唐津の民話  

 
 
 『かんねばなし25』  
“お化けと太鼓”

 今日は、勘右衛(かんね)どんの、お化けと太鼓の話ば、しゅうだい
 裏町のかんねは、恐い顔に似ず大変な臆病者で、夜は小便に行くのさえ怖くて一晩中我慢していました。その中でも、お化けは話を聞くだけでもガタガタ震えだすほどでした。
 さて、唐津のあたりでは、博多から田舎芝居がやって来て、これを見物するのが人々の唯一の楽しみでした。
 そこで、芝居があると聞くと町の若い人たちは2里(8q)や3里は遠いと思わずよく出かけたものでした。
 かんねも例にもれず芝居好きです。その中でもお化けの出る「番町皿屋敷」や「四ツ谷怪談」が特に好きでした。
浜崎の諏訪神社

 旧盆の7月15日は盆の中日で、今年は浜崎のお諏訪様の境内で芝居があるというので、かんねは朝から仕事も手につかず、夕方になるとそわそわして、大石村の若者と一緒に芝居見物に出かけました。
「かんねどん、今夜の芝居はお岩幽霊が出るそうだ。怖くないけ?」
「どう言ったらよかかなァ。俺は子供の時から幽霊は怖くてたまらん」
「そう怖かったら、わざわざ芝居を見んでんよかろうに」
「いや、芝居だけは飯を食べずにおっても見たいと思うとる。芝居ぐらい見なけりゃ、生きとく甲斐がなか」
「今晩の幽霊は本物とそっくりだそうだ。気絶しても俺たちは知らんぞ。お前は一人で帰れるけ?」
「帰れるよ」
「本当や?」
「本当に帰れるよ。酒一升賭けてんよか」
「こりゃ面白い。唐津まで一人りで帰れたら一升やるよ。帰れなかったらお前の負けだ。一升おごるか?」
 とうとう酒1升の賭けが決まりました。

 虹ノ松原を通って、お諏訪様にやって来ますと、前評判のとおり芝居小屋は近所在郷の見物客でいっぱいです。
 芝居は名題どおり次々と進み、切狂言の「四ツ谷怪談」となります。
 芝居も最高潮に達し、お岩の幽霊が伊右ェ門の前に出る場面になると、太鼓がドドン・ドドンと鳴り、それにつれて物凄い形相をしたお岩幽霊が現れました。
 かんねは怖くて怖くてたまりません。最後は目をつむっているほどでした。
 芝居の中途で若者たちはかんねに悟られぬよう、ひそひそと何か相談をして、芝居の終わりごろ一人だけ先に抜け出しましたが、芝居に夢中のかんねは気がつきませんでした。
 芝居は大評判のうちに幕となり、かんねたちは満足して帰り道につき、虹ノ松原の東の入り口までやって来ました。
「おい、かんねどん、今日の芝居はどうだった?」
「よかったばってん、怖かった!!」
「そうかい、そんならなおのこと、約束どおりここからは独りで帰れよ」
「いいよ。俺も男たい。心配せんでよか。独りで帰るよ」
と、かんねは胸をポンとたたいて言いました。

 虹ノ松原は200年も経った黒松がいっぱい生えていて、星明りぐらいでは真っ暗でした。
 松原の中には白いお化けが出るという噂もあり、たった今さっき見てきた幽霊のことを思い出すと歩く気もしません。
 しかし、賭けをした手前、勇気を出して松原を通り、中ほどの“太閤さんの槍掛けの松”の所まで来ました。
 低くたれている松の大枝に、何か白い影のようなものがフワリフワリとしております。
「出た!幽霊が出た!!」
と思うと、心臓が急に激しく打ち出します。おそらく幽霊に弱いかんねのことです。きっと気絶してしまうに違いありません。
虹ノ松原から浜崎方面
 しばらく停まっていたかんねは、何を思ったのでしょうか、松の下まで歩み寄りました。
 松の枝の白いものが「ウフフ・ウフフ」とうめき声を出します。すると冷たい風がかんねの首筋をなでます。その瞬間、白いものはペタリとかんねの顔をなでました。かんねはそれを払いのけて、一気に松原を駆け抜けました。

 大石村の若者宿に行って皆を待っておりますと、次々と若者たちも帰って来ました。
「かんねどん、よう帰っとったな。松原で気絶しとるだろうと探してみたが、見つからんだったので帰ってきたよ。それはそうと、何か怖いことはなかったか?」
「何もなか」
「化けものは出んだったか?」
「化けもの?そんなもんは出んだった。ばってん、白いものが出て、いたずらしたが怖くはなかった」
「そうそう、それが化けものたい」
「そういうことはなか。お化けが出る時は必ず太鼓が鳴る。太鼓の鳴らん化けものはなか」
 若者はかんねを騙そうとして、かえって酒一升を取られました。  

         今日の話は、ここまで…。
           (富岡行昌 著 「かんねばなし」より)


2003.11.16  

 

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