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2007年
12月22日(土)

 今年も押し迫ってきた。正月まであと1週間余りになった。1年がとても早い。
 年賀状を作り上げた。妻が「66歳が出す年賀状じゃないね」といって笑った。そうかも知れない。
 来年はねずみ年。“本年もよろしくお願いしまチュー”と書いた。
 昔は版画を彫ったりして、手の込んだ賀状にしていたが、最近は手っ取り早くパソコンで作る。
 もらった方は有難みは少なかろうが、年に一度の元気の便りにはなるだろう。
 年賀状も歳とともに、年々枚数が減っていく。元職場の先輩たちが一人欠け二人欠け。寂しくなるなァ。

 
12月13日(木)

 今年の世相を最もよく現している「今年の漢字」が“偽”と発表された。
 こんな字を書かなければならなかった清水寺の和尚さんならずとも、「何とも恥ずかしく、悲憤に耐えない」。本当に嘆かわしい世の中になったものだ。
 私は“謝”が選ばれるかなと思っていた。テレビや新聞では「すみませんでした」とやたら謝る場面を見てきたから。
 それに“謝”なら感謝にも通じるので、幾分救われるかと思ったからでもあった。
 それにしても今年1年、“謝る”場面が何と多かったことか。亀田親子のように、まったく人を食った謝り方もあったし…。世間に頭を下げた人達が、果たしてどこまで反省していたのやら。

 
12月10日(月)

 久しぶりに友達から魚釣りのお誘いがかかった。今まで釣れていたアジはさっぱり釣れなくなったそうで、今日の狙いはクロ。
 クロの正式名称はメジナだが、唐津地方ではクロで通っている。
 8時半から釣り始めて12時までは、二人とも1匹も釣れない、今日は釣れない日らしい。
 「あ〜ァ 今日は素手ぶって帰らんならんかな。昼飯でも食おうかい」そう言って、握り飯に食いついた途端に浮がポクッと沈んだ。
「オイオイ来たぞ、ばってん小さかな」まずは友達に20cm級が来た。続いて25p級がまた友達にヒット。さすが!!。
「俺んとにゃ何で来んとや」そう言っていたら来た来た25p級。
 それからはボツボツ釣れて、4時までに15匹。目標は10匹だったので、型は小ぶりだけどまずまずの釣果だ。
 「今日は釣れんだったなァ」と、彼は言う。いつもはこんなもんじゃないそうだ。
 「正月前にもう1回行こう」「うん、よろしく頼むよ」

 
12月3日(月)

 久しぶりにまとまった雨が降った。本当に久しぶり、何ヶ月も降っていないような気がする。
 最近は1年を通して雨が少ないように感じる。特に秋から冬にかけてが少ない。夏のようには目立たないだけ。
 今回は九州北部から西部が少ないようで、既に佐世保では給水制限だとか言っていた。ダムに溜まるだけの雨は降ってないよなァ。気の毒に……
 雨なんてうっとうしいだけ、降らない方がいい。なんて思っていたら大間違い。山の木々も畑の作物も生き生きしてくる。
 畑がカラカラだったので、雨が降ると忙しい。雨上がりの野山もすがすがしい。12月なのにちっとも寒くないし。

 
11月23日(金)

 『太閤道一里塚』を見たいという友達を案内して、久しぶりに『名護屋城博物館』に行って来た。
 太閤道一里塚は、太閤秀吉が名護屋遠征のおり、道しるべとして1里ごとに塚を立てたもの。
 農道のそばに立てられた塚は後に復元されたもので、当時のものは残っていないが、そこに通じる道はそれらしい面影を残している。
 「呼子で有名なイカの活造りを食べたい」というので、加部島に渡った。イカは今の時期は水イカで、少し硬い。
 名護屋城跡は、中国・朝鮮半島侵略をもくろんだ豊臣秀吉が、この地に城を築いて出兵基地とした所として、国の特別史跡に指定されている。
 博物館は、この広大な史跡の保存整備のための施設として建設され、当時の資料や、集結した諸大名の陣跡、日本と朝鮮半島との交流の歴史などが分かりやすく展示されている。
 城跡に登ったら、本丸のあった辺りは何か出土したのだろうか、あちこち掘り返してビニールシートが被せてあった。

 
11月7日(水)

 やっとイタリア旅行記が出来上がった。この10日間何もせずにはまってしまった。
 写真と説明を結びつけるのに苦労した。500枚の写真の中から選び出すのも大変だった。
 長たらしい説明文を書いても、読んでくれる人は少ないことは分かっている。でも、説明にこだわった。間違ったことは書けないし。写真も多く載せたいし。
 後々読み返して懐かしむことのできる旅行記にしたい。これこだわりの旅行記。

 
10月27日(土)

 念願のイタリアに行って来た。10日間の日程で多少疲れたが、とても楽しい10日間でもあった。
 ミラノからベローナ、ヴェネツィア、フィレンツェ、ピサ、シエナ、アッシジ、ボメツィア、ローマ、ナポリ、ポンペイと南下するコース。
 3日目から2日間は急に冷え込んで、フィレンツェからアッシジまでは寒いこと寒いこと。ローマの天気予報では、最高気温15℃、最低気温はなんと1℃だったそうだ。
 つい2週間前までは28℃もあって、半袖だったそうだから、イタリアも異常気象だろう。
 ポンペイのヴェスヴィオ火山は雪化粧。運転手は、この時期の雪化粧は珍しく、今年はじめて見たと驚いていた。
 最終日は、自由行動だったので、ツアーには入っていなかった、ローマの古代建築群と、映画『ローマの休日』でおなじみの地を歩き回って堪能して帰ってきた。
 記憶に新しいうちに旅行記を書き上げなければ……。

