唐津の民話  
 

 

 
 『かんねばなし40』  
“ばばしゃん狐”

今日は、勘右衛(かんね)どんの、ばばしゃん狐ば、退治さした話ば、しゅうだい。
 昔、太閤さま(豊臣秀吉)が朝鮮と戦争ばさしたとき、名護屋に城ば築かしたつは知っとろうもん。
 そん時作らした道ば太閤さんの道と言って、今も残っとるばってん、この道には佐志峠といって、とても淋しい所があるとですたい。
 この峠にゃ、いつの頃からか古狐が棲みついて、村人ば化かしたり、悪戯するごてなって、村人はほとほと困っておりました。
 この狐は、出るときゃばばしゃん(お婆さん)に化けて出るけん、村人は「ばばしゃん狐」と言っておりました。
今も杉と竹に覆われて薄暗い太閤道佐志峠付近
 そして、この狐の悪戯があまりにも度ば越しとりましたので、どうにかして捕まえようと思って、大庄屋さまに頼みました。
 大庄屋さまも
「もっともなこつじゃ。簡単には捕まらんだろうけん、賭け金ば出そう」
と、約束さしたとです。
 この話ば聞いた勘右衛は
「よか話ば聞いたぞ。ばばしゃん狐ば捕まえち、賭け金ばもらおう」
と、佐志峠に出かけることにしました。

 ある日の日暮れのことです。勘右衛はどっから借りてきたか、馬を引いて博労ん格好ばして、太閤道を通っておりました。
 この道は両側に杉が生え、昼でん暗かほどした。女や子供は一人では恐ろしくて、通る者はほとんどなかったとです。
 峠の一里塚に差しかかった頃には、お天道さま(お日さま)は西の馬渡島(まだらしま)の陰に沈んで、夕焼け雲があかね色に染まり、絵のごて美しく見えました。
 ばってん、絵心のなか勘右衛のことですから、そんな美しい景色には目もくれず、坂ばどんどん下りかけました。

 坂ば下り始めると、道の両側は杉並木で急に暗うなって、肝っ玉の太か勘右衛でん、悪寒がするほど寂しい所にさしかかりました。
 そいでん、勘右衛は強かふりして、自慢の喉で、唐津茶碗節ば歌い始めました。

  ♪割れたつもあれば 割れんともあるたぁ 茶碗屋の縁の下
   いやてちゃ いわいたいどん よしゃさしたちゅう
   娘したがる 親たちゃ さしたがる しゅすの帯
   いやてちゃ いわいたいどん よしゃさしたちゅう

 歌ば歌い、自分を元気づけながら、坂の途中まで来たときです。後ろから勘右衛をつけてくる者がありました。
 勘右衛はちらっと振り向いて確かめました。
 出ました。出ました。確かに「ばばしゃん狐」の化けたお婆さんです。
 腰はひん曲がり、頭の髪先ゃ真っ白で、風呂敷包みば腰に結び付けている格好は、まさしく本物のお婆さんそっくりです。
 勘右衛は馬を止め、振り返って
「ばばしゃん、こやん遅う、何処さん行きよると?」
と、尋ねました。
「はい、名護屋ん娘んとこに行ってきました。孫ん可愛かもんじゃけん、ついつい長居して、日暮してしまいました。佐志の八幡さまの近くまで帰りますばい」
と、いかにも本当のことのように返事しました。この返事は嘘だと見抜いた勘右衛ですが、そ知らぬふりをして
今もある“太閤道の一里塚”
「そうなぁ、こん道は暗かけん、ばばしゃんの足じゃ 難儀なこつですな」
と、いかにも同情したふりばして見せました。
「なんの、なんの、慣れた道ですもん、苦にはなりまっせんばい」
と、ばばしゃん狐も強かふりばします。でも、こんまま引き下がると、元も子もなくなります。勘右衛は一段と優しか声ば出して
「もう暗うなるし、道ゃ悪か。丁度よか按配に こっちはから馬ですたい。こん馬に乗ったらどやんな?」
と勧めました。すると、ばばしゃん狐も歩くより馬に乗ったほうが楽ですから
「おおきに、おおきに、そんならお世話になりますばい」
と、とうとう勘右衛の口車に乗せられち、馬に乗りました。
すると勘右衛はますます優しか声で
「ばばしゃん、落ちるといかんけん、落ちんごて縄で結びますとん、よかな」
と、ばばしゃんの返事も待たんで、ばばしゃん狐ばしっかりと馬に結び付けてしまいました。
 ばばしゃん狐は縄で強く縛られて、痛くて痛くてたまりません。
「こりや 苦しか。もう少しゆるうしてくれんけ」
と、頼みますが勘右衛は
「痛かろうばってん、ちょっとの間ですばい。辛抱せんな」
と、相手にしません。
 ばばしゃん狐は、勘右衛は相手にしてくれんし、縄で強く結ばれとりますので身動きできず
「こりゃ どやんしたもんじゃろか」
と、慌てました。そして、ついに泣き声ば出して
「腰ん折りゅうごたる、早う解いてくだされ」
と、頼みました。その時です。勘右衛は大声で
「こりゃ ばばしゃん狐。俺ば誰と思うとるか。唐津じゃ ちったぁ名の知られた裏町の勘右衛ぞ。お前が悪戯ばっかりすると聞いたけん、退治に来たつぞ」
と、怒鳴りました。これば聞いたばばしゃん狐は
現在の“佐志八幡宮”
「こりゃ しもうた。大変なことになった」
と、気付きました。ばってん、もうどうすることもできません。
 こうして、勘右衛は見事にばばしゃん狐ば捕まえて、佐志の大庄屋の家へやって来ました。
「ばばしゃん狐ば捕まえました。賭け金ば下さい」
と、申し出ました。

