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2006年
12月17日(日)

 我家にはテレビが4台ある。ストーブも旧式だが8台ぐらいある。部屋数は9部屋。畳に換算すれば70畳にもなるだろうか。元農家だから家は広い。
 あちこちリホームしたとはいえ、築88年の家は、だだっ広いだけで不便。でも、大正7年築だから建築資材は太くて極めて丈夫。まだまだ20年、30年はびくともしない。
 ところが最近はこの広い家を、いささかもてあまし気味。子供たちはとっくに巣立って、今は妻と二人暮し。掃除するだけでも大変だ〜。
 妻と私は、性格も趣味も好みも、好き嫌いまですべてが正反対。当然のことながら、テレビは別々の部屋で、別々の放送を楽しむ。
 最近、妻はスカパーにはまっているが、私はパソコンにはまっている。妻はパソコンは見向きもしない。
 私は人混みを嫌うけど、妻は大好きでよく出かける。特にお祭りはキチガイ。……妻は誰にでも気楽に話しかけるが、私は無愛想。若い頃から、よく「とっつきにくい」と言われてきた。
 そんな夫婦が、もう36年。熟年離婚もなく、よくここまで持ったものだ。「どこがいいんだろうねぇ」といつも二人で苦笑い。

 
11月26日(日)

 今は筑紫野市に住んでいる幼友達に誘われて、蘭博覧会から志賀島、そして秋月まで行って来た。
 蘭博覧会々場はヤフードーム、毎年開催されている。4年前にも行ったけど、飾り付けが工夫されていて、今回はまた新たなムードが漂っていた。さすがに蘭は花の王者。
 志賀島は例の金印が出土された島として有名だが、何でこんな所に金印が埋められていたのか、今も謎らしい。
 遅い昼食になったが、食堂に入って焼魚定食を注文したら、やたらと待たされたうえ魚は生焼け。もう少し焼いてくれるように頼んだら、店主が別の魚を焼いてあやまりに出てきた。焼き直すだけでよかったのに、今度はこっちが恐縮してしまった。
 筑紫野市から二日市温泉まではすぐ近い。彼はほぼ毎晩温泉に浸かるらしい。温泉でたっぷり汗を流し、夜は奥方の迷惑も顧みず、朝の1時ごろまで飲んだ。
 今朝は二日酔い気味だったが、秋月に行こうという。紅葉が見ごろだそうだ。外はあいにくの雨。でも紅葉の見ごろは今が一番。雨などかまわず出かけて見たらかなりの人出だった。
 今年は暖かいので紅葉の色づきは今ひとつだったけど、楽しい二日間だった。

 
11月18日(土)

 昨日は快晴だったのに今日は雨。母を預かってもらっている施設で、芋掘りの手伝いをしようと張り切っていたのに出来なかった。

 昨日は、母を預かってもらっている施設の社長から、新しい施設(小規模多機能型居宅介護施設)を開設するから、利用者の家族として祝辞を述べて欲しい」と頼まれていたので開設式に出席した。
 その施設は、唐津市佐志から登った高台の、唐津湾と市街が一望できる非常に景色のいい所に新設されている。
 唐津市では初めて、県でも数少ない、これからの施設。ということで、行政や医療福祉施設関係者、地元の有志、施工業者などなど、かなり多くの出席者で入りきれないないほどの出席者だった。
 <最近の母は実に穏やかな毎日を過ごしている。施設の居心地がいいのか、家に帰りたいなんて一言も言わなくなった。そればかりか、以前は真っ白だった髪の毛に、最近はかなり黒い毛が混じってきた。私たちも施設の職員さんも、これには驚いている。そのうえ、認知症からも甦っているような気がする。本当に預けてよかったと確信している。あのまま家で介護していたら、今頃は母も自分たちも、ボロボロに疲れていたのではないか。社長はじめ、職員さんには大変感謝している>
 ……というようなことを話してきた。

 
11月13日(月)

 10日から3日間、名古屋に行って来た。妻の甥っ子の結婚式出席のため。
 教会式だったけど結婚式の日はあいにくの雨。式や披露宴は名古屋といってもこちらと特別違ったところはない。式は粛々と、披露宴は華やかに終わった。
 久しぶりの名古屋だから、式の前日と翌日は観光を計画。
 名古屋城を皮切りに、大須観音、熱田神宮、徳川園、オアシス21、名古屋駅のイルミネーション、51階の名古屋駅タワービルからの夜景展望などなど、おかげで楽しい3日間だった。
 名古屋城は3回目だったけど、菊人形や菊花展を堪能。
 熱田神宮では『三種の神器(草薙の剣)』を見たかったのに、社務所の人たちの話では「私たちでさえ見たことはありません」ということだった。「へぇ〜、そんなもんなんだ!」
 やっぱりあれは平家滅亡と同時に海に沈んだんだよ。現存しないから、見せようにも見せられないんだな、きっと…

 
10月15日(日)

