唐津の民話  

 

 

 
 『かんねばなし32』  
“うらめしや”

 今日は、勘右衛(かんね)どんの、ただ飯を食わした話ば、しゅうだい。
今でも咲き誇る肥前町の切木ぼたん 根は一株
 勘右衛は切木(きりご)のぼたんが満開と聞いて 見物に行きました。
 切木のぼたんは岸岳城が落城したとき、三河守さまの家来が、お城にあったぼたんを持って落ちのび、切木村に植えたと伝えられているので、400年前からある名物です。
 一株で淡桃色の大きな花を1,000個もつける見事なもので、花が咲く頃は、唐津はいうに及ばず遠い筑前(福岡)からも見物客が来るという名所です。
 勘右衛は人の多いときは十分見物もできませんから、まだ見物客の少ない朝に見物しようと、朝まだ暗いうちに飯も食べずに切木に出かけ、朝のうちに見物を済まして、昼前には帰り途につきました。

 当日は天気もよく、陽がよく照っておりましたから、石切坂を登る頃は汗は出るし、それに昼近いので腹は減るし、ひもじくてたまらぬようになってきました。
 おまけに、朝あわてて弁当を忘れて来たので、朝から水ばかり飲んでひもじさをこらえてきましたが、竹木場(たけこば)の峠に来たときは、疲れて歩けぬほどでした。
 幸いこの峠には一軒の茶屋がありましたので、ともかく一休みしようと立ち寄りました。
「おりますか」
と、声をかけてみましたが返事がありません。ただ、表の軒先に小鳥籠がかけてあり、小鳥もひもじいのでしょう、しきりに、うらめしそうな悲しい声を出して鳴いていました。
樹齢500年ともいわれる切木ぼたん

 茶店の掛け縁台に腰を下ろして、茶店の人の帰りを待っておりましたが、小半時たっても誰も姿を見せません。
 ひもじさはつのるばかりで、この有様ではとうてい歩けそうもありませんでした。
「この家は茶店だし、何か食べ物がありそうなものだ。とにかく食べ物をお世話にならなくちゃ」
と考え、勝手に裏口の方に回ってみますと、運良く裏の軒先に飯籠がかけてありました。
 背伸びしてそれを覗いて見ますと、うまそうな飯が入っております。
 それを見たとたん、ひもじさが一層身にしみて、ひもじゅうて、ひもじゅうて、たまらぬようになり、口の中は唾で一杯になってしまいました。
 そこで、悪いと思いましたが我慢できず、茶碗に山盛りに飯を盛り、餓鬼のようにガツガツと音を立てて食べました。
 一杯では足りません。二杯 三杯と食べ続け、飯籠一杯を食べ尽くしました。

 腹いっぱい食べて一息ついたときです。店のお婆さんが帰ってきました。
 お婆さんは、勝手に店に入り飯を食っている勘右衛を見て驚いて
「お前は誰だ。よその家に上がって盗人飯を食う法はなかぞ!!」
と、怒鳴りました。すると勘右衛は
現在の竹木場 茶店があったと思われる峠付近
「俺は裏町のかんね(勘右衛)という者ばい。飯屋に来て飯を食うとは 当たり前じゃろうが」
と、恐れた顔もせず屁理屈を言いました。それで お婆さんはますます腹を立てて
「俺の家は飯屋じゃなか。茶屋はしとるばってん、飯は売り物じゃなかぞ!」
と、言います。しかし、勘右衛はそれくらいのことでは負けません。
「ばってん、表には飯屋の看板がかかっとりますばい」
と、言います。そして、勘右衛はお婆さんを促して表に出て、表の小鳥籠を指して
「これをよく見てみなさい。これが飯屋の看板でしょうが。俺が縁台に腰掛けたら、うらめしや、うらめしやと、しきりに鳴きますばい。そこで、こりゃ気のきいた看板もあるものだと感心し、裏に回って見ますと、看板どおり飯が置いてありました。それで遠慮せずに食べさせてもらいました。どうも有難うさん。
そうそう、俺と一緒にぼたん見物に出かけた裏町の連中も、そろそろここに来る頃ですばい。飯を食うに違いありますまい。うんと沢山飯を炊いて待っておいてくれや」
と、お婆さんを脅しました。
「そりゃ大変なことになる。そんな奴に飯を食べさせたら、米がなくなってしまう。どうしたらよかろうか」
と、今まで怒っていたことも忘れて、真っ青な顔をして勘右衛に相談しかけました。
「そう心配せんでんよか。あの看板の鳥籠を裏に持っていけばよか。そうすりゃ、飯屋の看板は見えんけん、飯の注文はせんよ」
と、教えてやりました。
 お婆さんは勘右衛の言うとおり、鳥籠を裏に移して、ほっと一安心し、勘右衛にお礼を言いました。
 勘右衛は、盗人飯を食べ、怒られるどころかお礼を言われ、元気一杯に唐津に帰りました。

         今日の話は、ここまで…。
           (富岡行昌 著 「かんねばなし」より)


2004.6.14

 

 

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