 
10月8日(月)

 久しぶりに魚釣りのお誘いがかかった。最近はあまり釣れなかったから誘わなかったのだそうだ。
 我家から直線で100mも行けばそこは海。そこから1kmも出ないところが釣り場。狙いはアジ。
 昨日は入れ食い状態だったそうだが、果たして今日はどうか?
 朝6時半出港。あいにく天気はよくない。時々通り雨。たまにはゴロゴロ雷まじり。合羽を着て釣り始めはうっとうしいが仕方ない。
 通り雨は10分もすれば止んで、入れ食い状態ではないけど、そこそこ釣れる。25p前後の中アジに時々サバが混じる。外道?にヒラメが1匹きた。
 1時ごろ餌がなくなって終了。大漁とまではいかなかったが、そこそこ釣れて、楽しい半日。満足!!

 
9月20日(木)

 イタリア旅行を申し込んできた。カナダとどちらにしようか迷ったが、結局カナダは後回し。
 イタリア語はもちろん英語もしゃべれないから、ツアーでないと自分たちだけでは動けない。もちろん全食事つき。
 「全然しゃべれないのによく行くね」という人もあるけど、ツアーだから全然心配ない。皆について行くだけ。それにヨーロッパは前に一度経験あるし。
 国内もまだ行っていないところが多いけど、まずは外国から。動けるうちに遠い所から行っとこう。

 
9月15日(土)

 久しぶりに伊万里へ行ってきた。目的は佐代姫神社の写真撮り。
 伊万里から西有田経由で佐世保に行くコースは時々通る。この春にも通った。でも松浦に行くコースは何年ぶりだろう?
 現役時代には仕事でよく来た所だが、本当に久しぶりで懐かしい。あちこちで新しい道路が整備されつつある。
 目的地は浦之崎の「佐代姫神社」。
 異説「佐代姫物語」では佐代姫が流れ着いたとされる、佐代川の傍らにその神社はあった。
 すぐ傍は浦之崎病院で、物語り当時に建てられたという塚は、この病院の敷地内にある。
 「佐代姫神社」は、病院のすぐ裏にあって、塚より後に建てられたという。
 かなり古く、手入れもままならないようで、今にも崩れそうなたたずまい。
 あまりお参りする人もなさそうで、絶世の美女が祀られている神社にしては、いささか薄気味悪ささえおぼえる。
 お参りする気にもなれなかったので、すばやく写真におさめて、早々に退散した。

 
9月3日(月)

 31日から3日間、孫と遊びに小倉へ行ってきた。
 孫の通う保育園で敬老行事があって、園児とじいちゃん・ばあちゃんの触れ合いのひとときが計画されていた。初めての出席。
 日一日と成長している孫を見るのはとっても楽しい。もう少し近ければ……。
 子供は成長と共に“我”も強くなる。3度のご飯を食べないことに息子夫婦は悩んでいる様子。
 叱れば泣いて勝負する第一反抗期。子供の成長期によくあるパターン。
 親は、「食べろ食べろ」とやかましく言う。何かで腹が満たされているから食べないのに…。
 腹が減れば必ず食べる。「食べるな!」と言って、何も与えなければいい。3時間もすれば何か食べたいと言ってくるはず。
 よく見ていると、食事前にジュースやお茶をガブガブと飲んでいる。特にジュースはいけない。食事前に甘いものを摂ると、食欲そのものがなくなるから。
 自分の子供時代、子供たちの幼少時代を思い出して、泣いて勝負する孫に、つい大きな声を出して叱ってしまった。
 泣いて勝負するのは、実は自分の子供時代を思い出したからだ。
 息子夫婦には「悪いな」と思ったが、分かってくれただろうか。
 たまたまだったかもしれないが、ためしに午前中何も飲食させなかったら、お昼は「おいしい!おいしい!」と言いながら、結構食べてくれた。

 
8月22日(水)

 いやァ びっくりした!! 佐賀北ナインもどえらいことをやってくれたもんだ。
 「君たちは偉い!!」「佐賀県の誇りだ!!」
 開幕第一試合を制したと思ったら、あれよあれよの快進撃。遂に全国制覇だもんね。感動したよ。
 毎試合見ていたけど、その都度強くなっていくのがよく分かった。
 13年前の佐賀商業を思い出した。まるで神がかり的な快進撃だったけど、今回もそうだった。
 帝京戦では何回も目をつぶったけど、守って守って、結局さよなら勝ち。
 今日の決勝戦も4点取られたときは、負けたと思ったけど、まさかの大逆転勝ち。13年前の佐賀商業も決勝戦で満塁ホームランが出たっけ。
 守りもよく守った。傑出した選手もいない。体格も決して大きくない。むしろ小柄な君たちが、それでいて、この大偉業を成し遂げた。
 まさに全員野球の真髄を見せてくれた。
 『おめでとう佐賀北高校選手諸君!そして感動をありがとう!!』

