その1
 
ロマンチック ドイツ

リューデスハイムの町
出発
  10月7日(火) 曇り
 唐津から福岡まで電車で1時間20分。福岡から成田まで1時間40分。成田からロンドンまで12時間。ロンドンからフランクフルトまで1時間。各空港での待ち時間を加えれば22時間以上の長旅で、フランクフルトに着いたのは、現地時間で夜の8時を過ぎていました。
 私たちのグループは総勢38名でしたが、2個の荷物が行方不明になっていて、これを探す手続きが手間取って、ホテルに着いたのは10時。2名の方にはお気の毒でしたが、結局その日は荷物は見つからないままでした。フランクフルト泊。

ライン河クルーズ
  10月8日(水) 曇り

ライン河畔・プファルツ城
 一晩寝て、念願の「ヨーロッパ夢紀行」の第一歩はまず「ライン河クルーズ」から始まりました。
 ドイツを代表する有名な白ワインの産地・リューデスハイムの町は、ラインガウ地方を代表する町で、小さいけど町並みがとても綺麗。あゝヨーロッパに来たんだなァと実感しながらクルーズ船へ乗り込みました。
 ライン河の両岸は、ブドウ畑が山の上まで整備されて、美しい景色に花を添えています。船内には殆ど日本人観光客。若いカップルと同席して窓の外を眺めていたら、新婚さんだとか、お邪魔虫だったかな?

船内からは多くの古城が見える
 ライン河は全長1320q、見所はリューデスハイムからザンクト・ゴアールの間で、両岸に点在する数々の古城の景観が中世の世界に誘ってくれます。
 ハイネの詩「なじかは知らねど…」で有名なローレライの岩山は“ロマンチック・ライン”のシンボルとして有名です。
 でも、ここは世界の「四大がっかり」の一つでもあるとか、そういえば、ただの岩山でしかないなァ。
 この夏のヨーロッパは雨が少なくて川底が浅くなり、クルーズ船の座礁事故があったそうだけど、元々このローレライ周辺は川幅が狭く急流で、事故の多かったところというから、事故はこの辺だったのでしょうか。

ローレライ
 ところで、皆さんは世界の四大がっかりとは何だか知っていますか?
 まずはデンマーク・コペンハーゲンの「人魚姫」、次がベルギーの「小便小僧」、それからシンガポールの「マーライオン」そして、ここライン河の「ローレライ」だそうです。
 世界的に有名な詩まであるので、もう少しロマンチックな岩山かと思っていたのは確かですが、それほど「がっかり」でもありませんでしたよ。
 それよりも、寒かったので船室に入っていて、ライン河畔で最も美しいといわれる「ラインシュタイン城」のシャッターチャンスを逃したのが残念でした。

ハイデルベルク
ハイデルベルク城
 ネッカー川沿いに延びる古城街道を代表する観光都市はハイデルベルクです。あの詩人ゲーテも愛したといわれるドイツ最古の学生都市でもあります。
 ここでの見所は何といっても「ハイデルベルク城」。
ハイデルベルク城地下の大ワイン樽
元々は12世紀頃の、神聖ローマ帝国の要塞でしたが、現存の建物は15から17世紀にかけて、増改築を繰り返して造られたものです。
 ゴシック、ルネッサンス、バロックなど各時代の建築様式が入り混じった複雑な造りも見事なら、地下室にある22万リットルも入る、ワインの大樽も見ものでした。
ハイデルベルクの美しい旧市街
 日本では、昔は年貢を米で納めていましたが、ここではワインが年貢だったそうです。大樽の横には階段があって上まで登れます。もちろん登って見てきました。

カール・テオドール橋
 城のバルコニーから眺める市街地はとても美しく、いかにもドイツの古都といった風情が楽しめました。
 他に、風紀を乱す学生を監禁した「学生牢」やネッカー川にかかる最古の橋、カール・テオドールなど見所はたくさんあります。

