危険運転致死傷罪とは何なのか
飲酒運転撲滅の道遠し
飲酒運転に対する世間の目の厳しさが増すなか、厳罰化を求める世論を背景にできた「危険運転致死傷罪」。条文のあいまいさから、解釈が分かれ、今骨抜きにされようとしている。
一昨年、福岡で起きた、幼児3人が犠牲になった痛ましい事故に対する裁判で、福岡地裁は検察側の主張する「危険運転致死傷罪」を退け、「業務上過失致死傷罪」を適用した。
これだけ飲酒運転に厳罰を求める世論が盛り上がっているときに、時代の流れに逆行するような判決だ。
判決理由は「酒には酔っていても、蛇行運転や居眠り運転はしておらず、正常な運転が困難な状態だったとは言えない」として危険運転致死傷罪は成立しないとした。
この理由には唖然とした。これでは「酒を飲んで酔っ払って運転しても、酩酊していなければいい」と言ってるのと同じではないか。
被告は100キロの猛スピードで、脇見をしながら運転し、追突したことは立証されている。
猛スピード、脇見運転、これらの行為に飲酒との因果関係はないというのか。誰が見ても、明らかに飲酒運転が引き起こした事故ではないか。
しかも被告は、海に落ちた被害者の救済をしなかったばかりか、逃げて大量の水を飲みアルコールの度合いを薄めようとしている。
更に被告は身代わりまで頼んだという。実に卑劣で悪質きわまる犯罪ではないか。
この点について弁護側は「水を飲んだり、身代わりを頼んだりできたのだから、正常な運転ができないほど酔ってはいなかった」と主張したという。
我々庶民からすれば「なんだそりゃ」と言いたくなるような主張で、弁護士の資質を疑わざるを得ない。
しかも、「被害者は居眠りし、のろのろ運転をしていた」と主張。まさに、でっち上げ、言いがかりもいいところだ。この弁護士に人間としての正常な血が流れているのだろうか。
さすがに裁判官は被害者の居眠り運転は否定したが、他の部分は、ほぼ弁護側の主張を認めた判決を下した。
遠い昔のことだが、大学の法科に籍を置いたことのある者として、人が人を裁くことの難しさは分かるし、人を罰するために法律があるのではないことぐらいは理解できる。
法律の解釈は特に難しく、その適用に間違いがあってはならない。私もかなりの理屈人間だが、法律の理屈っぽさには、ほとほと嫌気がしたくらいだ。
しかし、今回の「蛇行運転や居眠り運転はしておらず、8キロも事故を起こさずに運転してきたのだから、正常だという理屈は、屁理屈にもなっていないような気がする。
酒を飲んで運転したこと自体が故意であり、100キロを越す猛スピードと12秒間にも及ぶ脇見運転が、正常ではなかったことを十分に証明している。
そもそも、飲酒運転の罰則が強化された目的はなんだったのか、飲酒運転は絶対に許してはならないという世論の盛り上がりに答えたものだったはずだ。
にもかかわらず、今回の判決はその意図するところをまったく考慮しない、世論に背を向けた判決だった。
そもそも犯罪に対する刑罰があまりにも軽すぎる。特に日本の社会風潮は酔っ払いに対して寛容だ。
刑罰を重くしたからといって、石川五右衛門ではないが、釜ゆでにしたって、市中引き回しのうえ打ち首獄門にしたところで、浜の真砂と同じように犯罪はなくならない。
しかし、刑罰を重くすれば、確実に犯罪は減る。九州では飲酒運転による事故が55パーセント減ったと新聞が報じていたことでも証明されている。
正直者が馬鹿を見ない世の中を目指して、法律はあると思う。法律に不備があるのなら、一日も早く改正の論議をして、整備しなければならない。
2008・01・09
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