 
8月18日(土)

 お盆も終って、子供や孫たちも帰っていって、またもとの夫婦だけの静かな生活に戻った。
 一人しかいなくても孫が来ると、家の中は孫中心になって振りまわされる。でも、これがまた楽しい。
 今日は、またいつもの友達にアジ釣りに連れて行ってもらった。
 例によって釣れる釣れる。30〜40cmの大アジがクーラーには入りきれないほどの大漁だ!!
 半信半疑だった子供や孫たちにも、大きなアジを見せることができた。
「うわァほんとに大きいね。こんなにでかいの見たことないよ!!」そう言いながら刺身を食べてくれた。
 疲れたけど、充実の一日。心地よい疲労感が全身を爽快にする。

 
8月6日(月)

 近所の友達が魚釣りに誘ってくれた。狙いはアジ。
 彼の船は足が速いから、少々離れた釣り場でもすぐに着く。朝の7時頃から釣りだした。
 やがて当たりがあって、まず釣れたのはエソやカナトフグなどの外道。でも、すぐにアジやサバが釣れだした。
 サバが多いので少し場所を移動したら、釣れるわ釣れるわ、40cm級の大アジが休みなしに釣れる。
「少し休ませてくれよ」なんて贅沢なことを言いながら釣る。時にはリールが巻けないほど強く引く。
 これぞ釣りの醍醐味。とても楽しいひとときだ。
 時にはダブルでかかってくる。買ったばかりの竿が折れそうにしなる。
「いや〜ァ よく釣れた!!もういいよ。帰ろう」…午前中で引き上げた。
 刺身にしても、半身も食べきれない。冷凍庫いっぱいに保存して、残りは親戚や知人に配った。
「あ〜ァ 気持ちいい〜〜」

 
7月31日(火)

 予想通りの自民党大敗、民主党大躍進。でも何かが違うんだよなァ。
 選挙戦の最中には「私と小沢代表と、どちらが首相にふさわしいかを問う選挙」と言った安倍首相。
 これって、“負けたら辞める”という意味ではなかったの!?
 なのに、大敗の開票が終わりもしないうちから“居座り宣言”
 言うことと、することがまったく違うじゃないか!安倍さん!!
 「内閣改造と役員を一新して最後まで改革を実行するのが私に与えられた使命」とは?????……民意とはまったくずれてる神経はさすがボンボン政治屋。
 “末は博士か大臣か”とは、昔よく使った言葉だが、今は政治家になりたいという子供はいない。
 「大臣と一緒にしないで欲しい……博士」先日の新聞に、こんなコラムが載っていたとか。 そうだ!そうだ! 大臣なんて地に落ちたものだ。
 その博士号を先日息子がとった。働きながらとったのだから、その価値は大きい。相当苦労もしたようだ。共働き夫婦で、生まれたばかりの子供を育てながらの快挙。嫁の苦労と内助の功にも感謝しなきゃァ。
 親ばかでも、私には考えもできないことをやってのけた息子を誉めてやりたい。

 
7月29日(日)

 暑い!! とにかく暑い! どこにも出かけたくない! 何もしたくない!
 連日33℃前後の真夏日が続いている。海岸が近いので夜もあまり気温は下がらない。
 おまけに毎日寝苦しい熱帯夜が続いて、睡眠不足。もう身体が溶けて流れそう。
 それでも唐津はまだいい。佐賀は35℃以上の猛暑日が続いているとか。
 最近、腹が出てきてみっともない体形になってきた。何とか引っ込めなくちゃ。近頃はメタボなんかも気になる。
 歩くのが一番いいと分かっていても、暑くてとても外は歩けない。幸い我家にはウオーキングマシーンがあった。
 汗ブルブルになりながら、毎日二回歩いている。体重の増加だけは食い止めたぞ!!

 
7月23日(月)

 よく降った梅雨も明けて青空が広がってきた。夏休みもスタート、いよいよ夏本番。
 梅雨明けの青空にしては空気は比較的さわやか。朝晩は涼しいくらいで、夜も夏特有の寝苦しさはない。
 そういえばまだ気象庁の梅雨明け宣言は聞かないようだ。慎重なのかナ。でも、もう梅雨は明けたよ。
 夏といえば唐津は海水浴一色。わが「相賀の浜」も綺麗な海として有名になって、かなりにぎわう。
 昨日も松原付近の駐車場は満杯だったそうだ。ただ、昨日は少し風があったので肌寒かったのではないかなァ。
 朝はワッシワッシとセミがうるさいほど。子供の頃はあのセミを捕って標本を作ったものだ。
 標本が腐らないように薬液を注射したりして・・・。セミの一生は短いのに可哀そうなことをしたかな?

