郷土の伝説  

 

 

 値賀崎に太一という25歳の若者が住んでいました。
 父も母もいない太一は働き者で、村人たちから「魚釣りの名人」と言われていました。
 15歳頃から一人で値賀崎沖に出て釣りをしていましたので、太一は魚の釣れる時と場所を知り尽くしていました。
 春、桜も七分咲きとなったのどかなある日、太一はいつものように値賀崎沖に船を漕ぎ出しました。
 このところ鯛がよく釣れていたのですが、どうしたことか、この日は昼も過ぎたというのにまだ1匹も釣れません。こんなことは今までにはなかったことでした。
 さすがに辛抱強い太一もいらだってきましたが、それでもなぜかその場を離れる気にはなれませんでした。
 やがて陽が落ち始めましたが、相変わらず釣り糸には何の手応えもありません。春の夕陽が海一面に輝いて、太一はうっとりと見とれていました。
 と、その時でした。グググッと強い手応えがありました。太一は手先に力を集中させ、少しずつ糸を手繰っていきました。
 すでに陽は落ちてあたりは暗くなりかけていました。
 引き上げてみると、今までに見たこともない鯛で、鱗が金色に輝いていました。
 アカ鯛はじっとしていて、静かに大きく息をしているだけでした。
 鯛を見つめていた太一には、その鯛が何か言っているように思えましたので、耳を寄せました。
「殺さないで下さい。逃がして下さい」 そう聞こえましたので、太一は赤鯛を逃がしてやりました。そのときはもう、あたりはすっかり暗くなっていました。

 数日経ったある日、表戸をコツコツと叩く音がします。戸を開けてみると、一人の見たこともない、長く髪をたらした綺麗な娘が立っていました。
「泊めて下さい」 娘が真剣に頼みますので、何か訳でもあるのだろうと思った太一は、何も聞かずに娘を泊めてやることにしました。
 翌朝、太一が目を覚ますと、娘はもう朝ごはんの用意をし、弁当まで作って待っていました。
 娘の作ってくれた料理は、ほっぺたが落ちるかと思うほどおいしく、中でも味噌汁はまた格別でした。
「あんたの名前は?」
「お八重と……」 言葉の終わりは消えてしまいました。
「こやんおいしか味噌汁は初めてだ、どうやって作るか教えてくれんか。俺は毎朝味噌汁ば炊くけん、習うちおきたか」
 太一は娘を見つめながら言いました。しかし、お八重はただ微笑んでいるばかりでした。
「明日の朝も味噌汁ば炊いてくれるか?」と頼む太一に、娘は小さくうなずきながら
「私の料理姿を見ないで下さい」とだけ、はっきりと言いました。
 太一は、「見らん」と約束して、そのまま釣りに出かけました。

現在の値賀崎には玄海原子力発電所
 数日経った朝、太一は娘が料理を作っている姿を見たくなりました。「見るな」と言われたので、なおさら見たくなったのでした。
 我慢していたのですが、戸の隙間から土間をそっと覗いて見ました。
 するとそこには、お八重の姿はなく、あの金色の鱗のアカ鯛が鍋の渕でオシッコをしていました。
「あっ」太一は声を立ててしまいました。
 お八重はしょんぼりと太一の前に座って
「太一さん、私は先日あなたに助けていただいたアカ鯛の精です」
 お八重の目から涙がポロリと落ちました。
「太一さん、私はあなたにおいしい料理を作ってあげたかった。でも、その姿を見られてしまったのでは、もうここに居ることはできません」
 お八重はすっくと立ち上がると家を飛び出しました。太一は声をかけるひまもなく、懸命にその後を追いかけました。
 お八重は値賀崎の絶壁に立ち、追いかけてくる太一に大きく手を振ると、くるりと向きをかえて、身をおどらせ、海に飛び込んだのでした。
 太一が絶壁に立ったときには、すでにお八重の姿はありませんでした。
 太一は海面を見詰めていました。
 やがて海面に大きなアカ鯛が姿を現しました。太一の姿を振り返り、振り返りしながら、沖へ沖へと泳ぎ去って行きました。
 太一は、アカ鯛の去った方角を、いつまでも、いつまでも、呆然と見つめているだけでした。
 
 太一には、お嫁さんを世話したいという人が何人もあったし、太一の嫁さんになりたいという娘も何人もいました。
 しかし太一は、そのような話には乗らず、一人暮らしを続けました。
 そのうち「太一の嫁さんは海にいるようだ」と村人たちはささやくようになりました。
 ある日、太一はいつものように穏やかな海に出かけましたが、そのまま帰りませんでした。その日以来、太一の姿を見たものはありません。
 村人は、太一は海の中で生きていると考えましたので、太一の墓は造りませんでした。

                     佐賀県小学校教育研究会 国語部会編より


2008.1.31

 

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