唐津の民話  
 

 

 
 『かんねばなし46』  
“大宰府まいり”

今日は、勘右衛(かんね)どんの、大宰府まいりの話ば、しゅうだい。

 夏の八朔になると、唐津の人たちは大宰府まいりに行きます。
 唐津から大宰府までは15里(約60km)あります。これを2日がかりで行って帰るのですから、朝暗いうちから起きて出かけにゃなりません。
 勘右衛は貧乏で銭は持っとりませんが、人並みに大宰府まいりばしようと思いたちました。
 朝、目を覚ましてみたら、もう東の空は明るくなっとりました。
 勘右衛は慌てて弁当ば風呂敷に包み、家を飛び出しました。そしてどんどん急ぎましたので、筑前前原(ちくぜんまえばる)に来た頃には腹ん減って、ひもじゅうして、たまらんごてなりました。
 そこで、弁当ば食べようと腰を下ろし、風呂敷包みを開こうとしました。
 包みば取り上げてみてびっくりしました。それは嫁さんの腰巻でした。どうりで、道で出会った人たちが振り向いては勘右衛を笑ったわけです。
現在の唐津市京町アーケード街
「まぁ 俺も慌てとったけん、仕方んなか。飯さえ食えればよか」
と、その腰巻ば明けてみて、またびっくりしました。中にゃ弁当じゃなく、木の枕が入っとりました。
「ありゃ、ほんなこて俺りゃ慌て者ばい」
と、嘆きました。ばってん、いくらなんでん枕は食べられません。腹が減ったまま、夕方になってやっと大宰府に着きました。

 大宰府に入りますと、まず目に付くのは赤銅の鳥居でした。それば見上げて
「これが、京町の常安さまが寄付さした鳥居ばい。常安さまは鯨長者といわれた金持だけのことはある。俺んごて貧乏人もおるし、唐津ん者もいろいろばい」
と、独り言を言って鳥居をくぐり抜け、境内に入りました。
 そん頃になると、腹は減るし、疲れて歩くのもやっとの思いでした。
 しかし、せっかく来たからにゃ、参らんわけにもいかず、飯も食べずに天満宮さまに参ろうと、太鼓橋を渡って、やっとの思いで拝殿にたどり着きました。
「神様、俺ば 常安さまんごたる金持にして下され」
と、欲の深い願い事をして、賽銭を取り出しました。
 勘右衛は大宰府まいりのために貯めとった銭と、裏町あたりの人たちからもらった餞別とを合わせて300文持っていました。その中から3文だけを、お賽銭箱に投げ込もうとしました。
 それが、どうしたはずみでしょうか、3文の方は投げずに、残りの297文の方を投げ込んでしまいました。
現在の太宰府天満宮
「しまった!!どうしよう」
と、大声で叫びましたが、もうあとのまつりです。お賽銭ば上げ間違ったと言って取り返すようなみっともなかことはできません。仕方なくあきらめるほかはありませんでした。
 それで、餞別をくれた人たちへの土産ば買うどころか、晩飯ば食べる銭もなかごてなってしまいました。
「これじゃ晩飯も食べられん」と思うと腹はますます減るし、足も疲れてしまってへとへとでした。
 参道の両脇の店からは名物の「梅が枝餅」を焼く匂いがくんくんと漂ってくるし、腹の虫はぐうぐう鳴るし、勘右衛は我慢できんごてなりました。
 そこで、参道の真ん中あたりの店ば覗いてみました。そこには、鏡餅のような大きな梅が枝餅が飾ってあり、その下に「どいでん3文」という立て札が立ててありました。勘右衛はそれを見て、ふらふらとその店に入って行きました。
「変なこつば聞くようですが、梅が枝餅はどれでん3文ですか」
と、尋ねました。すると店の人は
「お客さん。そうですよ。どいでん3文ですよ」
と、答えました。すると勘右衛は
「そんなら、ここに3文置くよ。これば貰っていきますよ」
と、言うより早く、飾りに出してあった、その大きな梅が枝餅ばさっとつかみ、店を飛び出しました。店の人はびっくりして
「お客さん、それは飾りですよ。食べられんとですよ」
と、叫びましたが、勘右衛は聞こえん振りばして赤銅の大鳥居の所まで走り続け、鳥居の陰で、急いで梅が枝餅に食いつきました。
 そうしたら、「ガリッ」と歯ごたえがしました。
「こりゃ おかしかぞ」
と、よく見てみますと、その餅は木型に紙ば貼って色付けしたものでした。
「なんだ こりゃ 作りもんか……。今日は朝からついとらん」
と、愚痴ばこぼしながら、なえた足で水ばっかり飲みながら、やっとの思いで唐津に帰り着きました。

         今日ん話しゃ、こいまで…。
           (富岡行昌 著 「かんねばなし」より)


2005.10.07

 

 

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