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「かんねばなし6」
「かんねの息子」
今日は、勘右衛(かんね)どんの、息子の話ばしゅうだい
かんねがホラ吹きと言うことは唐津だけでなく、筑前(福岡県)まで聞こえていて、日本一のホラ吹きとの評判でした。筑前の福間に又左エ門というホラ吹きがいましたが、この人はかんねの話を聞いて、
「かんねが日本一のホラ吹きとの話だが、そんな馬鹿なことがあるもんか。俺の方が日本一じゃ。どっちが日本一かホラ吹きくらべで決めてやる」と、唐津のかんねの家にやって来ました。
さて、又左エ門がかんねの家に来てみると、家は小さく、しかも、今にも倒れそうに傾いて、家の四方には支え木がもたせてありました。そして、その家の門口に子供がおりました。
その子供は10歳ぐらいでしょう。つるつるてんの着物を着ており、その襟や袖は垢で汚れてピカピカ垢光りをしておりました。その上、顔は垢だらけ、1年に一度も洗った顔には見えず、鼻からは二本の青白い鼻汁が垂れ下がっており、又左エ門が自分の前に立っているのも気付かずに、
♪ からすからす勘三郎 我家ン縁のキン ツン燃ゆる
♪ 早ういたて 水かけろ からすン宿に 火のついた
♪ 一本橋ャ ツン燃ゆる 早ういたて 水かけろ
と、歌いながら、小さなザルを作っておりました。
又左エ門は、これがかんねの息子と思いましたので、
「俺は福間の又左エ門という者だ。かんねさんはおいでか?」と尋ねました。するとその子は、
「父さんナ、おらん」と頭を上げながら無愛想に答えました。その時青白い鼻汁がスターと落ちかけ、それをズルリーと吸い上げます。その汚いことといったら気持が悪くなるほどでした。
「そんなら 何処へ行かした?」と尋ねますと、息子はぶっきらぼうに
「父さんはナ、富士山が昨晩の風で倒れかけたと、奈良の大仏さまから知らせがあった。そこで、これは大変だと心配して、線香を持って倒れんように、つっぱりに行かした」と言います。びっくりした又左エ門は、これくらいで驚くものかと、
「そんなら、お母さんはおいでか?」と尋ねますと、
「昨夜、雷さまが鳴らしたろうが、あの時雲が破れて、雨がジャンジャン降って困っていると、お釈迦さまが言うてこらしたけん、針と糸を持って、雲のつくろいに出かけた」と言います。
又左エ門は、さすがかんねの息子だけあって言うことが大きいぞ。と思いましたが、この息子には負けてはおれぬと思い、
「そうそう、昨夜の風で俺の家の石臼も吹き飛んでしもうた。探しておるが見当たらないか?」と尋ねました。すると息子は、青鼻汁をズルリーと吸い上げて、ニヤリと笑い、
「ああ、あれか。その石臼なら俺の家のせっちん小屋(便所)の窓の蜘蛛の巣に引っかかって、キリキリと風に舞っているよ」と言います。
ああ言えばこう言う、息子のホラ吹きにびっくりしてしまいました。だが、このまま引き下がっては、福間の又左エ門の名にかかわります。そこで、今度こそはやり込めてやれと考えて、
「お前はそこで何をしとる?」と尋ねました。すると息子は
「これかい。これはナ、裏の川に鯨がのぼって来る。それをすくうザルを作っているよ。もうすぐ出来上がるから、一緒に鯨獲りに行こうよ」と言います。
この小さな子供に、このように大ボラを吹かれては、さすがの又左エ門も二の口はつげません。そして、
「こりゃあ かなわぬ。この息子でも俺がかなわぬホラ吹きじゃ。かんねなら、まだまだ上の段だろう」と言って、かんねには会わず福間に逃げ帰りました。
今日の話は、ここまで…。
(富岡行昌 著 「かんねばなし」より)
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