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2008年
12月31日(水)

 激動の年、変化の年、そして何だか変な年2008年も今日で終わり。希望の年2009年を迎える。
 普通なら短く感じるこの1年も、私にとっては長い1年だった。特に4月からが長かった。
 来年は果たしてどんな年になるのだろうか。
 巷には不況風が吹き荒れている。マスコミに煽られて、益々その風が強くなる。おそらく来年前半まではこの嵐は吹き止まないだろう。
 内需拡大の舵取りさえ間違わなければ、来年後半からは円高差益で、日本経済には明るさが見えてこよう。
 そして私の運気も登り坂、これから3年は強運を期待したい。
 希望の2009年を信じて、それでは皆さん、よいお年を……。

 

12月24日(水)

 急に暑くなったり、急に寒くなったり、体調管理が難しい今日この頃、おかしくなったのは気象ばかりではなく、人間社会も何だかおかしい。
 今年の世相を一字で表すと”変”だそうだが、確かに何もかも変だ。
 わずか半年もしないで急速に冷え込んだ世界経済。世間には不況風が吹き荒れ、企業はここぞとばかりに人員整理に余念がない。
 日本人は心までアメリカ化してしまったのだろうか。
 血も涙もない首切り合理化は、一昔前までは日本にはなじまなかった。
 これでは愛社精神など沸くはずもない。「企業は人なり」は、今は昔の夢物語となってしまったか。
 でも、容赦なくリストラに奔走する企業など長続きはしない。いずれ手痛いしっぺ返しに見舞われるだろう。日本の風土と文化は、そうたやすく消え去るものではないはずだから。
 歴史は繰り返す。いずれまた、日本型社会、日本型企業が息を吹き返す日が来るだろう。
「陽はまた昇る」

 

11月23日(日)

東京タワー
 結婚式出席ついでに、東京で遊んできた。10年ぶりの東京。
 忙しいからこそ、休息も必要とばかり、思い切って7泊8日の東京三昧。
 めぼしい所は殆ど行った。
 上野、浅草、柴又、アメ横などの懐かしい所はもちろん、お台場、六本木、青山、新宿、原宿などの若者の街と言われる所も歩きつめた。
 中学時代の友達とも会った。とても喜んで歓迎してくれた。
東京都庁から見える富士山
 妻の万歩計が毎日2万歩を越える。果たして休息になったかどうか?。
 あそこに行きたい、ここに行きたいと、妻の注文が多い。
 それでも足りずに、横浜や日光まで足をのばした。
 富士山や箱根まで行きたかったのだが、観光バスの空席がなくて、これは断念。
 でも、最後になって、東京都庁45階の展望室から富士山をゲット。

 

11月2日(日)

 正月、ゴールデンウィーク、盆、それに唐津くんちには毎年孫たちが帰ってくる。
「いも掘るかい?」「うん、掘る」というから、孫と一緒にいも堀り。
「ついでにサトイモも掘ろう」「うん、よっしゃ」となかなか返事はいい。
「じいちゃん、ナスビとトマトとピーマンもあるよ」
「あぁ、みんな採っていいぞ」「うん、まかしといて」
 夜は、宵やまを見に出かけた。
 子供の頃から毎年見慣れた曳山だけど、宵やまはまた違った風情がある。
 孫は夜店の方が興味深そう。

 

10月20日(月)

角島大橋
 山口県の角島大橋から湯本温泉に行って来た。メンバーは湊公民館運営推進委員13名。
 山陰地方は交通の便が悪くて、近い割には意外と行っていない所が多い。萩には数十年前に行ったことはあったが、角島や湯本は初めて。
 響灘に浮かぶ角島に渡って、海辺でサザエを食べようと言う。
 湊にもあるのに何もここまで来てサザエやアワビでもなかろうにと思ったが、価格調査だそうだ。
 サザエのつぼ焼き6個で500円は安い。湊は負けそう。
 湯本温泉では、滅多に出来ない贅沢と大谷山荘に宿泊。宿泊人員600名は全部屋満杯。「よく予約が取れたね」という話。
 帰りは仙崎から秋吉台に回って、下関の唐戸市場で食事。
「あァよく飲んだ。よく食った。最高に楽しかった。」でも、いささか疲れた〜。