 戦没者遺族会から、佐賀の護国神社秋の例大祭に行って来た。
 例大祭は毎年春と秋の二回行われるが、湊遺族会からは秋の大祭だけ参拝する。以前は母が行っていたが、5年前から母が行けなくなったので私と交代した。
 護国神社は各都道府県にあるが、佐賀県では戊辰戦争以来の戦没者35,600余柱が祀られているという。思ったより少ない。
 初めて参拝したときは、何だか異様な感じがした。国旗掲揚から君が代斉唱まではいいが、国旗と共に旧海軍旗が掲揚される。
 祭りが進み、やがて琴の音に乗せて軍歌が流れる。まるで戦時中に戻ったかのようだ。さらにその軍歌に合わせて、参拝者が懐かしそうに軍歌を口ずさむ。中には涙ぐむ人さえいる。
 ただ単に昔を懐かしみ、故人をしのんでいるだけだろうけれども、赤紙一つで召集され、遠くビルマ(ミャンマー)の地で戦死した父のことを思えば、私はこんな所で軍歌を口ずさむ気にはなれない。
 靖国神社、護国神社、軍隊、軍歌……過去の戦争とこれらのかかわりを思うとき、必ずしも祀ってもらってありがたいとは思えず、私の胸は複雑に乱れる。

 
10月9日(月)

 カラスなぜ鳴くの 柿の実食べたから……いまやカラスは、可愛くも何ともない憎いだけの存在。
 今年はなぜか野菜がよく出来なかった。ビワは殆ど成らなかった。ミカンもあまり成っていない。
 そこへいくと柿だけは結構成っていた。イノシシも柿には届かないし、せめてこれだけは と思って楽しみにしていたのに。
 柿の木畑に行ってみて、ガックリ。なんとカラスにすっかりやられていた。もうあまり残っていない。まだ青くて小さいのに……。
 カラスよけにとCDをぶら下げていた。これで昨年もその前も、カラスの被害はなかったので、効果があったと思っていた。
 ところが、今年は何の役にも立っていない。あざ笑うかのようにカラスが鳴いている。あの汚い「ガァ〜 ガァ〜」という鳴き声で。
 坊主憎けりゃ袈裟まで憎い。 「カラス憎けりゃ 声まで憎い」
 ちくしょー! カラスめ!! なめんなよ〜!!!

 
9月23日(土)

 友達が釣りにやってきた。子供の頃の友達で今は福岡県筑紫野市に住んでいる。
 遠い台風14号の影響か、ここ数日強風注意報が出ている。波が高いし、釣りは無理ではないかと言ったが、せっかくやって来たんだから行こうと言う。
 早速近所の先輩からボートを借りて出かけたが、海はかなり時化ていて波が高い。ボートもなかなか進まない。やっと釣り場に着いて、釣り始めたら30分もしないうちに舟に酔っ払ってしまった。
 ムカムカしながらも、頑張ってカワハギ・ベラ・小鯛などなど、何とか20尾ぐらい釣り上げた。
「よし、これで何とか酒の肴は釣った」と引き上げたが、ボートを漕いだ友達のお尻の皮が剥けていたとか。強風に向かって漕いだからねェ。
 帰ったら、彼岸参りに姉も来ていて、昔話に花が咲き、結局寝たのは2時だった。やれやれ!!

 
9月18日(月)

 台風一過、カラリと晴れるかと思いきや、時折小雨の混じる曇天。
 でも、あの非常に強い台風直撃の割には、我家の被害は見つからない。畑の野菜もどうにか健在。台風の目に入ったのが幸いしたのではなかろうか。
 昨夜7時ごろの、あのものすごいドーンときた突風の後は、ぱったり風雨が止んだ。その後10時ごろから吹き返しが始まったが、これは大した風ではなかった。
 雨漏り箇所が気になったので、先ほど屋根に登って見たけど、どこにも異常は見つからなかった。
 昨夜の6時から1時間に降った雨は72ミリの猛烈な雨だったとか。この雨が、強い北風に吹き上げられて、瓦のすき間からしみ込んできたのだろう。
 それにしても、あれだけの台風の直撃を受けて、被害は少量の雨漏りだけだったとは…。
 後片付けも済んだし、まずはやれやれ一安心。

 
9月17日(日)

 非常に強い台風13号、ただいま唐津上空通過中!!
 6時ごろから急に風雨が強くなった。2階の北側の窓には激しい雨が叩きつけられている。でもこれくらいはいつものことで特別脅威は感じない。
 ところが7時ごろになって、突然ゴーッという音とともに、今まで経験のないような突風がドーンと我家に体当たりしてきた。同時に2階あたりでカターンという音がした。
 何だ今の音は? と思い家の中を見回ったが別に異常はない。そのうち別棟の2階の廊下に雨漏りがしてきた。もしかしたら先ほどのは瓦が飛んだ音かもしれない。
 風雨はそれを機会に急速に衰えた。7時30分現在はそよ風状態で先ほどの風雨が嘘のよう。どうやら唐津は台風の目に入ったらしい。

 
9月10日(日)

 昨夜はミニミニ同窓会。中学時代の仲間が2ヶ月に1回、あるスナックに何となく集まって呑む。
 多い時は7.8人集まるのだけど昨夜は4人だけ。でも楽しい。話とカラオケでつい午前様になってしまう。
「よくそんなに遅くまで話があるね。いったいどんな話をしているの?」って、いつも妻から笑われる。
 妻はまったく呑めない。ぐいのみ1杯で二日酔いするほど弱い。呑めない体質なのだろう。
「女でもビールの1本ぐらいは呑めたがいい。呑めないのは人生損しているみたい」といつも言う。
 もともと日本人は世界で一番酒に弱い人種だそうだ。総体的に有色人種は酒に弱い。白人には呑めない人はいないらしい。
 そんな妻にチョッピリ悪いなァ…と思いながらも昨夜も午前様。それでも1時には帰って寝たから、いつもよりは早かったぜ!!

