ゆうゆうの雑記帳    

   

   

 
2022年へ
 

2023年
11月7日(火)

 昨日は雲仙紅葉の旅に行って来た。紅葉やロープウエイを楽しむはずだった。
 ところが、雨と霧で全部パー。雲仙は深い霧の中だった。一昨日までは晴天続きだったのに、今日も明日も天気なのに、 昨日だけが雨、おかげで雨男の汚名を着せられることになってしまった。
 雨は大したことはなかったのだが、霧がひどくて5m先は見通せない状態で、地獄めぐりもできなかった。
 その代わり予定になかった島原城内見物ができた。5層5階エレベーターはなし、階段を上って展望台まで往復できた。
小浜温泉でもかなり歩いた。まだまだ歩ける自信がついたのが、唯一の収穫だった。

 

 
10月31日(火)

 昨日は予約していた、たけどみクリニックに補聴器体験に行って来た。
 体験と言っても既製品で聞いてみるだけだが、数年前に体験したものより、かなり聞こえがいいように感じた。
 種類は、耳掛け式と耳穴式の2種類。それぞれ電池式と充電式があるという。私は耳穴充電式がいいと伝えたら、 それでは、まず耳穴のサイズをとって、私用に作るのだという。
 「10日ぐらいしたら出来上がるので、1か月体験をしてもらって、気に入らなければ返却してもいい」とのこと。
 それなら、「体験する」と言ったら耳穴のサイズをとって、あとは10日後ということになった。

 

 
10月24日(火)

 今日は春吉の卓球も早引きして、みみ・はな・のど たけどみクリニックに行って来た。 きこえの検査をするからと13時に予約が入れてあったから。
 検査は「あ」とか「か」とか」いうのを聞いて、聞こえたように答える検査で、5年ぐらい前にもやってもらったことがある。
 右耳は中に腫瘍ができているから、補聴器をしても聞こえるようにはならないが、左は補聴器を検討する価値はあるけど、 どうする?ってことだった。
 もともと、補聴器って安いものではないから、簡単には買えないが、体験だけはしてみたい。と予約をしてきた。
 なかなかスムーズにはいかない。何回か通わなければならないだろう。

 

 
10月17日(火)

 昨日は、第1観光の日帰りツアーに参加して、久留米、八女、田主丸方面に行ってきた。
 久留米でのお目当ては石橋記念館のバラ園。ところが9月に剪定したとかで、新芽ばかりでバラは全然咲いていなかった。
 次はキリンビールのコスモス園。ここは何回も来たところなので、あまり新鮮さはなかったが、 コスモスは今からが見頃ということで、まずまずだった。
 最後は田主丸の柿園に寄って、柿狩り。柿は10個ぐらいほしいところだが、まだ青い。3個はタダだというので3個でやめた。
 ということで、福岡県内の旅だったが、佐賀県生まれの私にはまずまずだった。

 

 
10月11日(水)

 このところ、すっかり秋らしくなって過ごし安い日々が続いている。朝晩は少し寒いくらいだが、 こんな気候が長く続けばいいなあと思う。
 今日は公民館の「はるよし大学」に行ってきた。今日のテーマは「頻尿と尿漏れ予防」、まだ尿漏れの経験はないが、 夜間に2、3回トイレに起きるのは夜間頻尿ではないかと思ったからだ。
 はるよし大学での話は主に尿漏れの話ばかり。尿漏れパンツの宣伝が多く、頻尿の話はあまりなかったが、 結局は頻尿から始まって、やがては尿漏れになるのだろう。

 

 
10月7日(土)

 昨日は10時からのサークル代表者会議と、19時からの卓球大会打ち合わせ会議に出席した。
 この2つの会議に出席して、つくづく思ったのは、もう代表者なんてやっていられないということ。耳が聞こえないというか、 声は聞こえているのに何と言っているのか聞き取れないからだ。最近になって、急に難聴度合いが増しているようだ。
 手持ちの補聴器は、付けても付けなくても同じだし、新しい性能の高い補聴器は20万円から50万円もするので、 おいそれと手は出ない。 それに買ったとしても必ず聞こえるとは限らない。5年前に体験済みだから…。
 でも、このままでは、人中に入れず、こもり人になってしまう。何とかしなければ。

 

 
9月29日(金)

 久しぶりに、旧カラオケ友達から「天神でカラオケやらない?」と電話が入った。
 彼女はコロナが流行る前は、5年ぐらいカラオケ仲間だった。その仲間も体調不良や高齢のため、一人辞め二人辞めして、 ついに彼女と二人だけになったが、コロナが流行る迄、2年以上二人で歌ってきた。
 その人から珍しくお誘いが入ったので喜んで出かけた。彼女の歌はどちらかといえばクラシック系だが演歌も歌う。 私はクラシックも歌うが、今日は演歌で通した。
 彼女のおしゃべりにも付き合いながら5時間歌ってきた。

 

 
9月22日(金)

 春吉公民館主催のバスハイクに参加して直方まで行って来た。福岡に居ながら今まで直方には行ったことはなかった。
 直方といえば元大関魁皇の出身地、駅前には大きなブロンズ像が建っている。まずはそこを見物して、次は林芙美子の像に行った。
 林芙美子は直方出身ではないが、子供の頃1年間だけ住んでいた町だそうだ。
こちらは椅子に座った小さな像だったが、子供の頃の実物大だという。
 直方は元筑豊炭鉱の中心地で、炭鉱記念館を見学した。 筑豊という名は、昔の筑前の国と豊前の国にまたがった所にあるからついた名で、筑豊地方のほぼ中央にある。
 帰りは道の駅に寄るお決まりのコースだったが、結構楽しめた。