 

10月13日(月)

アケビ
 健康のために1時間程度歩いているが、同じ所ばかり歩いても変化がなくて面白くない。あちこちとコースを変えて歩く。
 今日は山に登った。山といってもあまり高い山ではない。35分も歩けば頂上に着く。
 頂上には農業用の溜池があり、今年は満々と水をたたえている。
 秋は道端の草木に色々な木の実が色づいている。
 道にはクリやマテ、椎の実などが落ちており、柿が色づきはじめた。
 山道を登りながら、ふと上を見るとアケビが成っているが、木が高くて届かない。
 「そうだ、子供の頃には、よくアケビ取りに来た。溜池の周りにあったっけ。」と思って行ってみたら、あるある。
 高い所は後から何とかするとして、手の届く所だけを取って来た。
 丁度次男が帰って来ていたので「ほら、食え」と出したら、「え〜っ食えると?」だって。
 バチアタリめが。

 

9月22日(月)

 湊の橋本川の上流に、佐賀県が委託運営する産業廃棄物処理施設がほぼ完成し、試運転段階に入っている。
 当初地元としては、大切な飲み水や環境が汚染されるとして、反対運動を展開した。
 しかし情勢は地元に利なく、受け入れやむなしとして、厳重な安全管理と地域振興策を条件として受け入れた。
 操業開始を来年にまでこぎつけた県としては安心したのか、気が緩んだのか、当初約束した地域振興策や安全管理について約束違反が目立ってきた。
 地元としては、騙された状況を黙って見過ごすわけにはいかなくなってきたので、今日は32名を動員して県知事交渉に出かけた。
 議会も傍聴したが、質問に対する答えが答えになっていない。
 事ここにいたっては、試運転も創業もストップさせるしかない。腹をくくった対応を急がなければならなくなった。これから益々忙しくなる。

 

9月7日(日)

 まったく久しぶりに中学校の体育大会を見に行った。何年ぶりだろう。
 明け方の雷と雨で開催が危ぶまれたが、降りもせず、照りもせず、暑くもなく、寒くもなく、絶好の運動会日和だった。
 それにしても、生徒の人数の少なさには、あらためて驚いた。
 全校生徒で約100名、1学年では平均33名強といったところ。
 今は神集島の中学校も統合されてこの数だから、我々の頃の4分の1にも満たない。小学校はもっと少ないという。しかも、この傾向には歯止めが掛かっていない。
 次代を担う若者がこんなに少なくなって、この先どうなるのだろうと思いながらも、子供たちのはつらつとした競技に心は満たされた。

 

8月29日(金)

 秋風が吹き始めて、涼しくはなったが、ぐずついた天気が続いてうんざり。
 東海地方や関東では記録的なゲリラ豪雨に見舞われているとか、本当に世界中の気象が変だ。
 ところで、週に1回、出来るだけグループホームに預けている母に顔を見せることにしている。
 顔を見ると、にこーっと何ともいえない笑みを浮かべる。どこまで分かっているのだろうか。
 身内だとは分かっても、息子と認識しているかどうか?
 時々私のことを「兄さん」と言う。そう言えば伯父(母の兄)に似ていると言われたことがある。
 先日、若い頃からの母の友達2人を連れて行った。でも、やっぱり誰か分からない。
 名前を言っても「??分からん」…と言う言葉しか帰ってこない。
 内臓は悪いところはなくても、確実に衰えが進んでいるのが分かる。

 

8月18日(月)

 あわただしかった盆も過ぎて一段落、またもとの生活に戻った。
 長い間更新を滞っていた「ゆうゆう記」だが、記録的な暑さと一時的な豪雨でパソコンに向かう回数もしめりがち。
 ここ1週間ばかり毎日強い雨に見舞われているが、一向に涼しくなる気配はない。
 雨は、長くは降らないが、通り雨的なドカ雨がほとんど毎日のように襲う。
 今日は、つかの間の晴れ間が覗いているが1日もつかどうか。夜から明日にかけてはまた傘マーク。
 この天候不順も、なにもかも、温暖化の影響だろうか?
 風は強いが、南西の風。風が北に回らなければ涼しさは戻って来ない。
 いつまで続く、この暑さと天候不順。
 ア〜ァ、涼しさはまだかなァ〜〜!?