 
7月15日(日)

 7月の台風としては記録的な大型台風も、北部九州にはさほどの被害も残さずに通り過ぎた。
 ひとまずほっとしたものの、大きな爪跡を残した沖縄や南九州の皆さんには何だか悪いような気もする。被災された皆さんには慰めの言葉もない。
 “台風一過”といっても、梅雨時の台風だから、通り過ぎた後もスカッと晴れてはいない。霧のような小雨が降っているし、まだ風も時折ゴーゴーと電線を鳴らしている。台風はもう静岡県の沖合いに進んでいるのだから、別の低気圧の影響だろうか。
 家庭菜園の作物も、サトイモの葉っぱが吹きちぎられた程度ですんだ。
 でも、最近は家の周りにもアナグマが出没する。先日は大きく育ったスイカが2個やられた。あと十日もすれば収穫できるところまできていたのに…ちくしょー。
 周りに網を張りめぐらしても、穴を掘ってもぐってくるからどうしようもない。「犬猫寄らず」も効果なくお手上げ。
 イノシシ、アナグマ、カラスそして台風は年々大型化し脅威を増す。いやはや住みにくくなったものだ。

 
7月8日(日)

 マンボの王様といわれたペレス・プラード楽団が福岡にやって来た。
 5月のコンチネンタルタンゴの雄、アルフレッド・ハウゼ楽団に続いてのコンサート。
 タンゴやマンボのような歯切れのいいラテン系のリズムが大好きで、若い頃はよくレコードを買ってきては聴いていた。
 マンボは初めて聴く生演奏だったが、レコードやCDと違って、やはり迫力満点。腹の底から突き上げるようなリズムを体験できた。
 タンゴが上品なのに比べて、マンボはやや派手で上品さはない。
 だけど、体ごと溶け込めるリズム感はマンボのほうが上。それに3人のダンサーが花を添えてくれる。
 2時間があっという間に過ぎてしまった。

 
7月4日(水)

 何年ぶりだろう、巨人がスカッと勝ったのは? 福岡ヤフードームでの巨人対横浜戦のこと。
 毎年この時期、ヤフードームで行われる巨人戦に息子がチケットをプレゼントしてくれる。
 もうかれこれ9回ぐらいになるかな? 私が行くとなぜか巨人は負ける。
 いつも子供たちから「負け男」と笑われる。もうジンクスのようになってしまっていた。
 今年も6回までは拙攻もあって0対0、7回に1点取られたときはいやーなムード、もしかしてこのまま1対0で完封負け?
 でも、今日は違った。その裏、7安打を集中して一挙5点、胸のすくような逆転勝ち。
 前に一度だけ勝ったことがあるから、これで2勝7敗ぐらいかな?
 これで「負け男」の汚名返上といきたいものだ。

 
6月30日(土)

 近所の友達の船に乗せてもらって、久しぶりに魚釣りに出かけた。
 狙いはキス・アラカブ(カサゴ)・アジなど。狙い通りに行かなくても、船で行けば何かは釣れる。
 それに彼の船は足がとても速いから、あっという間に目的地に着く。
 まずはキスから釣り始めたが外道(?)にヒラメがきた。やったぜ!これで来た甲斐があった。
 次にアラカブ。ベラが邪魔して釣りにくかったが、何とかそこそこ釣れた。
 最後はアジ狙い。入れ食いとはいかなかったが、これもそこそこ釣れた。30cm前後の型のいいアジだから刺身も取れる。
 いずれも大漁とはいかなかったけれども、結構釣れた。
 福岡の幼馴染も一緒だったので、夜は例によって三人で酒盛り。
 姉も来て、夜のふけるのも忘れて、昔話に花が咲いた。

 
6月22日(金)

 “遅い梅雨 雨は降れども 水不足”
 水不足が気になり始めたところに、やっと梅雨入り宣言。
 ほっとひと安心と思いきや、毎日毎日パラパラと降りはするものの雨足は弱く、ほんのお湿り程度。
 これじゃ、うっとうしいだけで水不足は解消どころか、水ガメは減る一方。上場ダムの農業用水向けはすでにストップ。
 このままでは飲料水にも制限がかかるのは時間の問題。
 南の方は降っているようだが、北部沿岸はここ数年少雨傾向が続いているように感じる。
 梅雨時に少雨が続けば、梅雨の最後頃にドカ雨が降って各地で豪雨災害が発生する傾向が強い。果たして今年は?

 
6月15日(金)

 同年代の古い友人たちがそれぞれ定年を迎えて、時間が余るようになった。
 子供の頃はよく遊んだ友達も、住所を離れ、バリバリ仕事をやっていた頃にはつい疎遠になっていた。
 最近は、そんな古い友達との交流が復活して、ハナタレ時代を懐かしむことが多くなってきた。
 福岡市の周船寺に住む友人もその一人。近所だったので子供の頃はいつも一緒だった。
「びわン成っとるばってん、穫りにこんや」と誘いをかけたら「おう、来る来る」と、二つ返事でやって来た。
 彼は料理が得意で、特に彼のカレーは一級品。いつも手みやげに持って来てくれる。わざわざ氷で冷やして…。
 ところが、今日に限ってあいにくの雨。おまけに風まで出てきて、小嵐のようになった。
 それでも「せっかく来たけん、行こい」。合羽を着て、びわ畑に出かけた。
 大粒の雨が目に入るし、横殴りの風も結構強い。でも、そんなことは大した障害にはならない。彼はスルスルとびわの木に登った。
 子供の頃の話を弾ませながら、それぞれ両手に下げきれないほど穫って
「まだいっぱい成っとるけん、持って行け」そう言ってどっさり持たせてやった。
「うわッ、こやんたいそうや、ありがとう、じゃァな」そう言いながら帰って行った。
「また来いよ。今度来るときゃカレーの作り方ン講習バしてくれ」
 夕方には別の高校時代の友達が菊の苗をもらいにやって来た。「ちょうど良かった。びわも持っていかんや」
と、びわを持たせたものの、彼は糖尿で、あまり食べられないという。