 勘右衛がばばしゃん狐ば捕まえたことは、すぐに村中に知れ、多数の人が集まってきました。
「さすがは勘右衛ばい。いつもは大ぼらばっかり吹いとるばってん、横着なばばしゃん狐ば捕まえるとは、やっぱり たいしたもんたい」
と、口々に勘右衛をほめたたえます。
「ばばしゃん狐はどこにおるとね。早う見せちくれんけ」
と、村人は言います。勘右衛は得意顔で
「そこん馬に縛り付けてあるたい」
「何ば寝ぼけとるとか。馬にゃ木の株んくくりつけられとるだけじゃなかか。あやんかもんば、ばばしゃん狐とは、お前ん目ん玉はどうかしとるぞ」
と、村人が言うじゃなかですか。
 勘右衛はびっくりして、馬の上をよく見てみますと、なるほど木の株が結んであるだけです。
「こりゃ いつの間にか木の株に化けちしもうた。俺に考えんあるけん、村の衆、こん木の株は逃がさんごて、庄屋さまの家ん中に運んで下され」
 村人は厳重にその木の株ば縄で縛り、家の中に運び込みました。
 家の中には大きな囲炉裏があって、真っ赤な火が盛んに燃えております。
 勘右衛は、戸口という戸口は全部閉め切って、出口ん無かごてして、その木の株ば火の中に投げ込みました。
佐志から唐津港・大島方面を眺む
 いくら木の株に化けとっても、生身の体です。狐ん毛は一度に焼け尽くして、狐は本性ば現し、狐の姿になって、
「キャン、キャーンと鳴き、襖を蹴破って隣の部屋に逃げ込みました。
 そして、よか隠れ場はなかろうかと探しましたが、よか場所は見つからず、苦しまぎれに仏壇の中に飛び込んで、お位牌に化けました。
 勘右衛たちは狐ば追って部屋に入ってきましたが、狐の姿は見当たりません。
 ところが、よくよく注意してみますと、お位牌さまが一つ増えていることに気付きました。ばってん、どれが狐ん化けた位牌か分かりません。
 大庄屋さまは偉い方ですから、間違って本物のお位牌さまば傷つけたり、焼いたりしてしまったら、どんなお咎めを受けるか分かりません。それですから、誰も手を出そうとする者はおりませんでした。
「村の衆、俺が言うとおりにして下され」 「俺たちが頭ば下げると、お位牌さまも必ず下げらす。そん時頭ば下げんとが、狐の化けた位牌ですばい」
と、勘右衛が言います。
 村人は、勘右衛がまたおかしなことば言い出したと思いましたが、この場合勘右衛の言うとおりにした方がよかろうと、仏壇の前に座って一斉に頭ば下げました。
 すると、狐の方は勘右衛が言ったとおりに頭ば下げんと、化けとるとが分かると思って、前の方にチョコンと頭ば傾けました。それば見ていた勘右衛は
「いま、前に頭ば傾けたつが、ばばしゃん狐の化け位牌ばい。それば捕まえちくれんな」
と、叫びました。
 こうして勘右衛は、ばばしゃん狐ば捕まえ、五両の賭け金ばもろうち、裏町へ意気揚々と帰りましたとさ。

         今日ん話しゃ、こいまで…。
           (富岡行昌 著 「かんねばなし」より)


2005.04.9

 

 

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