 
8月21日(月)

 甲子園球児に熱い感動を貰った。ありがとう!! きみたちはスゴイ!!
 高校野球の決勝戦、別にどちらが勝ってもよかったのだが、投手力の層の厚さで駒大苫小牧が有利かと思ったので、ならばと早実を応援することにした。これ、判官びいき。
 昨日からの決勝戦、野球音痴の妻までが早実の応援に加わった。理由は斉藤投手が可愛いから…だそうだ。
 敬遠場面では「君たちは高校生だろ!そんな卑怯なことしちゃいかん!」と妻がうるさい。
「ハハハあれも作戦の一つさ」と説明しても「うんにゃいかん!高校生から汚い手はいかん!」と聞く耳持たない。
 15回でも雌雄は決せず、決着は今日に持ち越し。今日も熱戦の末、ついに早実に軍配が上がった。それも4−3とわずかに1点差。
 4連投で5試合分投げた斉藤投手は本当にすごい。1回戦から数えれば900球以上も投げたという。勝って涙した斉藤君にもらい泣きした。
 「良かったね。よかったね。君は偉い!!」と妻も大喜び。
 惜しくも3連覇を逃した駒大苫小牧も立派で、田中君もすばらしいピッチャーだった。できれば今日の再試合は初回から斉藤×田中の一騎打ちが見たかったのだが…。
 でも本当に感動した!!

 
8月18日(金)

 ただいま台風10号が通過中。すでに熊本市方面を通過して、これから福岡市方面に向かって玄界灘に抜けるコースらしい。
 時速10kmと、のろのろ台風で、昨日から電線がゴウゴウとうるさいが、この台風は暴風域がなく風よりも雨台風らしい。
 この雨が大変ありがたい。何しろ7月26日の梅雨明け以来全然降っていなくて、人も植物もぐったりだった。
 連日の猛暑と熱帯夜でいささかバテ気味だったが、これで一息つける。今日はかなり涼しい。
 盆も過ぎて、これで暑さも峠を越えただろう。早く涼しくな〜れ!

 
8月15日(火)

 ついにと言うか、やっぱりと言うか、小泉首相が靖国神社を参拝した。終戦記念日に参拝することに意義を感じているらしい。
 中国や韓国があまりに激しく反対をするもんだから、小泉首相ならずとも意固地にならざるを得ない。あれで参拝をしなかったら、腰抜け呼ばわりされるからなァ。
 これでA級戦犯分祀問題も、憲法問題も、すべてポスト小泉に先送りされた。阿部さんどうする? 1回だけは参拝してもいいんだってよ。なんだそりゃ!!
 それはさておき、今日は終戦記念日であり、盆の15日でもある。子どもたちもみんな帰って来ているので、暑いのを我慢して車庫でバーべキュ。はしゃぎ廻る孫が何とも可愛い。
 夜はお寺と納骨堂参り。お寺での盆踊りも終わって、海辺でご先祖さんを見送って、これで今年の盆も終わり。

 
8月8日(火)

 暑い!! とにかく暑い!!!
 梅雨明けから2週間、毎日毎日カンカン照り。曇りの日もない。夕立も来ない。
 連日35度近い猛暑。しかも夜は寝苦しい熱帯夜。
 植物はみんなぐったり。人間もみんなぐったり。このままでは何もかも枯れてしまいそう。
 人は勝手なもので、こうまで日照りが続くと、あの大雨でさえ懐かしくなる。
 その雨は向こう1週間降る見込みなし。
 もう、こうなったら台風でも何でも来い…とさえ思う。
 その台風、南の海上に3つ発生した。2つは九州方面を向いていた。もしかしたら雨ぐらい持って来てくれるかも…と思っていたら、3つともそっぽ向いてしまった。

 
7月27日(木)

 昨日やっと梅雨が明けた。平年より8日、去年より11日遅いとか
 梅雨明け特有のカーッと照りつける日差しと、湿気ムンムンとした暑さは何ともやりきれないが、でも、土砂降りの雨よりはいい。
 今年は各地で記録的な大雨になった。特に九州の中南部はものすごい豪雨だったようだ。被災された皆さんには慰めの言葉もない。
 それにしても最近の梅雨は土砂降りが多い。昔はシトシトと何日も何日も降り続いたものだが、最近はドカーッと降る。したがって災害も多い。
 梅雨の形態が変わりつつあるような気がするが、これも地球温暖化の影響か?
 最近特に思うのは、地震や津波、台風、水害・土砂災害、などが多発する中で、唐津地方はそんな自然災害が少ない。
 「被災地の皆さんには申し訳ないけど、唐津は本当にいいところだね」って、つくづく思う。

