10月7日(火) 曇り 唐津から福岡まで電車で1時間20分。福岡から成田まで1時間40分。成田からロンドンまで12時間。ロンドンからフランクフルトまで1時間。各空港での待ち時間を加えれば22時間以上の長旅で、フランクフルトに着いたのは、現地時間で夜の8時を過ぎていました。 私たちのグループは総勢38名でしたが、2個の荷物が行方不明になっていて、これを探す手続きが手間取って、ホテルに着いたのは10時。2名の方にはお気の毒でしたが、結局その日は荷物は見つからないままでした。フランクフルト泊。
ライン河クルーズ
ドイツを代表する有名な白ワインの産地・リューデスハイムの町は、ラインガウ地方を代表する町で、小さいけど町並みがとても綺麗。あゝヨーロッパに来たんだなァと実感しながらクルーズ船へ乗り込みました。 ライン河の両岸は、ブドウ畑が山の上まで整備されて、美しい景色に花を添えています。船内には殆ど日本人観光客。若いカップルと同席して窓の外を眺めていたら、新婚さんだとか、お邪魔虫だったかな?
ハイネの詩「なじかは知らねど…」で有名なローレライの岩山は“ロマンチック・ライン”のシンボルとして有名です。 でも、ここは世界の「四大がっかり」の一つでもあるとか、そういえば、ただの岩山でしかないなァ。 この夏のヨーロッパは雨が少なくて川底が浅くなり、クルーズ船の座礁事故があったそうだけど、元々このローレライ周辺は川幅が狭く急流で、事故の多かったところというから、事故はこの辺だったのでしょうか。
まずはデンマーク・コペンハーゲンの「人魚姫」、次がベルギーの「小便小僧」、それからシンガポールの「マーライオン」そして、ここライン河の「ローレライ」だそうです。 世界的に有名な詩まであるので、もう少しロマンチックな岩山かと思っていたのは確かですが、それほど「がっかり」でもありませんでしたよ。 それよりも、寒かったので船室に入っていて、ライン河畔で最も美しいといわれる「ラインシュタイン城」のシャッターチャンスを逃したのが残念でした。
ハイデルベルク ここでの見所は何といっても「ハイデルベルク城」。 ゴシック、ルネッサンス、バロックなど各時代の建築様式が入り混じった複雑な造りも見事なら、地下室にある22万リットルも入る、ワインの大樽も見ものでした。
他に、風紀を乱す学生を監禁した「学生牢」やネッカー川にかかる最古の橋、カール・テオドールなど見所はたくさんあります。
ロマンチック街道・ローテンブルク 中でも「ロマンチック街道」は、日本人観光客がワンサカ押しかけるようになって、日本人に感謝する意味で、わざわざ日本語の道路標識まで立ててあります。
そして、この街道沿いは、芳醇なワインの産地でもあります。 もちろん、旅行期間中、食前酒はワインで通しましたし、土産にも買いましたが、私には渋味の少ない白ワインの方が口に合うようでした。
10月9日(木) 曇り 出かける前に、行方不明になっていた2個の荷物が到着したと報告がありました。よかった。よかった。皆さん拍手でした。 街道沿いには、いくつもの美しい都市があるそうですが、その中でもローテンブルクは最も古い、街並の美しい街です。 市の中心地「マルクト広場」には酒の一気飲みで市の危機を救った市長が、市議宴会堂正面のカラクリ時計に現れます。11時に現れたところをバッチリ納めました。 赤い三角屋根の続く街並の美しさは、ため息が出るほどでしたが、道に敷きつめられた石畳もまた見事なものでした。 「こんな街に住んでみたいなァ…」ふと、そう思ったのは私ばかりではなかったようです。
ロマンチック街道・ディンケルスビュール 観光ずれもしてなくて、ある意味ではローテンブルクよりも、中世の面影を色濃く残している街ともいえそうです。 ここは旅の進行具合によっては観光をはずされるところでしたが、極めて順調に進んでいましたので十分の時間が取れました。 ドイチェス・ハウスをはじめ、15〜16世紀に建てられた見事な木組の家々。そして窓辺に飾られた色とりどりの鮮やかで清楚な草花の数々が、子供の頃絵本で見た“童話の世界”に引き込んで行ってくれました。
そんな時、妻がトイレに行きたいと言い出しました。仕方がない。どうせなら、記念にドイチェス・ハウスのトイレを借りようと、中に入ればそこはレストランでした。 にっこり微笑んで、案内に出てきたハンサムなにいちゃんに1ユーロ握らせて、悠々と用を足してきた女房殿。やる〜ウ!。
ニュンフェンベルク城 ここは、あのルードビッヒ2世が生まれたお城でもあり、また、狂気を理由に幽閉された城でもあるそうですが、お城というより宮殿といった方がよく、広大な敷地に建てられた宮殿はひときわ目をひきました。 中に入ってまたびっくり、とにかく豪華。壁画や装飾品などなど、どれを見ても、これを見ても、ただただ目を見張るものばかりでした。
ミュンヘン ミュンヘンでの夕食は、本場のビアホールでドイツ料理でした。行く先々でポテトが必ず出てきます。 ドイツの人たちの主食だそうですが、ドイツ料理は多少塩辛いものが多く、あまり口に合う料理はありませんでした。 ドイツに限らず、ヨーロッパの人たちの生活は意外と質素でした。豊かさボケしている日本人は見習わなければならないようです。 ビールを飲んでいたら、陽気なおじさんが写真を撮りに来たので、「高く売り付ける気だな」と思いながらも妻と一緒に写してもらいました。 しばらくして持ってきたのは、中に写真をはめ込んだキーホルダー。妻が目をつむっていたので、これでは買えないと抗議をしたら、気持ちよく撮り直してくれました。買わなくてもよかったのですが、記念に買ってきました。1,000円也。
ノイシュバンシュタイン城 出発するときには雨が心配されるような天気でしたが、お城に着いたら快晴に晴れ上がりました。こりゃァついとる!! バスを降りると目の前に黄色く美しい「シュバンガウ城」が見えました。 ノイシュバンシュタイン城は崖の中腹に建てられていますので、朝早いと、後ろの山の日陰になります。裏山の渓谷にかけられたマリエン橋は最高の撮影場所として設けられていましたが、お城は半分日が差している状態で、全部差すまで待つ時間がありませんでした。 中に入れば、これまた絢爛豪華。壁画といい、装飾品といい、贅の限りをつくした、きらびやかな物ばかりでしたが、まだ未完成だそうです。 ノイシュバンシュタインとはドイツ語で新白鳥石のことで、その名にふさわしく城のあちこちには白鳥がモチーフに使われています。 岩山での築城は困難を極め、17年間の歳月を費やしてやっとここに移り住んだ王は、わずか102日間住んだだけだそうです。「王は狂っている」としてニュンヘンベルク城に幽閉され、その後、スタルンベルク湖で変死体として発見されました。 その死の真相については今も謎だそうですが、見張り番で医者でもあるグッデン博士を絞め殺して、自らも湖に身を投げたのだろうといわれています。 この城のすごいところは、今もってまだ完成していないところだそうです。 |