唐津の民話  

 
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「かんねばなし10」  
「ほら吹き」

 今日は、勘右衛(かんね)どんの法螺吹きの話ば、しゅうだい
 かんねがいた頃、九州に三人の法螺吹きがおりました。法螺吹きというのは、本当の法螺貝を吹く人のことではなく、大きな嘘をいかにも本当のことのように言う人のことで、肥後(熊本)の彦兵衛と佐賀の安兵衛、それに唐津のかんねということになっておりました。
 ある日、彦兵衛と安兵衛が一緒に唐津のかんねの家にやって来ました。かんねは喜んで酒や肴を出して歓待しました。三人で話していますと、話は段々とお国自慢になってきます。
 佐賀の安兵衛が
「佐賀にゃ大昔、それはそれは大きな楠の木があったそうな。その影は、朝お日さまが出ると、武雄の先の有田まで伸び、夕方には鳥栖(とす)まで伸びていたそうだ。こんな大きな楠は日本中捜しても見つかるまい」と自慢しました。
 すると肥後の彦兵衛が、
「肥後の阿蘇には大きな赤牛がいてな、その牛は一箇所につないでいても、ただ向きを変えるだけで肥後の野原の草を食べ尽くすことが出来た。これほど大きな牛はニ匹といまい」と、嘘と分っているようなことを平気でいいます。
 ニ人の話を聞いていたかんねは
「ニ人の話とも確かに大きな話したい。ばってん唐津にゃ、まだその上をゆく話がありますバイ」と、前置きをします。すると安兵衛は
「また、お前は俺たちの話をひやかす話をする。いくらお前が物知りと言うても、俺たちの話より大きな話があるもんかい」と、文句をつけました。
 するとかんねは
「まあ、俺の話を聞いてから文句言えよ。唐津にゃ、大きな大きな太鼓がある。よいか、胴は佐賀の楠を丸切りにして中をえぐって作ってある。そしてその太鼓に張ってある皮は、彦兵衛さんが話していた阿蘇の赤牛の皮を張ってあるよ」
 こう言われるとさすがのニ人も
「こりゃ、しもうた。このままじゃかんねに負けるバイ」と思って、また一工夫して
「そりゃ、大きな話ナ。その太鼓なら、さぞ大きな音が出るだろう。ひとつ聞かせてもらおうか」と、かんねに注文をつけました。きっとニ人はそんな大きな太鼓はあるはずがないので、かんねも参ったと言うだろうと、その返事を待っていました。
 すると、かんねは待っていましたという顔をして
「それたい、この太鼓を打つと九州だけでなく、遠い韓国や中国まで響き、耳はツンボになるし、海には津波が起きる心配がある。それで、殿様の「打ったらいかん」との厳しい命令が出ている。打って見せたかばってん、残念ながら打てないよ」と言いました。
 それで二人も
「かんねの話も大きかばってん、その逃げ方も日本一うまかバイ」と二人はかんねに「参った」と頭を下げ、その後は大笑いとなり、三人仲良く酒を飲み交わしました。
              今日の話は、ここまで…。
               (富岡行昌 著 「かんねばなし」より)


2002.8.6  

 

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