老年期の想念界と痴呆性老人

  定年退職とともに人生に目的を失った人達
 人間は50歳を過ぎたら精神世界を柱として生きていかなければなりません。体力はすでに20代後半で落ち目になり、頭脳の働きも40歳代が頂点で、その後は衰退の一途をたどります。
 定年退職した人達のなかには、退職後急に心身ともに衰えてしまう人が多く見られます。在職中は自分の仕事や役職に誇りを持ち、生き甲斐を感じていたのに、それが急になくなってしまい、その後の人生に目的と張り合いをなくしてしまった人たちです。
 これといった趣味もなく、退職後の人生をどう生きていけばいいのかも分からず、自分なりに色々と模索をしながらも、結局残る人生の目的を見つけることが出来ず、「自分はもう終りだ」と決めつけて、想念界にフタをしてしまった人達が行きつく先が痴呆なのです。

 人間がこの世に生まれ、生きているのは、肉体を通して神のエネルギーを存分に受け、そのことによって自分の魂を磨くためです。この魂という霊的存在は、人間の体の中でも、精神世界という目には見えない領域に在って、肉体滅亡後の永遠の霊界生活に備えて、日々向上しようと努力しています。
 肉体人間が老年期に入り、最後に残された精神世界で、霊界入りに向けて、いよいよピッチを上げて向上しようとしている時に、その精神世界にフタをしてしまっては、向上の見込みのない魂が、その肉体に嫌気を感じ、離脱を図ったとしても不思議ではありません。それは、肉体人間の死を意味します。
 結局、老年期に入った人間が、人生に希望と目的をなくし、暗くて消極的な想念をはびこらせれば、当然の事ながら、魂の輝きは失われ、死期を早めたりボケをよびこむことになるのです。

痴呆性老人は、当人と周りの人達がつくりだす
 最近は私達の周りを見まわしても痴呆老人が目立ちます。昔はそれ程いなかったように思えるのですが、これも一種の生活習慣病なのでしょうか。
 痴呆にしても、引きこもりにしても、登校拒否や出勤拒否も、生活が豊になると同時に増えたような気がします。これらの原因はすべて精神世界のあり方にあります。
 霊的存在の精神世界意識の向上心がなく、自ら「もう歳なんだから、ダメだ」と思っているような人には、高い神界からのエネルギーを吸収するどころか、これに耐えきれず圧迫され、逆にボケをよびこんだり、死を早めたりすることになってしまうのです。
 歳をとって知恵(脳のはたらき)の力が衰え、記憶力が少々鈍ってきたとしても、精神世界の意識さえしっかり保っていれば、何も心配することはいらないのです。それどころか、精神の力は40歳以降日々向上していくのですから、歳をとることにもっと希望を持てばいいのです。加齢=老化ではないのですから。
 高齢化社会を迎え、老人問題が大きな社会問題になっている今日、若い人達から「じゃま老人」とか「役立たず老人」などといわれて疎外されないように、老人自身が自己の想念界のなかに、常に新風を吹き込みながら生活していくことは非常に大切なことです。
 そのためには、自分自身を「隠居」などと消極的な世界に追い込むことなく、少しでもいいから、若い人たちの感覚を吸収することです。そして、若者たちとともに語り、ともに楽しみ、充実した人生を送りたいものです。

 脳そのものの障害による痴呆は少ないといわれています。実は本人の自覚もさることながら、家族や周囲の環境がボケをつくりだし、加速させている場合も多いようです。
 生活が豊になって時間的に余裕が出てきた結果、老人の仕事が少なくなり、何もすることがなくなって、何かの役に立ちたいという願望もたち切られ、人生に張りと希望をなくして、ボケる老人が非常に多くなっているようです。
 人は本来「他人のために働く」ことを人生の喜びとしているのではないでしょうか。家族がその喜びを摘み取ってしまっているとしたら、また、周りの人達がお年寄の希望を遮っているとしたら、まさに社会の問題でもあるようです。

充実した晩年は、幸せな霊界人となるための助走期間
 もう歳だから自分はだめだと意気消沈することの弊害は他にもあります。身も心も消沈してしまえば、沈んだマイナス志向の想念が、類は友を呼ぶ原理で、同じように沈み込んだ陰気な低級霊をどんどん心身に引きつけていきます。その結果、奇病・難病にかかり、苦しみぬいて、やがては命を失うことにもなるのです。
 壮年期以降の人たちには、20歳代で衰えた肉体、40歳前後で衰えた知恵の力に代わって、素晴らしい精神の力がいよいよ活性化してきているのだという自覚を、ぜひとも持っていただきたいものです。
 そして、ジメジメした陰気臭い想いをいっさい捨て去り、死ぬその日まで、子供のため、孫のため、いや、社会のために役立つ人間になろうという希望と目的をもって、明るく生き生きとした想念世界を作り上げてほしいのです。
 人生80年時代。充実した晩年を過ごし、精神をクリーンに保ち、魂を輝かせることのできた人は、霊界入り後速やかに高き神界へと向上の道をたどるでしょう。
 再度認識してください。50歳を過ぎてからの人生は、体力で乗りきるのではありません。知恵の力できりぬけていくのでもありません。それは、本来、霊的存在としての人間が有終の美を飾るべく、精神世界を豊に充実させて生きていく、実りの季節でもあるのだということを。
 魂としての本当の人生は、実はこれから始まるのです。そうしてみると、肉体人間の老年期とは、永遠の霊界生活に向けての助走期間ともいえるのです。

 
2002.12.5  
 

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