 

7月21日(月)

 夏休みに入って、北浜海水浴場と相賀松原の管理業務が新たに加わった。
 今日は海の日、朝方、雨がぱらついたせいか、祭日といっても海水浴客の出足は今ひとつ。
 海水浴場を一回りしたら、あっという間に、二つのゴミ袋がいっぱいになる。
 それでも最近の海水浴客のマナーはいいほうだという。
 昔に比べて、随分と砂浜が減った。遠浅で、きれいで、海の水は透き通っていた。
 あまりきれいなので、餌が少なく、魚の姿があまり見られなかったほどだった。
 今でも、きれいな海水浴場として折り紙付だが、昔に比べたら……。

 

7月13日(日)

出雲大社
 先日山陰旅行(島根)に行って来た。
 足立美術館から玉造温泉に宿泊して、宍道湖、出雲大社、石見銀山を回るコース。
 海外優先で、国内旅行はしばらくご無沙汰していた。特に近場は、あまり行っていない。
 山陰地方は萩までしか行ったことはなく、島根は初めて。
 行きは山陽道を通って9時間、帰りは中国自動車道を通って、やはり9時間。
 往復18時間かけての、1泊2日のバスの旅。
 バスに乗りに行ったような旅で、いいささか疲れたけど、でも楽しい旅行だった。

 

7月5日(土)

 7月に入って、いくらか会議や行事の予定が少なくなってきた。
 そんな中で、湊6地区の区長と湊の市議会議員、及び湊出身の市職員との懇親会に出席した。
 毎年行われているそうだが、市職員の多いのには驚いた。欠席者も10人以上というから、総勢30人は下るまい。
 話が進んでいくうちに、息子や娘の同級生という者がかなりいる。
 だれだれの息子や娘、だれだれの弟、だれだれの親戚、そうやって結びつけると、ほとんど結びついてしまう。
「世の中狭いね」そう言って話が弾んだが、考えてみれば全員湊出身者だもん、当然か!

 

6月21日(土)

 今年のびわは何だかおかしい。
 梅雨本番、雨が小止みになるのを待って、びわを収穫に行ったら、畑一面にびわの実が落ちていた。
 何かにやられたのではない。腐って落ちていた。
 今年は初めからおかしかった。花はびっしり咲いた。ところが実付きが悪く、ごっそり落ちて、結実したのは半分にも満たなかった。
 それでも、一房の実が少ない分、摘果したのと同じ効果で、大玉に育って、今年のびわは大きいぞ!…と喜んでいた。
 だが、だが、どうも色付がわるい。いつまで経っても熟さない。
 まだまだと思っているうちに大量落果。結局、よく熟さないままに腐って落ちていた。
 味もよくない。これも異常気象のせいなのだろうか?

 

6月4日(水)

 先日、遠縁の家の法事(1年祭)に行った。彼の家の信教は神道。葬儀も諸法要も仏教と大差はない。
 仏教の7日毎の「たいや」に相当するのは、10日毎の祭で、10日祭、20日祭と言い、49日の忌明けに相当するのは50日祭。年忌は1年祭、3年祭という具合。
 葬祭を仕切るのは、佐志の八幡神社の宮司さんで、まだ若い。
 仏教と違う点は、焼香の代わりに、参拝者全員の玉串法典がある。
 墓は唐津市の大平山墓地公園に買ったそうで、火葬、納骨は仏教と何ら変わりない。お盆も似たようなものだった。
 神道のいいところは、戒名がなく本名を使うから戒名代がいらない。
 その他の経費もそれぞれ決まっていて、かなり安いし、お宮からの取立ては特にないという。
 おまけに、死んだら神様になるというから、仏様より神様の方が格上。これじゃいい事ずくめ。
 最近神道信者が増えているという。さもありなん。

