戦争風化とその先に見えるものは

沖縄の人々の叫び
 あの忌まわしい戦争が終って62年になろうとしています。
 62年前の今頃は、毎日のように日本のどこかで、アメリカ軍による無差別空襲爆撃が行われていました。
 焼け野原になった日本は過去の過ちを反省し、私たちの祖先は2度と戦争はしないと硬く誓い合いました。
 ところが最近は戦争体験者が少なくなり、人口の大部分が戦争を知らない世代となって、あの悲惨な戦争がだんだんと風化しています。
 それをいいことに、と言えば語弊があるかもしれませんが、一部の勢力が日本を戦争のできる国に造りかえようとしているような気がしてなりません。
 しかも、そのことが日本の指導者の中に多いような気がします。やっぱりここでも歴史は繰り返すのでしょうか。
 古来、戦争は時の為政者の間違った方向への導きによって引き起こされ、一部の軍部の暴走によって拡大し、泥沼化しています。
 戦争の悲惨さは誰もが知っていることです。口では平和を唱え、戦争はしてはいけないと言います。
 なのに、それでもなお人々は争い続けます。何と人間とはおろかな動物なのでしょうか。

 先日、沖縄戦で失われた犠牲者の追悼式が行われました。
 沖縄では、日本で唯一内陸戦が繰り広げられ、二十数万人の尊い命が失われました。
 戦争が終っても、27年間に亘って米軍に占領され、今なお強力な基地が残って、人々は悩まされ続けています。
 それだけに反戦意識が強い沖縄ですが、その沖縄県民を逆なでするようなことが政府の口利きによって行われ、県民は強く抗議しています。
 例の教科書検定による削除指示がそれですが、そのことから国の将来が見えるようで、何だか背筋が寒くなるような気がします。
 私たちは多くの父や兄弟たちにを戦場で散らせたばかりなのに、また、息子や孫が戦場に駆り出される時代が来るのでしょうか。
 沖縄では、軍による集団自決の強要や命令が問題になっています。
 体験者は口々に、日本軍が捕虜になるのを戒め、死ねと言わんばかりに手榴弾を渡したと言っています。
 なかには、泣く子を黙らせるために、母親に命じて殺させたり、壕から追い出したりしたそうです。命令でわが子の口にオムツを突っ込んで殺した母親もいたといいます。
 国民を守るための軍隊が、国民に死ねと命じたり、命令に従わないものは銃殺したりしたそうですから、沖縄の人たちは誰を信じたらいいか分からなかったでしょう。

 教科書は書き換えても、現実に証言する人がまだいるのですから、沖縄の人々の悲痛な叫びには、政治家たるもの素直に耳を傾けるべきでしょう。
 事実は事実として子孫に正確に伝え、そこからの反省の上に立って、日本の進むべき道を導き出さなければ、いつまで経っても日本の戦後は終らず、迷惑をかけた諸外国から謝罪を求め続けられなければなりません。
 「二度と戦争はしない」と誓ってから62年、私たちは平和に暮らしてきました。世界には羨望の眼差しで見ている国も多いのです。
 日本は資源小国です。世界のすべての国と仲良くしなければなりません。そのための平和憲法は、まだ燦然と輝いています。
 特定の国にべったりくっついたり、敵視したりは危険です。何も白黒をはっきりさせる必要はありません。“八方美人的外交”いいじゃありませんか。

2007・06・26
 

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