 
7月25日(火)

 2泊3日で小倉に行って孫と遊んできた。
 久しぶりに会ったので、始めは少し照れくさそう。でも子供はすぐに慣れる。覚えたての片言で盛んにしゃべる。最近やっと聞き取れるようになってきた。
 孫は車が大好き。遊園地よりも駐車場巡りでもした方が機嫌がよさそうだ。
 そんなわけで、色々なミニカーをいっぱい持っている。それを全部ひっくり返しては一緒に遊ぼうとせがむ。
 男の子だから一時もじっとしていない。元気が一番だけど大変だ。これが二人三人となったら…。
 疲れるけど、孫のいる生活、いいなぁ。
 夜は戸畑の祇園祭を見に出かけた。小倉祇園は前に見た事があったので、今回は戸畑と黒崎。
 戸畑のはちょうちん山笠で、昼用と夜用で飾りが違う。夕方薄暗くなる頃、昼用から夜用に飾り付けの組み換えを披露してくれた。
 黒崎のはおなじみの人形山笠。戦国時代の合戦の名場面が多い。雨が降ってきたので引き出しは見ずに、早々と引き返した。

 
7月17日(月)

 暑〜〜〜い!!! とにかく暑い。連日35度前後のうだるような暑さ。もう溶けちゃいそう。
 梅雨明け宣言はまだないけど、もうとっくに明けてるんじゃないの!
 まだ7月のなかば。これからが暑さも本番を迎える。まだまだ先は長い。これからが思いやられるよ。
 30度を超える真夏日の日数が毎年増えているような気がする。温暖化の影響?冬もあまり雪が降らなくなったし…。
 それでも唐津は海のそばだからまだいいほう。佐賀なんかの暑さときたら半端じゃないからね。
 今日は海の日。唐津では海の記念日として色々な催しが行われている。夜は花火大会もあるらしいけど。
 こう暑くっちゃ どこにも行きたくないし、何もしたくない!! あぁ〜この暑さ何とかしてくれ〜。

 
7月11日(火)

 テポドン騒動で日本は大慌て、アメリカはほくそえむ。
 今回の北朝鮮によるミサイル発射をアメリカは事前にキャッチしていたらしい。もしかして知らなかったのは日本だけ?
 アメリカも、表面上は知らなかった振りをして「制裁だ、制裁だ!」と騒いで見せているが、アメリカの情報網をして、知らなかったはずはない。
 北朝鮮が日本を脅かすことはアメリカにとっての国益。日本が中国や韓国と外交上ギクシャクすることもしかり。アメリカは国益でしか動かない。日本周辺が平和になってはアメリカは困るのだ。
 今の日本にとって、北朝鮮や中国の脅威はアメリカの金づる。北朝鮮に脅かされ続ける限り、日本はアメリカに守ってもらおうと金を出す。
 いま、アメリカの極東軍再編で、日本は3兆円の拠出金を要求されているが、日本はこれに難色を示している。そこに北朝鮮のテポドン騒動。これで日本は金を出す。
 テポドン1号のときのように露骨な動きではないが、“アメリカのシナリオどおりに進んでいる”と見るのはゲスのかんぐりか?

 
7月1日(土)

 昭和36年に農林省の出先で佐賀食糧事務所というところに入所した。そのときの同期入所組で毎年同期会を開く。名づけて三六(サブロク)会。
 総勢11名だが、出席は毎年7名ぐらい。年齢は2、3才違うけど、全員が退職して5、6年になる。今回は私が幹事当番だったので、呼子で1泊した。
 宿泊しての三六会は退職後は初めてだったかな?
 会員は鳥栖や佐賀・鹿島などに散らばっている。昨日はものすごい豪雨で、ワイパーが水をはききらないほどだったので運転が恐かったという。
 若い頃から、皆かなりの飲ん兵衛だったが、今もあまり衰えていない。
 二次会に外に出たそうな者もいたけど、昨日はあいにくの雨で断念。宴会の飲み残しの焼酎を部屋に持ち込んで昔話に花が咲いた。
 それでも、さすがに年齢には勝てないか、11時半ごろには眠りに入っていた。
 そして今朝の話。
「○○さん、あんたの寝言はすごかねぇ。おかげで寝つき損ねたよ(笑い)」
「うん、あぁ、そうそう。俺りゃ 寝言言うらしかっちゃんね。ごめん。早う言うとかんばいかんだったねぇ」
「あれじゃ、なんでんかんでん、母ちゃんにゃ、バレバレばい。ハハハハハ」

 
6月20日(火)

