迷信と実在の神・仏・霊の世界

 人は精神的に弱いもの、日頃は神や仏や霊など信じていない人でも、長患いをしたり、原因不明の病気になってなかなか治らなかったり、不幸が続いたりすれば、何かのたたりではないか?家に何か悪い相があるのではないか?仏壇は?名前は?印鑑は?と色々迷いだすものである。そこに、インチキ祈祷師やにせ行者、あるいは悪徳商法の付け入る隙ができ、多額の金品を巻き上げられたり、更に不幸になったりする人が現実に存在する。
 そして次のような迷信を気にしている人も少なくないし、テレビでも興味本位に、やたらと放映している。
@ 先祖の供養の仕方が悪い
A 家のつくりや方位が悪い
B 仏壇や墓のつくり、方位が悪い
C キツネやタヌキ、ヘビなどの動物霊がついている
D 水子霊の障りがある
E お百度参りや深夜の願かけ
F 近くにある、無念仏を奉らないからたたりがある
G 法事、法要、宮日あるいは仏壇、仏具、神棚などの良し悪しや形式にこだ
  わる
H 名前や字画が悪い
I 印鑑が悪い

 等々、数え上げればきりがないくらい、迷信や悪徳商法にだまされているのである。「自分は違う、そんな事は一切信じない」という人でも、葬儀に参列する時は黒いスーツに黒いネクタイ、数珠を片手にうやうやしくお参りしていないだろうか?
 葬式や戒名に多額の金を使っていないだろうか?義理や世間体を気にして…との言い訳もあるだろうが、心のどこかにそうする事の安心感があるのも事実ではなかろうか?
 それはそれでいいのだが、戒名の位も、お賽銭の多寡も、お参りの仕方も、服装や身なりも、古いしきたりや作法も、お坊さんや宮司さん達のあのものものしい装束も、現実の神・仏・霊の世界には何の意味もないのが実情だということは知っていてほしい。
 