 

 
9月16日(土)

 いつまで続くのだろうこの真夏並みの暑さ。80歳も過ぎる今まで、こんなに真夏が続いた記憶はない。身も心も変になりそうだ。
 異常気象は最近始まったことではない。でも、この異常気象いつまで続くのか、終わりがみえない。 秋は来るのだろうか?とさえ思える暑さだ。
 気になるのは、農作物をはじめとした植物に与える影響だ。すでに栗や梨・ブドウなどに異常がみられると、 テレビでも報道していた。
 もともと私は農村出身だ、故郷の自然や農作物・魚介類に与える影響が気になる。

 

 
9月9日(土)

 昨日は春吉公民館の「人権学習」に出席した。各サークルに1名、動員がかかっていたから。
 人権学習と言っても、人権に関する話はなく、春吉中学校の校長先生による彫刻の話だけだった。
 彫刻には興味はなかったが、話が殆ど聞き取れなかった。難聴がかなり進んでいるようだ。 補聴器をして行けば幾らか違っただろうか?
 難聴のことは不便だが、あまり気にしてはいない。気にするあまり、引っ込み思案になったり、 集会や催しに参加したくなくなっては元も子もないから。
 ただ、今持っている補聴器は通販で買った安物だし、そろそろ本格的な補聴器を検討する時期に来ているかもしれない。
 私の耳は、聞こえていても何と言っているか分からない、厄介な耳だから。

 

 
9月3日(日)

 9月1日の防災の日を機に、NHKでは東南海地震を想定したり、100年前の関東大震災の模様を再現したりして、 防災特集を放映している。
 日本は地震大国であり、私たちも警固断層の真上に住んでいる。いつ大地震が来てもおかしくない。
 現に十数年前には、この断層帯の北端が揺れて、福岡もかなりの震度を観測した。
 当時私たちは唐津に住んでいたが、唐津も大きく揺れて瓦が落ちたり、壁が剥がれ落ちたりした。生まれて初めての体験だったので、 大いにびっくりしたのを、つい先日のように思い出す。
 いつ来るか分からない大地震。心構えと、できるだけの備えは怠ってはならない。

 

 
8月27 日(日)

 ほぼ毎日と言っていいくらい、スーパーに買い物に行って来る。
 中身は殆ど毎日食べる食材。リュックにいっぱい「もう入らない」というくらい詰め込んだら、コメ5キロより重い。
 「ジジ・ババ2人、よく食うなァ、誰がこんなに食ってるんだ?」と笑い合いながら食べている。
 すべての物の値段が高くなった。1つ1つ値段を覚えているわけではないが、レジでの支払いの時「高くなったなァ」と思う。
 前は2千円代だったのが今では3千円代になった。更にまだまだ値上がりは続きそうだ。今日はリュックいっぱいで4千6百えん。 家計簿は付けてないが、付けてる人は恐いくらい上がっていると思う。
 世情は不安定だ、まだまだ何が起こるか分からない。

 

 
8月24 日(木)

 猛暑、猛暑、今日も猛暑、明日も猛暑、この先1週間も猛暑が続きそう。もう晴天が恨めしい。
 いったい、いつまで続くのだろうこの猛暑。涼しい秋は来るのだろうか?地球がおかしくなってるんじゃなかろうか?
 こうまで猛暑が続くと体が変になりそう。暑苦しくて、けだるくて、何もしたくなくなる。
 でも、今日も卓球はしに行って来た。公民館の講堂でやるから、冷房を効かせてやれば、熱中症の心配はまずない。
 問題は道中、公民館まで片道20分ぐらいかかる。特に帰りは汗だくで、くたくた。それでも、卓球は楽しい。

 

 
8月18日(金)

 今年の盆は何もせずに、あっという間に過ぎてしまった。
 いつもは15日に唐津に行って、相賀の初盆参りをしたり、大島の姉の家にも寄っていたのだが、それもしなかった。
 今年は、妻の姉の初盆だったので、娘や息子とそちらを優先して大橋に行った。
 車がないから、息子に連れてもらって行っていたのだが、息子もそう何回も休むことはできない。
 秋の彼岸には行きたいと思っているが、どうなるかな? 

 

8月13日(日)

 11日から帰省していた娘が先ほど戻って行った。兵庫県の宝塚に住んでいる。
 大橋の妻の姉さんの初盆参りも兼ねての帰省だった。その初盆参りには今朝ほど行って来たが、前もって連絡して行ったので 先方にはすっかり気遣いをさせてしまった。
 西区の次男もやって来たので、夫婦2人の生活も久しぶりに賑やいで、我が家に戻っても先ほどまで話が弾んだ。
 その次男も娘と一緒に帰って行ったので、また元の2人だけの生活にもどったが、やっぱり子供たちが帰ってくると、 何だか華やいだ気分になる。
 子供たちが次に帰ってくるのは正月かなァ。3人揃うかなァ。

 

8月7日(月)