 

5月22日(木)

 忙しくてなかなか自分のことができない。特に湊の行事が多すぎる。
「相賀の区長は産業廃棄物対策協の会計をやってもらいます」とか「湊地区体育協会は副会長になっているから」と否応なし。
 湊に道の駅が計画されている。立神周辺の公園化計画も進行中。この方面のことも忙しさに拍車をかける。
 そのほかにも、何々会のメンバーだとか、何々会の総会に出席してください。やれ小学校だ、中学校だ、やれ老人クラブだ子供クラブだと、もう、頭の中はごちゃごちゃ。
 秘書がほしいよゥ!!
 ここにきてやっと、2日間の何もない日が取れそう。
 我家のことがすっかりお留守になった。あれもこれもと、やらなければならないことがいっぱい。
 この2日間で、どこまで挽回できるか!?。

 

5月4日(日)

「じいちゃん魚釣りにつれてって」と孫が言う。「エッ本気かよ」
今は釣れない時期だけど、でも、もしかしたらメバルの4,5匹ぐらいはつれるかも、と名護屋の波止場に行ってみた。
 まき餌を海に落としてみたが、何もいない。こりゃ無理かな?と思いつつサビキ竿を2本たててみた。
 案の定、1時間経っても2時間経っても、何の反応もない。
 孫がしきりに帰ろうと言いだした。
「よし、帰ろう。これが最後の一投だ」と、最後に入れた一投に小さな小さなフグが掛かってきた。
 孫は持って帰ると言う。「残念ながら、これは食べられない魚だよ」と言うと
 家に帰るや「ほら見て。残念ながら食べられない魚が釣れたよ」だって。
 残念ながらの意味分かってんのかな?

 

5月1日(木)

 最近、メタボが気になって歩いている。約1時間程度。
 肥えるときも、痩せるときも腹からと言う。なるほど、少し腹がへこんできたようなので、体重を計ったら1.5s減っていた。
 今がベスト体重だから、別に減らなくてもいい。現状を維持したいのだが、なかなかうまくいかない。
 それにしても、歩くとすがすがしい。頭がもやもやするときなど、歩けばすっきりする。
 湊まで歩いたり、鳩川に行ったり、上葉堤まで坂道を登ったり。
 フキ・ツワブキ・わらび・ぜんまいなどの山菜も目に付くし、新しい発見も多い。

 

4月22日(火)

 一昨日「唐津市戦没者追悼式」に行って来た。
 戦後63年、戦争の記憶も薄れ、戦争の悲惨さを知らない世代が多くなった昨今。日本の指導者の一部にはまた危険な道に誘導しそうな雰囲気が漂う。
 そんな中、世界には、日本の平和憲法を高く評価し羨む多くの国々があることや、永遠に戦争の放棄をうたった「日本国憲法第九条を世界遺産に」しようという動きがあることは、胸を温めてくれる。
 それはそうと、とにかく忙しくなった。あらゆるものが一度にドサッときて、何から手を着けていいのか分からない。
 電話はかかってくるし、頭の回転は鈍くなったし……。
 ホームページの更新もままならなくなりそうで、これが気がかり。鼻歌作曲も、それどころではなくなった〜〜。

 

4月18日(金)

 とうとう相賀の区長を引き受けざるを得なくなった。交代したばかりで、何から手をつければいいのか、現在四苦八苦中。
 今までも何回か話があったけど断り続けてきた。でも今回は選挙での総意。どうしても断れなかった。
 もともと定年退職したら、便利な都会での暮らしがしたいと思っていた。それが実行できずにここまできていたのは、年老いた母親のことがあったから。
 こんなことなら、早く実行していればよかった…と、あとの祭り。
 でも、引き受けたからには仕方がない。2年間どこまでできるか、全力を尽くすしかない。
 ところで、今日は67回目の誕生日だった。

