郷土の伝説  

 

 

 
 『日本三大悲恋伝説』  
異説佐用姫物語U

 佐用姫(さよひめ)の話を聞き伝えた人々は、さらに別の話、佐用姫の後日談を創り出しています。
 その一つが、伊万里市山代町浦之崎にある「佐代姫神社」にまつわる話です。

島々が点在し箱庭のように美しい伊万里湾
 佐代姫は狭手彦(さでひこ)の軍船を見送りましたが、船が島影に消えると半狂乱になって、山を駆け登り、また駆け降りて、唐土の浦(浜崎)に行き舟子を集め軍船を追いかけることにしました。
 舟は出帆しましたが、荒れ狂う嵐のため疲れ果てた舟子たちは、舟を沖の小島に漕ぎつけると逃げ出してしまいました。
 一人舟にとり残された佐代姫は天を仰ぎ嘆き悲しみ、舟底に打ち伏して、あらん限りの声を出して泣き続けました。
 落ちる涙が枯れはてる頃、佐代姫の真心が天に通じたのか、舟は満風に帆をはらみ、にわかに玄界の沖合いへと走り出しました。

 やがて嵐も過ぎ去り、波のうねりも静まった翌日、伊万里湾の入り口の今福(長崎県松浦市)の漁師たちが大漁を期待して漁場へと向かいました。
 漁場で網を入れようとしたとき、人影のない一隻の難破舟が漁場に流れ着いてきました。
小舟が流れ着いた佐代川の川口付近
 驚いた漁師たちは漁の手を休め、漂流舟へ漕ぎ寄せ、舟底を確かめてみました。
 そこには、年若い色白で高貴の出と思われる女性が、緑の黒髪を振り乱したまま、うつ伏せになっていました。
 一同はびっくりしました。そして後のたたりを恐れ、舟を押しやり逃げ去ってしまいました。

 再び沖へ出た小舟は、上げ潮に乗って伊万里湾の奥の方へと向かい、浦之崎の浜に注ぐ佐代川の川口に辿り着きました。
 この漂流舟を見つけた浜の漁師は、立派な着物をまとい、気品のある若くて美しい女性をただ者ではないと察しました。
 五色に染められた豪華な衣装を身につけた貴婦人の死顔には、神々しいばかりの威容と魅力が漂っていました。
 村人たちは、船が入り込むのは、挙村繁栄の幸をもたらす幸運の現われだと思い、村長の心遣いで塚を築き丁重に葬りました。
伊万里市山代町浦之崎にある佐代姫神社
 そして、身にまとっていた着物と舟にあった壷は、尋ね人があったときの証しにと丁寧に保存することにしました。

 この浜ではそれ以降、豊漁が続き、誰言うとなく、小舟の女性を葬ったおかげだと信じ、埋葬塚を更に立派にし、その傍らに社殿を造築して祀ることにしました。この社殿が佐代姫神社です。
 その社殿の祭りの日、村を尋ねた立派な旅人がありました。
 聞けば松浦(唐津)の篠原長者の身内の者だといい、狭手彦の軍船を追って出帆し、行方不明になった佐用姫を捜しているのだということでした。

 一方狭手彦にも後日談がありますが、その話はまたの次の機会に……。

                      清水静男 編集 「松浦佐用姫」考より


2007.9.16

 

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