 
6月5日(火)

 大村市の花菖蒲を見に行った。まだ七分咲ということで満開までには1週間ばかり早かったが、それでも江戸系・肥後系・伊勢系など30万株の花菖蒲は見事。
 大村市役所や競艇場に隣接するこの大村城(玖島城)跡は、大村公園として大村市民の憩いの場所だが、花菖蒲はそのお堀跡に植えられている。
 そのまわりに植えられている桜も見事で、桜から、つつじ・花菖蒲まで長く花が楽しめる。
 何よりも、公園だから入園料が要らないのがとてもいい。
 そのあと、佐世保に回って九十九島遊覧に出かけたが、船は15:00が最終便で、10分遅れは出港したばかり。
 それならと、動植物園(亜熱帯植物園)に行ったら、動物たちを引き込む時間ぎりぎりで、動物たちは間もなくいなくなる。
 動物がいなくなって植物園だけになっても入園料が安くなるはずもなく、ここでも残念。
 帰り道に有田のラベンダー園に寄ってみたら、「もう、ラベンダーはやっていないよ」だって。
もう!なんちゅうこっちゃ!!

 
6月3日(日)

 桃の袋かけをした。昨年一昨年と不作で、ほとんど収穫できなかった桃が、今年はたくさん実を着けている。
 さすがのイノシシ君も木には登れない。ところがどっこい、空にはカラスや小鳥たちが待っている。
 桃の場合、コガネムシや蜂・アリなども大敵だ。特にコガネムシは桃が大好物。
 そこで、これらの虫類から実を護るために袋をかぶせる。
 100袋かぶせたが、果たして何袋がものになるのだろうか。
 一方ビワが収穫期を迎えている。昨年は裏年で収穫皆無だったが、今年はそこそこ成っている。
 ところが、今年のは肌が汚くていけない。
 病気なのだろうか、果実の表面に傷がついていて、いくら唯でも他人さまにやるにはちと気が引ける。やれやれ。

 
5月25日(金)

 筑紫野の幼馴染とコンチネンタルタンゴの雄「アルフレッド・ハウゼ」オーケストラのコンサートに行った。
 昨年に続いて2度目だから、曲はおなじみ。CDも持っているが、生の演奏は何度聞いても聞きあかない。
 彼とは、小さい頃から兄弟のようにして育ったせいか、好みも似たようなもの。
「7月にはペレス・プラードが来るぞ」
「よし、それにも行こう、チケットば買うとけ」と、話はすぐまとまる。
 コンサートが終って、バスセンターに向かおうとしたら、「えっ 今夜は泊るとだろうもん?」と言う。
「うんにゃ 今日は帰るつもりだった」
「泊れよ 酒飲もうや そのつもりで準備もさせとるし、明日は休暇も取っとるけん」
「う〜ん、泊るつもりじゃなかったけん、何も準備しとらんばってん、そんならお邪魔するか」
「よっしゃ!」
 結局、彼の家で明け方の3時まで飲んで、翌日は鳥栖の親戚の家へお邪魔した。
 筑紫野から鳥栖までは約30分、初めて行ったので、とても喜んでくれた。行ってよかった。

 
5月20日(日)

 昨日は3年ぶりの同窓会。出席者は15名と多少淋しかったが、47年ぶりに会う友もいて、結構楽しいひとときを過ごすことが出来た。
 47年ぶりに会えば、変わってしまって全然分からない人もあれば、高校時代の顔がそのまま歳を重ねたような人もあって、一目で分かる人もある。
 総じて、男性の方が女性よりも歳をとった人が多い感じ。それでも旅館の仲居さんによれば「へぇ皆さん65歳ですか。若いですねぇ」ということになるようだ。
 「そう、若いんです。まだまだこれからなんです」と言いながら、昔の話がはずむ。
「俺たちは、学校の敷地の開墾にはしょっちゅう駆り出されたけど、新校舎には入れなかったもんな」
「そうそう、よくモッコ担いだなぁ。今の若いもんはモッコって知らんだろう」
 その敷地には今では立派な校舎が建って、昔の面影はまったくない。

 
5月16日(水)

 私たち夫婦は、ただいま家庭内別居中!
 我家は夫婦2人だけ、家は古いけど部屋は9部屋あるから、別居には事欠かない。
 テレビだって4台あるし、それぞれ好きな番組を、勝手気ままに見放題。
 別居は妻に風邪をうつさないため。テレビの番組は好みがまるで違うので、一緒に見ることはほとんどない。
 それにしても頑固な風邪だ。今日になってやっと治り始めたところだが、ひき始めは6日前。
 近く同窓会を控えているので、早めに病院に行ったのに、よくならないばかりか、悪くなる一方だった。
 3日分の薬がなくなったので、薬を換えてもらったが、それでも効き目がなく、さらに悪くなった。
 たまらず、昨日は別の病院に行った。
 ところが今度は薬が合わなかったのか、アレルギー反応が出た。でも、これが風邪には効いた。病院には浮気が必要だ。
 薬は別のと換えてもらって飲んでいるが、今日はやっと穏やかな気分。

