世界に太刀打ちできる足腰の強い農業を

 「日本農業の将来は経営規模の拡大しかない」これは私の持論だった。食糧自給率が40%しかない我国農業の発展は、一にも二にも担い手育成にかかっている。
 過去、農業関係者に支払われた多額の助成金は、その場しのぎのばらまきで、その役割はほとんど果たしてこなかった。
 10月27日に自民党が決めた「農業経営安定対策大綱」では、批判の多い「ばらまき助成金」を、新しい農業の担い手育成として、大規模経営農家に集中させ、世界に通用する足腰の強い農業の育成に力を入れるとした。
 助成の対象となる経営規模の4ヘクタール以上(北海道は8ヘクタール)と、画一的に線を引くことの是非はともかく、農業政策の方向としては間違ってはいない。
 農水省は、関連法案を来年の通常国会に提出して、2007年度から新制度の導入を目指す。やっとその気になったか…という思いが深い。
 今、日本農業が抱えている問題は、@担い手対策、A規模拡大、B中山間地対策の三つ。そのうち最大の問題は「担い手育成」。
   現在の農業を支えているのは60代や70代がその大半を占め、その後継者は育っていない。つまり、この年代の人たちが歳をとって農業ができなくなったら、それで終わりなのだ。
 今まではそんな農家も手厚く保護し、助成金をばらまいてきた。しかしこれでは担い手も育たなければ規模拡大も進まない。

 私は現役時代、農政の末端現場で政策遂行のための仕事をしてきた。
 「自分一代で農業は終わり。息子はサラリーマン」という生産者が多い中で、極めて少数ながら、どうしたら美味しい米が作れるか。どうしたら売れる米が作れるか。真剣に聞いてきた人たちがいた。
 そんな生産現場で一番つらかったのは、そういうやる気のある人にも、ない人にも、一律に押し進める米の生産調整推進だった。その面積は三分の一強にも達していた。
 仕事柄、市町村主催の生産調整推進会議によく出席した。私には、この会議は「日本農業を衰退させる会議」のように思えた。
 作りたい人に作らせない。規模を拡大すれば生産調整面積も比例して増える。3ヘクタールの耕作者も、0.3ヘクタールしかない耕作者も一律35%の減反では、大規模専業農家はやっていけない。
 わが国の米麦農家はほとんど兼業農家だから、もともと農業収入に頼ってはいない。しかし、この階層が圧倒的に多いので、聞こえてくる意見はこの階層からばかり。
 規模の大きい専業農家は小さくなっていた。意見を言ってもごく少数派だ。通るはずがない。そこで落ち着くのは、いつも一律減反だった。平等といえば聞こえはいいが、私には「専業農家いじめ」に見えた。
 行政側は、減反さえしてもらえばいいのだから、これでやれやれ。私も立場上公の席では何も言えなかった。

 消費量が減ったとはいえ、米は日本人の主食の座にある。園芸農家と違って、米麦専業農家は規模拡大なくしては生き残れない。生産調整、一律減反は規模拡大を大きく阻害してきた。
 職業はサラリーマンだが、土日や有給を利用して農業をやる。私はこのような農業者を「趣味の農家」と言ってきた。
 耕地面積が少ないのだからやむを得ないが、このような趣味の農家が圧倒的に多いのも日本農業の特徴だ。しかし、いつまでもこれでは、日本農業の将来はない。
 米や麦作りは、やる気のある専業農家に任せ、担い手のいない兼業農家にこそ、生産調整を引き受けさせるような政策が是非とも必要だ。その意味では、今回の大規模農家担い手育成に重点を移した大綱はある程度評価できる。
 規模拡大が容易になれば、意欲のある担い手も育つ。ただし、日本は耕地面積が少ないから、みんながいい農政はできない。痛みは伴うが、政策としての離農促進も必要になる。
 このまま放っておけば耕作放棄田が増えて、農地は荒れるばかりだ。すでに中山間地域では作り手がなくなって、荒れ放題の田や畑が目立つようになってきた。
 金はかかる。しかし、農地の流動化策や離農促進助成策などは是非必要。不要なところにばらまく金があったら、こういうところに使ってもらいたいものだ。市町村の農業委員会などは必要ない。

 中山間地問題は一律にはいかない。労力も平地の数倍かかるから、生産コストも高い。規模拡大も機械化もままならない。こんな所にこそ助成が必要だし、農政の出番がある。
 これも持論だったが、行政は余計なことはしなくていい。中央集権的な引っ張っていく農政はいらない。余計な規制は撤廃し、やる気のある農家の知恵と努力を引き出し、後押しをすること。これこそが真の農業政策だと思う。

2005・10・30
 

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