パリへはジュネーブから新幹線とバスで3時間30分の旅。新幹線の乗り心地は日本のと同じ。 座席が、運悪く窓と窓の境目で外の景色はあまり見えませんでした。 はじめの半分ほどは何とノロノロ運転、これでも新幹線かと思っていたら、後の半分はそれらしいスピードが出ていました。 リヨン駅に着いたら、バスでベルサイユ宮殿に直行でした。
パリ郊外の小さな村にベルサイユ宮殿を建造するよう命じたのは「太陽王」と言われているルイ14世。1662年から約50年かけて、莫大な費用と人力、フランスを代表する芸術家を総動員して造りあげられたものでした。 ありがたいことに、宮殿内部もフラッシュをたかなければ撮影してもいいということでした。元々は撮影禁止だったそうですが、撮影阻止をあきらめたというのが本音のようです。あちこちでフラッシュもピカピカやっていました。
この宮殿は内部装飾だけでなく、その広大な庭園もすごいものです。幾何学模様の大庭園や、大小の運河、そこにはヨットが浮かんでいましたが、それがかすかに見えるほど広大な庭園です。
ガイドが説明してくれたトイレがどうしても見つからず、やむなく現地の職員に聞いたら「トイレット」が通じない。そのうちに黒人の職員が入ってきて「出て行け」だって。
セーヌ川クルーズ 夜のことだし、説明はチンプンカンプンですが、エッフェル塔、ルーブル美術館、ノートルダム寺院、オルセー美術館、市庁舎、シャンゼリゼ通りから凱旋門に続くコンコルド広場、自由の女神など、パリの主な建物は殆どこのセーヌ川沿いにあります。 「自由の女神」はフランスが本家。ニューヨークのはアメリカ建国100周年記念に、フランス国民から贈られたものです。 また、川には多くの橋が架かっていますが、その欄干には彫刻が施されており、それが街灯やネオンに映し出されて、とても綺麗で幻想的でした。
クルーズ船には、修学旅行でしょうか、高校生らしい集団と乗り合わせましたが、橋の下を通るたびに雄たけびをあげるのには閉口しました。橋底に響く歓声を楽しんでいたのでしょうか?
ルーブル美術館
古代エジプト文明から19世紀までの世界各地の美術品約35万点を所蔵している美術館で、ゆっくりと全部見るには3ヶ月もかかるそうです。 そんなところをわずか1時間で見ようというのですから、駆け足で見て回らなければなりません。ガイド(現地の日本人)の足の早いこと、ついていくのがやっとで、ゆっくり写真でも撮ろうものなら、置き去りにされそうでした。 ここも撮影可、フラッシュ禁止でしたが、暗い場所が多く、手ブレがひどくて公開できない写真がいくらもあったのは残念でした。かまわずフラッシュをたけばよかったかなァ。 ただ、間違いなく実物を写した証拠に、ミロのビーナスはお尻からも撮ってきましたよ。
ノートルダム寺院 1,163年〜1,345年に造られ、ゴシック建築の粋を凝らした最高傑作だそうで、ひときわ目を引きます。 中は寺院ですから、宮殿のような華やかさはありませんでしたが、「バラの窓」と呼ばれるステンドグラスは、美しい輝きを見せておりました。 13世紀、パリ最古のステンドグラスで、聖堂には延べ600uの光の窓があるそうです。
バルビゾン村 バルビゾン村は、パリ郊外にある閑静な村です。ここにミレーをはじめとするバルビゾン派の画家がたくさん住み着いて、一派を形成したことから有名になった村で、今ではパリのお金持ちたちの高級住宅地となっています。 村の中ほどには「落穂ひろい」や「晩鐘」で有名な、あのミレーの生家があり、アトリエが残されています。 アトリエには、いくつかの絵が飾られ、販売されていますが、ミレーの作品は1点もありません。全部美術館に行っているからです。 また、ミレーの生家の近くには由緒あるホテルがありました。昭和天皇が皇太子時代に食事をされたホテルで、中には「サロン・ヒロヒト」があるそうです。
フォンテーヌブロー城
この城を最初に居城として愛したのは13世紀の聖王ルイでした。続いてゆかりを持ったのは、ここで生まれここで没した14世紀の美貌の王様フィリップ。そして、フランソワ1世によって現在の姿の基盤が造られたといわれています。 建築家任せの宮殿ではなく、住む人々の意向を踏まえて設計されたすばらしい宮殿で、ヨーロッパ中を探しても、これほどくつろぎを覚え、幸せが感じられる場所は他にはないとのことでした。
最終日 まだ、エッフェル塔にも登りたい。凱旋門からシャンゼリゼ通りを歩いてコンコルド広場まで行きたい。と思っていましたが、エッフェル塔は10時からしか登れす、しかも長蛇の列だとか。とても出発時間の11時45分には間に合いそうもありません。 やむなく、ホテルの周辺をぶらぶらして時間つぶしをしました。ホテルはファーストクラスでしたが、郊外にあるため周辺にはこれといった見所はありません。 コンビニやパン屋さんで昼食を買って、ホテルの隣にあった宮崎のシーガイアのようなところを眺めていました。
帰りもまたロンドン経由。あ〜ぁまた15時間の飛行機の旅。帰りたくないなァ…と思いながらロンドンに着いたら、なんと成田行きは2時間遅れだと。
最後に その第1は、何といっても「天気に恵まれたこと」。ユングフラウやスイスアルプスの山々が、あんなに晴れ上がることは、めったにないことだそうです。 第2は「添乗員に恵まれたこと」。彼女は本当にすばらしい添乗員でした。要所要所の説明はガイド以上でしたし、客の引率、誘導、そして世話、何から何まで行き届いていました。“村原添乗員に感謝!!”でした。 ただひとつ、脱落といえるかどうか分かりませんが、福岡空港の出発時、夫婦で参加予定だった奥さんの方が、パスポートを間違えて息子のを持ってきて、やむなく二人ともキャンセルされました。近ければ何とかなったのでしょうが…。 佐賀の方だったそうですが、おそらくキャンセル料は100%だったでしょう。本当に気の毒で、他人事ながら目頭が熱くなりました。
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