 昨日は一日遅れの父の日プレゼントとして、薩摩の芋焼酎『もぐら』を持って来てくれた。
まだ飲んではいないが、焼酎はやっぱり芋がいい。あとでゆっくりたしなもう。
 梅雨時というのにカンカン照りの真夏日でとても暑いが、福岡県志摩町の二見ヶ浦に写真を撮りにいきたいと娘が言う。
 夫婦岩の、はるか向こうの水平線に沈む夕日がとても美しいという。夏至の頃が一番いい写真が撮れるらしい。
 幸いにも、天気は快晴。これなら綺麗な夕日と夫婦岩が撮れるかも知れないと、付き合うことにした。
 現場に着いたのは5時過ぎ。日没は7時半ごろだからまだ時間があるので、近くを廻って時間をつぶすことにした。
ところが6時を過ぎた頃からだんだん雲が出てきた。現地には数十人のマニアたちがカメラを据えて待っている。
 あんなに晴れていたのに残念。ため息をつきながらも、気を取り直して、雲の合間からわずかに覗く夕日をバックに、どうにか写真におさめてきた。

 
6月8日(木)

 昨夜は 息子と2人でセ・パ交流戦の黄金カード 巨人×ソフトバンク戦を見に行った。
 毎年この時期に父の日のプレゼントとして息子がチケットを買ってくれる。
 去年は1塁側だったので周りはソフトバンクファンばかり、巨人ファンとしては面白くない。
 それに懲りて今年は3塁側にしたが、こことて同じ。どこに行っても周りは鷹ファン一色。そりゃそうだろうサ。ヤフードームだもん仕方ないやね。
 試合の方は巨人が初回の3点で幸先のいいスタートをきったものの、後がさっぱり。
 ピッチャーはといえば、出るピッチャー 出るピッチャー、ピリッとしない。四球を出してランナーを溜めてはポカスカ打たれる。あれじゃ守っている野手がやる気をなくすのも無理はないわさ。
 結局終ってみれば8対3。鷹ファンの万歳の声を尻目にそそくさと帰ってきた。

 
6月3日(土)

 先日 唐津市の戦没者遺族会総会に出かけた。総会そのものは別段のことはなく、例によって淡々と終わったが、最後に十人町 東雲寺住職の講演があった。
 その中での話しに考えさせられる言葉がいくつもあったが、中でも特に印象深かったのが、ある人の詩を紹介された部分。
「私はあらゆる人に助けられて生きている。私の着ているものも、食べているものも、住いも、何一つ自分で作ったものはない・・・・・・云々」
 そう言えば、私の周りを見渡しても何一つ自分で作ったものはない。  家庭菜園で作った野菜さえも、自分で作ったものと勘違いしているだけで、実は私が作ったものではない。
 野菜の種は私が作ったものではない。誰かが作ってくれたもの。
 肥料も誰かが作ってくれたもの。そして誰かが運び、売ってくれたもの。いくら金があったって、作ってくれる人や売ってくれる人がいなければ自分の物にはならない。
 第一、菜園の土地だって私が作ったものじゃない。先祖が耕してくれたものだ。
 野菜の生育に欠かせない水や光は自然の恵みだし、私は種を蒔いたり、水や肥料をやったりして、野菜の成長にほんの少しだけ手助けをしたにすぎない。
 採れた野菜を料理してくれるのは、私じゃなくて妻だ。水道水だって、ガスだって、電気だって私が作ったものではない。
 私はあらゆる人々に作ってもらったもので生きている。それらに感謝の念が不足していたことに、この歳になってやっと気付いた。

 
5月27日(日)

 昨日から泊りがけで、幼い頃からの友達が釣りにやって来た。
 あいにくの雨だったが、1ヶ月以上も前から約束していたし、わざわざ福岡からやって来るのだし、雨ぐらいに負けていられない。
 親戚の法事には妻に行ってもらって、知人からボートを借りて、「たとえ大雨でも行くぞ」と、気合を入れて出かけた。
 彼と行くときには、近くの磯の石と石の間を狙った穴釣り。ボートで出かけても浅瀬の、せいぜい背丈ぐらいの深さで釣る。
 狙いはアラカブ(カサゴ)とアブラメ(アイナメ)だが、なかなか釣れない。結局昨日が14匹で今日が13匹とさんざんだった。
 でも、釣果よりも釣り自体が楽しいし、夜は釣った魚で一杯やるのが又楽しい。子供の頃の話に花が咲いて時間を忘れ、結局夜更かし。

 
5月19日(金)

 アルフレッド・ハウゼ タンゴオーケストラを聴きに行ってきた。マンボやタンゴなどの歯切れのいいラテン音楽が大好き。
 ラ・クンパルシータ、碧空、ジェラシー、エル・チョクロ、奥様お手をどうぞ、真珠採りのタンゴ、ブルータンゴ、淡き光に などなどたっぷり2時間。感動した。
 ペレス・プラードがマンボの王様なら、アルフレッド・ハウゼはタンゴの王様。
 昨年はそのペレス・プラード楽団が福岡にやって来たのに、都合でどうしても行けなかった。残念で仕方がなかった。
「今度ばかりはどうしても行くぞ」と3月からチケットを買って待っていた。
 タンゴの発祥地はアルゼンチンだが、いつの頃からかコンチネンタルタンゴが、本場のアルゼンチンタンゴをしのいでヨーロッパ各地で大流行した。
 アルフレッド・ハウゼはドイツ人だからコンチネンタルタンゴだが、アルゼンチンタンゴも取り入れて1960〜1970年代に一世を風靡した人。
 そのハウゼは昨年亡くなったが、アルフレッド・ハウゼオーケストラは永遠に生き続ける。記念に買ってきたCDを聴きながら、いまこれを書いている。

