わがまま病が我が身を削り、遂には国を滅ぼす

 我が国も遂に人口減少時代に突入した。予測より1年早いという。
 もともと、国土面積の割には人口が多い国だから、多少の人口減少はどうということはないのだが、生まれてくる子供の数が、年々少なくなっているところに問題がある。
 少子高齢化が予想より早く進めば、対策が追いつかない。
 高齢者人口は急速に拡大しているのに、生まれてくる子供の数の減少には歯止めがかからない。このままでは福祉も医療も保険も年金も、すべてが破綻する。
 負担ばかりが増大し、経済は活力を失い、やがては国そのものが衰退してしまう。
 もちろん、誰もがこのままでいいとは思っていない。手をこまねいているわけでもない。何とか少子化に歯止めをかけなければと、懸命に考え知恵を絞っている。
 しかし、これといった対処法はない。なぜなら、国民全員が自己中心で、わがままに慣れっこになっているのだから。

 お互いに相手に束縛されるのが嫌だから結婚しない。自分の人生を子供に縛られるのがいや。子育てが大変だから子供は作らない。教育に金がかかり過ぎるから子供は作っても1人か2人。子育てはすべて妻任せ。これすべて自己中心的でわがまま。
 社会が裕福になり、ゆとりができすぎた結果、考えがすべて自己中心主義で、わがままになり、助け合いの精神が極端に薄らいできた。
 世の中に自由が蔓延した結果、自由とわがままを履き違え、他人の自由を侵害してでも自分の自由をおし通そうとするようになった。
 自由はすべての人に等しく自由でなければならない。自分の自由は他人の自由を尊重してこその自由であり、他人の自由を束縛しての自由はありえない。
 自己中心的でわがままな考えは、時として大いに他人の自由を束縛し侵害する。そして弱者の自由を踏みにじる。
 わがままに育っているので、我慢することを知らず、自分の思い通りにならなかったらすぐ切れる。
 結果として非行に走り、その矛先は弱者に向かう。弱い者いじめや子供の殺人が毎日のように報道される。痛ましい!
 昔がよかったとは言わないが、少なくとも弱い者いじめはあまり見かけなかった。強い者が弱い者をいじめるのは「恥」とした。
 子供の社会でもそうだった。私などは弱かったので、強い者が守ってさえくれた。強い者にとってはそれが誇りだった。
 そんな話をすれば、「時代が違う」と一蹴される。時代は違ってもいいものはいい、悪いものは悪い。

 わがままはまた、助け合いの精神も踏みにじる。
 自分は病気にならないからと健康保険料を払わない。年金保険料もしかり。払えないのではなく、払えても払わないのだ。
 税金は滞納する。学校の給食費さえも払わない者がいるとか・・・。なげかわしい!。
 報道の行き過ぎも目に余る。テレビで放映される画像の中の人々の生活は、あまりにも贅沢できれいだ。
 アパートもマンションも、服装も食べ物も、街も職場も、人々の生活環境そのものが、あまりにも美化された映像ばかりであふれている。
 ドラマを見れば、きれいな服を着て、豪華な食事でうまいものを食い散らかし、しょっちゅう酒を飲んで、豪華な旅行をする。
 それを見た人々は、それが普通の人の生活だと錯覚する。我慢を知らない人たちは自分もそうなりたいとあせる。結果他人の自由を侵害し、犯罪まで犯す。
 いささか八つ当たり的かもしれないが、報道を担当するリポーターのうるさいほどの金切り声。いかにもそれが、明るい人と勘違い。自分は「ねあか」とでも言いたげ。
 そのことが、話のうまくない人をあざ笑い、寡黙の人を「ねくら」と言っては、さげすむ風潮を助長する。
 このような、履き違えた自由を正し、蔓延したわがまま病を治療するにはどうしたらよいのだろうか?
 私なりに考えた。決していいことではないけれども、もはや法的にある程度自由を拘束するしかないと。根本的に教育をやり直すことだ。
 家庭で、学校で、地域社会で、そして職場でも、自由は他人の自由を侵害しない範囲で自由であり、そこにはおのずと限界があることを教えるべきだ。
 また、なんでも自分の思うとおりにはならないことを教え、我慢をし、耐えることを徹底的に教えなければならない。
 不幸にして犯罪を犯した者は厳罰に処し、犯罪者の人権だけが尊重され、被害者は陰で泣いているような、正直者が馬鹿を見る世の中は、一掃しなければならない。
 犯罪者の刑があまりにも軽すぎる。重罪を犯した者は「市中引き回しのうえ打ち首獄門」とまでは行かなくても、それぐらいの気持ちで臨まなければ犯罪は減らない。
 浜の真砂は尽きなくても、刑をグーンと重くすれば確実に犯罪は減る。

2005・12・24
 

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