広島で悠遊 T

 一度ゆっくり広島を見物したいと思いながら、いつも素通り、73歳にして初めて訪れる広島でした。
 どうせならゆっくりして、周辺の宮島、呉、岩国、尾道まで見たいと、広島で3泊、尾道で1泊、計4泊5日の旅にしました。
 広島と言えば原爆の街、今まで一度も訪れたことがなかったのが不思議なくらいです。長崎には何回も行ったのですが……
 広島には今も路面電車が走っています。それに乗って平和公園に向かいました。
爆心地周辺は川を挟んで公園化されていますので、痛ましい過去の名残は原爆ドームしか残っていません。ドームの近くに爆心地が あるというので行ってみたら、そこは病院になっており、そのそばに小さな爆心地碑が建てられているだけでした。
 平和記念公園から原爆資料館に行ってみました。ここには、当時の模様を再現する、たくさんの資料や記録が残されていました。

1945年8月6日、午前8時15分、世界で始めての原子爆弾が広島市に投下されました。一瞬にして街の殆どが壊滅し、多くの尊い生命が 奪われました。
 原子爆弾は地上600メートルの上空で目もくらむ閃光を放って炸裂し、爆心地から半径2キロメートルに及ぶ市街地の 建物が跡形もなく壊され焼き尽くされました。
 人が身に着けていた衣服は、強烈な熱線によって焼け焦げました。多くの人たちが、血みどろになったボロボロの衣服を、 わずかに身にまとい、瓦礫の街を逃げ惑ったのです。(原爆資料館より)

15・04・07
 

  原爆ドームは70年の月日に耐えている。今は調査のための足場が組まれていた。  原爆ドームの周辺には、色々な石碑が建てられている。
 

  爆心地周辺には、二度と悲劇が繰り返されないように、平和を祈念する折鶴や、記念碑が多い  「原爆の子の像」原爆で亡くなったすべての子供たちのための慰霊碑で、多くの学校や世界9カ国からの 寄付で建てられました
 

 原爆死没者慰霊碑
のぞけば燃え続ける平和の灯や原爆ドームが望める。
 嵐の中の母子像 ; 自らも傷つきながら子供をかばい必死に逃れようとする母子の像
 

 傷つき、ボロボロになった被服をまとい、食料を求めて並ぶ被爆者たち  被爆直後、火災から逃れて、呆然としている人たちの様子を再現した模型
 

 広島上空600メートルで炸裂した世界初の原爆爆弾『リトルボーイ』の実寸大模型  被爆後すべて焼き尽くされ、瓦礫の原となった市街地の写真
 

 

 

 

 

inserted by FC2 system inserted by FC2 system