 衰えを知らない猛暑の中、今年も盆が近づいている。82回目の盆だ。
 盆には毎年相賀に帰って、初盆の家を回ってお参りしてきた。
 だが、今年は止めようと思う。妻の姉さんも今年は初盆だから、これは行かなければならないし、車がないから息子が頼りだが、 息子も何回も休むわけにはいかない。おまけにこの猛暑だ、身体が持たないよ。
 テレビでも、生命の危険を感じるほどの猛暑続きだから、極力外出は控えるように言っている。
 相賀に初盆参りをしなければならない家が何軒あるか聞いていない。
福岡に出て来て13年、相賀の知り合いも少なくなった。親戚も代替わりで付き合いもなくなった。もうほどほどでいいだろう。

 

7月31日(月)

 今日で7月も終わりだが、連日の猛暑は相変わらず続いていて8月に入ったら更に暑くなるとか、全く終わりがみえない。
 この現象は単なる温暖化だけなのだろうか?日本列島だけではなく、世界中がそうなんだろうけど、地球もいよいよ住みにくくなって、 弱者は淘汰されていく時代に入るのだろうか?
 盆になったら幾らか涼しくなるのだろうか?「暑さ寒さも彼岸まで」と昔の人は言ったけど、 彼岸になれば涼しい秋が来るのだろうか?
 春と秋がだんだん少なくなっていくような気がする。あ〜ァ 暑い!!

 

7月26日(水)

 月初めごろから右手の人差し指が痛かったので近くの整形外科に行ったが、レントゲン検査では異常はないし、 生活に支障が出るほどの痛みではないので、しばらく様子を見ていた。
 でも、良くなる見込みはなさそうだし、悪くもなっていないが、もう一度診てもらおうと整形外科に行って来た。
 曲げ伸ばしをすると少し痛いが、指を抑えられてもあまり痛くはない。もしかしたら「ばね指」かも知れないということだった。
 「ばね指」とは、まだ腫れてもいない、炎症を起こしてもいない、腱鞘炎になる少し前の状態で、注射で治療することができる と言う。
 まだはっきりしていない段階で、注射までは?と思ったので、もう少し様子を見て、少しでも悪くなりそうだったらまた診てもらう ことにした。

 

7月21日(金)

 6月に市の肺がん検診を受けてみた。無料だから時にはいいかと思って。
 忘れた頃になって結果の通知が来た。中には手紙と封書があって、封書は開けずに専門医の所に持って行って、 精密検査を受けるようにとのこと。
 前に2回ほど「肺に水が溜まっている」と言われたことがあったので、今度も「またか」と思った。
 25歳の時に肺結核を患って肋膜に水が溜まったことがあって、その時の後遺症で肺の下部が少しレントゲンに写らない所がある。
 近くの呼吸器が専門の医者から「半年に1回レントゲン検査を受けたがいいよ」と言われて、そこで定期的に受けていた。
 まただろうと思って、その医院に行ったら予想どおり「初めてこれを見た人は異状があるとしか思わないですよ」と言われた。
 笑い話で済んだけど、初めから専門医の所に行くべきだったなァ。

 

7月15日(土)

 先日我がマンションでガス漏れ騒動があった。7階の人からの通報だという。
 7階からの通報だから、上の階かと思ったら、何と地下に埋められた配管部分からのガス漏れだった。
 工事が始まったのは、駐車場入り口横の歩道に面した部分で、表の道路には工事車両が数台並び、歩道は通行止め、 「火気厳禁」の立て札が立てられた。
 歩道横のマンションの敷地部分が掘り起こされ、かなり大掛かりな工事になっていた。寝る時までは工事が続いていたので、 多分夜中までかかったのだろう。
 翌朝は、奇麗に埋め戻されていたが、壁には地下のガス管から繋がれた管が張り巡らされ、裏の方に回されていた。
 表の道路に面した壁だから、何とも見栄えが悪いなァ。

 

7月8日(土)

 久しぶりに息子(次男)がやって来たので、これ幸いと博多駅裏のヨドバシカメラに連れて行ってもらった。 車はないし、バスでは連日の雨で行きそびれていた。
 お目当ては、扇風機と電動爪削り器を買うこと。扇風機はわが部屋と寝室にはない。 リビングのを持って行けばいいのだが、面倒なのでつい冷房に頼ってしまっていた。
 そこで、節電のために扇風機を買うことにし、電動爪削りは、足の爪切りがスムーズにできなくなってきたから。
 ヨドバシカメラは、大勢の人でにぎわっていた。特に最近できた4階のスーパーは混雑がひどく、 買い物(夕食の総菜)選びもままならず、レジは長蛇の列だった。
 やっと車に戻って「やれやれ」と思ったら、今度は車が渋滞。いやはや疲れた。特に息子には迷惑かけた。

 

7月3日(月)

 1丁目のうえき医院に行って来た。家から近いし、一度は行ってみたいと思っていた。このクリニックには内科も外科もある。
 今日は、朝起きるとすごく頭が痛いし、右手の人差し指も2週間ぐらい前から痛かったので、 丁度内科と外科があるから、早速行ってみることにした。
 右手の指は大した痛みはなく、日常生活に支障はないが、頭は何故か可成り痛い。
 病院のスタッフは、全部女性ばかりでみんな若い。どの人が女医さんで、どの人が看護師さんか分からずじまいだった。
 いろいろ検査をしてもらったが、結局、頭痛も指痛も原因は分からずじまい。血液検査の結果はまだ分かっていないが、 自分でも、何もしていないのに痛くなったし、見た目は何ともないように見えるし、普通の痛みではないような気がしていた。
 とりあえず頭痛薬だけ貰ってきた。他の病院に行ってみる必要がありそうだ。

