郷土の伝説  

 

 

 
 『日本三大悲恋伝説』  
異説佐用姫物語T

 日本の三大悲恋伝説といえば『松浦佐用姫』『羽衣物語』『竹取物語』ですが、『羽衣物語』と『竹取物語』がまったく架空の物語なのに比べて『松浦佐用姫』は、その大部分が史実に基づいています。
 大伴狭手彦(おおとものさでひこ)は実在の人物ですし、当時の日本は、朝鮮半島とはかなり交易があり、頻繁に往来していたようです。
 また、朝鮮半島では新羅(しらぎ)が勢力を拡大し、このままでは日本まで脅かされる、と恐れた大和朝廷は、しばしば朝鮮半島に兵を送っています。
 それらの拠点が松浦(まつら)地方だったことも「肥前風土記」などによって明らかです。
 朝鮮半島に送られる兵たちの拠点も松浦地方だったことから、集結した兵たちと、地元の娘たちとの恋も多数芽生えたことは容易に想像できます。
 「肥前風土記」によれば、「弟日姫子(おとひめのこ)」という女性が、狭手彦の恋の相手だとされていますが、この人がこの物語の主人公である「松浦佐用姫」だと思われます。


 さて、狭手彦と別れた弟日姫子(おとひめのこ)が、夜、床に伏していると、夜中に彼女の寝屋を訪ねる者がありました。
 姿や顔が狭手彦そっくりで、弟日姫子は必至の願いがかなって、狭手彦が帰って来てくれたものと思い込み、寝床を共にしました。
鏡山山頂の噴火口跡として今も残る池
 ですが、考えてみれば狭手彦は遠く異国の地を目指しているはずであり、いま帰ってくるとは考えられません。
 毎夜訪れる男に疑いを持ち始めた弟日姫子は、3日目の夜明けに、家を立ち去る男の服の裾に糸を結び、侍女と一緒に糸のあとをたどって行きました。
 その糸は鏡山の山頂の池の畔まで続いていました。
 池の畔には、頭は大蛇で体が人間の姿をした魔物が横たわっていました。
 弟日姫子たちの足音に気づいて目を覚ました魔物は起き上がり、

「しのはらの弟日姫子をさ一夜来めてむしたや家に下さむや」と、歌で呼びかけました。

 弟日姫子は、驚きと恐ろしさのあまり、その場に気絶してしまいました。
 気丈夫な侍女は山を駆け下り、村人に知らせて助けを求めました。
 村人たちが大勢駆けつけてみると、山頂にはすでに弟日姫子と魔物の姿はなく、一つの白骨が池の底に沈んでいました。
 人々は、その白骨を魔物に魅せられた弟日姫子の変わり果てた姿として拾い上げ、鏡山の南の麓の丘に丁重に葬りました。

 以上が、弟日姫子(佐用姫)が狭手彦と別れた後の結末だとされていますが、この話のすじは、古代の人たちが人間と獣が婚を通ずると信じていたとはいえ、あまりにも奇怪な結末でした。
 そのためでしょうか、時代の経過と共に奇怪な部分は省かれ、綺麗な部分だけが語り継がれるようになったのでした。


 佐用姫が泣きつくして石になったという説は、後世の万葉集に出てくる歌にも影響されているようです。

  「遠つ人 松浦佐用姫天恋いに 領布振りしより 負える山の名」(871)
  「行く船を 振り留みかね如何ばかり 恋しくありけむ 松浦佐用姫」(875)
  「海原の 沖行く船を帰れとか 領布振らしけむ 松浦佐用姫」(874)

鏡山山頂の「領布振松」と「万葉の歌碑」
 これらの歌は「山上憶良(やまのうえのおくら)」の作とされていますが、実際は「大伴旅人(おおとものたびと)」の作のようです。
 大伴旅人の意を受けた山上憶良が、旅人の心情を汲み取り、詠んだ歌だろうとされています。
 大伴旅人が九州滞在中に、狭手彦と弟日姫子の悲恋物語を聞いたのは確かなことでしょう。
 大伴狭手彦は旅人にとっては数代前の先祖にあたる人です。
 大友家の名誉のためにも、先祖の恋の相手が魔物に魅せられたとあっては、伝説とはいえ面白いはずがありません。
 旅人はこの話の純なロマンの部分のみを歌い上げることにより、物語を格調高い悲恋物語に仕立て上げようとしたのではないでしょうか。

 万葉の歌の影響を受けたこの物語は、いつしか名も「松浦佐用姫」となり、若き大将軍と絶世の美女との崇高な悲恋物語だけを強調するようになったのでした。
 万葉の歌にも数々歌われている悲恋の歌は、貞淑な妻を強調する時代背景とともに、聞く人の心を強く打つ物語になっていったのでしょう。

                      清水静男 編集 「松浦佐用姫」考より


2007.7.26

 

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