「神の子」人間の誕生
 多くの日本人は神の存在を信じていません。もちろん霊界を信じる人も非常に少ないし、ましてや、この壮大な宇宙が天地創造の神によって作られたことを信じる人は極めてまれでしょう。
 でも、よく考えてみてください。これだけ周到に順序だてて出来た宇宙が、果して偶然に発生したものでしょうか。どう考えても、そこには何か綿密に計算された強大な意志と力がはたらいたとしか思えないのです。であれば、そこにはたらいたものは、神の力意外には考えられません。神の力は信じられない程強大だということです。
 天地創造の神は、実に周到に計画され、2000億年の月日を費やし、4回のビッグバーンを繰り返しながら、宇宙を作り、太陽を作り、そして地球を作られました。更にその地球に植物を作り動物を作り、地上の環境がすべて整った時に人間を作られたのです。もちろん、植物や動物が進化と衰退を続けながら今日に至ることも計算されていました。
 こうして、着々と環境が整った地球上に、今までの動植物とは全く異質の動物、すなわち人間の祖である霊長類を作られたのは今から約1000万年前のことです。この時天地創造の神は、霊長類に他の動物は持たない心、精神世界というものを与えられました。
 しかし、それだけではありませんでした。神は、その霊長類の精神世界に“魂の種子を蒔かれていたのでした。魂の種子とは、神ご自身から分けられた一部分、すなわち神の分けみたまのことですが、人間が「神の子」といわれるのはそのためです。
 その霊長類から更に進化した人類が出現したのは、今から約200万年前といわれていますが、この時こそ、霊長類に蒔かれていた魂の種子が、ようやく魂としての形態を整え、はたらき始めた時なのでした。

天地創造の神は地獄界もつくられた
 このように、周到に計画されたうえに出現させられた人間ですが、当然のことながら4回目のビッグバーンを起こされた時から、150億年後の人間がどんなありさまでいるかも、神は見通されていました。それゆえに、神はその時点から、迷える人間の魂の修行の場としての地獄界をも用意されたのでした。
 あなたは、いつかどこかで、血の池地獄や坊主地獄、あるいは針の山地獄で、まさに地獄の責め苦を受け悶え苦しんでいる人々の絵を見たことはないだろうか。あれは単なる絵空ごとの世界でしょうか?子供だましのおとぎ話か、ただの訓話に過ぎないのでしょうか?
 この世と表裏一体の関係にあるあの世を信じている人にとっては、地獄の存在もまた、疑いようのないことでしょう。が、霊界の存在を信じていない人にとっては、ただの作り話でしかないと思います。しかし、信じようが信じまいが、いかに霊界を否定しようとも地獄界は厳然として存在するのです。
 現界時代の美男美女が霊界に入ったとたん、醜悪な妖怪のような姿になってしまった。また、いんぎんで礼儀正しかった人が、横柄になって顔つきも猛々しい野獣のようになってしまった。あるいは、現界では謹厳実直だった人が霊界に入ったとたんに、キツネやオオカミのようになって淫行を繰り返している。
 これは、肉体を持った人間時代には、その内面の姿(心)をかくして、外面だけを取り繕って暮らした人たちが、内面だけの世界、想念(心)だけの世界の霊界に入ってきたとたんに、化けの皮がはがれてしまった姿です。
 もちろんその反対の場合もあります。例えば、現界時代には特に美男でも美女でもなく、ごく平凡な容姿であった人たちが、霊界入り後、その魂の美しさのゆえに、神々しいまでに光り輝く美男美女に変貌していたという場合もあるのです。
 とにかく、霊界というところは、想い、心がそのまま表現されてしまう世界ですから、虚飾が通用しません。したがって、ある人たちにとっての霊界とは世にも恐ろしい世界ですが、ある人たちにとっては自然で、最高に美しく、平等で心安らぐ世界でもあるのです。

神はなぜ地獄界を作られたのか
 人間は神の子です。天地創造の神は、いとしい我が子が霊界入り後はみな、自分のそばにたどり着くことを望んで、全員に平等に魂の種を蒔かれました。
 と同時に、神は人間に他の動物と同じ細胞を持つ肉体を与えられました。この肉体が、他の動物より優れた脳とあいまって、己の欲望のおもむくままに好き勝手なことをするようになりました。
 戦争をはじめ、殺人、強盗、強姦、その他凶悪な犯罪の数々、麻薬、フリーセックス・・・などなど、今や人間は神の子どころか、動物以下に成り下がってしまったようなありさまです。
 霊界入り後、親神の待たれる超神霊世界へ帰りつこうにも、汚泥にまみれ、悪に染まった魂では高き神のもとには近づけないのです。やはり、人間界にあるときから、神にいただいた魂を磨き、神に近づく努力をしなければなりません。
 そこで、神が用意されたのが「地獄界」なのです。生前に神からもらった魂のことなどうち忘れ、ひたすら己の欲望を満たすだけの動物なみの人生を送った者、さらに極悪非道なことをしてきた悪魔なみの者、これらの者たちには、その地上界で過ごしてきた人生にふさわしい死後の世界、すなわち地獄界で修行してもらう以外に道はないのです。その地獄界での修行がいかに悲惨で、過酷で、苦難に満ちたものであろうとも、人間界でしてきた罪の深さを思えば、やむを得ないことなのです。そして、この地獄界は、魂を持たない他の動物や植物は絶対に落ちることのない、人間だけに用意された世界なのです。
 この真実に対してあなたは思うかもしれません。神とは何と厳しく冷たく愛のない存在なのかと。万物の創造主たる全知全能の神であるなら、どうして我が子人間を、その死後においてすべて受け入れてはくれないのか。いくら出来が悪かったとはいえ、自分が作った子供なのだから、すべて平等に神の国に受け入れてくれてもいいではないか。みすみす塗炭の苦しみを味わうことが分っている地獄界をなぜ作られたのか、と。
 たしかに人間的な感覚からいえば、いくら出来の悪い子供に対してでも、親は大いなる慈愛の心を持って我が子をその懐に抱くものかもしれません。しかし、こと霊界においては、そのような人間界的発想は通用しないのです。想念(心)だけの世界である霊界には、寸分の狂いもなく「波長一致の原理」がはたらいています。それゆえに、類は友をよんで、それぞれの魂は己の魂の質にもっともふさわしい霊界へと、自然に引き寄せられていくのです。
 天地創造の神は150億年も昔から、深い思慮のもとに人間の魂の修行の場所として地獄界を作られましたが、それは、我が子人類を思う、神の大いなる親心でもあったのです。一時期の動物的な人間の愛と、永遠の神の愛との違いを、神の子である人間は悟らなければならないのです。  

2002.8.5  
 

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