 

6月30日(金)

 6月も今日でおしまい、春吉公民館老荘会のバスハイクに参加して来た。行き先は柳川・久留米いわゆる筑後地方。
 あいにくと朝から雨で、筑後地方は大雨が予想されていた。考えてみれば梅雨の真っ盛り、これから梅雨末期の大雨が降って、 梅雨明けに向かうことになる。
 ところが不思議なことに、バスに乗っている間は激しい雨が降っていても、トイレ休憩や道の駅、昼食のためにバスを降りたときは、 雨は止んでいるか降ってもパラパラで傘は差さなくてもいい程度になる。
 結局、2回のサービスエリアでのトイレ休憩と、2か所の道の駅での買い物、柳川の亀の井ホテルでの昼食、 あとは殆どバスの中だった。
 特に筑後地方は大雨、ここ数日降り続いた雨で川は濁流が流れ、小郡では2回の「緊急避難情報」がみんなの携帯に響いたりしたが、 それはバスの中だけだった。
 これは皆が感じていて、「バスを降りると降り止む、不思議ね」と言っていた。

 

6月24日(土)

 橋本の「ニトリ」にテレビの前の小椅子を買いに行って来た。買うと決めてから、なかなか行く日がなくて、 とうとう1週間にもなった。
 地下鉄橋本駅は「木の葉モール」とつながっているので、しばらくモールで時間つぶしをして「ニトリ」に行った。
 ベットはしばらく検討をすることにして、今日は小椅子だけ。ある場所は分かっているので、直行で買って、 送ってもらう手続きをした。月曜日には配達される。
 帰りはまた「木の葉モール」の中をぶらぶらと見て回って帰ったが、時には出かけるのも気持がちいい。

 

6月17日(土)

 橋本のニトリに行って来た。車がないいま、地下鉄で行ける唯一の家具屋だ。目的はベットと座椅子の下見。
 地下鉄橋本駅に(木の葉モール橋本)があって、その隣にニトリがある。
 座椅子と言うよりも、テレビの前に置く小さな椅子。店舗の1階部分をぐるりと一回りして、一番奥にやっと見つけた。 ただ座るだけのものと、リクライニング式のものがあったが、リクライニングの方がいいだろう。
 ベットは2階にたくさんあったが、ダブルやセミダブルが多い。シングルはあまり多くはなかったが、一つだけ「これは」 と思うものがあったので、チラシをもらって帰って来た。今日は見るだけ。
 ベットは置く部屋の問題もあるので、しばらく我慢して、まずは小椅子を買おう。

 

6月16日(金)

 とてもうるさいけど我慢して補聴器を付けている。右耳はほとんど聞こえないので左耳だけだが、 周りの騒音も雑音もみんな拾って大きくするので本当にうるさい。
 声も大きくはなるが、聞き取りにくいのは相変わらずだし本当は外した方がいい。
 でも、慣れごとだというし、とにかく3か月は我慢して慣らしてみようと思う。
慣れたら補聴器専門店に行って体験させてもらう。それで納得できれば、もう少し上等の物を買おう。

 

6月10日(土)

 
筥崎宮のあじさい園
   春吉公民館のウオーキングに参加してきた。参加者は30名余り。筥崎宮には何回か来たが、 昨年は友達と5月にぼたんを観に来た。
 ウオーキングだから歩くのが主体だが今回はウオークは少ない。行きは地下鉄で渡辺通りから博多駅と中洲川端駅で乗り換えて 箱崎へ。
 筥崎宮を参拝してあじさい園に着いたのは11時20分ごろだったが、全員に弁当とお茶を配ったところで、 早くも解散自由行動となった。
 少し早かったが、まずは弁当を食べて、あじさい園内をぶらぶらと写真を撮りながら、ゆっくり観て回った。 ゆっくりしても、あじさいのほかにはこの時期観るものは無い。
 近くにこれといった観光名所もないし、天神経由の直行バスで帰ったら、午後1時半には家に着いた。

 

6月5日(月)

 一人カラオケに行って来た。住吉の”ドラッグストア森”の2階にあるコロッケクラブ。
 コロナ以前のカラオケ友達から、歌う気になったら電話があるはずだが、連絡がないところを見るとその気にならないのだろう。
 一人カラオケは久しぶりだった。13時から17時までの4時間で50曲ばかり歌ったろうか。
 久しぶりに大きな声で腹から歌ったので、頭も身体もすっきりした。
 でも、やはり一人は寂しかったなァ。

 

5月29日(月)

 
大村公園の花菖蒲
   久しぶりに日帰り旅行に参加してきた。一人で参加するのは勇気がいったが思い切った。
 佐賀大和の大和中央公園、長崎県大村の大村公園、同じく佐々町の皿山公園、3か所の菖蒲園観光だった。
 あいにくの天気で、佐賀大和では傘をさしての観光、大村公園も皿山公園でも雨はパラパラだったが、 何とか傘は開かずに観て回った。
 菖蒲の花は、佐賀大和はほぼ見ごろ、あとの2か所はまだ蕾が多かったが、まずまずだった。
 バスは定員いっぱいの40名。男性は1割程度で、あと9割は女性、覚悟はしていたが、一人参加は話し相手もなく、 やはり寂しくつまらなかった。
 この次は、誰かを誘って行かなければ、せっかくの観光旅行が面白くない。