 
5月12日(土)

 久しぶりに風邪をひいた。何年ぶりだろう。
 以前は一冬に3回ぐらいひいていたけど、最近は滅多にひかなくなった。
 ただ、ひいたら1週間ぐらいは治らない。
 早めにと思って病院に行って薬をもらってきたけど、今のところあまり効果はない。
 風邪をひく回数は減ったが、ひくときは不思議と春先の4、5月にひく。寒い冬にはひかないのになぜだろう。
 季節の変わり目、暖かくなって、ほっとした気の緩みかな…。

 
5月2日(水)

 去年の夏ごろから、家の周りや菜園内を、やたらと穴を掘りまわす動物が出没しだした。
 菊苗や球根が堀り起こされている。はじめは犬かと思ったが、犬にしては穴が小さくて深い。どうやらアナグマのようだ。
 昨年はあちこちで、スイカが随分やられたらしい。スイカの中を綺麗にくり抜いて食べるので、皮はそのまま残っているとか。
 網囲いをしても、土にもぐって入ってくるので、始末におえないらしい。
 山にはイノシシがのさばっているので、アナグマたちは山を追われて里へ降りてきたのだろう。
 今年あたりは我家のスイカもやられるかもしれないが、でもやはり作りたい。5本植えた。

 
4月19日(木)

 昨日は誕生日だった。66回目。思えば遠くへきたもんだ。
 娘がケーキを持ってお祝いに来てくれた。
 誕生日もここまで来れば、特別な感情はない。
 別に歳をとりたくないとか、66歳なんていかにもおじいさんだとか、もうどうでもいいことで、淡々と歳をとっている感じ。
 夕食は、ご馳走でも食べようというので、「旬彩」(店の名前)に出かけた。
 器がなかなか凝っていて面白い。値段も手頃だし、ちょっとした宴会などにも利用できそうだ。

 
4月14日(土)

 鯨と高速船の衝突で遂に死者が出た。博多〜釜山間に就航している韓国の高速船コビーでの事故。負傷者も27人だとか。
 この海域では、ビートルも何回となく衝突事故を起こしている。
 ここは昔から鯨の多いところだ。南方から対馬暖流に乗って来るのだろう。
 かって、呼子沖の小川島には捕鯨基地さえあった。
 他の魚は乱獲が進んでいるのに、鯨やイルカは獲らせない。
 増えるに任せているわけで、これでは魚の生態系も乱れるというものだろう。
 昨年夏に、かっての同僚と数人で呼子の朝市に行ったときのこと。
 魚売りのおばさんが、
「昔はイワシやサバ・アジなんかは腐るほど獲れた。獲れ過ぎて肥料にしたもんだ。ところが今は、そこら辺ではさっぱり獲れん。鯨が食ってしまうから」
「政府のお偉いさんに、鯨を獲るように言って下さい。あんた達も偉そうだから」……だって。
 ん? ん? ん?

 
4月11日(水)

 妻の入院以来、料理をつくることが多くなった。料理なんて言えた代物ではないが……。
「これが意外と美味しかとよ」なんて、妻が子供たちに宣伝したらしく
「えッ お父さんの料理? 作りきらすと?」と、子供たちは信じられない様子。
 無理もないよなァ 炊事洗濯なんて、まるでやったことなかったもんなァ。
 先日は娘が早速賞味にやって来た。
「うん、うん、いける いける」なんて言って帰った。
「俺だって、やろうと思えばできるんだよ。もともと俺は器用なんだから…。ただ、やろうという気にならないだけさ」…なんて、変なところで胸を張った。
 今度は次男が食べに来るという。 ゴールデンウイークになれば、長男夫婦も帰って来る。父親の威厳を示さにゃァ。
 豚もおだてりゃ木に登るわサ。

 
4月6日(金)

 先日、遠い親戚に不幸があったので、通夜と葬式に出席した。
 参列者の中に、久しく会っていない高校時代の同級生によく似た人がいたので、つい声をかけてしまった。
 もっとも、その友達かどうかは、はっきりしなかったので、「間違いだったらごめんなさい」と断って声をかけたのだが…。
 小さな声で「違います」と言ったその人の顔が、とても迷惑そうな、何とも不愉快そうな顔だった。
 あぁ、何で声をかけたのだろう。自己嫌悪!!
 翌日の葬式にもまたその顔と会ってしまった。あぁ、いやだいやだ。
 もともと私は無口で、とっつきにくい人間で通っているのに、柄にもないことはするんじゃないね。反省! 反省!

 
3月30日(金)

 妻の腹の中を見せてもらった。……と言っても、それは手術中のビデオのこと。
 卵巣嚢腫が直径5〜6センチにもなって、いつねじれてもおかしくない状態だから手術を勧められていた。
 悪性ではないから、そのままでも問題はないらしいけど、ねじれたら即手術になるし、いつどこでなるか分からないという。
 近頃は手術の技術も進んで、開腹しなくても小さな穴を3っつ開けるだけでできる内視鏡による「腹腔鏡手術」。
 術後に執刀された先生から直接ビデオで説明を受けた。30分程度で済んだそうだ。血もほとんど出ない。
 腹の中はとても綺麗だったよ。腹黒くなくてよかったね。

 
3月17日(土)

