郷土の伝説  

 

 

唐津市肥前町赤坂に現在もある善六君の墓
現在の唐津市唐ノ川
 唐津市唐ノ川から、となりの赤坂へ少し入った所に小さな祠(ほこら)が建っており、そこには「浪士善六君の墓」と印された古い墓があります。


 その昔、唐ノ川で善六という武士が行き倒れになりました。
 村人たちの手厚い介抱もむなしく、ついに息をひきとりました。
 後のたたりを恐れた村人たちは、善六に新しいわらじをはかせ、夜中にこっそりと、隣村の赤坂に置いて来ました。
 翌日、これを見た赤坂の村人たちは、わらじが新しく汚れていないことから、「土を踏まずに空を飛んで来た人」と、この超能力に驚き、善六のなきがらをそこに手厚く葬ったということです。
 

 

 

 湊の浦に貧しいながらも幸せに暮らしている漁師がいました。
 ある日のこと、朝から空模様が怪しいので、漁に出る者もなかったのですが、この漁師だけは妻や子供により豊な暮らしをさせようと、舟を出して沖へ向かいました。
現在の唐津市湊町浜の漁港
 ところが、海が急に荒れ出したため、とうとうこの漁師は浜に戻って来ませんでした。

 それから数日後、浜に一匹の大きな鰐(昔はサメのことを鰐とよんでいた)の死骸が打ち上げられました。
 ところが、この鰐の口には、たくさんの魚を通した紐がしっかりとくわえられていました。
 なんと、その紐は漁師の妻が日頃から使っていた、たすきだったのです。
 このことから、湊の浦を別名「鰐の浦」と呼ぶようになりました。
   
                   佐賀県小学校教育研究会 国語部会編より
 
灰ふりまつりで賑わう唐津市湊町の八坂神社
※唐津市湊町は、神功皇后(じんぐうこうごう)が三韓征伐の出兵に際して軍船を繋いだことから、湊と呼ばれるようになりました。
 また、対岸の「神集島(かしわじま)」は、そのとき神を集めて軍儀を開いたことから、神集島と名づけられたといわれています。
 神功皇后の朝鮮出兵のおり、霧が深くて出港できませんでしたが、榊(さかき)を燃やして灰をつくり、その灰を振りまいたら、見事に空が晴れ、出兵できたという言い伝えも残っています。
 毎年2月11日に行われる、湊八坂神社の厄除け神事「灰ふりまつり」は、この古事にちなんだもので、今も多くの参拝客で賑わいます。

 


2008.2.29

 

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