 

5月27日(土)

 
植物園の見ごろのバラ園
  公民館の動植物園ウオークに参加してきた。結構遠いので一人バスで行ったら、皆とはぐれてしまった。
 何回も来ている動植物園だが、動物園には興味がないので、真っすぐ植物園に入ったら、 動物園から入った皆とは中々合流できなかった。
 仕方がないので、ひとり写真を撮りながら園内を一回りしてきたら、やっと弁当を食べている皆を見つけた。
 弁当を食べたら解散になったので、各自思い思いに帰ったが、疲れた。

 

5月25日(木)

 妻の姉さんの葬儀告別式に行って来た。福岡市内での葬式は初めてだったが、やり方は唐津と大差ないと思った。
 葬儀会場でも火葬場でも、息子2人が一切を取り仕切ってくれていたが、斎場その他、思っていたよりも盛大な式だった。
 参集者は、ご主人の家族とその親族、亡くなった本人の兄弟とその身内、総勢30人ほどだったが、 皆さんとても親切で温かかった。
 初めと終わりには全員による食事会まで用意してくれ、最後には息子の嫁さんが我が家迄送ってくれた。
 葬儀というマイナスイメージはなく、ほんのりと温かい一日だった。

 

5月21日(日)

 
見事に咲いたクジャクサボテン
  一昨年もらったクジャクサボテンの一芽を挿して育てたら今年は見事に花を咲かせた。
 三個の蕾がついたが1個は育ちが悪く途中で落ちた、でも2個は見事に咲いてくれた。
 サボテンの花はみんな奇麗だが、その中でも特にクジャクサボテンの花は大きくて見事。唐津にいたときも栽培していたが、 引越しで持って来なかった。
 同じサボテン族の月下美人は特に白で大きくて有名だが、残念ながら寿命が短い。我が家のも短いが今日で3日目。 せめて1週間ぐらいは咲いててほしいが、そうはいかないか。

 

5月19日(金)

 今日は宝塚に住んでいる娘がやって来た。正月以来久しぶりの帰省だ。
 話が弾んでいる最中だったが、6回目の予約をしていたコロナワクチン接種の時間が来たので出かけた。
 病院で「過去の接種後の状況はどうでしたか?」と聞かれたので「何ともありませんでしたが、 何ともないということは抗体が出来ていないということではないでしょうか?」「そんなことはありませんよ、体質ですから…」 と言われたので安心した。
 今日も夜までなんともなかったので娘が「お父さんはおかしい」と言って腕をたたいたが何ともない。
 娘は「私は3回目で腕が腫れて痛くて、もうしないと思ったのに、お父さんは絶対変よ」と言って、また腕をたたかれた。
 でも、本当に何ともなかった。歳とって勘が鈍くなったのかなァ。

 

5月12日(金)

 毎日飲む血圧の薬がなくなったので近所の掛かりつけ医院に行って来た。
 この病院は個人病院で地域の掛かりつけを担当する病院だが、先生の専門は循環器。したがって血圧測定のほかに、 必ず胸と背中に聴診器を当てる。
 何か変わったことはないか聞かれたので、「今始まったことではないけど、身体全身がかゆいです」と言ったら、 「基本的には皮膚科に診てもらった方がいいけど、入浴剤なんかもいいですよ」と言われた。
 入浴剤なら我が家にもあるけど時々しか使っていなかった。毎日使ってみよう。

 

5月10日(水)

 筑紫野の友達の家に飲みに行って来た。彼は2歳違いだが小さい頃から兄弟のように育った弟みたいな存在。
 コロナ前は行ったり来たりして、お互いの家で飲んでいたが、コロナでしばらく途絶えていた。
 婆ちゃん同士が兄弟のまた従姉弟だが、お互いに父親を戦争で亡くして、爺さんばあさん母親3人に育てられた、 似たような境遇同士だ。
 お互い呑めば昔話に花が咲くのだが、彼は子供の頃のことまでよく覚えている。それにあの人はどうだったとか、 この人はどうだったとか、良く知っているのには感心する。
 そんなことにはあまり関心がなかったので、たわいの話でも酒の肴にはなる。

 

5月2日(火)

 今日は春吉卓球の日だった。終わったら一緒に食事に行こうということになって、賛同者6名と部外者1名で出かけた。
 場所は前もって予約をしていた連合市場の中の魚屋経営の飲食店。何が評判なのかは分からないが、 店の横にはすごい行列が出来ている。
 中は椅子席が少ないので、7名が入れる席はなかなか空かない。30分ぐらい待ってやっと入れたので、みんな海鮮丼を注文した。
 丼の中には、当然だがこれでもかと言わんばかりに、ぎっしりと刺身が乗せられている。 こんなに刺身を食べて大丈夫か?と思うほどだ。
 卓球仲間とワイワイやりながらの食事は楽しかったが、コロナが気になったなァ。

 

4月27日(木)

