きます。
ノートルダム寺院・入り口の地獄極楽の彫刻
 ノートルダムは「我らの貴婦人」を意味し、聖母マリアに捧げられた教会だとか。ナポレオン1世の戴冠式はここで行われたそうです。
 中は寺院ですから、宮殿のような華やかさはありませんでしたが、「バラの窓」と呼ばれるステンドグラスは、美しい輝きを見せておりました。
 13世紀、パリ最古のステンドグラスで、聖堂には延べ600uの光の窓があるそうです。  

バルビゾン村
ミレーの生家・アトリエも残されている
 午後は自由行動の時間でしたが、オプショナルツアーのフォンテーヌブロー城とバルビゾン村観光に出かけました。
 バルビゾン村は、パリ郊外にある閑静な村です。ここにミレーをはじめとするバルビゾン派の画家がたくさん住み着いて、一派を形成したことから有名になった村で、今ではパリのお金持ちたちの高級住宅地となっています。
 村の中ほどには「落穂ひろい」や「晩鐘」で有名な、あのミレーの生家があり、アトリエが残されています。
 アトリエには、いくつかの絵が飾られ、販売されていますが、ミレーの作品は1点もありません。全部美術館に行っているからです。
天皇ヒロヒトの間があるホテル
 パリとバルビゾン村の間には広大な農地が広がっていましたが、ミレーの絵には農村風景を描いた作品が多く、絵の舞台はこの農村地帯だそうです。
 また、ミレーの生家の近くには由緒あるホテルがありました。昭和天皇が皇太子時代に食事をされたホテルで、中には「サロン・ヒロヒト」があるそうです。

フォンテーヌブロー城
 12世紀から20世紀の初頭まで、フランスの君主12人を魅了し続けたのがフォンテーヌブロー城です。歴代の王が意趣を凝らして増改築を重ねたこの城は、時代時代の様式が優雅なバランスで共存しており、王たちの栄華と安息がしのばれます。
ナポレオンが愛したフォンテーヌブロー城

 この城を最初に居城として愛したのは13世紀の聖王ルイでした。続いてゆかりを持ったのは、ここで生まれここで没した14世紀の美貌の王様フィリップ。そして、フランソワ1世によって現在の姿の基盤が造られたといわれています。
 あの名画「モナリザ」も最初はこの宮殿に置かれていたそうです。
 以降、ルイ16世の旧体制崩壊まで、歴代フランス王の憩いの場として愛され、ここの庭園もまた見事なものでした。
 しかし、ここもフランス革命期には、ベルサイユ宮殿同様、略奪ターゲットとなってしまいました。
フォンテーヌブロー城・木彫りの彫刻が施された天井
 荒廃したこの城に再び光を与えたのが19世紀の皇帝ナポレオン1世でした。彼はベルサイユ宮殿よりも、このフォンテーヌブロー城をこよなく愛したそうで、セント・ヘレナ島に流された後も、この城を大変懐かしんだという彼の言葉に、歴代王を魅惑し続けたフォンテーヌブロー城の魅力が集約されているようです。
 建築家任せの宮殿ではなく、住む人々の意向を踏まえて設計されたすばらしい宮殿で、ヨーロッパ中を探しても、これほどくつろぎを覚え、幸せが感じられる場所は他にはないとのことでした。

最終日
10月14日(火) 晴れ
エッフェル塔
 いよいよ「ヨーロッパ夢紀行」も最終日となりました。11時30分までは自由行動です。
 まだ、エッフェル塔にも登りたい。凱旋門からシャンゼリゼ通りを歩いてコンコルド広場まで行きたい。と思っていましたが、エッフェル塔は10時からしか登れす、しかも長蛇の列だとか。とても出発時間の11時45分には間に合いそうもありません。
 やむなく、ホテルの周辺をぶらぶらして時間つぶしをしました。ホテルはファーストクラスでしたが、郊外にあるため周辺にはこれといった見所はありません。
 コンビニやパン屋さんで昼食を買って、ホテルの隣にあった宮崎のシーガイアのようなところを眺めていました。
パリ・エッフェル塔付近の風景

 帰りもまたロンドン経由。あ〜ぁまた15時間の飛行機の旅。帰りたくないなァ…と思いながらロンドンに着いたら、なんと成田行きは2時間遅れだと。
 旅行社がくれた10ポンド(2,000円相当)の食券を持って夕食を食べに行ったら、早い人が寿司を食べていました。値段は15ポンド(約3,000円)。  注文しようとしたら、幸か不幸か売り切れ。「冷たくて硬くて、ちっとも美味しくなかった」そうです。
 私たちはシーフードサラダを食べましたが、これがすっぱ〜い。でも、酢は健康にいいからと、頑張って食べました。値段は9.95ポンドでした。

最後に
ミロのビーナスのお尻・実物を撮ってきた証拠に
 今回の旅行は大変楽しくて、すばらしい思い出作りになりましたが、恵まれたことが三つありました。
 その第1は、何といっても「天気に恵まれたこと」。ユングフラウやスイスアルプスの山々が、あんなに晴れ上がることは、めったにないことだそうです。
 第2は「添乗員に恵まれたこと」。彼女は本当にすばらしい添乗員でした。要所要所の説明はガイド以上でしたし、客の引率、誘導、そして世話、何から何まで行き届いていました。“村原添乗員に感謝!!”でした。
パリ・ノートルダム寺院付近の風景
 第3は、グループ38名が最後まで事故や脱落者もなく、和気あいあいと過ごせたことでした。よかった!よかった!。
 ただひとつ、脱落といえるかどうか分かりませんが、福岡空港の出発時、夫婦で参加予定だった奥さんの方が、パスポートを間違えて息子のを持ってきて、やむなく二人ともキャンセルされました。近ければ何とかなったのでしょうが…。
 佐賀の方だったそうですが、おそらくキャンセル料は100%だったでしょう。本当に気の毒で、他人事ながら目頭が熱くなりました。  

ホテルの21階レストランから見たパリの夜景

 

2003.10.24  

  

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