 今日は魚釣りに出かけた。狙いはアラカブ(かさご)。例の福岡県在住の幼馴染と一緒だ。
 1日雨だった昨日とは打って変わって、今日は快晴となったが、相変わらず風は強く、ボートが進まない。
 小さなボートで碇は一つだから、風に煽られてボートがきりきりと舞うのでとても釣り難い。
 そのうえ快晴でも風は冷たい。寒いのなんのって…。おまけに魚は全然釣れない。
 季節的にはまだ少し早いのだろう。魚も食欲がないのか当たりが小さく、なかなかタイミングが取れない。
 風邪でもひいたら損だとばかり、早々と切り上げた。

 
3月12日(月)

 子供たちが、妻の還暦と誕生を兼ねて祝ってくれるというので別府に出かけた。うん十年ぶりの家族旅行。
 別府には息子の会社の直営保養所がある。海のそばのとてもいい保養所で、泊るのは今回が二度目。
 水族館「海たまご」や高崎山の猿たちと遊んで孫が大はしゃぎ。
 高い所が大好きな妻の希望で、鶴見岳に登った。
 頂上はマイナス3度。風が強くてものすごく寒かったが、天気は上々で、眺めがすばらしい。
 別れ際には「じいちゃん、ばあちゃん帰っちゃいやだ」と孫が泣き出した。とても楽しい二日間だったもんねぇ。みんなありがとう!!
 老後は別府の温泉つきマンションなんかもいいねぇ。

 
3月4日(日)

 先日の竹切りでノコをなくした。折りたたみの小さなぜんまいノコだ。
 使って、ちょっと置いたばかりだから、足元付近にあるはずなのに、どうしても見つからない。
 「止むを得ん もう1本買おう」と、ホームセンターに買いに行った。
 あれこれ物色して、よしこれだときめて、いざレジへ向かおうとして気が付いた。「しまった!! 財布を持ってきていない」
 姉の家が近くなので、借りに行って大笑い。家に帰ってまた大笑いされた。
 「わざわざ買い物に行くと言って出かけといて、財布を忘れるなんて信じられん」…とは妻の言。
 妻よ、子供たちよ、よろしく頼んまっせ!!

 
2月25日(日)

 1アール程度の畑にビワの木を4本植えている。そのビワの木に女竹とダンジクが覆いかぶさってきている。まわりは耕作放棄畑ばかりだから、竹ぼうぼうで道もない。
 このビワは毎年よく成るのだが、昨年はまったく成らなかった。今年も余り多くは成っていない。
 これ以上太らないように、運動不足解消もかねて、今日は1日竹切りに専念した。
 竹も厄介だが、ダンジクの方がもっと厄介だ。おまけに切り倒しても、雨の多い時期には切り口から芽を吹くことさえある。
 1日がかりで、やっとビワに覆いかぶさった分は除去した。もう1日あれば、どうにか日当たりを確保できる。
 いささか疲れた。でも心地よい疲労感。

 
2月23日(金)

 1年ほど前から太りだした。4sぐらい。どうしたのだろう。
 25歳ぐらいから約40年間、ほとんど体重は変わらなかったので、これが私の体重だと思っていた。
 前々から、もう少し体重が欲しいと思っていたから、身長との釣り合いからみても、これがベスト体重だろう。体調もいいし…。
 一方、妻は昨年秋からダイエット教室に通い始めた。効果てきめんで、4キロもやせたと、それはそれは喜んでいる。
 私が太った分、妻がやせた。
 ハハ、私たちはあくまでちぐはぐで、何から何まで違う夫婦なのだ。

 
2月7日(水)

 母が別のホームに移った……と言っても同じグループのホーム。
 家から近いし、まわりの景色がとてもいいところだ。
 もともとここに入れたかったのだが、なかなか空きが出なかったところで、やっと声がかかった。
 前にいた所は1年半。とても居心地が良さそうだったし、「ご飯を食べて行け」とか「泊って行け」とか言っていた。すっかり自分の家だと思っていたのだろう。
 それだけに、移せば戸惑うのではないかと気になっていたが、同じグループだし、世話をしてくれる人は全部顔見知りだから、心配することはなさそうだ。

 
1月28日(日)

 母が髪を切って欲しいと言う。そういえば耳の後ろあたりがうっとうしそうだ。
 長男や次男の子供の頃は全部私が刈った。もちろん自己流。高校を卒業するまで殆ど床屋には行かなかった。
 大学に入ってからも夏休みや冬休みには私に刈ってもらおうと、伸ばし放題で帰ってきた。貧乏学生だったから床屋代の節約と笑った。でも親子のスキンシップで楽しくもあった。
 男の髪なら刈れても、女の髪はどうしていいか分からない。娘の髪にも挑戦したことがあったが、日本人形みたいとあまりうけなかった。
 母は歳だから何とかなる。施設の人は上手とほめてくれる。お世辞だろうが、まあいいかと自己満足。これも親子のスキンシップ。

 
1月26日(金)

 宮崎県は鳥インフルエンザで大騒ぎだが、病原菌を野鳥が外国から運んでくるというからややこしい。変な病気が流行ってくるものだ。
 一方我家はヒヨドリの被害で大変だ。今年は暖冬だから、野にも山にも餌はあるだろうに、なぜか大挙して押し寄せ畑を荒らす。
 ブロッコリーの葉っぱはヒヨドリに食べられなくなった。白菜も被害甚大。エンドウやスナック豆類にも被害が出始めた。
 あちこちに、たれ散らかす糞の被害も多大で迷惑千万。時ならぬ糞害に大憤慨だ!!
「こりゃ たまらん」とCDをあちこちにぶら下げてみたら、これが効いた。太陽の光を浴びてキラキラと光るCDが怖いのだろう。殆ど寄って来なくなった。
 「やったぜ!! ざまー見ろだ」……でもいつまで効果があるかな?