 きのうは、祖父の61回忌法要のため相賀に行って来た。祖父のは今回が最後の法要だった。
 姉も連れて行こうと大島に寄ったら、いかにもきつそうだったから連れてはいけなっかったので、結局次男と二人だけとなった。
 和尚さんは湊の人で、次男と同級生、相賀児童館からの知り合いで、次男のことを「たけちゃん、たけちゃん」と呼んでいる。
 祖父の法要は最後だから、納骨堂から骨壺を取り出して、一緒に拝んでもらった。
 骨壺を地下室に下ろすと言ったら、それも和尚さんがやってくれた。

 

4月23日(日)

 中央区卓球親睦会の卓球大会に参加してきた。コロナで3年ぶりの大会だった。 今回はシングルス大会で、私のほかに女性が2名参加した。
 女性2人は経験もあって、そこそこの実力を持っている。一人は3位入賞し、もう1人は、あと一歩のところで入賞を逃した。
 私はといえば予想通り惨敗で手も足も出なかった。おまけに初めての経験とあって緊張しまくりでとても疲れた。
 春吉の卓球サークルは、女性8人、男性は私1人、男性相手の練習はしていない、当然の結果だろう。
 10月にはダブルス戦がある、どうしたものか…。

 

4月18日(火)

 無事に82回目の誕生日を迎えることができた。体力や歩行能力はかなり落ちてきているが、一応元気だし、 週2回の卓球だって出来ている。今日がその卓球日だ。
 出かける直前に幼友達から電話が入った。彼も今日が誕生日なのだ。 しかも子供の頃は「お〜い」と呼べば聞こえるくらいの近所に住んでいた。
 だから、彼とは中学校を卒業するまで海や山でいつも一緒に遊んだ。 今朝の電話では「お互いによくここまで来たなァ」って祝福しながら、昔を懐かしんだ。
 午後は次男がケーキとお祝いの部屋飾り額を持ってやってきた。妻と3人で夕食を楽しんでいたら娘からも電話がかかって来た。
 毎日が誕生日ならいいなァ。このままの体力で90になれればいいなァ。

 

4月14日(金)

 ほぼ毎日、リュックを背負ってスーパーに買い物に行って来る。たまには1日に2回通うこともある。 中身は殆ど食材で、買って来れば、あとは妻が料理を作ってくれる。
 「ジジ・ババ二人で毎日よく食うなァ」と笑いながら食べている。二人とも食欲はあるのだ。
 毎日の買い物も高齢者にはいい運動になる。時にはリュックいっぱいで重くて足がきつくなることもあるが、 それも10分余りのいい運動だと思っている。
 今日は郵便局にも用事があったので、ついでに回って買い物も済ませて来た。

 

4月8日(土)

 今日は中央区卓球親睦会の理事会に行って来た。理事会と言えば聞こえはいいが、何のことはない卓球大会のお手伝い役だ。 今日の会議はその大会の事前打ち合わせ会だった。
 会議のメンバーは、中央区内14校区のサークル代表29名と、他に体育館で練習している20の卓球愛好クラブの代表3名。
 コロナで3年休んでいたので、久しぶりの卓球大会となる。久しぶりとはいえ会議の会場を間違えた。 体育館の会議室だとばかり思っていたら、会議室には若い女性ばかり、「ここは違いますよ。さっきも同じ間違いの人がみえましたよ」 とのこと、受付に聞いたら、隣の中央区市民センターの会議室だった。
 私と同じ間違いをした人が何人かいたらしい。コロナ前の理事会は体育館の会議室だったから…。
 案内文を読み直したら、確かに市民センターの会議室と書いてあった。

 

4月4日(火)

 午前中は春吉公民館の開講式に出席した。サークル代表者に動員がかかっていた。
 代表者会議の後は人権学習。人権と言っても今日のテーマは「人生100年時代にどう生きるか」、特に70代が大切と言う。
 残念ながら80代に突入しているが、私は60代も70代もしっかり、やりたいことをやって来たと思っている。
 午後は夕方から、アクロス福岡 シンフオニーホールで「細川たかしとコロッケによる二人のスペシャルルショー」を観に行った。
 さすが細川たかし、72歳だが声量がすごかった。やはり生ステージはいいな。

 

3月31日(金)

 先日大腸がんの検査申請をしていたので、結果を聞きに行った。
 「別に異常は見つからなかったので、これならわざわざ精密検査をする必要はないでしょう」と言われたので 「はい、私も寝た子を起こす様なことはしたくありません」と答えて、まずは一安心。
 天気はいいし、爽快な気分で、午後はカラオケに出かけた。コロナ以降仲間は出て来なくなったので、一人カラオケ。
 カラオケ店も、人出はがらがら、店は大丈夫か?数えてみたら43曲歌っていた。

 

3月26日(日)

中央公園の桜は満開
 買い物ついでに天神まで足を延ばした。久しぶりの天神、春の陽気に誘われて人出も多い。
 中央公園の桜も満開、マスクを外して飲食を楽しみながら花見をする人たちもちらほら。花見客のための区画も確保してある。
 久しぶりだからアクロス福岡にも入ってみた。以前と変わらず人出も多く、コンサートの開場待ちの人の行列も出来ていた。
 いいコンサートや催しなどの予定がないか探したが、これというものは無かった。
 帰りに買い物を済ませて帰ったが、天神まで歩いて往復できた。まだまだいける。

 

