唐津の民話  

 

.
「かんねばなし3」  
「鼻水の飯」

 今日は、勘右衛(かんね)どんが、「鼻水入り」の飯ば、食べさせられそうになった話ばしゅうだい
 裏町かんねは、お母さんが亡くなって3年になるので、供養をしようと考えました。供養となればお母さんの実の姉さんになる、牟田部(むたべ)の伯母さんに来てもらいたいと、案内に行きました。
 かんねは怠け者で、普通のことでは汗を出してまで出歩くことはしません。それがわざわざ3里も離れている牟田部まで行ったのですから、伯母さんは涙を出して喜びました。
 「今日は特別の用事で来ました。お母さんが亡くなって3年になります。そこで、法事をしますけん、伯母さんには是非来てもらおうと思って、案内に来ました」と、かんねが口上を言いますと、伯母さんは、若くして死んだ妹のことを思い出したのでしょう、目をこすりこすりしながら、
 「そりゃァ、よかことを思い立ってくれた。お前のお母さんは、早う亡くなって、可哀そうなことをした。……法事は何日にするとけ?」と、尋ねました。
 「命日は今月の6日でした」
 「そうそう、田植えが済んだすぐ後だったなァ。私も法事には是非都合つけて行きたいけど、目が悪うなって困っとるよ」と、愚痴を言います。
 「目が悪かと?。そりゃ困ったことですな。七山の滝の観音様に願かけると治るそうだから、行ってみたがよか」と、かんねが優しく言うと、
 「有難う、有難う。甥のお前から、そう優しく言ってもらうと、死んだお前のお母さんのことを思い出して、なおさら涙が出るばい」
 このように、伯母と甥は、とりとめのない話をしておりますと、すぐ昼になりました。
 「もうそろそろ昼になるな。飯でも食って帰らんけ。何もないが、今日は白飯を炊いて食べさせよう。まぁ、ゆっくり遊んでおいで」と、伯母さんはかんねを歓待しました。
現在の相知町牟田部付近
 かんねがいた頃は、百姓や貧乏人は、米の飯は正月やくんち(祭日)しか、食べることは出来ませんでしたので、「白飯」と聞いただけでも、かんねの喉はぎゅうぎゅうと鳴り、腹の皮はぴくぴくと動きます。ですから、かんねは喜んで座敷に上がり、白飯の炊けるのを待っておりました。
 伯母さんは、裏山から松の枝を拾い集め、かまどに火をつけました。しかし、大半が生木でしたから、少しも火がつきません。煙がもうもうと出て、伯母さんは煙に巻かれ、ススだらけの手で、目をこすりこすり、火吹き竹でふうふう吹きますが、なかなか火は燃え上がりません。このさまを見ていたかんねは、
 「伯母さん、目が悪いのに汚れた手でこすると、なお悪くなるよ」
 「そうなァ、お前の言うとおりじゃなァ」と、言いながらも、可愛い甥に白飯を食べさせようと一生懸命ですから、やっぱり目をこすりこすりしながら、火吹き竹を吹いておりました。やがて伯母さんの努力のかいがあったのでしょう、火の具合も良くなって、飯の方もたぎりだしました。
 「この調子なら、よか飯の出来るよ。もう少し待っとってね」と、言いながらも、伯母さんは久しぶりに炊く白飯ですから、そわそわして落ちつきません。
 炊きあがる頃になると、炊き具合はどうかと、釜の蓋を取って中を覗き見しております。その頃になると、家の中に立ちこめていた煙も薄くなり、伯母さんの様子も、かんねの所からよく見えるようになりました。
 かんねが、伯母さんの様子をよく注意して見ておりますと、釜の蓋を取って中を覗く伯母さんの手は、時々鼻の先に動いて行きます。そして、そのたびに、鼻水が釜の中へ「スタ〜」っと落ちこんで行きます。
 飯の中に伯母さんの鼻水が入りこむのを見たかんねは、今まであれほど食べたいと思った白飯でしたが、急に胸糞が悪くなってきました。
 「伯母さん、急用を思い出した。今日はもう帰るよ」と、言いながら立ちあがりかけました。伯母さんの方は、なぜかんねが急に帰ると言い出したのか、少しも分りません。
 「何ば言うとね。もうすぐよか白飯の炊けるよ。そう急がずにもう少し待ったらどうね」と、しきりに止めようとしました。しかし、かんねは、鼻水入りの飯を食わせられたら大変です。
 「いや、飯を食っとる暇はなか。この次にご馳走してもらいますばい」と言うより早く、伯母さんの家を飛び出しました。
       この話にはまだ続きがありますが、今日は、ここまで…。
                           (富岡行昌 著 「かんねばなし」より)


2002.1.17  

 

 

  

inserted by FC2 system