 
1月22日(月)

 そのまんま東氏大差で当選。談合で揺れる宮崎県民が選んだ新しい知事だが、この選択の結果が果たしてどう出るか。
 何かと風評の悪い東氏だが、それでも彼を選んだ県民の気持ちはどうだったのだろうか。
 官製談合の前知事のイメージが余りにも悪すぎた。
 涼しい顔で嘘をつき、あくまで自分は潔白だと言い張り、むしろ自分は被害者だとまで言った。捜査が進めばすぐバレるのに。
 談合を指示したばかりか、賄賂も受け取っていたというから、宮崎県民にとっては誰を信じていいか分からなくなっていたろう。
 そんな出直し選挙なのに、出たきた顔ぶれが、あいも変わらず官僚出身。この人たちが、うさん臭い人間に見えたとしても無理はなかろう。
 そんなしがらみのない東氏に票が集まったのは、あながち知名度だけではあるまい。

 
1月21日(日)

 今日は久しぶりにガバイ感動した。広島で行われた、都道府県対抗男子駅伝のこと。
佐賀県チームは過去2位が最高で、3位になったこともあるが最近はやや低迷気味だ。
 今年はアンカーに強い選手がいるから、その前が15位以内でつないでくれれば、入賞できると期待していた。
 1区はまずまずの17位。2区で24位に落ちたので、今年も無理かと諦めかけた。
 ところが、その後が頑張って順位を上げ、アンカーの飛松選手には13位でタスキが渡った。ここからが圧巻だった。
 「佐賀がどんどん順位を上げている」という嬉しい画像が飛び込んできたのは残り3キロ地点。6人の3位グループに割り込んだと思ったら、なんと最後にはそこから必至に抜け出し、遂にグループの先頭でゴールに飛び込んだ。
 堂々の3位入賞。飛松選手は区間賞まで奪う力走で、10人抜き。この3位には2位になったときより感動した!!。
 さらに4〜6位も九州勢が占めたことがまた嬉しい。小さな佐賀県が優勝のテープを切ることもそう遠くはなかろう。

 
1月20日(土)

 厄払い神事…その年の厄年の人たちが、お宮に集まって、お払いを受けた後、2頭の獅子が村中を1戸1戸、厄を払って回る…これは相賀に伝わる伝統行事で毎年1月20日に行われる。
 我家では妻がその厄年で、女はご飯炊き。朝から駆り出されて、夕方村回りから帰ってきた獅子たちと一緒に食事をして終わり。
 厄年の者がいる家では、玄関先に笹を組んだ鳥居を作り、しめ縄を飾る。このしめ縄造りが難しい。
 藁は、水を打っても叩いてもいけない。しかも左縄だから、右利きの者にとってはとてもないにくい。
 それでも何とか2本なって、もう1本は床の間に飾る。この飾り方がまた難しい。縄の根っこが右に来るようにして、下げ藁は右から3本、5本、7本にしなければいけない。
 午後1時過ぎに我家にも獅子がやって来た。土足で座敷に上がり、2,3回舞って縁側から出て行った。

 
1月14日(日)

 中学時代の超ミニの同窓会。いちいち連絡はしない。決まった月の決まった曜日が集合日。多くて8人、少ないときで4人が集まる。昨日がその日だった。
 忘れるときもあって、最近では4,5人しか集まらない日が多いが、それでも楽しい。ついつい午前様になる。
 昨日は(正確には今朝だが)家に帰ったのは2時半だった。
 「よくそんなに遅くまで話すことがあるね」と、妻は言う。何と言うことはない。ばか話と世間話、あとはカラオケを楽しむだけ。
 人数は少なくても、もと会社員、現役の会社員、もと公務員、現役の自営業者と色々だから話題は豊富。特に現役の自営業者や会社員が色々な話題を持ってくる。
 「あと何年生きるか分からないんだから、今を楽しまなくちゃァ」……これが合言葉。

 
1月4日(木)

 あっという間に正月3が日も過ぎて、大いに騒いでくれた孫も、子供たちもそれぞれの生活に戻って行った。
 “一年の計は元旦にあり”とは言うけれど、計画を立てて実行したためしがないので、計画を立てなくなって久しい。
 それはそれとして、年頭に当たって“自分は本当は何をしたかったのか”を考えてみた。
 もし、人生をやり直すことが出来るなら……というやつだ。
 子供のあの頃に戻れるなら、今度は音楽をしっかり勉強して、私は作曲家になりたい。それも演歌がいい。
 日本人の心にいつまでも残るような演歌が作れたら最高だなァ。
 今からではもう遅いか。だって、おたまじゃくしも満足に読めないもんなァ。メロディはいくらでも浮かんでくるから、それを五線紙に書けたら、すぐにでも作曲できそうな気がするけど……。

 
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