 

4月6日(日)

 4日から3日間小倉に行って来た。ちょうど桜が満開でどこへ行っても花見客でいっぱい。あっちを向いてもこっちを向いても桜・桜・桜
 息子の社宅から会社はすぐそばで、休みの日でもサービス残業。好きな仕事をしているのだから、まァいいか。
 小倉城までは10分程度の散歩コース。リバーウオークもすぐ近く。保育園、スーパーもすぐ隣ですごく便利。
 孫もすこぶる元気。散歩コースに遊園地もあって、そこで遊び出したらもう夢中。目が離せないから、遊び相手も疲れるよ。

 

4月2日(水)

 デジカメの調子がおかしくなった。液晶画面が薄ピンク色のモヤがかかった状態になって景色が映らない。
 シャッターは切れるので、液晶だけの問題かと思ったら、写真もピンクのモヤ状態で写っていなかった。
 寿命にしてはまだ早い。保障証を出してみたら、1月24日で5年の保障切れ。あ〜ァ。  そうか、もう5年も経っていたのか。
 修理しようか、買い直そうか迷ったが、デジカメ業界も日進月歩。5年も経てば性能のいいやつがどんどん出ている。
 この際だ、買い直そう。…てなわけで買っちゃった。キヤノンIXYデジタル。

 

3月29日(土)

 今日は妻の誕生日。どこかで花見でもしようと娘が言い出したので、それではと、福岡の愛宕神社・西公園・舞鶴公園で桜三昧と行く予定だった。
 ところが、このところの冷え込みで、なかなかつぼみが開かない。
 誕生日を変更するわけにはいかないし、「ままよ」と出かけたが、やっぱりどこも1分咲きか、ちらほら程度。品種によっては満開の木が1,2本あったりなかったり。
 それでも、天気はいいし、土曜日とあって花見客は多い。あちこちにシートが張られて宴会の場所が確保されている。
 花はまだでも、娘と3人、あちこち回って、妻も上機嫌だったのでまァいいか。
 でも、夜は雨が降ってきたけど、あのシートやゴザはどうなったのだろうか? 他人事ながらチョッピリ心配。

 

3月25日(火)

 全国の地価が公示された。平均的には2年連続の上昇だとか。
 でも、上昇しているのは都会だけ。
 佐賀県は下落率は鈍化して入るもののやはり下落中。もちろん唐津も。
「中町も、唐房も、相知も呼子も、下落ばかり」田舎ほど下落率が大きい。
「相賀も下落だろうね」
「ハハハ、相賀は値段なし。売ろうにも、買い手がないから売れない。」
「これって、すごい格差社会だよ。福田さん」

 

3月19日(水)

 外は暴風雨。雨は大したことはないが、風がものすごく、ちょっとした台風並み。
 我家の敷地内には電柱があるので、電線がゴ〜ウ、ゴ〜ウとすごいうなり声を発している。
 先ほど、北九州・遠賀地方、壱岐・対馬・五島地方に続いて、唐津地方にも暴風警報が発令された。
 もっとも、警報が出ると、なぜかそこがピークで、徐々におさまることが多い。
 特に大雨警報は発令された時が皮肉にもピークか、峠を越えている。
 雨でも風でも雪でも、警報が発令されると、もうすぐ終るとホッとする。
 気象庁さん悪いネ。アマノジャクより!?