3月22日(水)

 昨日は相賀に彼岸参りに行って来た。早く着いたので湊で食事をしようと「みなとん里」に行ったら「今日本が勝ったよ」と言う。 そうだWBC準決勝(日本対メキシコ戦)は見られなかったのだ。
 4対3でリードされていたのを、村上選手の逆転サヨナラ打で劇的な勝利をおさめて、明日アメリカと決勝戦だと何回も聞かされた。 そして今日、その決勝の日がやって来た。
 朝は少し忙しかったので、8時半頃にテレビを付けたら、まだ0対0で1回のウラだった。
 それからはテレビにくぎ付けで3対2で日本が勝って優勝するのを見届け、昼食を摂って再度テレビを付けたら、 ビールかけならぬシャンパンかけが始まっていた。
 感激の世界一とはいえ、もったいないことをするなァ。

 

3月15日(水)

 掛かりつけ医院に月1回の薬をもらいに行って来た。
 道々、垣根の紅かなめや柊などが新芽を伸ばしてきていて、初々しく鮮やかな色を見せて、すっかり春めいてきた。
 病院では、「変わったことはありませんか?」と聞かれたので「別にありません」と答えたら「漢方の便秘薬はまだ必要ですか?」 と聞かれたので、「便秘と下痢の繰り返しです」と言ったら、「大腸がんの検査をしませんか?無料ですよ」と言われ、 検査キットをもらってきた。
 「この次は採血もしましょう」とのこと。そういえばもう1年以上血液検査はしていないなァ。

 

3月10日(金)

 週2回卓球に通う以外は変化に乏しい毎日だが、今日は久しぶりに次男がケーキを持ってやって来た。
 西区の野方に住んでいるので、ここまではかなり遠い。福重にいたときは月に2.3回来ていたが、今は1回かたまに2回ぐらい。
 子供たちも孫も、成長とともにだんだん遠くなるように思う。当たり前のことだが、なんだか寂しいと思うこともある。
 子供たちにもそれぞれ生活がある。喜ぶべきことなのに、寂しく感じるとは、それだけ、こっちが歳をとったということだろうなァ。

 

3月3日(金)

 月曜日から孫が遊びに来ていたが、今日帰って行った。孫はいま大学1年生。
 大学生は春休みが長い。2月3月はまるまる休みで、東京で遊び、日光にも行って来たという。 この後はアメリカにいる両親の所にも遊びに行くと言っていた。
 我が家に来たのは、友達と遊ぶため。小倉よりも福岡の方が気の合う友達が多いのか、 この3日間それぞれ違う友達と遊び、今日もどこかで友達と食事をするのか、11時半ごろに帰って行った。
 まずは小倉の家に行って、それから東京へ行き、来週初めにシカゴに飛ぶという。

 

2月25日(土)

 今日は公民館の主催による梅見ウォークに、「飛梅と学問の神様で有名な太宰府天満宮」に行く予定だった。 でも、午後からは雨の予報だったのでやめた。
 大宰府には去年も行ったし、秋には「菊科展」にも行ったからそれほど行きたいとも思わなかった。
 買い物帰りに、ホテルニューオオタニの前で、薬院に向かっている公民館の連中とばったり会った。 元カラオケ仲間が笑いながら「大宰府行こう」って誘ってきた。買い物帰りと分かっていながら…。
 こっちも笑いながら「行ってらっしゃい」と、見送ったが、午後1時ごろになっても雨は降りそうにない。
「行けばよかったかな?」と思っていたら、1時半ごろから雨が降り出した。
 最近の天気予報は本当によく当たるなァ。

 

2月20日(月)

 久しぶりに1人カラオケに行って来た。コロナが流行ってから行っていなかったので実に3年ぶりだ。
 かってのカラオケ仲間とは、時々電話はするが会ってはいない。「そろそろ復活しようか」とは言っていたが、 なかなか踏ん切りがつかないでいる。
 寂しいと言えば寂しかったが、1人で3時間半たっぷり歌って来た。心配していた声も依然と同じように出たので、まずは一安心。 諸物価値上がりの折、以前より105円高くなっていた。
 あとはカラオケ仲間からの「やろう」と言う連絡を待つのみ。

 

2月16日(木)

 週2回の卓球はとても楽しいのだが、最近特に年齢を感じるようになってきた。
 卓球自体はあまり感じないが、公民館までの行ったり来たりがきつくなった。
 東住吉の場合は、往復で40分かかる。特に帰りはきつさを感じるようになった。
 おまけに午後は買い物が待っている、これがまたさらにきつく感じるし、背負っているリュックも重い。
 年寄たった二人だけの生活なのに、贅沢もしていないのに、よく毎日買い物があることよ。

 

2月11日(土)

 清川に来て10年を過ぎたが、歳のせいか変化の少ない毎日だが、周りはどんどん変わっている。
 今はビル建設が盛んに行われて、マンションがあちこちで建設されている。特に清川は人気が高いそうだ。
 先日、わがマンションでも、8階の1室が売りに出されたが、10年前に私が買った値段よりびっくりするほど高い。 私が買ったときは、築32年の中古マンションだったから、今は築42年なのにだ。
 先日、同じ階のある人に言われた「あんたはいい時に買ったね。俺はいまだに賃貸だよ。」って。
 今にして思えば、あの時に思い切って買ってよかった。

