いまなぜ憲法改正か

 憲法改正論が財界から政界へとだんだん声高になってきました。そして国民投票の準備も着々と進んでいます。今なぜ改憲なのでしょうか。
 日米安保条約で縛られ、同盟国としてべったり追随のアメリカが戦争をしているときに、日本が改憲を言い出せば、それはすなわち9条の改正、平和憲法の放棄であることは目に見えています。少なくとも諸外国はそう見て、日本に対して警戒心を強くしてくるでしょう。
 首相は事あるごとに国際貢献を口にしますが、なぜ国際貢献が自衛隊派遣でなければならないのでしょうか。

 かって、私たちの先輩は世界を相手に戦争をしました。そして徹底的に叩きのめされました。その結果を反省し“軍備は持たない”“二度と戦争はしない”と固く誓いました。
 程なくして日本は、世界の人がうらやむほどの復興を遂げ、経済大国と言われるまでになりました。
 確かに今の憲法は、占領米軍に押し付けられたものではありましょう。でもそれで60年間平和に過ごしてきたではないですか。どこの国からも侵略されなかったではないですか。この事実はもっと尊重されていいと思います。
 「北朝鮮にいいようにやられているではないか」「中国や韓国にいつまでもあやまれ!あやまれ!と言われ、補償を迫られ、内政干渉を受け続けているではないか」という反論が聞こえてきそうです。この問題についてはまたの機会に書きましょう。

 平和憲法があったからこそ、日本は60年ものあいだ、国権の発動としては外国人を一人も殺していません。このことは大国としての日本が世界に誇れることであり、国際社会の模範ともなるものです。
 一部には“金だけ”との批判もありますが、途上国には援助の手を差しのべ、その国や地域の経済発展と福祉の向上に大きく貢献してきました。日本の開発援助は世界で一二を争うまでになっています。
 今や日本は、東南アジア諸国からも、中東やアフリカ諸国の皆さんからも、信頼と尊敬のまなざしで見られているのですよ。
 そんないま、平和憲法を捨てるということは、永々として築いてきた これらの国の人々との信頼関係を一気に失うことになるでしょう。
 なぜなら「日本は、イラクに対する戦争の大儀があろうがなかろうが、アメリカがやるなら何でもいたしましょうという国」だと見られているからです。
 憲法を改正し、アメリカの戦略にのっとって、自衛隊を派遣し易くするということは、そういうことなのです。これが果たして日本の国益になることでしょうか。
 今こそ日本は平和憲法を堅持し、平和的な国際貢献に徹すべきです。それは日本人だからこそできることです。
 今ならまだ日本人はイスラム教徒にも、ユダヤ人にもアフリカ人にも嫌われていません。そこが傲慢な一国主義のアメリカとは大きく違うところです。
 貧困の残る地域に、軍需と結びつくことなく経済大国になった日本型の経済モデルを広めていくことが、真に日本の国益であり、進むべき道ではないでしょうか。

 戦争はおろかで、悲惨で、恐ろしいものです。そこには“国が勝つこと”しかありません。
 勝つためには何をしてもいい。人を殺してもいい。科学も医学もすべてが戦争に動員され、歴史も法律も最低のルールさえも、自分たちが勝つために都合よく解釈されます。
 敵と決めたものは徹底的に悪とみなし、“自分たちこそが善だ”としなければ戦争は成り立たないのです。
   昭和のあの大戦で、お国の為にと最前線に送られ、銃を持って戦わされた人や、空襲で焼夷弾に追い回され、家を焼かれ、肉親を亡くした人、あの恐ろしい戦争を本当に体験した人は、「平和主義は腰抜け」とか「卑怯だ」などとは言えないでしょう。
 財界の総本山とされる経団連は憲法9条を改悪し、武器輸出を容易にすると同時に、戦争特需にあずかろうと目論んでいます。なんと「無節操極まりなし」というべきでしょう。
 そこにあるのは企業の論理のみ。企業が勝ち抜くためには人の命さえ粗末にしてもいいという考えに他なりません。
 戦後60年、財界も政界も“戦争を知らない世代”が大多数を占める時代になってきました。国会も与野党を問わず改憲論者が多数派です。
 最後の砦は国民世論ですが、その砦も崩されようとしています。
 今こそ戦争体験者が声を上げるときではないでしょうか。戦争を知らない世代は戦争がどんなものか、もっと学ぶ必要があるのではないでしょうか。

2005・03・09

〜〜〜国際開発センター会長 品川正治氏 の西日本新聞に寄せられた記事を参考にさせて頂きました〜〜〜
 

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