 
5月15日(月)

 昨日の母の日、母がお世話になっているグループホームで、家族会を兼ねた母の日があった。
 母に手紙を書いてきて下さいと言われていたので、“これは読まされるな”と思っていたら案の定。次のような手紙を書いて読んだら、母が照れくさそうににっこり笑った。

<お母さん 母の日おめでとう。
 18才で結婚して、19歳で母になって、それ以来今日で71回目の母の日だね。すごいね。
 28歳のときにお父さんが戦死して、それからは男と同じ仕事をして、牛も使って、男でも大変な野良仕事を こなしながら、私たちを育ててくれて。本当に大変だったね。
 3人兄弟の兄も弟も戦争で亡くして、まるで悲劇のヒロインだったけど、宗市伯父さんも利貞叔父さんも、そ れから末太郎じいちゃんも、みんな「キクヨよくやった!!」って、ほめてくれるよ、きっと。
 あと3年したら原家の長寿記録だね。それまで元気でがんばろうね>

 
5月10日(水)

 今日はあいにくの雨だったが、シロアリの防除をしてもらった。
近くに古い空き家があって、そこにいるのか、毎年梅雨時になると無数に飛んで来る。夜の明かりに誘われて、窓にべったり張り付く姿は気味が悪いほどだ。
 我家にも20年ぐらい前になるだろうか、少し発生したことがある。幸い発見が早かったので大事には至らなかった。それ以来定期的に防除しているが、今回で4回目かな?
 有効期限は5年だけど、今回は7年経ってしまった。それでもシロアリは発生していない。これで5年間は大丈夫。

 
5月7日(日)

 2歳と3ヶ月余りになる孫の言葉が少し分かるようになってきた。それでも3分の1ぐらいで、後はよく分からないので通訳が必要。
 でも、こっちの言うことはすべて分かっているようで、さかんにしゃべる。
 特に車に興味があって、我家にはミニカーや車の宣伝チラシがいっぱい。
 「トヨタ、ホンダ、マツダ、スズキ、ミツビシ、パジェロ」などなどよく知っていて、指で指しながら目を輝かせる。公園に行くよりも駐車場めぐりの方が機嫌がいい。将来はカーキチかなァ?
 そんな孫も、子供たちもそれぞれ帰って行って、又もとの静かな生活に戻った。
 雨が降ったので、又明日から畑のほうが忙しくなるぞ〜。

 
4月29日(土)

 母がお世話になっているグループホームの花壇と畑作りを手伝った。
 昨年秋にオープンしたこのホームの裏庭には多少のスペースがある。職員の皆さんとしては小さな花壇と畑を作りたいそうだが、まだ手がついていない。
 スコップとトウグワを持って手伝いに行ったはいいけれど、畑にするには土が足りない。雨が降れば水たまりができるほど低いのだ。
 何とか土を増やそうと、少し高い所を削って運んだが、この土が固い。腰が痛くなった。
 腰が痛いといえば、最近何もしなくても腰が痛い。以前はこんなことはなかったのになぜだろう。
 も、もしかして腰が曲がる前兆? まさかァ!! でも、母方のじいちゃんは随分と腰が曲がっていたなァ。

 
4月27日(木)

 いやァ まいった まいった!
 一昨日から腹がパンパンに張って、ガスが充満したような感じがしていたと思ったら、やがてグジグジゴロゴロそして激しい痛みと下痢が始まった。
 昨日は一日中大変だった。ほとんど水のような下痢を10回ぐらいは行ったかなァ。あまりひどいので脱水症状を起こさないようにお茶を飲んだら、ほとんど直通で出てしまう。
 今日は下痢は止まったけど、まだ腹はパンパンに張った感じで、元に戻るのはまだまだ。
 何が悪かったのか心当たりはない。
「同じものを食べてて私は何ともないのに、ヤワねェ」と女房
そこで、すかさず言ってやったね。
「そりゃそうだろう、一服盛るのに普通は自分のには入れないからねェ」
「もう!」と言いながら、テーブルの下から蹴りが入ってきちゃった。
 暴力 はんた〜い。

 
4月9日(水)

 昨日は5年ぶりの中学校の同窓会に出席して、子供のころに帰ってきた。
 湊の中学校は小学校も中学校も同じメンバーだから9年間一緒。それだけに懐かしさもひとしおだ。
 久しぶりに出席した人は「あれは誰だったかねぇ。分からんよ」とそっと聞いてくる。
「ハハハ、俺に聞かんで本人に聞いてこいよ。あんたは誰だっったかね・・・って」
「そいが、聞きにくかっじゃんねぇ」
「もうお互いに歳じゃっけん、よかさい。聞け聞け」と意地悪く返す。
そのうちに、歌や踊りが次から次へと出てきて、5時間があっという間に過ぎてしまった。
もちろん一次会だけではおさまらないで、二次会、中には三次会まで。みんなとても喜んでくれたようだ。
14名が泊って、今日まで舞鶴公園の桜見物に付き合った。それでも名残惜しく、いつまでも話は尽きず、結局家に帰ったのは昼を過ぎていた。
ご苦労さん。適度な疲労感が気持ちいい。

