唐津の民話  
 

 

 
 『かんねばなし47』  
“うなぎ”

今日は、勘右衛(かんね)どんの、うなぎの話ば、しゅうだい。

 6月のある日のことです。勘右衛は山田村の親戚のおばさんが病気だと聞いて、お見舞いに行こうと思いました。
 近くの松浦川でうなぎを釣って、そのうなぎを持って家を出ました。
 山田峠にさしかかると、道端で兎のわなにかかっているとば見つけました。
「こりゃ、よかもんのかかっとる。うなぎよりも兎ん方が喜ばすばい」
と、その兎ば取って、代わりにうなぎばわなに掛けておきました。
 そのあと、山田の猟師がわなを見に来たところ、うなぎのかかっていたので驚きました。
「こやんか山ん中の峠に、うなぎの居るなって、滅多になかこつばい。何かの印かも知れん」
 家に帰ると、村人たちにこの話をして、うなぎば見せました。村の衆は
「こりゃ大事件じゃ。うなぎはきっと山の神様の使いに違いなか」
と、恐れました。
 そこで、八卦見に見てもらうことになりました。八卦見は
「山の神様の使いに違いなか。早う水に入れて祀りなさい。そうせんと、きっとたたりのあるぞ」
と言いました。
 そこで、たたりを恐れる村人たちは、話し合って、お宮ば建てて祀ることにしました。
 早速、村中総がかりで立派な社ば建て、鳥居も立てました。
 社の前にすえた大きな水がめに、うなぎば生かしておきました。そして、この社に『うなぎ神社』と名前ば付けたとです。

 6月、7月、8月村は何事もなく、稲の出来も上々で、この分なら今年は豊作だと喜んでおりました。
現在の山田峠付近
 ところが、二百十日の大風大雨で、田んぼは一面水浸しになってしまいました。村の衆は
「こりゃ、何かのたたりだ」
と、また八卦見に見てもらいました。すると八卦見は言いました。
「これはうなぎ明神様のたたりである。お宮は造ったばってん、一向にちゃんとしたお祀りばせんけん、神様がご立腹じゃ」

 唐津の近郷では「岸岳末孫さま」という、たたり墓があって、祀らんとたたられることをつねづね知っておりましたので
「こりゃ うなぎ明神様ば粗末に扱うたけん、たたられたつばい。こんままに放置しとったら、どやん恐ろしかたたりんあるか知れん」
と思いました。
 村人たちは明神様の社の前に集まって、三日三晩のお篭もりをすることに決めました。
 うなぎの好きなミミズばたくさん集めて供え、隣の見借村から、浮立を呼んで夜通し囃したててお祀りを盛大に行いました。
 このため、村の衆の出し前の銭は増えるし、暇はつぶれるので、困る者も出てきました。
 三日三晩祀ったので、もうよかろうと、また八卦見に見てもらいました。
「まだまだ足らん。近かうちにまた大雨ば降らせるぞ」
との、卦が出とると八卦見は言いました。
「三日三晩でちゃ難儀したとこれ、この上まだ祀らにゃならんとは、どうなることか」
と、村の衆はまた集まって評議ばしたとですが、結論は出ません。

 これを伝え聞いた勘右衛は
「俺がいたずらしたことも知らんで、村人たちが大騒ぎしよる」
と、おかしくてたまりません。ばってん、そのままほうっておくわけにもいかず。
「そんなら俺が治めにゃなるまい」
と、山田村まで出かけました。
 山田村では知恵者の勘右衛が来てくれたので大喜びです。村人は言いました。
「勘右衛どん、よろしゅう頼みますばい」
「俺は夕んべ夢ば見た。そんとき『うなぎ明神が馬鹿げたこつばしよる。お前が行って、よかごて取り鎮めろ』と、唐津明神さまからお告げのあった。そんけん、俺がよかごてするばってん、いろいろ文句は言うなよ。よかな!」
 勘右衛は村の衆に念を押しました。うなぎ明神には困り果てていた村人たちは
「万事まかせます」
と、言いました。
 うなぎ明神の社の前にやって来た勘右衛は、鳥居をくぐってしばらくして、大声で叱りつけました。
「こりゃ うなぎ明神。お前は威張りくさって、山田村の衆の人の良さにつけ込んで、ずうずうしかぞ。唐津明神様はご立腹じゃ。今からお前の社ば打ち壊すけん、覚悟せい!」
 これを聞いた村人たちは、うなぎ明神の心を鎮めてもらおうと頼んだのに、勘右衛は反対に明神様ば叱りつけとる。これはどうなることかと、みんなの顔は真っ青になり、がたがた震えだす者もいます。
現在の唐津神社
 そのうちに勘右衛は頭に鉢巻ば締めて、社も鳥居も片っぱしから打ち壊し、火をつけて燃やしてしまいました。村の衆はおろおろと
「勘右衛、こりゃあんまりばい。たたりん恐ろしか。止めちくれ」
と、言いました。
 勘右衛は、えんまさまのような顔をしてにらみつけています。
「俺のすることに口出しするなと、念ば押したじゃなかか。いらん口出しするな!」
村の人たちは恐ろしくて誰も手が出ません。
 そのうち勘右衛は、大きな水がめからご神体のうなぎば捕まえて来て、背割りにし、ちょん切って焼き始めました。
“かば焼”が出来ると、お供えの御神酒(おみき)ば飲み始めました。
「こりゃ うまか。こやんうまかうなぎは初めてばい。お前たちも付き合わんけ」
と、誘いましたが村の衆は恐ろしがって、誰も加わりません。
 うなぎば一人で食べてしまった勘右衛は
「あぁ これでよか。唐津明神様のお告げ通りにしたけん、もう恐がるこつはなかぞ」
と言って、裏町に帰って行きました。
 勘右衛が帰ったあとで、村人たちは勘右衛のことが信じられず、たたりを恐れていましたが、二百二十日になっても、二百三十日になっても、大風はちっとも吹かんし、大雨も降りませんでした。村人たちは、
「唐津明神様のお告げは、ほんなこつだったなぁ」
と、勘右衛の家に揃ってお礼に出かけました。   

         今日ん話しゃ、こいまで…。
           (富岡行昌 著 「かんねばなし」より)


2005.11.15

 

 

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