 

3月14日(金)

 昨日は福岡までフラメンコを観に行って来た。
 フラメンコに特別な想いはないけれど、切れのいいラテンリズムが好きだから。
 フラメンコといえばスペイン南部が本場。『ミゲル・アンヘル舞踊団』はその本場のフラメンコ舞踊団として有名だとか。
 「ミゲル・アンヘル」。彼はそのスペイン南部のアンダルシア地方の出身というから、まさに本場中の本場の出身だ。
 フラメンコはギターと太鼓の強烈なリズムに乗って、手足を打ち鳴らして踊る激しい情熱的な踊り。
 特にミゲル・アンヘルはタップがすばらしい。強烈に打ち鳴らす足音は片時も止まらない。
 まさに彼の一人舞台で、あの激しい踊りがよく続くものだと感心した。
 それだけに3人の女性ダンサーたちの出番が少なかったのが、唯一物足りなかったか…。でも2時間たっぷり楽しめた。
 二階席では少し遠すぎた。今度は1階の10列以内で観てみたい。

 

2月26日(火)

 昨日2月25日は母の誕生日で、施設で祝ってくれた誕生会に出席してきた。
 大正5年生まれだから92歳。これで我家では、曾祖母の長寿記録に並んだ。あとはどこまでこの記録を伸ばすか楽しみ。
 預かってもらっている施設は、グループホームだから、定員は9名までで、その中では最高齢にもなっているそうだ。
「今日は何のお祝いか分かる?」「さァ???……」
「ほら、みんなで誕生ば祝ってくれよらすとて」「へェ〜 そやんや」
「いくつになったね?」「???分からん」
 相変わらずこんな会話が続く

 

2月24日(日)

 朝起きたら雪が降っていた。この冬初めての雪だ。風も強く外は嵐。
 暖冬の予想が外れて、1月に入ってからは気温の低い日が続いた。でも、雪は降らなかった。
 昨日までは比較的暖かかったが、なるほど今日は寒い。
 積もるほどの雪ではないけれど、瓦の溝と畑がうっすらと雪化粧している。この程度の雪でも最近は珍しくなった。
 その雪もすぐに解けてしまって、今は雨になったり、みぞれになったり。

 

2月11日(月)

「灰ふりまつり」で賑わう湊の八坂神社
 唐津市湊町に通称「厄神さん」という神社がある。2月の11日はその八坂神社の神祭で、大勢の参拝客で賑わう。
 参拝に行くと、入り口で、41歳の厄年の男衆が灰を振りかけてくれる。「灰ふり神社の灰ふりまつり」とも言う。
 この灰を振りかけてもらうと、1年を無病息災で幸せに暮らすことができるといわれている、とても有難い灰だ。
 神功皇后の古事に倣ったもので、灰は榊を焼いたもの。昔は頭から振りかけていたが、さすがに今は足元に少し振りかけるだけ。
 厄年の人は、本殿にあがって厄を払ってもらうこともできる。また、袋に詰めた灰を、お土産に買って帰る人も多い。

 

2月6日(水)

 昨年の正月に、今度生まれ変わったら作曲家になりたいと書いた。農家の長男に生まれ、当然のこととして、農業を継ぐこと以外は考えもしなかったから……。
 先日、娘が「あるよ、お父さん。鼻歌入力で作曲できるソフトが」と言ってきた。
 それらしいソフトがあることは知っていた。でも、ソフトを買っても、おそらく使いこなせないだろうと、本気ではなかった。
「今度は本屋さんから雑誌として発売されたから、買ってみたら」と娘が勧める。
 本のタイトルは『マイミュージックスタジオ』=パソコンで作曲。楽譜が読めなくても、楽器が弾けなくてもOK! 鼻歌で入力できる=というのがミソ。テレビでも宣伝している。
 早速、創刊号を買ってきた。もちろん完成させ、使いこなせる自信はない。本代も結構かかる。
 でも、付属のCDでソフトをインストールして、サンプル曲を鳴らしてみると、何だかやれそうな気もしてきた。先は長いが、果たして……。

 

1月26日(土)

