天国とはどんなところか

  これまでは 主におどろおどろした地獄霊界や魔界について紹介してきました。それは科学万能の時代に霊界を知らず、神を信じず、自分の魂の存在すらも知らないまま霊界入りし、地獄に落ちる人が圧倒的に多い現実に警鐘を鳴らすためでした。
 でも、広大無辺の霊界はそんなところばかりではありません。もちろん、天国と呼ばれる燦然と輝く至福の神界も確かに存在します。今回はその天国とはどんなところかを紹介しましょう。

見渡す限り金の砂の霊界
 そこは、見渡す限りの金の砂の大地です。空気はさわやかで気持良く、そして、何よりも明るく澄みわたっています。空はどこまでも深く青く、澄みきった大気は、透明な中にも不思議な輝きをもっています。こんな霊界に住んでいる霊人とは、どんな人達なのでしょうか?!
 そこに、忽然と現れた人影は、真っ黒に日焼けした黒人であったり、白い髭を伸ばした白人の老人であったり、りりしい顔つきの東洋人であったりします。それらの人達が、輝く金の砂浜のあちこちに現れては消え、消えてはまた現れたりしています。ここの霊人達は、想い一つで自由自在に飛び回っているのです。
 霊人達がいったり来たりしているさまは、あくまでも美しく、全身から発散している霊気は活動的で生き生きとしています。しかも、その表情はいかにも慈悲深く、愛情に満ちて、至福の輝きを全身から発散しているのです。そこでの霊界人の言葉は次のようなものでした。
 「私にも生前はいろいろなことがあり、それなりの想いもありましたが、ここに来てからはそれら現界での想いは断ち切り、ここでの生活に順応すべく、人間界での想いのすべてを消し去りました。今の私にはなんの障壁もなく、自由で、のびのびとして、実に羽毛のように軽やかです。人間界でも楽しいことはいろいろありましたが、そのような楽しみとはまったく次元の違う、本当に晴れやかで軽い心の、楽しい毎日です」

あくまでも麗しく豊饒の大地
 霊界の更に上界に進むと、そこは見渡す限りの大草原です。ところどころに小高い丘あり、森あり、泉や小川も流れています。しかもその小川の水はまるで水晶の玉を転がしたように透みわたり、キラキラと輝いています。新鮮な木々の香りが心地よく、肥沃な大地にはこの世では見たこともないような綺麗な花々が咲き乱れ、果樹はたわわに実をつけています。
 花々の咲き乱れる草原に、まるで西洋人形のように愛らしい女の子がいます。なにか楽しげに歌を口ずさみながら、籠いっぱいに花をつんでいます。その傍ににこやかに立っているのは母親でしょうか。これまた名画の中から抜け出してきたような、色白で端麗な婦人です。
 クリ色の髪をなびかせながら、元気に走りまわる少年もいます。ギリシャ彫刻のように美しく、りりしい若者もいます。それらの人々は皆一様に、いかにも楽しげに和気あいあいとしています。歌を歌い、語り合い、手を取り合って踊り、互いにほおずりせんばかりに、嬉しそうにしているのです。ここはまさに霊界の楽園なのです。
 これら喜びに輝いている霊界人の生前を探ってみれば、およそ500年から1000年前に霊界入りした外国の人達でした。この人達の生きていた時代は、食べることに何の苦労もなく、それゆえに満たされた心が、人間同士の間に実になごやかな和の雰囲気をかもし出していたようです。
 ところが、現代はと見ると、この世で満足な生活を送ろうとすれば、まず金が必要です。金、物、形という現代物質社会においては、いくら一心に想念中心の生活をしようと思っても、おのずから限度があります。物質文明の現代では、その仕組みからはずれれば、たちまち落伍者になってしまいます。
 その意味では、自由な現代の中にありながら、「自由に考えること」が実に難しい時代だともいえます。社会の、文明の進歩発展とともに失われていくもの「人類に平等に与えられた心、想念の自由」について、現代人はもう一度じっくり考える必要があるのではないでしょうか。

透明な黄金色の世界にゆらめく黄金の霊人
 さらに霊界の上界へと進めば、透明な黄金の世界が開けてきます。そこには、淡い黄金のかげろうがあちこちに、ゆらゆらと立ち昇り、まるで金粉をちりばめた、しん気楼のような輝くばかりの喜びの世界があったのです。
 大地も川も木々も草花も、すべてが透明な黄金色に輝きわたり、それ自身が、大いなる喜びの波動を発散しています。この、歓喜の霊界に住む霊人は、かげろうのように、ゆらゆらと黄金色にゆらめきながら現れては消えて行きます。
 あちらにも、こちらにも、現れては消える黄金の霊人たちは、みな、全身から喜びと至福の波動を発散し、その表情は穏やかな中にも輝きわたっているのです。以下はそんな霊人との会話です。
「楽しそうですね。喜びに輝いていらっしゃいますね。いかがですか」
「そうです、その通りです。至福の想いでいっぱいです。喜びでいっぱいです」
「いつも、そうなのですか」
「その通りです。もう、私は霊界入りして八百余年になります。その間、くる日もくる日も、至福と喜びの想いでいっぱいでした」
「なぜそのように、喜びばかりが長く続くのでしょうね」
「この世界にいるとわいてくるのです。一人でいても、どこにいても、この世界にいる限り、楽しさ、喜び、至福の感が、次から次へとわき出てくるのです。私たちの想念界は、すでに喜びの波動になりきっているのです。この至福と喜びの世界で、私たち霊人の歓喜の想いも、果てることなく未来永劫に続くことでしょう」

燦然と輝く神界は光そのもの
 更に上界へ進めば、そこは神々の世界となる神界です。そこに住む霊人(神)は白銀色に輝く光そのもので、あたり一面光の世界です。そしてその最上界に天地創造の『素の神』がおいでになります。
 人は皆平等に神にもなり得る魂を持っています。想念の持ち方一つで神となり、素の神のお傍に行くことも出来れば、地獄魔界に転落して、塗炭の苦しみを味わうことも出来るのです。
 何度も言いますが、その「どちらを選ぶかは、一にも二にも“想念のあり方”一つで決まります」人間としての生活の良し悪しではありません。『心』です。あなたの『心』こそが、あなたの霊界での生活を決定するのです。

 
2002.11.5  
 

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