 
3月29日(水)

 久しぶりに娘を誘って3人で新西海橋見物に行ってきました。
 どうせなら桜も見たいというので、まずは大村公園に行ってみました。
 まだ早く、吉野桜は3分か4分咲き。4月の初めぐらいが満開で見ごろになりそうです。
 天然記念物の「オオムラザクラ」はまだかた〜い蕾でした。
 新西海橋は旧橋から200〜300メートル北側にかかっています。
 今は一年のうちでも、潮の干満のもっとも大きな時期で、渦を巻いた潮の流れが見事でした。観潮会も開かれているそうです。
 ここも桜はまだまだですが、晴天に誘われて平日というのに多くの観光客でにぎわっていました。
 せっかく来たので、少し足を伸ばして「西海楽園」と「七つ釜鍾乳洞」にも行って来ました。
 西海楽園の石灰藻化石群は3億年前は赤道直下の海底にあったそうです。ここから発散されるマイナスイオンは通常の5,6倍。30分も浴びれば健康長寿が約束されるそうです。

 
3月25日(土)

 福岡県大宰府市にある九州国立博物館に行った。というか、子供のころ兄弟のようにして育った友人の招待。彼の家は車で20分ほどの筑紫野市にある。
 博物館と菅原道真公を奉った学問の神様「太宰府天満宮」とは隣り合わせで、エスカレーターとトンネルでつながっている。
 有名な天満宮だが、初めてだったので天満宮の方から先に入った。かの有名な飛梅もその他の無数の梅も、もう花は終わっていたが、境内では春の例大祭が行われていた。
 例大祭を横目に見ながら、国立博物館へ。天気がいいから人出が多いのかと思ったら、少ないのだそうだ。なぜか。天気がよすぎて、みんな遠出するからだとか。なるほど。
 館内の主展示物は、特別展『中国 美の十字路』中国大陸から出土した様々な土器や銅製品、鉄製品、鑑、古代人の宝飾品や生活用品などが展示してあった。
 日本の出土品も年代ごとに展示してあったが、やはり元はといえば大陸から伝わったものが多く、中国とのつながりは深いようだ。
 時間がないので、ゆっくりできない。後日また出直すことにして、彼のうちに行ってすっかりご馳走になった。

 
3月1日(水)

 月日の経つのは早いねぇ。もう3月ですよ。
 今日は雨。風はまだまだ冷たいけれど、庭のしだれ梅は満開。一雨ごとに暖かくなる。
 もう春はそこまで来ているというのに、春を待たずに黄泉の世界に旅立つ人も多い。
 3日前に親戚のおばさんの49日の法要を済ませたばかりなのに、今日は近所のおばさんの葬式。
 もう結構いい歳だからと思っていたら、女性の平均寿命にはまだ届かない83歳だとか。日本人は本当に長生きになったね。
 長生きといえば、我家の母は先日90歳の誕生日を迎えた。まだまだ元気だから我家の長寿記録93歳を塗り替えるかも。
 その母の想いの世界で、私の存在は兄になったり弟になったり。時には正常に息子になっているときもある。
 最近は施設暮らしの中でも、想いは娘時代の実家に帰っている日が多いようだ。不思議と父(母にとっては夫)は母の想いの中にはいない。

 
2月19日(日)

 昨日今日と畑仕事に精を出した。適度な疲労感と脱力感でとても気持ちがいい。いい運動になったよ。
 と言っても山の畑にはイノシシが食い荒らすので普通の作物は作れない。
 20年以上も前になるだろうか、20アール程度の畑に柿やビワ、スモモ、梅、みかん類などを植えていたのが今はかなりの大きさに育っている。
 柿やビワなどはよく成るけれど、さすがにこれにはイノシシ君は高くて届かない。
 ところが、周りの畑は全部耕作放棄で荒れ放題なので、小さな竹がうっそうと生い茂っている。
 その竹が我が家の果樹に倒れ掛かり、それにかずらが巻きついて、だんだんスモモが成らなくなってきた。
 どうせ成らないのなら、いっそのこと切り倒して新芽を出させよう。
 周りの竹も切り払い、かずらも取り去ってやれやれ。これですっかり日当たりは良くなった。
 でもね、見晴らしが良くなると、今度はカラスやヒヨドリが虎視眈々と狙っているんだよネ。
 あ〜ァ。骨折り損のくたびれもうけかもね……。

 
2月13日(月)