 週に1回を目処に母のグループホームに行くことにしている。今朝も行ってみるとやたらと眠たそうで、会話ができる状態ではなかった。
 それでも私を見ると満面の笑みを浮かべる。ただし息子としてではなく兄貴に見えてるようだ。
「この人誰ですか?」「兄さん」。娘時代に戻っているのか、そんな会話が増えてきた。
 帰りに買い物をして、我家に着いたらすぐにホームから電話があった。母の様子がおかしいので病院に連れて行くという。
 最近急に血圧が下がって意識がおかしくなったり、吐いたりするらしい。
 病院で検査を受けてみても血圧は正常に戻っており、どこも悪くはないとのことで、しばらく様子を見ようということになった。
 あと1ヶ月で92歳になる。歳も歳だし、どこかに多少の異常はあっても当たり前かもしれない。

 

1月23日(水)

 携帯電話を買い換えようと思って、ソフトバンクの各店を回って見たが、なかなかいい機種が見つからない。
 それにしても「0円」「0円」の表示は何だコリャ。
 「月負担額実質0円とか380円」とかの表示がやたらと目立つ。
 説明を受けると分割払いの頭金が0円だったり、使用額が2200円を上回った場合、2200円の特別割引があるから実質0円で、最低2200円は払わなければならないとか。
 だったら、この表示はインチキじゃないか。……と憤ってみても、あまり使わない者にとっては、やっぱり基本料金980円は魅力何だよなァ。
 インチキといえば、あるスーパーで買ったジャンパー。値札に「美濃屋(株)」と表示してあるから、てっきり日本製かと思ったら、上に MADE IN CHINA と書いてあった。
 これもインチキ表示ではないのかねェ。
 やっぱり日本列島には「偽」が充満しとるぞ〜〜。

 

1月18日(金)

 株価が下げ止まらない。年末大納会から1900円近くも下げた。もうそろそろと思って手を出せば痛い目にあう。
 今回の株安。もとはといえばアメリカのサブプライムローン問題に端を発しているが、それだけでは説明がつかない。
 当のアメリカよりも日本の方がはるかに下げているからだ。
 最近の日本株の取引の6割は外国人。日本株はこの外国人に見放されて、売り浴びせられている。
 決して業績は悪くなっていないのになぜ? それは政府日銀の政策の失敗にある。
 第一は、昨年日銀が政府の圧力に屈して利上げを見送ったこと。
 第二は政治の混迷。与党も野党も党利党略ばかりで、今後の日本のビジョンが描けていない。
 第三は、アメリカの政策変更が読めず、外需主導から内需主導に転換する時期を逸した。
 これらが、外国人の失望売りを浴びた原因だろう。
 でも、日はまた昇る。日本株だって捨てたモンじゃない。

 

1月8日(火)

 また一人幼馴染が他界した。正月早々、おとそ気分も覚めやらぬ4日朝のことだった。物心着いたころから、いつも一緒に遊んだ竹馬の友だった。
 明るくて、ユーモアがあって、とんちが利いて、いつも皆を笑わせる、とてもいい奴でもあった。
 東京警視庁を途中退職して、唐房で整骨院を開院していた。
 66歳はまだ若い。これからが自分の時間が取れて、人生を楽しむことのできる年代になったばかりだ。
 柔道6段、空手も5段だと聞いていた。とても頑強で、朗らかで楽天家だったので、一番長生きするタイプだと思っていたのに…。
 通夜と葬儀の受付を手伝って、弔辞を詠んで、灰になった友を見送ったら、何だかむなしさだけがこみ上げてきた。

 

1月1日(火)

 今年もまた一つの年が過ぎて新しい年が明けた。
 新しい年になったからといって特別な感慨はなくなったけど、何となく気持ちまであらたまる。
 気分一新、このホームページのタイトルを変えてみた。「悠々自適」から『海辺の詩』へ。
 悠々自適はあくまで希望。現実にはとてもそうは行かない。悠々自適なんて、おこがましく感じるようになったから。
 我家は潮の香りのする海の近く。海辺の詩ならぴったしだ。
 同時にフラッシュやマウスストーカー、MIDIなどをトップページからはずして軽くした。できるだけ多くの人に、気持ちよく見てもらうために……。

 
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