ロマンチック街道・ローテンブルク
ハイデルベルクの町並み
 ドイツには100を超える観光街道があるそうですが、中世ドイツの歴史と文化を訪ねる「古城街道」と「ロマンチック街道」は、特に日本人観光客に人気があります。
 中でも「ロマンチック街道」は、日本人観光客がワンサカ押しかけるようになって、日本人に感謝する意味で、わざわざ日本語の道路標識まで立ててあります。

ローテンブルク市庁舎
 「ロマンチック街道」とは“ローマに通じる道”という意味で、ロマンチックは“ローマ風な”というニュアンスがあり、私たちが感じる、何となく甘美なロマンチックとは違うようです。
 そして、この街道沿いは、芳醇なワインの産地でもあります。
 もちろん、旅行期間中、食前酒はワインで通しましたし、土産にも買いましたが、私には渋味の少ない白ワインの方が口に合うようでした。

ローテンブルクの美しい町並み
 この日の宿泊地はローテンブルクです。ヨーロッパの人は、日本人のように湯船にたっぷり湯を入れて風呂に入る習慣はありません。ホテルに泊まった日本人団体客が、一斉に風呂のお湯を溜め始めると、お湯が足りなくなって水しか出なくなります。ここのホテルがそうでした。

10月9日(木) 曇り
マルクト広場のからくり時計
 宿泊地、ローテンブルクは、ロマンチック街道のハイライトです。旧市街地は高い城壁に囲まれていますが、朝からこの城壁の中を観光に出かけました。
 出かける前に、行方不明になっていた2個の荷物が到着したと報告がありました。よかった。よかった。皆さん拍手でした。
 街道沿いには、いくつもの美しい都市があるそうですが、その中でもローテンブルクは最も古い、街並の美しい街です。
ローテンブルクの旧市街
 14世紀に建てられた鐘楼と市庁舎が並ぶマルクト広場を中心に、中世の街並がほぼ完全に保存された形で続いています。
 市の中心地「マルクト広場」には酒の一気飲みで市の危機を救った市長が、市議宴会堂正面のカラクリ時計に現れます。11時に現れたところをバッチリ納めました。
 赤い三角屋根の続く街並の美しさは、ため息が出るほどでしたが、道に敷きつめられた石畳もまた見事なものでした。
 「こんな街に住んでみたいなァ…」ふと、そう思ったのは私ばかりではなかったようです。

ロマンチック街道・ディンケルスビュール
ディンケルスビュールの古い町並み
 ローテンブルクからロマンチック街道を南下すること約45q。城壁と水壕に囲まれた静かな街「ディンケルスビュール」もまた、負けず劣らず綺麗な街でした。
 観光ずれもしてなくて、ある意味ではローテンブルクよりも、中世の面影を色濃く残している街ともいえそうです。
 ここは旅の進行具合によっては観光をはずされるところでしたが、極めて順調に進んでいましたので十分の時間が取れました。
 ドイチェス・ハウスをはじめ、15〜16世紀に建てられた見事な木組の家々。そして窓辺に飾られた色とりどりの鮮やかで清楚な草花の数々が、子供の頃絵本で見た“童話の世界”に引き込んで行ってくれました。

ドイチェス・ハウス
 ドイチェス・ハウスの前まで来たら、少しでしたが自由時間をとってくれましたので、近くの店や協会を覗いてみました。
 そんな時、妻がトイレに行きたいと言い出しました。仕方がない。どうせなら、記念にドイチェス・ハウスのトイレを借りようと、中に入ればそこはレストランでした。
 にっこり微笑んで、案内に出てきたハンサムなにいちゃんに1ユーロ握らせて、悠々と用を足してきた女房殿。やる〜ウ!。

ニュンフェンベルク城
ニュンフェンベルク城
 この日の宿泊地はドイツの大都会ミュンヘンですが、その前に「ニュンフェンベルク城」に立ち寄りました。このころからパラパラと雨が降り出しました。
 ここは、あのルードビッヒ2世が生まれたお城でもあり、また、狂気を理由に幽閉された城でもあるそうですが、お城というより宮殿といった方がよく、広大な敷地に建てられた宮殿はひときわ目をひきました。
 中に入ってまたびっくり、とにかく豪華。壁画や装飾品などなど、どれを見ても、これを見ても、ただただ目を見張るものばかりでした。