 

2月4日(土)

 私のように耳の聞こえが悪い者は、人との触れ合いが少なくなり、認知症やうつになる確率が高いとテレビで言っていた。 補聴器の宣伝ではあったが、なるほどそうだと思う。
 補聴器が効く人はそれでいい。でも、私の耳は補聴器が効かない。音や声は聞こえている、聞こえているが何と言っているのか、 言葉が聞き取れない。補聴器をすると、雑音や騒音、金属音が高くなって、余計聞き取りにくいのだ。
 出かけるにしても、一人では面白くない。だから、できるだけ外に出かけて触れ合いを多くするため、 公民館活動に参加するようにしている。
 卓球や、かってのカラオケ仲間が、私の耳のことをよく知っていて、お出かけにも付き合ってくれるし、とても良くしてくれる。

 

1月27日(金)

鎮国寺
 「春吉老壮会」のバスハイクに初めて参加した。老壮会は8年ぐらい前に、カラオケ仲間から誘われたことがあったけど、 当時は「まだ早い」と断っていた。でも、80歳を過ぎたいま、卓球仲間に誘われて、喜んでOKした。
宗像大社
 参加してまず驚いたのは、何と年寄の多いこと。自分も81歳だがまだまだ若手、おまけに体の不自由な人が多いこと。 杖を突きながらやっと歩ける人、歩行器や、車いすの人、いやァ役員は大変だなァと思った。
香椎宮
 宗像の「道の駅」で買い物をしてから「鎮国寺」「宗像大社」を参拝して、ロイヤルホテルで昼食を撮り、 最後は「香椎宮」を参って帰途についた。お寺を含めて3社参りとは、笑わせたが、とにかく無事に済んだ。
 北風が吹き付け、降れば雪だろうと思われる寒さの中での参拝だったが、家に帰ったら、何だか胸がスーッとさわやかで、 暖かい不思議な気分を味わった。参加して本当によかった。
 次回は3月、もちろん参加する。

 

1月25日(水)

 今、この冬一番の寒波がやって来ている。いや、近年にはない強力な寒波だそうで、 高速道路が雪のため各地で通行止めになっている。
 昨日は昼頃から雪が降り出して、周辺は一時薄っすらと雪化粧になった。だが、長続きはしないので間もなく溶けてしまった。
 その後も降ったり止んだりの天気だったので、夕方には雪解け水が凍りついて、 道路は注意しないと危なそうだった。
 今日も相変わらず寒い。だが天気は悪くない。午前中は時々ちらちらと舞っていた雪も、 午後からは降ってなくて、時おり青空がのぞいている。
 この寒波はしばらく続くという。そういえば今が1年中で一番寒い時だもんな。

 

1月19日(木)

 久しぶりに元カラオケ仲間の女性が連絡してきた。コロナが流行ってから3年間カラオケはやっていない。 今日は家具屋を探しているという。
 確かに2年前までは1丁目に家具屋があったのだが、今は閉店してビルは解体、現在は新しいビルの工事が進んでいる。
 春吉から、今は福浜に転居している彼女はそのことは知らずに、以前の記憶で家具屋を探しているが見つからず、 連絡してきたのだ。
 家具屋はなくなったけど、久しぶりに会ったから、お茶でもしようと、ちかくの喫茶店に寄った。
 以前からそうだったが、彼女は相変わらず良くしゃべる。3時間余り私はもっぱら聞き役だった。

 

1月11日(水)

 正月気分も抜けて、いつもの生活に戻った人が多いと思う。
 正月早々引いた風邪もどうやら治ったようだったので、掛かりつけ病院にいつもの薬をもらいに行った。
 かかりつけ医といっても、ここは循環器が専門。毎回胸に聴診器を当てては、雑音が混じる心音が気になると言う。
 「40代後半から、時々同じことを言われてきましたが、いまだに何ともありませんから、私は気になりませんが…」 と言うと
 「医者として、私が気になるんですよ。今日は暇だからエコー検査をしましょう。」と言って検査をしてもらった。
 結果、「4か所あるうちの2か所の弁がゆるんでいるが、年齢から考えて、この程度なら、このまま様子見でいいでしょう。」 ということだった。

 

1月4日(水)

 正月早々風邪をひいた。喉はガラガラ鼻はズルズル、耳鼻咽喉科に行ったら「典型的な風邪ですね」と言われた。
 初め、行きつけの(と言っても半年に一度だけど)呼吸器科にい行ったら、 「喉の痛い人はコロナの疑いがあるのでうちでは診ません」と言われた。「熱はないよ」と言ったけど駄目だった。
 すぐ近くに「みみ・はな・のどの病院」がある。どうも子供に特化した病院の様だが、大人も診てくれた。

 

1月1日(日)

 ことしも天気は上々、元日としては最高の天気だが、果たして2023年がいい年になりますか。?
 元旦になっても、この歳になれば1年の計なんて考えもしないが、今年も1年、可もなく不可もなく、 平穏に暮らせればそれでいいのだが、自分も周りも、みんな高齢なので、どういう年になるでしょうか? 期待半分、不安半分複雑な気持ちだが、何があってもおどらず騒がず、静かに暮らせれば、それでよしとしよう。
 親類縁者もろもろも、友人知人たちも、よい年でありますように…。

 

2022年へ
 

 

inserted by FC2 system