キツネやタヌキ、ヘビなどの動物霊の霊障害はあるか?
 人間は霊長類であるから、死んだら皆霊になる。このことは何度も書いた。人間のみが持つ想いの固まり(魂)が、死んだら肉体と言う衣を脱ぎ捨てて霊となり、永遠の霊界生活を営みながら向上を続けて、ついには仏となり、神となる。従って神もまた霊であり、神霊世界や、超神霊世界が存在する。
 霊界には神の世界がある反面、幽界地獄界も存在する。神界や地獄界の様子などはいずれ詳しく紹介するとして、幽界について少し触れておかなければならない。
 人の魂は死後この幽界で目覚める。生前に霊界について知識のあった人の霊は、神になるべく、日々霊の向上に努めるが、霊界の存在を知らなかったり、否定したり、日頃から悪想念の固まりのような生活をしていた人の霊は、この幽界で苦しみながらさまよったり、まっ逆さまに地獄へ落ちたりする。
 この、幽界でさまよっている霊が幽界霊、つまり幽霊である。この幽界が人間世界に最も近く、幽界で苦しみさまよっている霊が、その苦しみから逃れるために、人間にとりついたりして、人間が霊障害に苦しむことになる。
 では、キツネやタヌキ、ヘビなどの動物の霊が人間にとりつくことがあるのだろうか? 答えはノー
 動物には人間のような魂はない。従って動物霊なるものは存在しない。しかしながら多くの霊能者が動物霊の障りを指摘している。確かに霊視してみると動物の霊が見えるそうだが、良く見れば皆動物の身体はしていても、目は人間の目だという。つまり、人間の霊がキツネやタヌキやヘビなどの動物に化けて人間に災いをかけているのだ。であれば、動物霊の障りを主張する霊能者もまた、低級霊能者(霊能者とも言えないかも知れないが)と言わざるを得ない。
水子霊の障りはあるか?
 胎児と言えども人間であるから、確かに霊魂は存在する。しかし、胎児も子供の霊もまだ未熟で、人間に障りをもたらすような力はない。
 人間の魂は年齢と共に向上する。脳の働きは20代の前半でそのピークをむかえるのに対して、魂は歳をとればとるほど磨きがかかって向上する。つまり 霊界入りの準備を整える訳だ。
 その点、子供の霊は未熟で、10歳以下の子供の霊が人に災いをかけた例はないという。ましてや生まれてもいない胎児の霊障などあろうはずがない。
お百度参りや深夜の願かけのご利益は?
 怪しげな祈祷師や低級霊能者に言われるままに、実にばかげたお百度参りや願懸けをさせられた例は、いくつも耳にする。中にはつい吹き出してしまいたくなるようなこっけいな話もある。しかし、笑い話になるうちはまだいいが、中には、多額の金品を巻き上げられ、財産をなくしたばかりか、借金地獄に苦しむことになったり、かえって健康を害してしまったり、実に目を覆いたくなるような被害に遭った人もいるから、真実を知って、くれぐれも騙されないように注意したい。
 ただ、お百度参りや願懸けはをはたらかせるものであるから、「人の一念巌も通す」こともあろう。これは「念」のページでも述べた。正しい神霊エネルギーの引き方をすれば、願い事はかなう場合がある。
無念仏を奉らないとたたりがあるか?
 とんでもない、「さわらぬ神にたたりなし」と言う。ましてや無念仏は成仏できない霊が幽界で苦しんでいる、言わば悪霊だから、これを奉ったり想いを寄せたりすれば、苦しんでいる霊にすがりつかれ(憑依現象と言う)、自分が地獄の苦しみを味わうばかりか、命を落すことだってある。
 前にも書いたが、私の家と前の家との敷地の堺に、昔むごたらしく殺された武士の霊がいたそうだ。ある祈祷師の話では、「この霊が水を欲しがっている。どこどこの誰々もあの世へ引きずり込んだし、ここの大将も自分が殺した。また、火事も起こした。と言っている」というのがあった。
 殺したと言われた人が死んでいるのも、火事があったのも事実だった。この無念仏は、その祈祷師によって、墓に移してもらったとのことだったが、最近になって、母が「また戻って来ている」と言っては奉ろうとしたので、私は止めた。関わればろくなことはないから…。
 このほか、法事、法要、墓、仏壇、神棚等の形式や立派さ、豪華さなどは、全然関係ないし、家や墓の向きも、生命判断、印鑑や財布の良し悪しも、霊界から見れば一切無関係である。
 ただ、生命判断や印相・家相については、統計学的な側面もあるので、その点では迷信とばかりも言えない面があるかもしれない。
 生命判断では、私も若い頃はこだわって、3年ばかり名前の字を変えて使用していた時代もあったし、子供の名前も、何冊も本を読んでつけた。別に被害をこうむった訳ではないが、今にして思えば意味のないことだったと思う。
  人は生まれ変われるか?
 生まれ変わり、つまり転生とは、仏教用語では輪廻(りんね)といい、生命のあるものは一旦死んでも、それで終わりではなく、また生まれ変わって、生を繰返すという思想を表す言葉である。この転生については、かなり多くの肯定的な説があるし、文献も出ている。
 例えば、子供が知っている筈のない昔の出来事をあたかも見て来たようにしゃべったり、ずっと以前に死んだ人とそっくりの声で話したりする例があるという。
 また、ヘビのように身体をくねらせたり、馬の鳴き声をしたりする子供もいるというから、一般的な人から見ればこれは怪奇な現象で、人や、ヘビや、馬の生まれ変わりとしか思えない現象ではある。
 しかしながら、これも低級霊のいたずらで、昔の人の霊が子供に乗り移り、その人が生きていた頃の様子をしゃべったり、馬やヘビの格好をして、面白がっているだけのことで、生まれ変わりとはとても考えられないという。
 なぜならば、この種の現象は子供に現れ、大人になったらだんだん消えていく現象で、成人すれば普通の人と全く変らなくなる。子供の魂の力はまだ弱いから、そこにつけこんだ低級霊が子供に憑依(とりつき)し、霊視、霊言、をくり返しているのであって、その子が成人して魂が成長すれば、憑依霊も退散するものと思われる。
 仏教による転生思想は、人はその行いによって畜生になったり、逆に畜生が来世では人間に生まれ変わったりするという。……だから行いを正しくしなければいけませんよと言えば、教育的な物語の世界にはなる。
 人間がキツネやタヌキに生まれ変わるというのはまだ愛嬌があるとして、魚や、昆虫、クモ、ハエ、蚊に生まれ変わるというに至っては、とんだお笑いぐさ。そんなことをまじめに説いているその道の関係者は、一度精神科へでも行って頭を診てもらった方がいいだろう。

  

2001.10.31   

  

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