ミュンヘン
ミュンヘン市庁舎
 ミュンヘンに着いた頃から少し雨あしが強くなってきました。ミュンヘンの繁華街、市庁舎の近くで30分ほど時間がありましたので、近くをひと回りして、絵葉書を買ってきました。
 ミュンヘンでの夕食は、本場のビアホールでドイツ料理でした。行く先々でポテトが必ず出てきます。
 ドイツの人たちの主食だそうですが、ドイツ料理は多少塩辛いものが多く、あまり口に合う料理はありませんでした。
 ドイツに限らず、ヨーロッパの人たちの生活は意外と質素でした。豊かさボケしている日本人は見習わなければならないようです。
ミュンヘンのビアホール
 このビアホールでは、パンツちらちらのショーをやっていましたが、お客は日本人と台湾人が殆どでした。
 ビールを飲んでいたら、陽気なおじさんが写真を撮りに来たので、「高く売り付ける気だな」と思いながらも妻と一緒に写してもらいました。
 しばらくして持ってきたのは、中に写真をはめ込んだキーホルダー。妻が目をつむっていたので、これでは買えないと抗議をしたら、気持ちよく撮り直してくれました。買わなくてもよかったのですが、記念に買ってきました。1,000円也。
 

ノイシュバンシュタイン城
10月10日(金) 晴れ
シュバンガウ城
 朝早くミュンヘンを発って、この日のお目当て「ノイシュバンシュタイン城」に向かいました。
 出発するときには雨が心配されるような天気でしたが、お城に着いたら快晴に晴れ上がりました。こりゃァついとる!!
 バスを降りると目の前に黄色く美しい「シュバンガウ城」が見えました。
マリエン橋から見たノイシュバンシュタイン城
 ノイシュバンシュタイン城はルードビッヒ2世によって築城されましたが、シュバンガウ城はルードビッヒ2世が子供の頃を過ごした城で、お父さんの城です。このシュバンガウ城から眺められる崖の上に城を建てたいという思いがつのって建てられたのが、ノイシュバンシュタイン城だそうです。
 ノイシュバンシュタイン城は崖の中腹に建てられていますので、朝早いと、後ろの山の日陰になります。裏山の渓谷にかけられたマリエン橋は最高の撮影場所として設けられていましたが、お城は半分日が差している状態で、全部差すまで待つ時間がありませんでした。
ノイシュバンシュタイン城正面
 このお城は、巨額の費用をつぎ込んだ城だけあって、その外観も世界で一番美しい白亜のお城とされ、ディズニーランドの「シンデレラ城」はこの城をモデルにしたものだそうです。
 中に入れば、これまた絢爛豪華。壁画といい、装飾品といい、贅の限りをつくした、きらびやかな物ばかりでしたが、まだ未完成だそうです。
 ノイシュバンシュタインとはドイツ語で新白鳥石のことで、その名にふさわしく城のあちこちには白鳥がモチーフに使われています。
角度をかえてノイシュバンシュタイン城
 ノイシュバンシュタイン城は別名「白鳥城」とも呼ばれており、王の洗面台は「白鳥の泉」と呼ばれるそうです。残念ながら中は撮影禁止でした。
 岩山での築城は困難を極め、17年間の歳月を費やしてやっとここに移り住んだ王は、わずか102日間住んだだけだそうです。「王は狂っている」としてニュンヘンベルク城に幽閉され、その後、スタルンベルク湖で変死体として発見されました。
 その死の真相については今も謎だそうですが、見張り番で医者でもあるグッデン博士を絞め殺して、自らも湖に身を投げたのだろうといわれています。
 この城のすごいところは、今もってまだ完成していないところだそうです。  
すばらしい景色が広がる湖のほとりで昼食
     

 

2003.10.24  

  

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