 トリノでの冬季オリンピック。なかなか盛り上がっているが、日本勢は3日たった今日までメダルはゼロ。
 期待の女子モーグル。大技に成功してやった!! とガッツポーズも5位入賞がやっと…。点が出ないとぼやき節。
 これが唯一の入賞で、他は見るも無残。ジャンプでは超ベテランが体重制限を勘違いしてのまさかの失格。他の3選手は決勝に進んだものの、結果は18位が最高。
 スノーボードはもっとひどい。見るも恥ずかしいほどの雄叫びやパフォーマンス。金以外のメダルはいらないとまで言っていた。よほど自信があるのかと思いきや、4人全員予選落ち。
 マスコミは、どの種目もメダル有望。スノーボードにいたっては世界1、2を争う最強軍団だと言ってなかったっけ!?
 これって悪夢!? いやいや、どうもこれが彼らの実力のようだ。
 選手が悪いとは言う気はさらさらない。選手は大変なプレッシャーにも耐え、高度で激しい練習を積み重ねてきたはず。それはそれでたたえたい。
 問題はマスコミ。すべてはしゃぎ過ぎ。日本選手の能力を過大評価し、メダルだ金だと煽りたてる。
 何も知らない我々は、日本選手のレベルはそんなに高いのかと期待し、選手までその気になってメダル獲得宣言。
 意気込みはいいが、日本人の奥ゆかしい控えめな美学はもはやない。
 マスコミの皆さん、真実を報道してよ! 天下のNHKまで視聴率稼ぎで煽りたてる?
 超控えめだと思ったメダル獲得目標5個。中には22個だっていけるとの声さえ聞こえたが…。
 もしかしたら、この超控えめな目標だって危ういかも知れない。

 
1月28日(土)

 2日連続の飲み会でいささか飲みすぎた。今日は1日頭がボーっとしている。
 久しぶりに二日酔いらしい二日酔い。朝食も食べられなかった。最近はこんなことはなかったのに本当に珍しい。
 昔はよく二日酔いをしていた。朝食はおろか、昼食も食べられずお茶も飲めない。お腹はすいているのに、食べても飲んでも戻してしまう。
 午後4時ごろになってやっと食べられるようになることなんか、がしょっちゅうだった。
 一昨日は相知のパソコンサークルの仲間たちと。昨日は近所の友達と。
 二日酔いはつらいけど、飲んでるときは楽しくて、つい度を越しちゃうんだよね。

 
1月24日(火)

 遂にホリエモンが逮捕された。彼もこれで終わりか。つい、いい気になってやり過ぎたからねぇ。
 企業買収や株式100分割はともかく、本当にうその情報を流したり粉飾決算をしたのなら、罰を受けるのは当然だが。
 それにしても、逮捕劇の早いこと。どっかから手が回されたり、情報提供者があったのではあるまいか。政治的な匂いもしないではない。
 経済界の重鎮たちが胸をなでおろし、それみたことかと内心手を叩いている様子が伝わってくるような、堀江バッシング。
 確かに、金にまかせた敵対的な企業買収は日本人の心にはなじまない。カネ万能主義、金さえあれば人の心さえも動かせるとの思いあがり。彼が社員を大切にしていたかにも疑問が残るし、買収された企業関係者の怨念もたまっていただろう。
 でも、閉鎖的な日本の経済界に新風を吹き込んだことは評価していい。若い起業家たちの芽が摘み取られないことを祈りたい。

 
1月19日(木)

 新年から順調に上げてきた株式相場が、今波乱の乱高下。
 ライブドアショックというかホリエモンショックというか、マスコミが大騒ぎで株式市場も大波乱。直近の高値から、一時は1,400円も下げちゃった。
 ネット売買が主流になりつつあるだけに、影響力は絶大。マスコミが飛びつくのも無理ないか。
 ホリエモンもいい気になり過ぎたかなぁ。金儲けに目がくらんでの高株価策でやり過ぎたか?粉飾決算はいかん!
 とはいえ、冷静に考えれば、これで日本の景気が悪くなるわけでもなし。IT企業やハイテク企業はともかく、内需関連の株は安泰。
 日経平均は、昨年4月からほとんど押し目らしい押し目もなく、ほぼ1本調子に上げてきただけに、ここらで一休みは丁度いい薬。
 ま、ここまで下げれば、修復には多少の時間はかかるだろうけれども、これもいい肥やし、長い目で見れば、絶好の押し目かもね。

 
1月3日(火)

 予想に反したいい天気に恵まれて、穏やかな正月3が日が過ぎようとしている。
 子供たちの仕事の都合で、家族全員が一緒に集まることはできなかったけれども、長男夫婦は孫を連れて4日間居てくれたし、娘と次男もそれぞれ忙しい仕事の合間をぬって帰ってきてくれた。
 昨日は母も連れてきて、娘が面倒見てくれた。
 久しぶりの我が家を母は何と思っただろうか?反応はいまいちだったが、それぞれに満足な正月だったろう。
 孫は可愛い盛り、大いに愛嬌を振りまいた。やっと分かるようになったかたことで「じいっちゃ」「ばあっちゃ」を連発。私たち夫婦を大いに喜ばせてくれた。
 昨夜は、はしゃぎすぎてひっくり返り、腕のひじを脱臼したが、慌てて病院に連れて行って事なきを得て一安心。
 その孫も帰って行って、またもとの夫婦だけの暮らしに戻った。日本中いや世界中で、こんな平穏な日々が一年中続けばいいなァ。

 
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